「日本史/近代/戦前」の版間の差分

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#*** 予備兵や後備兵が中心で、上海制圧後に帰れない上後方支援部隊が無い、司令官による2軍の競わせなどによる不満が現れたと見ることもできる。
#** まだ近代化が進んでいない村も多く、日本軍の来襲を知らず、中国軍と間違えるなどもあった。
#** 日本軍は予備兵中心のため、戦闘経験の無い者も多く、捕虜を殺害することを「楽しむ」者までいた。1908年に定められた「[[s:陸軍刑法|陸軍刑法]]」で物質の掠奪を1年以下の懲役に処す旨を明記していたため、指令部が物質の住民からの徴発(=掠奪)を強いたことそのものが陸軍刑法に違反している。
#* メディアも必要以上に国民の戦意を煽り、国民にあたかも南京を制圧することで日中戦争が終結するように思わせる(拡大派の思うつぼ)
#** ついに不拡大派の一部も南京攻略に同意する。
#*** この際に「後方支援部隊を増強する案」が提示されるも、「戦機を逃す」としてこれを拒否。
#* 12月2日、ドイツ大使を通じて和平条件(不拡大方針で'''日本が提示した'''トラウトマン和平工作)を認める意向が伝えられるも、拡大派中心になっていた軍や近衛内閣の閣僚はこれをないがしろにした。
<!-- #* 12月2日、ドイツ大使を通じて -->
# 中国政府は遷都し、首都ではなくなった南京だが、拡大派の主張する「中国一撃論」(南京を落とせば中国は屈服するというもの)に乗せられ、総勢16万以上の日本軍が南京攻略戦を開始する。
# 南京は周囲へ放射状に幹線道路があり、南京を守る中国軍は南京の周辺全域で防御を敷いたため、沿線の村はほとんどが巻き込まれた。
# 日本は南京を包囲し中心に進む作戦を採り、戦線から離脱した中国軍兵士を全員殺害するという方針であった。
#* 日本も批准し公布した[[w:ハーグ陸戦条約|ハーグ陸戦条約]]に違反する(兵器を捨て投降した者を殺傷したこと、助命せざることを宣言したこと)。
# 12月13日に南京を攻略する。