「高等学校美術I」の版間の差分

こんな感じかな…しんどかった…ところで,小林よしのりの絵って上手いの?
(こんな感じかな…しんどかった…ところで,小林よしのりの絵って上手いの?)
:※ 著作権の都合で、wikiでの画像の紹介が困難なので、代わりに外部リンク [https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0036494 伊勢物語絵巻] (リンク先は 東京国立博物館)
 
== 広角パースと望遠パース ==
== 現代の美術の思想史、技法の変遷の歴史など ==
パース=パースペクティブ【perspective】 遠近法。透視図法。
ちまたの美術評論では、けっこう絵を描けない人が美術史をかたっています。
 
ろくにマンガを描けないマンガ評論家の語るマンガ絵の歴史についての評論、なんてのも、よくあります。
 
こういう人でも、とりあえず、「西暦○○年、(たとえばマンガ業界などで)△△が起きた」といった、単なる歴史的事実を整理するために必要です。
 
 
ですが、コンテンツ産業の歴史の場合、表現の背景にある、さまざまな技法、その技法が観衆に美しいとして受けいれられる背景などといった、出来事だけからは不明な歴史のほうが、作家を目指すものには必要です。
 
 
歴史とは、歴史観をともなう必要があります(そうでないと、単なる出来事の羅列になってしまい、なにも把握できなくなる)。
 
ただし、問題点は、絵を下手な人でも、美術史を語っているという事です(そういう人も必要ですが)。
 
 
絵描きとしては、あまり、そういう描けない人の語る美術史の歴史観を鵜吞みにしないようにしましょう(せいぜい参考ていどに)。その分野の評論の黎明期でもないかぎり(せいぜい1990年代あたりまでのマンガ評論など)、表現手法の高度化した現代では、よほど統計や実例とかによる検証がシッカリしてないかぎり、描けない人のいう(美術系の産業の)「歴史」は、あまり鵜吞みにしないのがベストです。
 
 
また、絵を書ける人作家でも、他人に絵の上手な書き方を教えられない人もいます。
 
現代美術史(とはいっても、せいぜい20年前ていどだが)の研究で参考になる人は、絵画・イラスト分野の場合、他人に絵の描き方を教えられる人の語る美術史でしょう。
 
それも、教える側の作家じしんとは作風の違う人にも技法を教えられる人です。別に直接は美大や専門学校などの講師・教員のいう事でなくてもいいので、言ってることが分野外の絵描きの人にも実用的で、なおかつ具体的で役だつ人の語る美術史を参考にしましょう。
 
 
いくつかの分野の作家は、自分の作風さえ追求していれば十分なので、他の作家の作風と比較する必要がありません。なので、コンテンツ業界の全体像などは、あまり知らないベテラン作家も多くいます。自身の業界ですらも、画風が違えば、自分と違う画風の歴史についてはあまり詳しく知らない作家もいます。
 
また、過去のベテラン連載作家でも、当時の自身の連載もありますので、他の雑誌・他社メディアなどの連載のことは、あまり知りません(ただし、プロ経験者は業界の内情については、よく知っている)。
 
 
職人肌の人の(狭いが深い)意見も必要ですが、ですが、その人の意見を鵜吞みにしないほうが安全です。
 
 
 
世間には、芸術ファンを名乗っていながら、自分では、まったく創作活動をしない口先だけの自称芸術ファンも多いので、画風の違う分野では役立たない狭い美術史しか語れない評論家でも、自称芸術ファンには見抜けないので、狭い知見の芸術評論でも けっこう通用してしまっています。
 
もちろん、肉体労働者や医者・弁護士などに美術史を理解しろというのはめちゃくちゃな要求なので、美術史を理解する余裕のない人のことも考える必要があります。
 
ですが、文芸評論やメディア評論などを専門にするような人でも、まったく、絵の練習もしないでマンガ評論などを語る人は、多くいます。
 
また、世間の消費者・若者でも、たとえば漫画家の志望でもイラストレーター志望でも何でもいいですが、「ある分野のプロに『なりたい』という人は10000人としたら、実際に練習や投稿などを始める人は100人くらいしかいなくて、続ける人はそのうちの1人くらい」というフレーズが彼らの業界では有名です。
 
 
世間の美術史は、『なりたい』というだけで始めすらしない人、始めても続けない人たちの支持する歴史がほとんどです。
 
なぜなら、商売というのは、リテラシーの低い馬鹿に商品を高額で売りつけるのが、商売のテクニックのひとつだからです。
 
 
美術史も同じで、リテラシーの低い(たとえばマンガ絵の練習もしないでマンガ評論するような)人のための消費的な自己満足のための美術史のほうが、馬鹿にも売り込みやすいので普及しています。
 
しかし、作家をもし本気で目指すなら、そういう低リテラシー消費者のための自己満足ヒストリーは、けっして鵜吞みにしてはいけません(せいぜい、馬鹿むけの教育として参考にする程度でよい)。
 
 
ノーベル物理学者ファインマンは下記のように言っています、「高校生レベル(~高校卒業生)の知識レベルの人を相手に、ある分野を教えられない人は、その分野を理解していない」と。
 
{{コラム|絵の練習をサボってる評論家によくある「絵の上手さ」の典型的な勘違い|
絵を描く練習をサボってるバカ評論家によくある、「絵の上手さ」の定義についての典型的な勘違いの具体例をあげます。
 
;「線の多い絵ほど、上手い絵である」と勘違い
まず、「線の多い絵ほど、上手い絵である」と勘違いしています。
 
 
もし鉛筆だけで線画を模写する場合、線の少ないほうが書き写すのはラクです。
 
しかし、バカ評論家は、'''「書き写すのがラクな絵 = ヘタな絵」という勘違い'''をしています。なので子供むけの漫画の絵柄など、よくバカから「ヘタだ」と言われます。
 
 
もう、この時点でバカ過ぎます。
 
たとえば物理学のアインシュタインの相対性理論のE=MC<sup>2</sup>は、数値をもとめる計算だけなら高校レベルの二次関数で計算できますが、だからって評論家が「アインシュタインを高校生レベルのバカだ」といったら、その評論家がバカでしょう。
 
つまりバカ評論家は、発明・発見の難しさと、マネの難しさとの区別が、ついていません。
 
そして大抵、マネするのがラクなものほど、むしろ発見するのは難しいのです。
 
 
1492年あたりにアメリカ大陸にたどりついたコロンブスを現代の人が真似て、現代人が飛行機でヨーロッパからアメリカまで海外旅行しても、まったく天才でもなんでもないのです。
 
 
さて、たしかに、黒インクとペンだけで写実的な絵を描こうと思ったら、線が多くなります。白黒印刷の出版物では、そういう技法も必要でしょう。
 
また、「線」ではないですが写実的な絵の具イラストを書く場合も、筆を動かす数は増えるでしょう。
 
 
しかし、たとえば、ポスターカラーを作って絵を描くとき、やたらと線が多いと、かえってポスターの色で塗られた面の印象が薄れます。
 
 
また、日本のマンガは黒インクで書き増すが、しかし長期連載のマンガをつくるとき、線が多いと生産コストが合いません。
 
しかし、バカの頭の中には「生産性」とか「コスト」とかの概念もありません。
 
 
まだしも、「芸術はコストなどの経済的な要因にとらわれずに、もっと画風を探求すべきだ」とか考えて、あえて線の多い絵を書くならともかく、
 
そもそも、そういうコストの概念を知らないで評論している人が世間には多いのです。
 
 
 
そして、困ったことに、アニメファンや漫画ファンを自称する人たちの中にも、こういう勘違いをしている人がいます。
 
こういう人のくせに「アニメ差別はよくない」とか言ってたりしてて、自分こそ画風を差別している事実に気づきません。
 
 
あまりにも勘違いする人が多いのでアニメ会社などは映画アニメなどの有料アニメを作る場合などには、線の多いアニメを作りますが、
しかし実際は、線の多さは単に生産コストの問題でしかなく、画力とはあまり関係ありません。
 
 
なお、中学校の学校教科書にみられるアニメ風イラストは、世間の勘違いしているバカにあわせる必要は無いので、線の本数を減らしてある教科書出版社もあります。
 
おそらく教科書は税金も使っているので、少ないコストで大きな効果の得られる画風が好まれているのでしょう。
 
 
;「写真にそっくりな絵ほど、うまい絵である」という勘違い
「写真にそっくりな絵ほど、うまい絵である」という勘違いも、バカ評論家には、よくあります。
 
もうね、こういうバカ評論家はバカすぎです。たとえばマンガなら手塚治虫の漫画なんて、べつに写実的でないし、そもそも写真そっくりの映像を作りたいなら写真を撮影すればいいだんし。
 
実在しない生物などを書く場合だって特撮ヒーロー物の着ぐるみ みたいなのを作ってそれを撮影すれば済むんですが、
 
バカ評論家はバカなので、そこまで頭が回りません。
 
 
なお、現代でも写実的なイラストの需要そのものはあります。
 
 
;「珍しい動きを書けるほど、画力が高い」という勘違い
「珍しい動きを書けるほど、画力が高い」という勘違いも、よくあります。
 
たとえば、格闘マンガとかで人間の動きを描く際、格闘技のカカト落としの絵を描くとか、とび蹴りを書くとか、柔道なら地獄車の絵を書ければ上手い絵描きという発想です。
 
「普通に左ジャブを書く人はヘタ」とか「柔道イラストなら小内刈りを書く人はヘタ」という発想です。
 
 
ええとですね、演劇の世界では『日常演技』(にちじょう えんぎ)という用語がありまして、よくある動作ほど人々は見慣れているので、
書き手がヘタだと違和感が目立つので、
 
日常的な動作を演技するほうが難しいって、演劇界では有名な定説なんですよ。
 
しかし世間はバカなので、テレビドラマとかの芸能人とかのゴシップとかを追っかけてるくせに、そういう知識もないくせに、
「私は芸能界に憧れている! 私も芸能人になりたい!」とか言ってる頭の悪い人たちばかりです。
 
 
絵画でも同様です。日常的な動作を描いたシーンの絵ほど、描くのは難しいのです。
 
しかしバカ評論家は、こういう事を知りません。
 
 
で、近年の美術史・芸術史もですね、こういうバカが研究してたりするんで、けっこうデタラメです。
 
 
;広角レンズ的な広角パースの構図のほうが上手いという勘違い
実際の人間の目の見え方は、広角レンズ的なパースでもなく、望遠レンズ的な望遠パースでもないのです。
 
なお、広角レンズは、視野角広いだけでなく、焦点距離が短いという特徴もあります。
 
一般の携帯用の手持ちカメラなどで、家族旅行などで皆が気軽に使えるカメラは大抵、広角レンズです。
 
 
さて、マンガ漫画やアニメーションではよく、やや遠くから眺めてズームした構図で描きます。つまり、マンガ漫画やアニメーションでは、望遠パースの掛かった絵柄で書きまくことが多いです。
 
スーパーマリオ1は、望遠パースのすごく強い画面です。
 
 
マンガ漫画でもアニメーションでも、視界内での被写体の左右の位置関係を分かりやすくしたい場合に(けっして、スーパーマリオ1ほどの強い望遠パースではないが)、さらにく、少し望遠っぽいパースを、マンガやアニメでも使うことよくあります。特にアニメーションでは、セル(レイヤー)の合成のしやすさから、望遠パースが好まれる場合もあります。
 
なので、多くの漫画・アニメーションの愛好者は、望遠パースに見慣れています。
 
なので、世間の一般のマンガ・アニメファンの人は、望遠パースに見慣れています。
 
パースの教本などでは、三点透視法とか二点透視法とかでよく人物にパースをつけて説明していますが、あれはパースを強調するために、かなり近くから人物を眺めた構図だったりします(つまり、焦点距離が短い = かなり広角パースが強い)。
 
そこで時々、広角パースを使うと、素人目には、いつもとは印象が違うので、印象に残ります。
 
ネットのバカ評論家はここで勘違いして、よく「(広角)パース的な絵ほど、上手い絵だ」と錯覚します。バカのいう「パース」とは大抵、広角パースのことです。「望遠パース」という用語をバカ評論家は知りません。
 
 
なお、三点透視法とか二点透視法とか、ああいう直線の補助線による作図の適用可能な範囲としては、理論的にも(アニメ業界などでの)実務的にも、キャンバス(画用紙)の画面の中心ちかくで近似的にパース(「遠近」という意味)を描くための方法です。なので、画面のハジッコ付近では、ああいう直線的な作図は通用しません。しかし、バカ評論家はそういう事も知らず、機械的に何でもかんでも透視法で書くべきだと主張するバカ評論家です。
 
で、こういうバカのひとつ覚えで透視法を主張している人は大抵、広角パースのほうが上手な絵だという勘違いをしております。カメラマン業界で有名な「望遠レンズの圧縮効果」なんて概念、勘違いをしているバカ評論家には高度すぎて理解できません。
 
 
また、パースの教本などでは、三点透視法とか二点透視法とかでよく人物にパースをつけて説明していましが、あれはパースを強調するために、かなり近くから人物を眺めた構図だったりします(つまり、焦点距離が短い = かなり広角パースが強い)。
 
広角パースのほうが遠近による大小差が大きいためパースの仕組みが分かりやすいので、広角で説明図を描く教本のほうが多いのです。また、実際には人物にパースを強くつける機会は、あまりありませんが(人物よりも建築物にパースをつけるほうが多い)、しかし建築物は描くのが大変なので、かわりにマンガ調にデフォルメされた人物にパースを強くつけることが、イラスト教本でよくあります。
なので、ベランダやお風呂の床タイルの斜め前方に見下ろした視界では、パース自体はあるものの、ほとんどパースは目立たず、他人から「実はベランダにもパースがついているよ。ほら床を見てごらん」とか指摘されてようやく気づけるほどしか、パースはついていません。またベランダ直前のその室内から、となりの家の一般の民家の窓ガラスも、パースがついているかどうかも、分かりづらい程度です。
 
いっぽう、立っている人間の 肩幅 や 胴の厚さは、どう考えてもベランダなどの通路よりも狭いし、窓ガラスよりも直立人間の横幅・肩幅・胴厚は狭いので、現実の人間の観察のさいに50センチ以上遠くにいる人体にパースが目立つことは、(現実の人間の視界では)けっしてありえないしょう。(ただし、相手か自分のどちらかが寝そべっていたり、あるいは相手が両手を前後に広げていたりしたら(歌舞伎のポーズみたいに)、近くにいる相手にパースがやや目立つ場合はあるかもしれません。)
 
 
また、もうひとつ忘れがちですが、私たちが書籍などで普段みる人間の顔写真は、実はやや望遠ぎみです(撮影者が一般にレンズの焦点距離を公表しないので不明だが、広角で被写体の顔をつかづけて撮影すると顔がかなり歪んで(ゆがんで)撮影されて見苦しいので、普通はやや望遠だと思われる)。
 
 
美術などで資料として使う写真には、そういうゆがみは、あってはならな避けたですので、なので人物の顔写真などは望遠で撮影されていると思われます。
 
なので、正面顔の写真なら、手前にある鼻と、やや奥にある耳とでは、すでに望遠レンズによる奥行きの圧縮がついていて、ああいう構図の写真になっているわけです。
 
望遠レンズで正面顔が撮影された場合、望遠だからこそ遠く離れた人物を撮影しているため顔は小さく写っていますが、しかし写真のプリントアウト時に拡大してみて顔の大きさが標準レンズ撮影時に同じになるようにプリントアウトすると、なんと写真上での顔の形はほとんど同じに見えます。
 
 
(なお、望遠レンズで被写体に近づいて撮影すると、よほど大型のカメラでないかぎり、そもそも被写体が写真内に収まらない。なので一般的に、販売されている望遠レンズカメラは、基本的にやや大型です。いっぽう、マンガ漫画・アニメーション業界では慣習的に「望遠で「ズーム」する」というが、不正確な用語である。まず近づく場合は、ズームでなく「ズームイン」である。もし「ズームアウト」だと離れることになる。また、望遠でズームインすると被写体の大部分が写真の外に出るので、実際にはズームインするのではなく、ズームは変更せずに離れた場所にいる状態で撮影したまま、脳内プリントアウト時に拡大しているワケである。)
 
:よく、テレビ業界などで、まるでバズーカ砲みたいに大きさが人間の顔みたいに大きい大型カメラがあるが、あれは何かと言うと、大型の望遠レンズです。
:なので、計算の手間をへらすために反比例として近似を考えると、割と、実物の構図と近い構図になる。
:しかし、それだと絵を描くさいに作図が大変なので、さらに「近距離の場合だけ、被写体が離れると、マイナスの一次関数のように遠くほど被写体が小さくなる」、として近似している。
:それを作図した結果、二点透視法や三点透視法のような直線近似になるワケである。
 
 
なので、被写体の顔がよほどカメラの近くにないかぎり(たとえば顔の どアップを至近距離(10~15センチくらい)で撮影してるのでもないかぎり)、けっして、よくみる顔写真以上のパースがつくことは通常、ありえないのです。
 
しかし一方絵の勉強として、、あえて人物にパースを広角で強めにつけたイラストを練習することが必要な場合もあります。
 
また、漫画やアニメーションでも、あえてパースを実際にはありえないほどに強調する手法もあり、たとえば格闘マンガとかでカメラ方向(観察者のいる方向)に向かって出されたパンチをやたらと大きく書いたりして(この場合はパンチマンの)手のスピード感や迫力などを強調したりするような手法で、このような手法の呼び名はよく「嘘パース」(うそパース)と言われます。
なのにイラスト教本が、50~100センチくらい離れた直立人間に(起立みたいなポーズでも)、体の手前側と奥側とでパースによる大小差をつけていたりする場合もよくありますが、コレは別にけっしてイラスト教本の著者が絵のヘタな著者だというワケではないです。イラスト教本に限らず、そもそも教育とはそういうものです。そもそも何かの教科書の図というのは、説明を分かりやすくするために誇張した図を描いていたりする場合が多く、実物とはやや形状や程度などが違うことも、よくあります。
 
また、アオリ、俯瞰という構図もありますね。
美術にかぎらず、高校の理科の生物のイラストなども、実は細胞の形状が、微妙に実物とは違っていたりします。高校生物イラストのほうは、形状をかなり単純化していたりします。いっぽう、大学の理科の教科書(ただし大学の高学年の専門科目)で、細胞のより正確な形状、もしくは細胞の写真などが掲載されていたりするわけです。)
アオリとは、観察者が下側にいて、下側から上方向に向かって、物を見上げる構図です。
 
いっぽう、フカンとは、観察者が上側にいて、上側から下方向に向かって、下方を見る構図です。
 
ともかく、イラスト初心者の練習では、あえて人物にパースを広角で強めにつけたイラストを練習することが必要な場合もあります。
 
また、マンガやアニメでも、あえてパースを実際にはありえないほどに強調する手法もあり、たとえば格闘マンガとかでカメラ方向(観察者のいる方向)に向かって出されたパンチをやたらと大きく書いたりして(この場合はパンチマンの)手のスピード感や迫力などを強調したりするような手法で、このような手法の呼び名はよく「嘘パース」(うそパース)と言われます。
 
 
しかし、だからといって「評論家」を自認するような人までが、広角と望遠の違いも分からないレベル、そういうレベルでは、私たち読者は困ります。
 
 
あと、上述のような勘違いと類似した勘違いで、アオリ・フカン(俯瞰)の勘違いもあります。アオリとは、観察者が下側にいて、下側から上方向に向かって、物を見上げる構図です。
 
いっぽう、フカンとは、アオリとは、観察者が上側にいて、上側から下方向に向かって、物を見上げる構図です。
 
例として、親子が立って、いたとしましょう。
いっぽう、おさない子が、立っている親の顔を見るとき、アオリの構図でしょう。
 
演出的に「アオリ/フカンであり、なおかつ、広角パースを強調する」のような構図にする場合もありますね。
 
で、よくある勘違いでは、アオリとフカンを書き分けるとき、たいてい、なれてない人は、広角パースを強くしすぎです。
 
そもそも、実はアオリとフカンでは、べつにパースを強調する必要がありません(もし書き手が強調したければ強調してもいい)。
 
 
また、教本では、分かりやすさから、アオリもフカンも斜め45度以上の、両方とも、かなり鉛直に近い視点から、観察者も被写体も大人どうしで、相手の大人の人物を見ている構図があります(これはコレで、初心者への説明のためには仕方ない)。
 
しかし現実には、大人同士の場合、そこまで鉛直に近い方向からアオリで見上げる構図は、あまり、無いのが普通です(幼児とその親といったくらいの身長差のないかぎり、まずそういう視点が起きない)。
 
 
とりあえず、(駄目な人によくある例)
:広角パースをあまり強調してない絵を見て「ヘタだ」と言ったり、(×)
:アオリ/フカン(アオリまたはフカン)だけど広角パースを強調してない絵を見て「ヘタだ」と言ったり、(×)
:アオリやフカンだけど、角度の高低差をあまり強調してない絵(せいぜい15度~30度くらいまで)をみて「ヘタだ」と言ったりするのは、(×)
素人のくせに自分を玄人(くろうと)だと勘違いしてるバカなので、恥ずかしいので辞めましょう。
 
演出的に「アオリ/フカンであり、なおかつ、広角パースを強調する」のような構図にする場合もありますが、だからといって必ずしも、その構図が絶対に正確なワケではないので、混同しないようにしましょう。
 
つまり、演出的な構図・パースの組み合わせと、幾何学的に正確な構図・パースとを、混同している人が、世間には、よくいます。
 
 
;作家の好き嫌いと画力の区別がつかない勘違い
これは絵画に関係なく、「自分が「楽しい」と感じる作品を作れる作家 = うまい作家」、「自分が「楽しくない。不快だ。」と感じる作品を作れる作家 = ヘタな作家」という勘違いをする人は、よくいます。
 
まるで幼児や小学生みたいに、好き嫌いと上手さ・ヘタさの区別がついてない人は多いのです(幼児に失礼か)。
 
 
で、作家のなかには、政治の主張などをしている人もいるので、対立する政治理念の人からは嫌われる作家もいます。
 
で、そういう対立する作家の作品を読んでも、あまり快く感じないので、「この作家はヘタだ」と主張するバカ評論家は、よくいます。
 
 
典型例が、マンガ家の小林よしのりさんが、時事評論マンガ『ゴーマニズム宣言』で政治について語りだすと、
 
彼(小林)の政治理念と対立する陣営の人が、「小林は絵がヘタになった」という現象があると、小林さんは著書『ゴーマニズム宣言』で報告します。
 
連載の当初、小林さんは自民党を批判する主張をしてた頃には、「絵がヘタ」とは言われなかったのに、小林さんが共産党や社会党を批判しだすと「絵がヘタになった」と、共産党や社会党の支持者から言われた、と小林さんは述べています。
 
その後、アメリカ日米安全保障問題で、小林さんは意見が自民党支持者と対立すると、今度は自民党の支持者のなかから「小林は絵がヘタになった」という主張が出てきた、という現象も報告しています。
 
なお、小林さんは述べていませんが、たいてい「絵が下手になった」とか評する人たちは、きっと当然、どうせ他の勘違いも併発しており、「線の多い絵ほど上手い」・「写真に近いほど上手い」・「珍しい動きやポーズを書ける作家ほど上手い」のような勘違いも併発しているの世の常(よのつね)でしょう。
 
 
この他にも、ある消費者の好き嫌いで「ヘタだ」と批判される作家はよくいます。
 
よくあるのが、少年ジャンプなどの男の子むけの漫画雑誌に対する苦情で、たとい作者の絵描きマンガ家が女性でも、なにかの政治運動家が「この絵は男性の性欲にもとづいて女性のキャラクターがかかれており、いやらしい。絵が下手だ」とかいう感じの批判がよくあります。
 
 
たいてい世間では、審美眼(しんびがん)の無い人ほど、「自分の審美眼が高い」と思ってます。そんなに審美眼が高いと自身があるなら、自分でイラストレーターになってみればいいのですが(最近のアニメ絵は線が少ないので、描くだけならラクですよね)、しかし「絵描きの○○は絵が下手だ」と批判をつけてくる彼らはけっして自身では絵描きになりません。
 
絵画にかぎらず、そもそも頭の悪い人ほど、「自分はじつは、けっこう頭がいい。学歴は無くても、判断力とか観察力は、自分は高いはず」とか思い上がってたりします。日本の民主主義の政治では、こういう頭の悪い人に「いや、お前はバカじゃん。そんなに他人を批判するなら、お前が手本を見せてみろよ。」と真実を教えることができないので、なかなかバカが淘汰されません。
 
 
 
 
}}
 
 
== メルクマール ==
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