「日本史/近代/戦前」の版間の差分

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前述したように、陸軍内部での拡大派 (この作戦を敢行し主導権を握りたい) と現地の軍指揮官 (手柄をとりたい) のそれぞれの野心が働きあい、正式な命令も無いまま、一路南京に向かう。
 
===== 結果小見出し 3 =====
# 盧溝橋事件から日中戦争へ発展。
# 当初は軍上層部も不拡大方針を採り「北支事変」と呼称(戦争ではないとしたかったようだ)。
# 上海地区の居留民保護のために「編組」(天皇の命令を伴わない非正式な用語)された上海派遣軍は不拡大方針から予備兵。
# 8月15日、日本は自国民を特別列車で南京から退去させ、3時間後に南京を爆撃した(正式な宣戦布告もされていない)。
#* [[w:戦時国際法|戦時国際法]]の[[w:開戦に関する条約|開戦に関する条約]](日本は1912年に批准)と[[w:陸戦の法規慣例に関する条約|陸戦の法規慣例に関する条約]](開戦に関する条約と同年に批准)に違反している(正式な宣戦布告が無いのに戦争を開始・非武装都市の爆撃並びに非戦闘員の殺傷)。
#* まだ上層部は不拡大方針だったものの、海軍の実績確保(臨時軍事費の獲得やそれによる軍備拡張のため)のため行われた。
#* それ以降連夜のように行われる。
# 8月29日にはドイツ及びイタリア、アメリカ、イギリス、フランスの南京駐在代表が爆撃行為の停止を求める抗議書を日本に提出。
#* しかし海軍上層部はそれ以降も戦闘を継続。
#** 上海や中国北部で解決しようとした陸軍の作戦を超える。
## これにより、9月までに数十万人が南京から避難。
## 9月25日には屋上に大きく赤十字のマークと「中央病院」が書かれていた国立中央病院でさえ爆撃を受ける。
# この結果、9月28日に国際連盟で「都市爆撃に対する国際連盟の対日非難決議」が採択される。
#* いっぽう、日本のメディアは連日「戦果」のみを報じ、国際社会から孤立する。
 
== 帝国主義 ==