「学習方法/高校日本史」の版間の差分

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椎楽 (トーク | 投稿記録)
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== 史料問題は出題されづらい ==
市販の参考書では、古文書などを現代仮名づかいで表記した、史料集が市販されています。また、検定教科書にも、ところどころ、そのような史料の一文が紹介されていまする。しかし、史料の具体的な文章は、入試では出題されづらい傾向がある。実際にセンター試験の日本史の過去問を見ても、史料問題は数が少ない
 
また、たとえ入試に出題されても、細かく語句の意味を問うことはない。せいぜい、「この史料は、何について記述しているかを次の選択肢の中から選べ」的な問題が出るくらいである
しかし、史料の具体的な文章は、じつは入試には、出題されづらい傾向があります。実際にセンター試験の日本史の過去問を見ても、史料問題は、数が少ないのです。
 
このような出題になる理由は、古文書などの史料を読み解くには、[[w:史料批判|史料批判]]という分析方法が必要だからだ。しかし、史料批判には専門的な知識が必要であり、一般的な高校で実施される教育([[w:普通教育|普通教育]])の片手間でできるものではない。そのため、入試では「日本国民の一般常識」の範囲内で読める程度の史料しか扱えない。
また、たとえ入試に出題されても、細かく語句の意味を問うことは、ありません。
 
せいぜい、「この史料は、何について記述しているかを、次の選択肢の中から選べ」的な問題が出るくらいです。
 
さらに、史料集では紹介されてない古文が、センター入試などに出題される場合もあります。
 
 
このような出題になる理由は、そもそも古文書の読解には、多数の解釈があり、センター試験のような全国一律の試験問題としては、細かい読解を問うのは不適切だという可能性が考えられます。
 
また、学問は日々進歩していきますが、古文書は進歩しませんので、教材としては古文書や史料集は検定教科書よりも価値が劣ります。
 
そもそも学問や教育とは、そういうものです。古典を直接読みあさるのが基礎学力の養成には非効率だから、かわりに要点を記述した教科書が作られていくのです。
 
また、古文書のなかには、その古文書の著者の主観が入っていたり、勘違いなどで間違っていたりする物も多く、教材としての価値は教科書よりも劣ります。古文書の読解能力の有無は、歴史学の勉強の結果にすぎず、けっして勉強の手段ではないのです。
 
当然ですが、最新の学問の知見は、(史料集ではなく)検定教科書のほうに反映されます。
 
なので、もし他教科の学習などのために日本史の学習時間が足りない場合などは、史料集の読み込み勉強の時間は、省略できるでしょう。史料集を読むにしても、けっして細かく一字一句の意味を覚える必要は、ないのです。史料集は、一通りの通読をするぐらいで充分でしょう。
 
なお、市販の高校生向けの日本史史料集には、日本語の文書しかありませんが、実際の日本史研究では、英語などで書かれた外交文書や日記なども読めるようにする必要があります。近年の中学高校の検定教科書でも、近代史の分野では、御雇い外国人のドイツ人ベルツの日記や、幕末のペリー提督によるアメリカ政府への報告書など、米英の新聞記事など、欧米人の書いた文書の存在も教科書で紹介されています。欧米系の日本史の史料については、入試には出ませんが、研究には必要ですので、読者高校生は古文漢文だけでなく英語もバランスよく勉強しましょう。スペイン語やオランダ語やドイツ語やフランス語などを学ぶ際にも、まず英語が基礎として必要です。
 
だから、史料集は、一通りの通読をするぐらいで充分だろう。その上で、各大学の出題傾向や赤本・予備校の分析をもとに取り組めばよい。
 
== 神話の内容は出題されない ==