「高等学校美術I」の版間の差分

最後の項目は全削除だよ。ないない,そんな教科書ない><。以上終了。
(いやー,ほとんどは,高校美術の教科書で書くことじゃないよね。岡田とか小林とか,馬鹿馬鹿しい奴を尊敬してるから,こんなことになるんじゃない?)
(最後の項目は全削除だよ。ないない,そんな教科書ない><。以上終了。)
 
表現の自由の議論などとも関わりのある表現規制の話をするなら、たとえば、90年代前半に「暴力シーンが教育に悪い。犯罪を増やしてる!」などと評論などで批判され始めた映像ジャンルは、漫画やアニメなども含まれますが、しかし主にはホラー映画などの、ホラー作品でした(洋画『13日の金曜日』(いわゆるジェイソン)とか『エルム街の悪夢』(いわゆるフレディ)とかです)。当時の時事評論マンガ『ゴーマニズム宣言』(小林よしのり 作)で、90年代前半の当時ホラー映画などに規制の動きがあったことが、作者小林によって批判されています。
 
== 歴史に深入りしすぎないように ==
 
さて、こういうふうに過去の歴史を書くと、読者の皆さんはついつい、歴史に興味を持ち「もっと調べたい」とか思うかもしれません。
 
ですが考え直してください。人生の時間は有限です。もし人類が皆、過去の歴史を調べなおしてばかりでは、新しいことにチャレンジできなくなります。(もちろん、小学校や中学校で習うような、最低限の歴史の知識は必要ですが。)
 
 
残念ながら世の中の老人には、自分の知っている歴史の知識を発表しようとしないで、そのまま知識を独り占めしようとするような、ロクでもない老人もいます。(知識を独り占めすることで「自分の価値が高まり、カネ儲けできる!」とか、しょうもない事を考えている老人が、芸術の分野にもチラホラいるようです。)
 
頭が悪いのか、そういう老人は「若者はもっと、この分野の歴史を学ぶべきだ」とか言うくせに、じゃあ若者が教科書を読もうとすると、「いまの教科書の歴史は間違っている」とか「いまのウィキペディアで語られている歴史は間違っている」とか言うくせに、だったらオマエが発表しろよと若者はツッコミを入れたくなりますが、しかし老人はネットがあるのに一向に歴史の知識を発表しない老人だったりします。老人の考えは「私から歴史を聞きたければ、私にカネを払え!」みたいな、そういう、しょうもない根性の老人もいるのです。
 
そして、そういう、しょうもない根性の老人は、残念ながら、芸術や芸能の世界にもいます。特に、コネなど年功序列の効いてくる分野では、そういう老人がハバを聞かせています。芸術だけでなく、学問の世界でも、残念ながら、コネなどのマカリ通っている分野では、そういう老人もいます、
 
 
特に芸術や芸能の分野は、学校とかで習う世界史やら日本史とかの学問的知識とは違って、低価格の公教育が充実はしていないですし、センター試験のような公平な入試制度みたいなのは不足していますし、また、彼ら芸術分野の人も、歴史を体系的に整理して伝えるようなトレーニングは受けていません。
 
 
「肉を切らせて骨を絶つ」という語句がありますが、歴史の知識の一部が失われるのは悲しいですが、しかし、私たち若者の金銭にも限界があるし、これから歴史を作るための余力も必要だし、マトモな別の老人から歴史を聞きだすためにも多少のカネは必要です。
 
 
「募金詐欺」(ぼきんさぎ)というのがあって「恵まれない子に、寄付をお願いします」とか言って募金箱を持ってくるくせに、実際は、自分たち大人の私腹をこやすために金銭を着服する詐欺の手口もあります。
 
そういう詐欺・ペテンに金を払ってしまうと、本当に救済の必要だった善良な弱者には、もし私たちが弱者を救済したくても、救済のための経済的な余力が無くなってしまいます。
 
 
芸術などの歴史も同じです。
 
『歴史の語り部』サギみたいな連中には、ひっかからないようにしましょう。
 
 
今の時代、ネットがあります。まずネットで無料もしくは低価格で情報発信する老人を信用しましょう。
 
「ネットで発表したけど、文献には無い情報だから、皆が信じてくれない」とか、そういう問題の生じる段階になって初めて、有料の本を書いたりすればいいのです。
 
 
もし匿名掲示板で歴史を発表しても信じてもらえなければ、だったら実名登録の必要なSNSとかで、たとえば Facebook(フェイスブック)などのSNSで実名で歴史を情報発信すればいいだけです。
 
そういう努力を怠る老人からは、学ぶ価値ないです。
 
 
老人がネットを使えるかって?
 
だいじょうぶ、マトモな老人で、ホワイトカラー(いわゆる背広のサラリーマン男性、もしくは同等の地位の女性)の老人なら、中小企業でも、もう2001年頃から仕事でネットを使っています。
 
なぜなら、取引先からの電子メールが、ネットで来るからです。
 
 
工場作業員などのブルーカラーですら、さすがに2003年をすぎたころには、ネットの電子ネットを使っているでしょう。
 
 
悪いけど 2010年を過ぎたのにネットを使えない時点でもう、その老人は、そもそも語り継ぐだけの価値の無い知識しかない老人です。
 
そういう老人を相手にするのは時間の無駄なので、普段からキチンと歴史を情報発信しようとしている人からだけ、信用しましょう。
 
 
そもそも、すでに私たちに語り継がれ居る今までの歴史も、すでに情報の一部が失われて不明になってしまった情報をいくつも含んだ歴史なのです。
 
 
大衆娯楽の芸能なぞは目立つので、芸人や作家が死んだりすれば、歴史の欠落が(娯楽歴史では)分かりやすいです。しかし、たとえば、一般の中小企業の商社や製造業などの民間企業が倒産しても、誰も歴史の欠落を気にしません。それらの企業の元・社長や元・社員が死んでも、世間は歴史の欠落を気にしません。地域の商店街の小売店が倒産しても、元・店長の老人が死んでも、だれも歴史の欠落を気にしません。
 
 
あなたの祖父や曽祖父が死んでも、あるいは既に死んでいても、あなたの家族と親戚いがいの人は、誰も歴史の欠落を気にしません。
 
 
あなたの住んでいる場所も、むかしは農家の農地だったりした時代もあったワケですが、しかしその歴史はもう失われ、あなたはそんな歴史なんて気にせずに、家の住み続けています。
 
このような事情もあるので、学校で習うような歴史とは、いまの世の中で解明されている歴史は、多くの情報が欠落した上での、国全体の政治や経済などの目立つところだけを切り取った歴史でしか、ありません。
 
 
芸能や芸術の歴史の語り継ぎをサボっている老人なんぞを相手にするようなヒマがあるのだったら、そんなサボリ老人の相手よりも、もっと自分の家族の歴史を調べて、人々の役立つ形に整理してから発表するとか、あるいは自分の地域の郷土史に、自分の体験してきた歴史を加えて後世の人が参考にできるように情報整理の努力をしたりとか、あるいは農業や製造業など地味な分野で仕事をしている人たちの歴史を取材したりとかしましょう。
 
 
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