「小学校社会/6学年/歴史編」の版間の差分

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「教科書」なので語呂合わせは不適切では?
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<!-- 当ページを編集される方は、学習指導要領解説社会編を参考に編集してください。また、小学生向けであることに留意してください。 -->
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このあと、中大兄皇子らが権力を取り、政治改革を色々と行なう。この皇子らの改革を <big>大化の改新</big>(たいか の かいしん) という。645年に年号(ねんごう)を「大化」(たいか)に定めたので、この一連の改革は大化の改新と呼ばれています。
「大化」という年号により、日本では、はじめて年号が定められます。年号をさだめることは、中国大陸の帝国を参考にしたのです。
 
645年の覚え方には、「虫殺し」(むしごろし、645ろし)と覚える語呂合わせ(ごろあわせ)が、あります。
 
645年 :大化の改新 虫殺し(645ろし)
645年の一連の事件により、皇極天皇(こうぎょくてんのう)は退位して、皇極元・天皇の弟の孝徳天皇(こうとくてんのう)が645年に天皇になります。
 
==== 改新の詔 ====
:(かいしん の みことのり)
中国大陸では、すでに618年に隋(ずい)が滅んでおり、<big>唐</big>(とう)という帝国になっていた。日本も、これに対して、政治改革をする必要がありました。
 
さて、改革の内容はと言うと・・・
 
646年に<big>改新の詔</big>(かいしん の みことのり)が出されます。これは改革内容の方針や目標を表したものです。この詔の発見は『日本書紀』で発見されています。
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==== 大宝律令 ====
:(たいほう りつりょう)
701年に、 <big>大宝律令</big>(たいほうりつりょう) という、税金や都についての{{ruby|法律|ほうりつ}}が完成するしました
:※<!-- 日本文教出版の教科書で、「大宝律令」という言葉が紹介されている。-->
 
:※ 日本文教出版の教科書で、「大宝律令」という言葉が紹介される。
 
== 奈良時代 ==
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[[File:Heijokyo.jpg|right|500px|平城京 条坊図]]
 
710年に、都が奈良の <big>平城京</big>(へいじょうきょう) へと移りました(藤原京から平安京に移る。)
 
780年ごろまでの約70年のあいだ、平城京を都としていたので、この70年間を「奈良時代」(ならじだい)といいます。
 
:(※ 大人の執筆者へ : <!-- のちの794年に平安京に移る前に、長岡京に移っています。 -->
 
年号をおぼえる語呂合わせは「なんと(7、10)、うつくしい平城京」。
 
794年に平安京(へいあんきょう)に都が移るまで、この平城京が都であるした
 
平城京は、道の通りが{{ruby|碁盤目(|ごばんめ)}}の目のように、区画(くかく)が整理されています。このような、碁盤目のような区画のつくりを 条坊制(じょうぼうせい) と言います。
 
{{clear}}
[[File:Wadokaichin coin 8th century Japan.jpg|thumb|left|200px|和同開珎]]
奈良時代の都では、<big>和同開珎</big>(わどうかいちん)というお金貨{{ruby|幣|へい}}が708年に発行され、つかわれていました。
 
:※ 日本文教出版の小6の教科書『日本のあゆみ』で、和同開珎が紹介されている。
 
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* 古事記、日本書紀
712年に<big>『古事記』</big>(こじき)という天皇家や貴族などにつたわる神話の時代をまとめた書が、できます。この『古事記』は、天武天皇により編纂が命じつくられ、712年に完成しました。
 
:※<!-- 日本文教出版の小6の教科書『日本のあゆみ』で、古事記、日本書紀 が紹介されている。-->
 
神話の時代から推古天皇にいたるまでの出来事が古事記に書かれています。
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717年に唐にわたった 阿倍仲麻呂(あべのなかまろ) や、仲麻呂と供に唐にわたったこともある 吉備真備(きびのまきび) が遣唐使として有名です。
 
:<!--※ 安倍仲麻呂は、教育出版の教科書で、章末のコラムで名前を紹介している。また、日本文教出版の教科書で、阿倍仲麻呂や吉備真備の名前を紹介している。-->
 
 
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阿倍仲麻呂は、日本に帰ろうとして乗った船が難破(なんぱ)し、日本に帰れず、最終的に唐の皇帝に仕えることになります。
 
吉備真備は日本に帰れました。吉備真備は2回も唐にわたり、日本に帰れます。
 
 
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和歌(わか)をまとめた<big>万葉集</big>(まんようしゅう)が759年ごろから編纂(へんさん)されます。
 
さきほど紹介した「さきもりの歌」も、万葉集におさめられてる歌のひとつです。