「Wikijunior:環境の問題とヒトの進化/四大公害病」の版間の差分

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ここ ([[{{PAGENAME}}]]) では、{{ruby|高度経済成長期|こうどけいざいせいちょうき}}と呼ばれる、1960年代に経済が{{Ruby|急速|きゅうそく}}に発展した時代のまっただ中に起こった工業による主な病気を{{Ruby|紹介|しょうかい}}します。これらの{{Ruby|四大公害病|よんだいこうがいびょう}}は、経済の成長とかかわりが強いです。
 
==四大公害病の種類は?==
四大公害病は読んで字のごとく、ある「4つの病気」をまとめていったものです。さっそく見ていきましょう。病気の詳しい内容については、あとの{{Ruby|項目|こうもく}}をみてください。
 
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水俣病は、{{ruby|熊本|くまもと}}県の{{ruby|水俣|みなまた}}市というところで起こりました。発生した時期は、ちょうど高度経済成長期です。[[w:チッソ|チッソ]]水俣工場という工場が、海に、有毒な{{ruby|[[w:有機水銀|有機水銀]]|ゆうきすいぎん}}を大量に捨ててしまいました。そのため、有機水銀が魚の体の中に入ってしまい、その魚をたべた人の体にも有機水銀が体の中に入ってしまいます。有機水銀は、{{ruby|脳|のう}}などの{{ruby|神経|しんけい}}を{{ruby|侵|おか}}し、最悪の場合死んでしまいます。水俣病は、人から人へとは通常、感染しません。しかし、当時、人々に水俣病についての知識がなかったため、かかったひとは他の人から不当に{{ruby|隔離|かくり}}されていました。今でも、水俣病をめぐって、国に{{ruby|損害賠償|そんがいばいしょう}}を求める裁判が行われています。<ref>[https://minamata195651.jp/pdf/minamata_watashitati.pdf]</ref>
 
=== {{ruby|新潟|にいがた}}水俣病 (第二水俣病) ===
{{節stub}}
 
この公害病は、上で紹介した内容と原因物質や{{ruby|感染|かんせん}}方法がにていますので、{{ruby|症状|しょうじょう}}に関しては{{ruby|省略|しょうりゃく}}します。新潟水俣病は{{ruby|阿賀野|あがの}}川という川の{{ruby|流域|りゅういき}}で起こりました。有機水銀を川へと大量に出したのは、[[w:昭和電工|{{ruby|昭和|しょうわ}}電工]]{{ruby|鹿瀬|かせ}}工場というこうじょう工場です。この病気の発生は他のどの四大公害病よりも{{ruby||おそ}}く、病気発生から病気を国が{{ruby||みと}}めるまでの期間が一番短かったです。
<ref>[http://www.fureaikan.net/minamata/kids.html]</ref>
 
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高度経済成長期で、経済が発展した一方、上記のような、こわい病気が起きてしまいました。それは、会社が人の命や健康をかんがえずに、お金だけを求めてしまった結果です。これらの公害が起こった後、[[w:公害対策基本法|{{ruby|対策|たいさく}}基本法]](のちの[[w:環境基本法|{{ruby|環境|かんきょう}}基本法]]が制定されました。
 
もう、このような公害に苦しむ人を増やすことは、二度としてはいけません。これらのこと知ってほしいことは、会社の{{ruby|利益|りえき}} (得) だけを追い求めるのではなく、自然環境を改善して、人の命を守ろうとしようとすることも先に考えることが大切ではないでしょうか。これらの病気で死んでしま{{ruby|亡|な}}くなった人やその家族たちは、大変つらかったことでしょう。もうこんなことが起こってはなりませんね。
 
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