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[[Category:ガリア戦記|7]]
[[ガリア戦記]]>
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[[画像:Gaule -52.png|thumb|right|150px|ガリア戦記 第7巻の情勢図(BC52年)。<br>黄色の領域がローマ領。桃色が同盟部族領。]]
 
{| id="toc" style="align:left;clear:all;" align="left" cellpadding="5"
! style="background:#ccccff; text-align:left;" colspan="2" | ガリア戦記 第7巻 目次
|-
| style="text-align:right; font-size: 0.86em;"|
'''[[#ウェルキンゲトリクスとガリア同盟軍の蜂起|ウェルキンゲトリクスとガリア同盟軍の蜂起]]''':<br />
<br />
'''[[#アウァリクム攻略戦|アウァリクム攻略戦]]''':<br />
<br />
<br />
'''[[#ゲルゴウィア攻略戦、ハエドゥイ族の離反|ゲルゴウィア攻略戦、ハエドゥイ族の離反]]''':<br />
<br />
<br />
'''[[#ラビエヌスのルテティア遠征|ラビエヌスのルテティア遠征]]''':<br />
'''[[#ガリア戦乱の拡大|ガリア戦乱の拡大]]''':<br />
'''[[#アレスィア攻囲戦|アレスィア攻囲戦]]''':<br />
<br />
<br />
'''[[#ガリア同盟軍主力の降伏|ガリア同盟軍主力の降伏]]''':<br />
<br />
<br />
| style="text-align:left; font-size: 0.86em;"|
[[#1節|01節]] |
[[#2節|02節]] |
[[#3節|03節]] |
[[#4節|04節]] |
[[#5節|05節]] |
[[#6節|06節]] |
[[#7節|07節]] |
[[#8節|08節]] |
[[#9節|09節]] |
[[#10節|10節]] <br />
[[#11節|11節]] |
[[#12節|12節]] |
[[#13節|13節]] <br />
[[#14節|14節]] |
[[#15節|15節]] |
[[#16節|16節]] |
[[#17節|17節]] |
[[#18節|18節]] |
[[#19節|19節]] |
[[#20節|20節]] <br />
[[#21節|21節]] |
[[#22節|22節]] |
[[#23節|23節]] |
[[#24節|24節]] |
[[#25節|25節]] |
[[#26節|26節]] |
[[#27節|27節]] |
[[#28節|28節]] |
[[#29節|29節]] |
[[#30節|30節]] <br />
[[#31節|31節]] <br />
[[#32節|32節]] |
[[#33節|33節]] |
[[#34節|34節]] |
[[#35節|35節]] |
[[#36節|36節]] |
[[#37節|37節]] |
[[#38節|38節]] |
[[#39節|39節]] |
[[#40節|40節]] <br />
[[#41節|41節]] |
[[#42節|42節]] |
[[#43節|43節]] |
[[#44節|44節]] |
[[#45節|45節]] |
[[#46節|46節]] |
[[#47節|47節]] |
[[#48節|48節]] |
[[#49節|49節]] |
[[#50節|50節]] <br />
[[#51節|51節]] |
[[#52節|52節]] |
[[#53節|53節]] |
[[#54節|54節]] |
[[#55節|55節]] |
[[#56節|56節]] <br />
[[#57節|57節]] |
[[#58節|58節]] |
[[#59節|59節]] |
[[#60節|60節]] |
[[#61節|61節]] |
[[#62節|62節]] <br />
[[#63節|63節]] |
[[#64節|64節]] |
[[#65節|65節]] |
[[#66節|66節]] |
[[#67節|67節]] <br />
[[#68節|68節]] |
[[#69節|69節]] |
[[#70節|70節]] <br />
[[#71節|71節]] |
[[#72節|72節]] |
[[#73節|73節]] |
[[#74節|74節]] |
[[#75節|75節]] |
[[#76節|76節]] |
[[#77節|77節]] |
[[#78節|78節]] |
[[#79節|79節]] |
[[#80節|80節]] <br />
[[#81節|81節]] |
[[#82節|82節]] |
[[#83節|83節]] |
[[#84節|84節]] |
[[#85節|85節]] |
[[#86節|86節]] |
[[#87節|87節]] |
[[#88節|88節]] <br />
[[#89節|89節]] |
[[#90節|90節]] <br />
[[#脚注|脚注]]<br />
[[#参考リンク|参考リンク]]<br />
|}
<br style="clear:both;" />
__notoc__
 
 
==ウェルキンゲトリクスとガリア同盟軍の蜂起==
===1節===
[[画像:Maccari-Cicero.jpg|thumb|right|250px|[[w:カティリナ弾劾演説|カティリナ弾劾演説]]をする[[w:マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロ]](左中央)(チェザレ・マッカリによる19世紀のフレスコ画)。[[w:プブリウス・クロディウス・プルケル|クロディウス]]はこれを越権行為であるとして、カエサルの政敵であったキケロを一時的に亡命へ追い込み、ついにはキケロの友人ミロの配下によって殺害された。]]
[[画像:Pompei_Magnus_Antiquarium.jpg|thumb|right|250px|[[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]]の胸像。クロディウス殺害に伴う騒乱を収拾するべく、[[w:元老院|元老院]]によりポンペイウスが単独の[[w:執政官|執政官]]に選出され、首都ローマと本土イタリアを制圧した。一方、カエサルも属州で新たに徴兵して兵力を増した。元老院派はカエサルの勢力が強大になることを恐れて、カエサル自身から将兵を取り上げて召還すべきと主張したが、ポンペイウスは不和を避けて宥和を図った。]]
[[画像:Brennus_mg_9724.jpg|thumb|right|250px|[[w:ブレンヌス|ブレンヌス]]の胸像。BC4世紀頃に、アッコと同じ[[w:セノネス族|セノネス族]]の族長だったとされている。]]
 
'''首都ローマの政情不安、ガリア人領袖たちの謀計'''
*① Quieta Gallia Caesar,
**[[w:ガリア|ガリア]]が鎮まって、カエサルは、
*ut constituerat, in Italiam ad conventus agendos proficiscitur.
**定めていたように、イタリアに、開廷(=巡回裁判)を行なうために出発した。
**:(訳注:ここでいうイタリアとは、カエサルの属州[[w:ガリア・キサルピナ|ガリア・キサルピナ]]であると思われる。)
*Ibi cognoscit de [[w:la:Publius_Clodius_Pulcher|P. Clodii]]<ref>P. はρ系写本にのみ記載されている。</ref> caede
**そこで[[w:プブリウス・クロディウス・プルケル|プブリウス・クロディウス]]の殺害について知って、
**:(訳注:クロディウスは護民官を務めた<ruby><rb>[[w:ポプラレス|民衆派]]</rb><rp>(</rp><rt>ポプラレス</rt><rp>)</rp></ruby> の政治家で、カエサルから恩義を受けていた。
**:かの[[w:マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロ]]やその友人ティトゥス・ミロ [[w:la:Titus_Annius_Milo|Milo]] ら<ruby><rb>[[w:オプティマテス|元老院派]]</rb><rp>(</rp><rt>オプティマテス</rt><rp>)</rp></ruby> と激しく対立し、ミロの配下によって殺害された。)
*&lt;de&gt;<ref>de は現存する写本にはなく、近世以降に挿入提案されたもの。</ref> senatusque consulto certior factus, ut omnes iuniores Italiae coniurarent,
**イタリアのすべての青年たちに(新兵の)宣誓をするようにとの元老院決議について知らされて、
**:(訳注:この事態を収拾すべく元老院派の[[w:グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]が単独の執政官に選任されて本土イタリアを掌握した。)
*dilectum tota provincia habere instituit.
**(カエサルは)属州全体での徴集をすることを決定した。
*② Eae res in Galliam Transalpinam celeriter perferuntur.
**その事態は、アルプスの向こう側のガリアに速やかに報知された。
*Addunt ipsi et adfingunt rumoribus Galli, quod res poscere videbatur:
**[[w:ガリア人|ガリア人]]たち自身は、事態が促進すると思われることを風評に想像して付け加えた。
*retineri urbano motu Caesarem
**都([[w:ローマ|ローマ市]])の騒乱に束縛されて、
*neque in tantis dissensionibus ad exercitum venire posse.
**これほどの対立においては、軍隊のところへ来ることができない、と。
*③ Hac impulsi occasione,
**このような好機に刺激されて、
*qui iam ante se populi Romani imperio subiectos dolerent,
**すでに以前からローマ人民の支配に服属させられているのを悲嘆している者たちは、
*liberius atque audacius de bello consilia inire incipiunt.
**より自由に、かつ、より向こう見ずに、戦争について謀議に取りかかり始めた。
*④ Indictis inter se principes Galliae conciliis silvestribus ac remotis locis
**ガリアの領袖たちは、森林や人里離れた場所での会合を互いに申し合わせて、
*queruntur de Acconis morte;
**アッコの死について嘆いた。
**:(訳注:[[ガリア戦記 第6巻#44節|第6巻44節]]を参照。)
*⑤ posse hunc casum ad ipsos recidere demonstrant:
**彼の結末が彼ら自身へ降りかかりうることを説明した。
*miserantur communem Galliae fortunam:
**ガリア共通の境遇をあわれんだ。
*omnibus pollicitationibus ac praemiis deposcunt
**(以下の者たちを)あらゆる約束と恩賞によって求めた。
*qui belli initium faciant et sui capitis periculo Galliam in libertatem vindicent.
**戦端を開いて、自らを危険にさらしても、ガリアを解放する者たちを。
**:(訳注:~ in libertatem vindicare;~を解放する)
*⑥ Inprimis rationem esse habendam dicunt,
**とりわけ、(以下のような)方策を採るべきであると言った。
*priusquam eorum clandestina consilia efferantur,
**彼らの秘密の計画が漏らされるより前に、
*ut Caesar ab exercitu intercludatur.
**カエサルが軍隊から切り離されるように、と。
*⑦ Id esse facile,
**それは容易なことである。
*quod neque legiones audeant absente imperatore ex hibernis egredi,
**というのは、[[w:ローマ軍団|諸軍団]]は将軍(カエサル)が不在のときにあえて冬営から出て行こうとはしないし、
*neque imperator sine praesidio ad legiones pervenire possit.
**将軍は護衛なしに諸軍団のところへ到着することはできないのだから。
*⑧ Postremo in acie praestare interfici,
**結局のところ、戦列において討ち死にする方がましである。
*quam non veterem belli gloriam libertatemque quam a maioribus acceperint recuperare.
**先祖から受け継いだかつての戦争の栄誉および自由を取り戻さないことよりは。
 
===2節===
[[画像:Chartres_1.jpg|thumb|right|320px|[[w:カルヌテス族|カルヌテス族]](Carnutes)の名を残す現在の[[w:シャルトル|シャルトル]](Chartres)の象徴である[[w:シャルトル大聖堂|シャルトル大聖堂]]([[w:世界遺産|世界遺産]])。[[ガリア戦記 第6巻#13節|第6巻13節]]⑩項で既述のように、カルヌテス族の土地はガリアの中心・聖地と見なされていた。ガリアがキリスト教化されると、[[w:司教|司教座]]が置かれて、宗教的中心地となった。]]
'''カルヌテス族が開戦動議'''
*① His rebus agitatis
**これらの事柄が論議されて、
*profitentur Carnutes se nullum periculum communis salutis causa recusare
**[[w:カルヌテス族|カルヌテス族]]の者が公言したことには、(ガリア)共通の安全のためにはいかなる危険をも辞さない、
*principesque ex omnibus bellum facturos pollicentur
**かつ(ガリア側)総勢の先鋒として戦争を遂行するであろうと約束した。
*② et, quoniam in praesentia obsidibus cavere inter se non possint,
**現状では、人質によって互いに保証し合うことはできなかったので、
*ne res efferatur, ut iure iurando ac fide sanciatur, petunt,
**事が漏らされないように、誓約と信義を批准するように求めた。
*conlatis militaribus signis, quo more eorum gravissima caerimonia continetur,
**軍旗が運び集められて、それは彼らの慣習で最も重い儀式として保たれているのだが、
*ne facto initio belli ab reliquis deserantur.
**開戦したら、ほかの(部族の)者たちから見放されないように、ということである。
*③ Tum conlaudatis Carnutibus,
**それから、カルヌテス族が賞賛されて、
*dato iure iurando ab omnibus qui aderant,
**訪れていたすべての者たちによって誓約が交わされて、
*tempore eius rei constituto ab concilio disceditur.
**その事の時期を決定して、(ガリアの領袖たちは)会合から立ち去った。
 
===3節===
[[画像:Cathédrale_Sainte-Croix_d'Orléans_2008_PD_16.JPG|thumb|right|280px|ケナブム(Cenabum)すなわち現在の[[w:オルレアン|オルレアン]]の聖十字架大聖堂。ここもカルヌテス族の[[w:オッピドゥム|城市]]で、ガリアの[[w:ドルイド|ドルイド]]たちが集まる聖地だったという。ローマの[[w:ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌス|アウレリアヌス帝]](Aurelianus)によって再建されたのでアウレリアヌスの都市(アウレリアヌム [[w:la:Aurelianum|Aurelianum]])と改称され、オルレアン(Orléans)と転訛した。キリスト教化によってここにも[[w:司教|司教座]]が置かれて、布教の中心地になった。]]
'''カルヌテス族がケナブム進駐'''
*① Ubi ea dies venit,
**その日が来ると、
*Carnutes Cotuato et Conconnetodumno ducibus desperatis hominibus,
**[[w:カルヌテス族|カルヌテス族]]は、捨て身覚悟の連中であるコトゥアトゥスとコンコンネトドゥムヌスを指導者として、
*Cenabum signo dato concurrunt
**合図が発せられるとともにケナブム(=現在の[[w:オルレアン|オルレアン]])に襲いかかった。
*civesque Romanos, qui negotiandi causa ibi constiterant,
**そこには、商いを営むためにローマ市民たちが滞在していて、
*in his C.(Gaium) Fufium Citam, honestum equitem Romanum, qui rei frumentariae iussu Caesaris praeerat,
**彼らの中には、気高いローマ騎士ガイウス・フフィウス・キタがカエサルの指令により糧秣調達を司っていたが、
*interficiunt bonaque eorum diripiunt.
**(カルヌテス勢は彼らを)殺害して、彼らの財産を略奪した。
*② Celeriter ad omnes Galliae civitates fama perfertur.
**速やかに全ガリア部族のところへ、評判が報知された。
*Nam ubicumque maior atque inlustrior incidit res,
**なぜなら、より重大でより目立った事態が起こればどこであろうが、
*clamore per agros regionesque significant;
**耕地地方や(集落の)区域を通じて大声で知らせる。
*hinc alii deinceps excipiunt et proximis tradunt;
**ここから、別の者が続けて引き受けて、近隣へ伝える。
*ut tum accidit.
**そのときにも(同様のことが)起こったのである。
*③ Nam, quae Cenabi oriente sole gesta essent,
**ケナブムで日の出のときになされた(襲撃の)ことが、
*ante primam confectam vigiliam in finibus Arvernorum audita sunt,
**第一夜警時の終わり頃にはアルウェルニ族の領土において聞かれた。
*quod spatium est milium passuum circiter centum sexaginta.
**約160ローママイル(=約240km)もの隔たりがあったのに。
 
===4節===
[[画像:Vercingétorix_par_Millet.jpg|thumb|right|250px|[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]の立像(フランスのアリーズ=サント=レーヌ <small>[[w:fr:Alise-Sainte-Reine|Alise-Sainte-Reine]]</small>)。<br>近代[[w:ナショナリズム|ナショナリズム]]の高揚とともに[[w:フランス|フランス]]国民が自らを古代[[w:ガリア人|ガリア人]]の末裔と見なすようになると([[w:ガリア起源説|ガリア起源説]])、ガリア諸部族を率いて[[w:古代ローマ|古代ローマ]]と戦った彼は「'''フランス最初の英雄'''」として祀り上げられた。[[w:フランス第二帝政|第二帝政]]期に皇帝[[w:ナポレオン3世|ナポレオン3世]]の命により[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]]の発掘調査が実施され、[[w:1865年|1865年]]にはその地に彫刻家エメ・ミレ([[w:fr:Aimé Millet|Aimé Millet]])による高さ7メートルの銅像が建立された。<br>([[w:fr:Vercingétorix_(statue_d'Aimé_Millet)|fr:La statue de Vercingétorix]])]]
[[画像:Statue-vercingetorix-jaude-clermont.jpg|thumb|right|250px|[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]の騎馬像([[w:fr:Statue équestre de Vercingétorix (Frédéric Auguste Bartholdi)|fr]])。彼の出身地ゲルゴウィアの近く、[[w:クレルモン=フェラン|クレルモン=フェラン市]]中央広場に建つ。[[w:1903年|1903年]]に、[[w:自由の女神像 (ニューヨーク)|自由の女神像]]の作者として著名な彫刻家[[w:フレデリク・バルトルディ|フレデリク・オーギュスト・バルトルディ]]によって建立された。[[w:フランス語|フランス語]]で「我は皆の自由のために武器を取った」« J’ai pris les armes pour la liberté de tous » と刻まれている。]]
'''アルウェルニ族のウェルキンゲトリクスが挙兵、ガリア諸部族同盟軍を指揮する'''
*① Simili ratione ibi
**そこ(=アルウェルニ族の領土)でも同様のやり方によって、
*[[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]], Celtilli filius, Arvernus, summae potentiae adulescens,
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]という、[[w:ケルティッルス|ケルティッルス]]の息子で[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]の者、最高の影響力のある青年が、
*cuius pater principatum Galliae totius obtinuerat
**─その父(ケルティッルス)はガリア全体の主導権を占めていたが、
*et ob eam causam, quod regnum adpetebat, ab civitate erat interfectus,
**王位を求めたという理由により、部族の者によって誅殺されていたのであるが、─
*convocatis suis clientibus facile incendit.
**自らの庇護者たちを招集して、容易に焚き付けた。
*② Cognito eius consilio ad arma concurritur.
**彼の計画を知って(人々は)武器のところへ群がり集まった。
*Prohibetur ab Gobannitione, patruo suo, reliquisque principibus,
**彼の(父方の)おじゴバンニティオやほかの領袖たちにより妨げられた。
*qui hanc temptandam fortunam non existimabant;
**その者たちは、このような運命を試すべきとは考えていなかったのだ。
*expellitur ex oppido [[w:la:Gergovia|Gergovia]];
**(ウェルキンゲトリクスは)城市[[w:ゲルゴウィア|ゲルゴウィア]]から追放された。
*③ non destitit tamen atque in agris habet dilectum egentium ac perditorum.
**しかしながら(彼は計画を)取り止めず、野に貧窮者たちやならず者たちを徴集した。
*Hac coacta manu,
**こうした手勢が集められ、
*quoscumque adit ex civitate, ad suam sententiam perducit;
**部族のうちで(彼が)会った者は誰であれ、自らの意図に引き込んだ。
*④ hortatur ut communis libertatis causa arma capiant,
**(ガリア)共通の自由のために武器を取るように鼓舞した。
*magnisque coactis copiis
**大軍勢が集められて、
*adversarios suos, a quibus paulo ante erat eiectus, expellit ex civitate.
**少し前に(彼が)追い出されたところの敵対者たちを、部族から追放した。
*Rex ab suis appellatur.
**(ウェルキンゲトリクスは)配下の者たちから王と呼ばれた。
*⑤ Dimittit quoque versus legationes;
**(ウェルキンゲトリクスは)あらゆる方向へ使節たちを派遣して、
*obtestatur ut in fide maneant.
**誓約に留まるようにと、懇願した。
*⑥ Celeriter sibi
**速やかに、自分たち(アルウェルニ族)に対して
*Senones, Parisios, Pictones, Cadurcos, Turonos, Aulercos, Lemovices, Andos
**[[w:セノネス族|セノネス族]]、[[w:パリスィイ族|パリスィイ族]]、[[w:ピクトネス族|ピクトネス族]]、[[w:カドゥルキ族|カドゥルキ族]]、[[w:トゥロニ族|トゥロニ族]]、[[w:アウレルキ族|アウレルキ族]]、[[w:レモウィケス族|レモウィケス族]]、[[w:アンデス族|アンデス族]]、
*reliquosque omnes, qui Oceanum attingunt, adiungit;
**および[[w:大西洋|大洋]]に接するほかの諸部族を、加盟させる。
*omnium consensu ad eum defertur imperium.
**すべての者たちの同意により、彼に(諸部族の)軍隊指揮権が譲り渡される。
*⑦ Qua oblata potestate
**(ウェルキンゲトリクスは)その権限が任されると、
*omnibus his civitatibus obsides imperat,
**これらすべての部族に人質(の供出)を命令して、
*certum numerum militum ad se celeriter adduci iubet,
**一定の兵の数が自分のところへ速やかに動員されることを命じた。
*⑧ armorum quantum quaeque civitas domi quodque ante tempus efficiat constituit;
**おのおのの部族が本国で、武器のどれほどをその時期の前に生産するかを、決定した。
*in primis equitatui studet.
**とりわけ、[[w:騎兵|騎兵隊]]を熱心に求めた。
*⑨ Summae diligentiae summam imperii severitatem addit;
**(ウェルキンゲトリクスは)最高の入念さに、命令の最高の厳格さを付け加えた。
*magnitudine supplicii dubitantes cogit.
**重大な刑罰をふんぎりが付かぬ者たちへ強いた。
*⑩ Nam maiore commisso delicto igni atque omnibus tormentis necat,
**すなわち、より重大な違反を犯したら、火とあらゆる拷問によって誅殺した。
*leviore de causa auribus desectis aut singulis effossis oculis domum remittit,
**より軽微な場合については、両耳を切り取り、あるいは眼を一つずつ繰り抜いて、郷里へ送還した。
*ut sint reliquis documento et magnitudine poenae perterreant alios.
**ほかの者たちへの警告となり、懲罰の重大さが別の者たちを畏怖させるようにである。
 
===5節===
'''ビトゥリゲス族がガリア同盟軍に寝返る'''
*① His suppliciis celeriter coacto exercitu
**(ウェルキンゲトリクスは)これらの刑罰により速やかに軍隊を徴集して、
*Lucterium Cadurcum, summae hominem audaciae,
**最高に豪胆な人物である[[w:カドゥルキ族|カドゥルキ族]]の[[w:ルクテリウス|ルクテリウス]]を
*cum parte copiarum in Rutenos mittit;
**軍勢の一部とともに[[w:ルテニ族|ルテニ族]]のところに派遣した。
*ipse in Bituriges proficiscitur.
**(ウェルキンゲトリクス)自身は[[w:ビトゥリゲス族|ビトゥリゲス族]]のところに出発した。
*② Eius adventu Bituriges ad [[w:la:Haedui|Haeduos]], quorum erant in fide,
**彼の到来により、ビトゥリゲス族は、彼らが庇護下にあった[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]のところへ、
*legatos mittunt subsidium rogatum,
**使節たちを、援兵を依頼するために遣わした。
*quo facilius hostium copias sustinere possint.
**それにより、敵の軍勢をより容易に持ちこたえることができるようにということであった。
*③ Haedui de consilio legatorum, quos Caesar ad exercitum reliquerat,
**ハエドゥイ族は、カエサルが軍隊のところへ残していた<ruby><rb>[[w:レガトゥス|総督副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レガトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>たちの助言により、
*copias equitatus peditatusque subsidio Biturigibus mittunt.
**[[w:騎兵|騎兵隊]]と[[w:歩兵|歩兵隊]]の軍勢をビトゥリゲス族に対する援兵として派遣した。
*④ Qui cum ad flumen [[w:la:Liger|Ligerim]] venissent, quod Bituriges ab Haeduis dividit,
**その者たち(援兵)は、ビトゥリゲス族をハエドゥイ族から分け隔てるリゲル川(=現在の[[w:ロワール川|ロワール川]])のところへやって来たときに、
 
[[画像:Map of Eduens people-fr.svg|thumb|right|250px|[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]を軸とするガリアの合従連衡(<small>フランス語表記</small>)。赤い部分がハエドゥイ族(Eduens)、桃色・茶色の部分が同盟部族、灰色の部分が敵対する[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]](Arvernes)とセクアニ族(Sequanes)の領域である。茶色のビトゥリゲス族(Bituriges)と赤いハエドゥイ族(Eduens)の境界に沿ってリゲル川([[w:ロワール川|ロワール川]])が流れていることが見て取れる。川の西岸はビトゥリゲス族とアルウェルニ族の勢力圏になっている。]]
*paucos dies ibi morati
**わずかな日々をそこでぐずぐずして、
*neque flumen transire ausi domum revertuntur
**川をあえて渡らずに、故国に引き返した。
*⑤ legatisque nostris renuntiant
**(ハエドゥイ族の援兵たちが)我が方(=ローマ勢)の副官たちに報告したことには、
*se Biturigum perfidiam veritos revertisse,
**自分たち(援兵)はビトゥリゲス族の寝返りを恐れて引き返した。
*quibus id consilii fuisse cognoverint,
**彼らには、以下のような謀計があったことを探知したのだ。
*ut, si flumen transissent, una ex parte ipsi, altera Arverni se circumsisterent.
**もし川を渡ったら、一方から(ビトゥリゲス族)自身が、他方から[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]が自分たちを包囲するというものだ、と。
*⑥ Id ea[[wikt:la:-ne|ne]] de causa, quam legatis pronuntiarunt, [[wikt:la:an|an]] perfidia adducti fecerint,
**それは(援兵たちが)副官たちに報告した理由によるのか、あるいは寝返りにそそのかされてなしたのか、
**:(訳注:[[wikt:la:-ne|-ne]] ~ [[wikt:la:an|an]] …;~であるか、あるいは…であるか)
*quod nihil nobis constat, non videtur pro certo esse ponendum<ref>ponendum はβ系写本の記述で、α系写本では proponendum となっている。</ref>.
**我々には何ら定かではないので、確言するべきであるとは思われない。
**:(訳注:~ pro certo ponere;~を確かであると主張する)
*⑦ Bituriges eorum discessu statim se cum Arvernis coniunguntur<ref>se ~ coniunguntur はβ系写本の記述で、α系写本では [[wikt:la:iungo|iunguntur]] となっている。</ref>.
**ビトゥリゲス族は、彼ら(援兵)の退去により、ただちにアルウェルニ族と(同盟を)結んだ。
 
===6節===
[[画像:Warsaw Royal Castle GM (12).JPG|thumb|right|200px|[[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]]の立像([[w:ワルシャワ歴史地区|ワルシャワ王宮]])。彼は首都の騒乱を鎮めるために単独の[[w:執政官|執政官]]として大権を与えられ、イタリアの徴兵権を得た。[[w:三頭政治|三頭政治]]後のこの混乱期に、彼はカエサルの政敵たちからこぞって支持されたが、危機に瀕していたカエサルを打倒する絶好の機会を見送った。これは重大な逸機であり、数年後にポンペイウスにとって致命的な結果をもたらすことになる。]]
'''諸軍団と分断されて苦慮するカエサル'''
*① His rebus in Italiam Caesari nuntiatis,
**これらの事情がイタリアに、カエサルへ知らされると、
**:(訳注:ここでいうイタリアとは、カエサルの属州[[w:ガリア・キサルピナ|ガリア・キサルピナ]]のことである。)
*cum iam ille urbanas res virtute Cn.(Gnaei) Pompei commodiorem in statum pervenisse intellegeret,
**彼は、もはや都([[w:ローマ|ローマ市]])の事態は[[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]]の果断さによってより相応な状態に至ったと認識したので、
*in Transalpinam Galliam profectus est.
**アルプスの向こう側のガリアに出発した。
**:(訳注:[[#1節|1節]]②項で言及された Galliam Transalpinam はアルプスの西側のガリア全般を指すと思われるが、
**:ここではどちらかといえばガリア南部の属州ガリア・トランサルピナすなわち後の[[w:ガリア・ナルボネンシス|ガリア・ナルボネンシス]]を指すと思われる。)
*② Eo cum venisset,
**(カエサルが)そこに来たときに、
*magna difficultate adficiebatur, qua ratione ad exercitum pervenire posset.
**どのような方策で軍隊のところへ到達することができるか、という大きな困難に苦悩させられた。
*③ Nam si legiones in provinciam arcesseret,
**なぜなら、もし、諸[[w:ローマ軍団|軍団]]を属州(ガリア・トランサルピナ)に呼び寄せるのならば、
*se absente in itinere proelio dimicaturas intellegebat;
**自分(カエサル)が不在のままで、行軍中に戦闘を闘うことになるであろうと理解した。
*④ si ipse ad exercitum contenderet,
**もし(カエサル)自身が(大部隊の護衛なしで)軍隊のところへ急いで行くのならば、
*ne iis<ref>iis はβ系写本の記述で、α系写本では his となっている。</ref> quidem eo tempore qui quieti viderentur, suam salutem recte committi videbat.
**そのときには、参戦していないと見られる者たちでさえも、自分の身の安全を良く託されるとは思えなかったのだ。
**:(訳注:前年まで、すなわち第6巻までの戦争は主としてガリア北部・中部などで闘われていたので、
**:[[ガリア戦記 第6巻#44節|第6巻44節]]で既述のように、ローマ諸軍団はガリア北部・中部周辺に冬営させられていた。
**:今回は軍団が駐留していないガリア中南部を中心に反乱が起こったので、カエサルと諸軍団は分断された。
**:そのため、カエサルが大部隊の護衛なしで北上すれば、同盟部族にさえ寝首を掻かれる怖れがあったのである。)
 
===7節===
[[画像:Narbonne_panorama.jpg|thumb|right|400px|'''ナルボ'''(Narbo)すなわち現在の[[w:ナルボンヌ|ナルボンヌ市]](Narbonne)の街並み。ローマ人が[[w:ドミティア街道|ドミティア街道]]の拠点として植民市'''コロニア・ナルボ・マルティウス'''(Colonia Narbo Martius)を建設し、後には[[w:ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)|ローマ内乱]]のときにもカエサル派の根拠地となった。その重要性から帝政期には州都に昇格し、[[w:属州|属州]]名も[[w:ガリア・ナルボネンシス|ガリア・ナルボネンスィス]]に改められたほどである。]]
[[画像:Via_domitia_map600x600_(1).png|thumb|right|200px|[[w:ドミティア街道|ドミティア街道]](Via Domitia)の経路。ローマ人によってイタリアと[[w:ヒスパニア|ヒスパニア]]を結ぶ重要な街道として整備された。本節でカエサル側の軍勢が往復したのもこの街道である。]]
 
'''ナルボをめぐる属州内外の攻防の駆け引き'''
*① Interim Lucterius Cadurcus in Rutenos missus
**その間に、[[w:カドゥルキ族|カドゥルキ族]]の[[w:ルクテリウス|ルクテリウス]]が[[w:ルテニ族|ルテニ族]]のところに遣わされて、
*eam civitatem Arvernis conciliat.
**その部族に[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]との仲を取り持った。
*② Progressus in Nitiobriges et Gabalos ab utrisque obsides accipit
**(彼は)[[w:ニティオブロゲス族|ニティオブロゲス族]]と[[w:ガバリ族|ガバリ族]]のところに進んで行き、双方から人質たちを受け取って、
*et magna coacta manu in provinciam [[w:la:Narbo|Narbonem]] versus eruptionem facere contendit.
**多くの手勢を集めて、(ローマの)[[w:属州|属州]]内の[[w:ナルボンヌ|ナルボ]]に向かって出撃をしようと急いだ。
**:(訳注:ナルボはローマ人が建設した植民市で、ヒスパニアとイタリアを結ぶ拠点であった。)
*③ Qua re nuntiata
**その事を報告されて、
*Caesar omnibus consiliis antevertendum existimavit, ut Narbonem proficisceretur.
**カエサルは、ナルボに出発することを、あらゆる計画に先立ってするべきであると考えた。
*④ Eo cum venisset, timentes confirmat, praesidia
**(カエサルは)そこへやって来ると、怖れている者たちを元気付けて、守備隊を
*in Rutenis provincialibus, Volcis Arecomicis, Tolosatibus circumque Narbonem, quae loca hostibus erant finitima,
**敵に隣接した地である、属州民のルテニ族、[[w:ウォルカエ・アレコミキ族|ウォルカエ・アレコミキ族]]、[[w:トロサテス族|トロサテス族]]およびナルボ周辺に
*constituit;
**駐留させた。
*⑤ partem copiarum ex provincia supplementumque, quod ex Italia adduxerat,
**属州(ガリア・トランサルピナ)からの軍勢の一部、およびイタリアから率いて来た補充兵を
**:(訳注:後者の補充兵 supplementum は、[[#1節|1節]]で既述のように、[[w:ガリア・キサルピナ|ガリア・キサルピナ]]で徴募された軍団兵であろう。)
*in Helvios, qui fines Arvernorum contingunt, convenire iubet.
**アルウェルニ族の領土に接している[[w:ヘルウィイ族|ヘルウィイ族]]のところに集結することを命じた。
 
===8節===
[[画像:Carte-cevennes-france.png|thumb|right|200px|フランスにおける[[w:中央高地 (フランス)|中央高地]](Massif Central)とセヴェンヌ山地(Cévennes)の位置]]
[[画像:Col_de_legal.jpeg|thumb|right|200px|[[w:雪|雪]]に覆われた[[w:オーヴェルニュ地域圏|オーヴェルニュ高地]]。オーヴェルニュ(Auvergne)の名は[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]](Arverni)に由来する。]]
[[画像:Causse_Mejean_Evening.jpg|thumb|right|200px|城壁のように続くケウェンナ(セヴェンヌ)山地の断崖]]
[[画像:France_Massif_central.jpg|thumb|right|200px|[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]の勢力圏であった[[w:中央高地 (フランス)|中央高地]](Massif Central)の領域(着色部分)。平野の多いフランスにおいて山塊としてそびえ立つ。]]
 
'''カエサルがケウェンナ山地を越えてアルウェルニ族の領内へ突入'''
*① His rebus comparatis,
**これらの事が整えられて、
*represso iam Lucterio et remoto,
**(カドゥルキ族の)[[w:ルクテリウス|ルクテリウス]]はすでに押し戻され、遠ざけられた。
*quod intrare intra praesidia periculosum putabat,
**というのは(ローマ勢の)守備の範囲内に踏み込むことは危険なことであると(彼が)見なしたからである。
*in Helvios proficiscitur.
**(カエサルはそこで)[[w:ヘルウィイ族|ヘルウィイ族]]のところに出発した。
*② Etsi mons<ref>mons はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> Cevenna, qui Arvernos ab Helviis discludit, durissimo tempore anni altissima [[wikt:la:nix|nive]] iter impediebat,
**[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]をヘルウィイ族から隔てているケウェンナ山は、最も厳しい時季に深い[[w:雪|雪]]で道を閉ざしていたのであるが、
**:(訳注:山の名は写本によって Cebenna または Cevenna となっており、前者がガリア語に近いようである。
**:現在名はセヴェンヌ山地 Cévennes と呼ばれ、[[w:中央高地 (フランス)|フランス中央高地]](Massif Central)の南東部にそそり立っている。)
*tamen discussa nive sex in altitudinem pedum
**にもかかわらず(カエサル勢は)深さ6[[w:ペース (長さ)|ペース]](=1.8m弱)の雪を打ち砕いて、
*atque ita viis patefactis summo militum sudore<ref>sudore はα系写本の記述で、β系写本では labore となっている。</ref>
**このように兵士の最大の努力によって道を開いて、
*ad fines Arvernorum pervenit.
**アルウェルニ族の領土へ到達した。
*③ Quibus oppressis inopinantibus,
**彼ら(アルウェルニ族)は(カエサルによる)不意打ちを予期していなかった。
*quod se Cevenna ut muro munitos existimabant,
**というのは、自分たちはケウェンナを壁として防御されていると考えていたからであり、
*ac ne singulari quidem umquam homini eo tempore anni semitae patuerant,
**かつ、その時季には、個人にとってさえも、小道は決して開いていなかったからである。
*equitibus imperat,
**(カエサルは)騎兵たちに命令した。
*ut, quam latissime possint, vagentur et quam maximum hostibus terrorem inferant.
**できるだけ広く動き回り、敵たちに最大限の恐怖を引き起こすように、と。
*④ Celeriter haec fama ac nuntiis ad [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorigem]] perferuntur;
**これは速やかに風評や伝令たちによって、[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]のところへ報知された。
*quem perterriti omnes Arverni circumsistunt atque obsecrant,
**彼を、脅かされているアルウェルニ族の皆が取り巻いて、切願した。
*ut suis fortunis consulat,
**自分たち(アルウェルニ族)の境遇に配慮してくれるように、
*neu se ab hostibus diripi patiatur<ref>この行 neu se ab hostibus diripi patiatur はβ系写本の記述で、α系写本では neve ab hostibus diripiantur となっている。</ref>,
**自分たち(アルウェルニ族)が敵(ローマ人)によって略奪されることを許容しないように、
*praesertim cum videat omne ad se bellum translatum.
**とりわけ、戦争の一切が自分たちのところへ向けられると(彼が)見なしているのであるから
**:(訳注:praesertim cum ~;とりわけ~であるから)
*⑤ Quorum ille precibus permotus
**その者たちの懇願に揺り動かされて彼(ウェルキンゲトリクス)は
*castra ex Biturigibus movet in Arveruos versus.
**陣営を[[w:ビトゥリゲス族|ビトゥリゲス族]]のところからアルウェルニ族のところに向けて移動した。
**:(訳注:現在の[[w:ブールジュ|ブールジュ]]辺りから[[w:クレルモン=フェラン|クレルモン=フェラン]]辺りに南下したようである。)
 
===9節===
'''カエサルが諸軍団と合流、同盟軍はボイイ族攻略をめざす'''
*① At Caesar biduum in his locis moratus,
**それに対して、カエサルは2日間、この地に留まった。
*quod haec de [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorige]] usu ventura opinione praeceperat,
**というのは、[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]についてこれ(=陣営の移動)が起こるであろうと予想をしていたからだが、
**:(訳注:usu venire;起こる)
*per causam supplementi equitatusque cogendi ab exercitu discedit;
**補充兵と騎兵隊を徴集するためという口実のもとに、軍隊から離れた。
**:(訳注:per causam;口実のもとに)
 
[[画像:Image-Vienne-Cropped.jpg|thumb|right|300px|'''ウィエンナ'''(Vienna)すなわち現在のヴィエンヌ(Vienne)。ロダヌス川(現[[w:ローヌ川|ローヌ川]])のほとりにある当地は、南仏[[w:プロヴァンス|プロヴァンス地方]]と北仏[[w:ブルゴーニュ地域圏|ブルゴーニュ地方]]を結ぶ交通の要衝として、古代ローマ時代から栄え、今もローマ時代の遺跡が多く残る。]]
[[画像:Langres_FR_(march_2008).jpg|thumb|right|300px|[[w:リンゴネス族|リンゴネス族]](Lingones)の名を残す[[w:ラングル|ラングル]](Langres)の街の雪景色]]
 
 
*② [[w:la:Decimus_Iunius_Brutus_Albinus|Brutum]] adulescentem his copiis praeficit;
**(カエサルは)[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|青年ブルトゥス]]にこの軍勢を指揮させた。
**:(訳注:[[ガリア戦記 第3巻#14節|第3巻14節]]では、カエサルはこのデキムス・ブルトゥスに艦隊を指揮させている。)
*hunc monet, ut in omnes partes equites quam latissime pervagentur:
**彼には、[[w:騎兵|騎兵]]たちがあらゆる方面にできるだけ広く駆け回るようにと、忠告した。
*daturum se operam, ne longius triduo ab castris absit.
**自分(カエサル)は、3日間より長く陣営から離れないように、努力をするであろう、と。
**:(訳注:operam dare;努力をする)
*③ His constitutis rebus
**これらの事を決定して、
*omnibus<ref>omnibus はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> suis inopinantibus quam maximis potest itineribus [[w:la:Vienna|Viennam]] pervenit.
**配下の皆が予期しないほど、できるかぎりの強行軍で、ウィエンナ(=現在のヴィエンヌ)に到着した。
*④ Ibi nactus recentem equitatum, quem multis ante diebus eo praemiserat,
**そこで、何日も前にそこに先遣していたまだ新兵の騎兵隊を得て、
*neque diurno neque nocturno itinere intermisso
**昼間も夜間も行軍を中断せずに、
*per fines Haeduorum in Lingones contendit,
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]の領土を通って、[[w:リンゴネス族|リンゴネス族]]のところに急いだ。
*ubi duae legiones hiemabant,
**そこには、2個[[w:ローマ軍団|軍団]]が冬営していた。
*ut, si quid etiam de sua salute ab Haeduis iniretur consilii, celeritate praecurreret.
**もし(カエサル)自らの安全についてさえ、ハエドゥイ族により何らかの謀計が始められても、速やかに凌駕するように。
*⑤ Eo cum pervenisset, ad reliquas legiones mittit
**(カエサルは)そこへ到着したときに、残りの軍団のところへ(伝令を)遣わした。
*priusque omnes in unum locum cogit quam de eius adventu Arvernis nuntiari posset.
**彼の到着について[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]に知らされ得るより早く、総勢が1つの場所に集結するように、と。
**:(訳注:prius ~ quam …;…より早く~)
*⑥ Hac re cognita Vercingetorix rursus in Bituriges exercitum reducit
**この事を知って、ウェルキンゲトリクスは再び[[w:ビトゥリゲス族|ビトゥリゲス族]]のところに軍隊を連れ戻して、
*atque inde profectus Gorgobinam, [[w:la:Boii|Boiorum]] oppidum,
**そこから、[[w:ボイイ族|ボイイ族]]の城市である[[w:ゴルゴビナ|ゴルゴビナ]]へ出発した。
*quos ibi [[w:la:Helvetii|Helvetico]] proelio victos Caesar conlocaverat [[w:la:Haedui|Haeduis]]que attribuerat,
**[[w:ヘルウェティイ族|ヘルウェティイ族]]の戦闘で打ち負かされた彼らを、カエサルはそこに宿営させ、ハエドゥイ族(の庇護)に委ねていた。
**:(訳注:ボイイ族はヘルウェティイ族とともにガリアに移動して、カエサルに敗れていた。第1巻28節~29節を参照。)
*oppugnare instituit.
**(ウェルキンゲトリクスはゴルゴビナの)攻略を決意した。
 
===10節===
[[画像:Caesar's_campaign_to_Agedincum_in_52BC.png|thumb|right|250px|前節までのカエサルの[[w:ナルボンヌ|ナルボ]]からアゲディンクムへの進路(青線)および[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]の進路(赤線)。青字名は親ローマ部族、赤字名は反ローマ部族。カエサルは[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]の本拠ゲルゴウィアを突くと見せかけてウェルキンゲトリクスを引き寄せ、その間に[[w:ブルゴーニュ地域圏|ブルゴーニュ]]に冬営していた諸軍団と合流できた。これに対して、ウェルキンゲトリクスはボイイ族を攻めようとする。]]
[[画像:Aqueduc2.jpg|thumb|right|250px|アゲディンクム、すなわちセノネス族(Senones)の名を残す現在の[[w:サンス|サンス]](Sens)に建てられたローマ時代の[[w:水道橋|水道橋]]遺跡]]
'''カエサルがアゲディンクムを発って、ボイイ族支援に向かう'''
*① Magnam haec res Caesari difficultatem ad consilium capiendum adferebat:
**この事態は、カエサルが作戦を立てることにおいて、大きな困難を引き起こした。
**:(訳注:この事態とは、ウェルキンゲトリクスがハエドゥイ族の庇護下にあったボイイ族を攻めることである。)
*si reliquam partem hiemis uno loco legiones contineret,
**もし、冬の残りの期間に、諸[[w:ローマ軍団|軍団]]を1か所に留めておくならば、
*ne stipendiariis Haeduorum expugnatis cuncta Gallia deficeret,
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]の朝貢国(=ボイイ族)が攻略されて、ガリア全体が背くのではないか?
*quod nullum amicis in eo praesidium positum videret (α:videtur positum esse);
**というのは、彼(カエサル)においては、友邦に対するいかなる護衛も置かれていないと(ガリアが)見るからである。
*si maturius ex hibernis educeret,
**もし、尚早に冬営地から(諸軍団を)進発させれば、
*ne ab re frumentaria duris subvectionibus laboraret.
**(降雪時期の)糧秣供給の厄介な輸送によって苦労するのではないか?
*② Praestare visum est tamen omnes difficultates perpeti,
**しかしながら、あらゆる困難に耐えることの方が優っているように見える。
*quam tanta contumelia accepta omnium suorum voluntates alienare.
**これほどの恥辱を受けて、配下の皆の意欲を遠ざけてしまうよりは。
*③ Itaque cohortatus Haeduos de supportando commeatu
**こうして、ハエドゥイ族の[[w:歩兵|歩兵隊]]に軍需物資の輸送について(委ねて)、
*praemittit ad Boios, qui de suo adventu doceant
**[[w:ボイイ族|ボイイ族]]のところへ、(カエサル)自らの到着について知らせる者たちを先遣して、
*hortenturque ut in fide maneant atque hostium impetum magno animo sustineant.
**(カエサルへの)信義に留まって、敵たちの襲撃に大いなる決意をもって持ちこたえるように、と激励させた。
*④ Duabus [[w:la:Agedincum|Agedinci]] legionibus atque impedimentis totius exercitus relictis
**アゲディンクムに、2個軍団および軍隊全体の輜重を残して、
**:(訳注:アゲディンクムは敵対するセノネス族の主邑だが、[[ガリア戦記 第6巻#44節|第6巻44節]]で6個軍団を冬営させていた。現在の[[w:サンス|サンス]]。)
*ad Boios proficiscitur.
**ボイイ族のところへ出発した。
 
===11節===
[[画像:France_-_Loiret_-_Montargis_-_Passerelle_vers_l'écluse.JPG|thumb|right|250px|ウェッラウノドゥヌムの候補地の一つであるモンタルジ(Montargis)の運河沿いの景観。セノネス族の城市ウェッラウノドゥヌム(Vellaunodunum)が現在のどの地点に当たるのか定説はない。アゲディンクム(現在の[[w:サンス|サンス]])とケナブム(現在の[[w:オルレアン|オルレアン]])の中間地点であると考えられることから、モンタルジ([[w:en:Montargis|Montargis]])、ボーヌ=ラ=ロランド([[w:en:Beaune-la-Rolande|Beaune-la-Rolande]])やシャトー=ランドン([[w:en:Château-Landon|Château-Landon]])などが候補地に挙げられている。]]
 
'''セノネス族のウェッラウノドゥヌムを降し、カルヌテス族のケナブムを攻略'''
*① Altero die cum ad oppidum Senonum Vellaunodunum venisset,
**(カエサルは出発して)2日目に、[[w:セノネス族|セノネス族]]の城市である[[w:ウェッラウノドゥヌム|ウェッラウノドゥヌム]]のところへやって来たときに、
*ne quem post se hostem relinqueret,
**自らの後方に何らかの敵を残しておかないように、
*quo expeditiore re frumentaria uteretur,
**それにより、妨げなく糧秣供給を享受するように、
*oppugnare instituit idque<ref>idque はα系写本の表記で、β系写本では eoque となっている。</ref> biduo circumvallavit;
**(同市の)攻囲を決めて、それを2日間で(壁で)囲んだ。
*② tertio die missis ex oppido legatis de deditione
**3日目に、城市から降伏についての使節たちが遣わされて来て、
*arma conferri, iumenta produci, sescentos obsides dari iubet.
**(カエサルは)武器が運び集められること、役畜が引き渡されること、600名の人質が供出されることを命じた。
*③ Ea qui conficeret, [[w:la:Gaius Trebonius|C.(Gaium) Trebonium]] legatum relinquit.
**それらを成就する者として<ruby><rb>[[w:レガトゥス|総督副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レガトゥス</rt><rp>)</rp></ruby> [[w:ガイウス・トレボニウス|ガイウス・トレボニウス]]を残留させた。
*Ipse, ut quam primum iter faceret<ref>faceret はα系写本の表記で、β系写本では conficeret となっている。</ref>,
**(カエサル)自身は、できるだけ早く行軍を成就するように、
*Cenabum Carnutum proficiscitur;
**[[w:カルヌテス族|カルヌテス族]]の[[w:ケナブム|ケナブム]](現在の[[w:オルレアン|オルレアン]])に出発した。
*④ qui tum primum adlato nuntio de oppugnatione Vellaunoduni,
**そのとき彼ら(カルヌテス族)は、はじめにウェッラウノドゥヌムの攻囲について報告をもたらされて、
*cum longius eam rem ductum iri existimarent,
**その事はより長く引き延ばされて行われると考えていたので、
*praesidium Cenabi tuendi causa, quod eo mitterent, comparabant.
**ケナブムを固守するために、守備隊をそこへ派遣することを準備していた。
*⑤ Huc biduo pervenit.
**(カエサルは)ここ(ケナブム)へ2日間で到着した。
*Castris ante oppidum positis
**城市の前に陣営を設置したが、
*diei tempore exclusus in posterum oppugnationem differt,
**日の時刻(が夕刻になり)妨げたので、翌日に攻囲を延ばした。
*quaeque ad eam rem usui sint, militibus imperat; et,
**その事(=攻囲)に有益になることは何であれ、兵士たちに命令した。
 
[[画像:Orleans.jpg|thumb|right|400px|ケナブム(Cenabum)すなわち現在の[[w:オルレアン|オルレアン]](Orléans)を流れるリゲル川(現在の[[w:ロワール川|ロワール川]])の景観。左が北岸のオルレアン聖十字架大聖堂、右がジョージ5世橋と思われる。]]
*⑥ quod oppidum Cenabum pons fluminis Ligeris contingebat,
**城市ケナブムには、リゲル川(=現在の[[w:ロワール川|ロワール川]])の橋が接していたので、
*veritus ne noctu ex oppido profugerent,
**(カエサルは)夜間に城市から(敵勢が)逃亡するのではないかと恐れて、
*duas legiones in armis excubare iubet.
**2個[[w:ローマ軍団|軍団]]に武装して寝ずの番をすることを命じた。
*⑦ Cenabenses paulo ante mediam noctem
**ケナブムの者たちは真夜中の少し前に
*silentio ex oppido egressi flumen transire coeperunt.
**沈黙のうちに城市から出て、川を渡り始めた。
*⑧ Qua re per exploratores nuntiata
**その事が偵察者たちによって報告されて、
*Caesar legiones quas expeditas esse iusserat
**カエサルは、戦備を整えることを命じていた諸軍団に、
*portis incensis intromittit atque oppido potitur,
**(ケナブムの)城門を焼き打ちさせて(兵を)送り込み、城市を占領させた。
*perpaucis ex hostium numero desideratis quin cuncti caperentur,
**敵のうちからわずかな数を取り逃がした以外は、皆ことごとく捕らえた。
*quod pontis atque itinerum angustiae multitudinis<ref>multitudinis はα系写本の表記で、β系写本では multitudini となっている。</ref> fugam intercluserant.
**というのは、橋や道の狭さが、大勢の逃亡をさえぎったからである。
*⑨ Oppidum diripit atque incendit, praedam militibus donat,
**(カエサルは)城市を略奪し、焼き打ちして、略奪品を兵士たちに与えた。
*exercitum Ligerem<ref>Ligerem はα系写本の表記で、β系写本では Ligerim となっている。</ref> traducit atque in Biturigum fines pervenit.
**軍隊にリゲル川を渡らせて、[[w:ビトゥリゲス族|ビトゥリゲス族]]の領土に到達した。
 
===12節===
[[画像:Sancerre.jpg|thumb|right|250px|ビトゥリゲス族の城市があったと考えられる[[w:サンセール|サンセール]]([[w:en:Sancerre|Sancerre]])の街並み。カエサルがケナブム(現[[w:オルレアン|オルレアン]])からリゲル川(現[[w:ロワール川|ロワール川]])沿いに当初の目的地であったゴルゴビナへ向かい、後にアウァリクム(現[[w:ブールジュ|ブールジュ]])へ右折したと見なせば、この地がノウィオドゥヌムであったとも考えられる。街の名 Sancerre の意味が「カエサルに捧げられた」であるという説もある。現在は[[w:ロワールワイン|ロワールワイン]]の産地として有名で、辛口の白ワインなどの銘柄「Sancerre」にもなっている。]]
[[画像:Neung-sur-Beuvron_église_Saint-Denis_1.jpg|thumb|right|250px|城市ノウィオドゥヌム(Noviodunum)の所在地として現在有力視されている[[w:ロワール=エ=シェール県|ロワール=エ=シェール県]]のヌン=スュル=ブーヴロン([[w:en:Neung-sur-Beuvron|Neung-sur-Beuvron]])のサン=ドニ教会。カエサルは当初の目的地であったボイイ族のゴルゴビナへは真っ直ぐ向かわずに大きく迂回しており、ケナブム(現[[w:オルレアン|オルレアン]])の南方約45kmにあるこの地点(Beuvron川沿いのNeung)がノウィオドゥヌムであると推定されている。上空からは、ガリア時代の城市跡の輪郭が見て取れるという。しかしながら、ボイイ族からは遠い位置にある。]]
 
'''ビトゥリゲス族のノウィオドゥヌムを降すが、敵の騎兵が来援'''
*① [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]], ubi de Caesaris adventu cognovit,
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]は、カエサルの到来について知るや否や、
*oppugnatione destitit atque obviam Caesari proficiscitur.
**(ボイイ族の城市ゴルゴビナの)攻略を取り止めて、カエサルの方に向かって進発した。
*② Ille oppidum Biturigum positum in via Noviodunum oppugnare instituerat.
**彼(カエサル)は、途中に位置している[[w:ビトゥリゲス族|ビトゥリゲス族]]の[[w:オッピドゥム|城市]] [[w:ノウィオドゥヌム|ノウィオドゥヌム]]の攻略を決めていた。
**:(訳注:どこへの途中なのか明記されていないため、その解釈により場所についての解釈が変わるようである。)
*③ Quo ex oppido cum legati ad eum venissent oratum ut sibi ignosceret suaeque vitae consuleret,
**その城市から使節たちが彼のところへ、自分たちを容赦して生命を助けるように嘆願するために、やって来たときに、
*ut celeritate reliquas res conficeret, qua pleraque erat consecutus,
**(カエサルは)多くのことを実行してきた迅速さによって、ほかの事を成し遂げるために、
*arma conferri, equos produci, obsides dari iubet.
**武器が運び集められること、馬匹が引き渡されること、人質が供出されること、を命じた。
*④ Parte iam obsidum tradita, cum reliqua administrarentur,
**すでに人質の一部が移送され、残りの者たちが処置されていたときに、
*centurionibus et paucis militibus intromissis, qui arma iumentaque conquirerent,
**<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオ</rt><rp>)</rp></ruby>たちや若干の兵士たちが、武器や役畜を探し集めるべく(城市の中に)送り込まれていたのだが、
*equitatus hostium procul visus est, qui agmen Vercingetorigis antecesserat.
**ウェルキンゲトリクスの隊列に先行していた敵の[[w:騎兵|騎兵隊]]が遠くに望見された。
*⑤ Quem simulatque oppidani conspexerunt atque in spem auxilii venerunt,
**それを城市の者たちが視認して、救援の希望を抱くや否や、
*clamore sublato arma capere, portas claudere, murum complere coeperunt.
**叫び声を上げて、武器を取ること、城門を閉じること、城壁を(兵で)満たすことを始めた。
**:(訳注:sublato は [[wikt:en:tollo|tollo]] の分詞)
*⑥ Centuriones in oppido,
**城市の中の百人隊長たちは、
*cum ex significatione Gallorum novi aliquid ab iis iniri consilii intellexissent,
**ガリア人たちの兆候から、彼らによる新しい何らかの謀りごとが始められていることを察知したので、
*gladiis destrictis portas occupaverunt
**<ruby><rb>[[w:グラディウス (武器)|長剣]]</rb><rp>(</rp><rt>グラディウス</rt><rp>)</rp></ruby> を抜いて、城門を占拠して、
*suosque omnes incolumes receperunt.
**配下たち皆を無傷なままで退却させた。
 
===13節===
[[画像:Caesar's_campaign_to_Noviodunum_in_52BC.png|thumb|right|250px|ノウィオドゥヌムに至るカエサルの進路(青線)および[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]の進路(赤線)。青字名は親ローマ部族、赤字名は反ローマ部族。カエサルはアゲディンクムを発してからウェッラウノドゥヌム、ケナブム、ノウィオドゥヌムを続けて降し、ボイイ族のゴルゴビナ攻略を諦めたウェルキンゲトリクスもノウィオドゥヌム来援に駆けつけて来た。ここに、初めて両軍が騎兵戦で激突することになった。]]
 
'''同盟軍の騎兵を撃退、城市を再び降して、アウァリクム攻めに向かう'''
*① Caesar ex castris equitatum educi iubet
**カエサルは、陣営から[[w:騎兵|騎兵隊]]を進発させることを命じて、
*proeliumque<ref>proeliumque はβ系写本の表記で、α系写本では単に proelium となっている。</ref> equestre committit;
**(ウェルキンゲトリクス勢と)騎兵戦を交えた。
*laborantibus iam suis
**配下の者たちがもはや苦戦していたときに、
*[[w:la:Germani|Germanos]] equites circiter CCCC([[wikt:la:quadringenti|quadringentos]]) summittit,
**[[w:ゲルマニア|ゲルマニア]]人の騎兵たち約400騎を救援に派遣した。
*quos ab initio secum habere<ref>secum habere はL,N,β系写本の表記で、他の写本では habere secum となっている。</ref> instituerat.
**その者たちは(カエサルが戦いの)始めから自分のそばに保持しておこうと決めていたものであった。
*② Eorum impetum [[w:la:Galli|Galli]] sustinere non potuerunt
**彼ら(ゲルマニア人騎兵)の突撃に、(敵側の)ガリア人たちは持ちこたえることができず、
*atque in fugam coniecti multis amissis se ad agmen receperunt.
**逃亡に追いやられて、大勢の者を失い、(後方にいたウェルキンゲトリクスの)隊列に退却した。
*Quibus profligatis rursus oppidani perterriti
**彼らが制圧されて、[[w:オッピドゥム|城市]](ノウィオドゥヌム)の者たちは再び脅えて、
*comprehensos eos, quorum opera plebem concitatam existimabant,
**その働きかけによって民衆を扇動したと考えていたところの者たちを拘束して、
*ad Caesarem perduxerunt seseque ei dediderunt.
**カエサルのところへ連行して、自分たちも彼に降伏した。
*③ Quibus rebus confectis,
**それらの事が成し遂げられて、
*Caesar ad oppidum Avaricum,
**カエサルは、城市[[w:アウァリクム|アウァリクム]]へ、
*quod erat maximum munitissimumque in finibus Biturigum atque agri fertilissima regione,
**それは[[w:ビトゥリゲス族|ビトゥリゲス族]]の領土で耕地の最も肥沃な地方において、最大で最もよく防備されていたが、
*profectus est,
**(そこへ)出発した。
*quod eo oppido recepto civitatem Biturigum se in potestatem redacturum confidebat.
**というのは、その城市を獲得することで、ビトゥリゲスの部族を支配下に引き戻せると確信していたからである。
 
==アウァリクム攻略戦==
===14節===
'''ウェルキンゲトリクスが兵站妨害と焦土戦術を決断'''
*① [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] tot continuis incommodis Vellaunoduni, Cenabi, Novioduni acceptis
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]は、[[w:ウェッラウノドゥヌム|ウェッラウノドゥヌム]]、[[w:ケナブム|ケナブム]]、[[w:ノウィオドゥヌム|ノウィオドゥヌム]]と、このように多くの引き続く敗北を受けて、
*suos ad concilium convocat.
**麾下の者たちを会合へ召集した。
*② Docet longe alia ratione esse bellum gerendum atque antea gestum sit.
**以前に遂行されていたのとはまったく別の作戦で戦争が遂行されるべきであると、説いた。
*Omnibus modis huic rei studendum, ut pabulatione et commeatu Romani prohibeantur.
**ローマ人たちが[[w:糧秣|糧秣]]徴発と物資輸送を妨げられるように事があらゆる方法で追求されるべきだ。
*③ Id esse facile,
**それは容易である。
*quod equitatu ipsi abundent et quod anni tempore subleventur.
**というのは(我々ガリア勢)自身は[[w:騎兵|騎兵隊]]がたくさんおり、(冬という)時季に支えられているのだから。
*④ Pabulum secari non posse;
**(この時季には)<ruby><rb>[[w:秣|秣]]</rb><rp>(</rp><rt>まぐさ</rt><rp>)</rp></ruby> は刈り取られることができない。
*necessario dispersos hostes ex aedificiis petere;
**敵たち(ローマ勢)はやむを得ずに分散して、建物から(糧秣を)求める。
**:(訳注:ほとんどの会話が間接話法を採る本書で、ローマ勢が「敵」hostes と表現されることは極めてまれである。)
*hos omnes cotidie ab equitibus deleri<ref>deleri はβ系写本の記述で、α系写本では diligi となっている。</ref> posse.
**これら皆を日々に(ガリア側の)騎兵隊によって壊滅させることができる。
*⑤ Praeterea salutis causa rei familiaris commoda neglegenda;
**さらに、(同盟諸部族に共通の)安全のために、私的資産の利益はなおざりにされるべきだ。
*vicos atque aedificia incendi oportere
**(以下のような領域の)村々や建物は焼かれるべきだ。
*hoc spatio ab [[w:la:Boii|Boia]] quoque versus, quo pabulandi causa adire posse videantur.
**[[w:ボイイ族|ボイイ族]]のところから各方向に向かって糧秣徴発するために行くことができると思われる領域では。
**:(訳注:写本にある「ボイイ族のところから」ab Boia は、現代では「街道から」ab via と改変されることがある。)
 
[[画像:Eglise_saint_parize_le_chatel.jpg|thumb|right|250px|ボイイ族(Boii)の領内であったと思われる現在のサン=パリーズ=ル=シャテルの教会。ボイイ族の首邑ゴルゴビナは、[[w:ニエーヴル県|ニエーヴル県]]のサン=パリーズ=ル=シャテル([[w:en:Saint-Parize-le-Châtel|Saint-Parize-le-Châtel]])あるいは[[w:シェール県|シェール県]]のラ・ゲルシュ=スュル=ローボワ([[w:en:La Guerche-sur-l'Aubois|La Guerche-sur-l'Aubois]])の近辺にあったと推定されている。]]
 
*⑥ Harum ipsis rerum copiam suppetere,
**(ガリア勢)自身には、これらの物は、豊富に貯えてある。
*quod quorum in finibus bellum geratur, eorum opibus subleventur;
**というのは、戦争が遂行される領土内の者たちの、彼らの助力に支えられているからだ。
*⑦ Romanos aut inopiam non laturos
**ローマ人たちは、あるいは(糧食の)欠乏に持ちこたえられないだろうし、
*aut magno cum<ref>cum はTおよびρ系写本の記述で、Vおよびα系写本にはない。</ref> periculo longius ab<ref>ab はα系およびV・ρ系写本の記述で、T写本では a となっている。</ref> castris processuros;
**あるいは大きな危険とともに陣営から遠くに進み出るだろう。
*⑧ neque interesse, ipsos[[wikt:la:-ne|ne]] interficiant, impedimentis[[wikt:la:-ne|ne]] exuant,
**(ローマ人たち)自身を殺戮しようが、輜重を奪い取ろうが、違いはない。
*quibus amissis bellum geri non possit.
**それら(の輜重)を失えば、戦争を遂行することができないのだ。
*⑨ Praeterea oppida incendi oportere, quae non munitione et loci natura ab omni sint periculo tuta,
**さらに、防備や地勢によってあらゆる危険から守られていることがない城市は、焼かれなければならない。
*ne<ref>ne はβ系写本の記述で、α系写本では neu となっている。</ref> suis sint ad detractandam militiam receptacula
**麾下の者たちにとっては(城市が)[[w:兵役逃れ|兵役忌避]]のための隠れ場所になることがないように、
*neu Romanis proposita ad copiam commeatus praedamque tollendam.
**ローマ人たちにとって(城市が)豊富な物資や略奪品を奪うための置き場所ともならないように。
*⑩ Haec si gravia aut acerba videantur,
**もし、これら(の作戦)が厳しい、または苦しいと見えるとしても、
*multo illa gravius aestimari debere<ref>aestimari debere はβ系写本の記述で、α系写本では aestimare となっている。</ref>, liberos, coniuges in servitutem abstrahi, ipsos interfici;
**それより、子供や妻たちが奴隷状態で連れ去られ、自身が殺されることの方が、はるかに厳しいと判断されるべきだ。
*quae sit necesse accidere victis.
**それは、打ち負かされた者たちには、起こることが必然なのである。
 
===15節===
[[画像:Bourges_-_002_-_Low_Res.jpg|thumb|right|300px|'''アウァリクム'''(Avaricum)すなわち[[w:ビトゥリゲス族|ビトゥリゲス族]](Bituriges)の名を残すともいわれる現在の[[w:ブールジュ|ブールジュ]](Bourges)の[[w:サン=テチエンヌ大聖堂 (ブールジュ)|サン=テティエンヌ大聖堂]]([[w:世界遺産|世界遺産]])。この街はガリア時代からこの地方の中心的な城市であり、現代ではそれほど大都会ではないが、世界遺産の大聖堂や音楽祭などで広く知られている。]]
[[画像:Bourges.JPG|thumb|right|300px|アウァリクムすなわち[[w:ブールジュ|ブールジュ]]の大聖堂から眺めた街並み。'''ビトゥリゲス族'''はかつてはイタリア北部に移住したこともある強大な部族で、この当時はブルディガラ(Burdigala:現在の[[w:ボルドー|ボルドー]])周辺にいたビトゥリゲス・ウィウィスキ族(Bituriges Vivisci)およびアウァリクム周辺にいた'''ビトゥリゲス・クビ族'''(Bituriges Cubi)の二派に分かれていた。『ガリア戦記』に登場するのはビトゥリゲス・クビ族の方である。]]
[[画像:Bourges_2.JPG|thumb|right|300px|アウァリクムすなわち[[w:ブールジュ|ブールジュ]]の大聖堂から眺めた沼地。イェーヴル川([[w:fr:Yèvre (Cher)|fr:Yèvre]])と沼地は、カエサルが書いたようにガリア時代からこの街を囲んでいる。]]
 
'''焦土戦術開始、しかしアウァリクムの防衛を決定'''
*① Omnium consensu hac sententia probata
**(会合参加者)全員の合意により(ウェルキンゲトリクスの)この意向が承認されて、
*uno die amplius XX([[wikt:en:viginti|viginti]]) urbes Biturigum incenduntur.
**一日で、20より多いビトゥリゲス族の町々が焼かれた。
*② Hoc idem fit in reliquis civitatibus:
**これと同じことが、ほかの諸部族においても行なわれて、
*in omnibus partibus incendia conspiciuntur;
**あらゆる方面において、炎上が望見された。
*quae etsi magno cum dolore omnes ferebant,
**それらの皆の者が大きな悲嘆とともに耐えていたのではあるが、
*tamen hoc sibi solacii proponebant,
**しかしながら、自分たちにとっての(以下のような)慰めを抱いた。
*quod se prope explorata victoria celeriter amissa recuperaturos confidebant.
**勝利はほとんど確実にされて、失ったものを速やかに回復するだろう、と確信していたことである。
*③ Deliberatur de Avarico in communi concilio, incendi placeret<ref>placeret はα系写本の記述で、β系写本では placeat となっている。</ref> an defendi.
**合同の会合において、アウァリクムについて(も)焼き打ちが良いか、あるいは防衛か、が吟味された。
*④ Procumbunt omnibus Gallis ad pedes Bituriges,
**(会合に参加していた)すべてのガリア人の足元へ、ビトゥリゲス族の者たちはひれ伏した。
*ne pulcherrimam prope totius Galliae<ref>totius Galliae はα系写本の記述で、β系写本では Galliae totius となっている。</ref> urbem, quae et<ref>et はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> praesidio et ornamento sit civitati,
**ほとんどガリア全体の町々で最も美しいもの、部族にとっては要害でも誉れでもあるものを、
*suis manibus succendere cogerentur;
**自分たちの手で燃やすことを強いられないように、と(懇願した)。
**:(訳注:ne ~ cogerentur;~を強いられないように)
*⑤ facile se loci natura defensuros dicunt,
**自分たちは(アウァリクムを)地勢によって容易に防衛するだろう、と言った。
*quod prope ex omnibus partibus flumine et palude circumdata
**というのは(アウァリクムは)ほぼあらゆる方向から川や沼地で囲まれており、
*unum habeat et perangustum aditum.
**一つだけ、非常に狭い進入路を持っているからだ。
*⑥ Datur petentibus venia
**(アウァリクムの防衛を)求める者たちに許可が与えられた。
*dissuadente primo [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorige]],
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]ははじめは諌めていたが、
*post concedente et precibus ipsorum et misericordia vulgi.
**その後、彼ら自身の懇願にも、民衆への同情にも、譲歩した。
*Defensores oppido idonei deliguntur.
**城市の適切な防衛者たちが選ばれた。
 
===16節===
'''アウァリクムをめぐる両軍の駆け引き'''
*① [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] minoribus Caesarem itineribus subsequitur
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]は、カエサルを緩やかな行軍で追尾して、
*et locum castris deligit paludibus silvisque munitum
**沼地や森林で防御された地点を陣営のために選んだ。
*ab Avarico longe milia passuum XVI(sedecim).
**アウァリクムから16ローママイル(24km弱)隔たっていた。
*② Ibi per certos exploratores in singula diei tempora quae ad Avaricum agerentur<ref>agerentur はα系写本の記述で、β系写本では gererentur となっている。</ref> cognoscebat
**そこで、一定の偵察者たちを通して、毎時、アウァリクム近傍で行なわれていることを探知して、
*et quid fieri vellet imperabat.
**(彼自身が)なされることを欲していることを(配下たちに)命令した。
*③ Omnes nostras pabulationes frumentationesque observabat
**我が方(ローマ勢)が[[w:糧秣|秣や糧食]]の徴発をしている一部始終を注視していて、
*dispersosque, cum longius necessario procederent, adoriebatur
**(ローマ勢が)分散して、やむを得ずにはるか遠くに進み出たときに、襲いかかって、
*magnoque incommodo adficiebat,
**(ローマ勢に)大きな損害を与えた。
*etsi, quantum ratione provideri poterat, ab nostris occurrebatur,
**とはいえ、我が方(ローマ勢)からも、できるかぎり用心する判断により(敵の襲撃を)阻止した。
*ut incertis temporibus diversisque itineribus iretur.
**不確定な時間にまったく別の道を行き来するというように。
 
===17節===
'''攻囲に取りかかるローマ軍の糧秣欠乏'''
*① Castris ad eam partem oppidi positis Caesar,
**カエサルは[[w:オッピドゥム|城市]]の(以下のような)方面に陣営を設置した。
*quae intermissa a flumine et a paludibus<ref>paludibus はα系写本の記述で、β系写本では palude となっている。</ref> aditum, ut supra diximus, angustum habebat,
**川や沼地により(外部から)遮断されて、前に述べたように狭い進入路を持っているというものである。
**:(訳注:[[#15節|15節]]⑤項を参照)
*aggerem apparare, vineas agere, turres duas constituere coepit;
**(さらに)<ruby><rb>[[w:土塁|土塁]]</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby> を準備すること、<ruby><rb>[[w:ウィネア|工作小屋]]</rb><rp>(</rp><rt>ウィネア</rt><rp>)</rp></ruby> を駆動すること、2つの<ruby><rb>[[w:攻城塔|攻城櫓]]</rb><rp>(</rp><rt>トゥッリス</rt><rp>)</rp></ruby> を建てること、を始めた。
*nam circumvallare loci natura prohibebat.
**なぜなら(城市を)堡塁で包囲することを地勢が妨げていたからだ。
 
[[画像:Carte_du_Cher.svg|thumb|right|250px|アウァリクム、すなわち現在の[[w:ブールジュ|ブールジュ市]](Bourges)のあるフランス・[[w:シェール県|シェール県]]の地図。中心にブールジュがあり、右下(南東)のラ・ゲルシュ=スュル=ローボワ([[w:en:La Guerche-sur-l'Aubois|La Guerche-sur-l'Aubois]])の近辺にボイイ族の首邑ゴルゴビナ(Gorgobina)があったと推定されている。右(東)隣の[[w:ニエーヴル県|ニエーヴル県]](Nièvre)が[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]の版図であった。]]
 
*② De re frumentaria [[w:la:Boii|Boios]] atque [[w:la:Haedui|Haeduos]] adhortari non destitit;
**(カエサルは)[[w:糧秣|糧秣]]調達について、[[w:ボイイ族|ボイイ族]]や[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]を鼓舞することを止めなかった。
*quorum alteri, quod nullo studio agebant, non multum adiuvabant,
**彼らのうち一方(ハエドゥイ族)は、何らの努力を行なわなかったので、あまり助けにならなかった。
*alteri non magnis facultatibus, quod civitas erat exigua et infirma,
**他方(ボイイ族)は、貧弱かつ無力な部族であったので、大した貯えもなく、
*celeriter quod habuerunt consumpserunt.
**早々と持っていたものを消費し切ってしまった。
*③ Summa difficultate rei frumentariae adfecto exercitu
**(ローマ人の)軍隊は糧秣調達の大いなる困難さに苦悩させられながらも、
*tenuitate Boiorum, indiligentia Haeduorum, incendiis aedificiorum,
**(その困難は)ボイイ族の微力さ、ハエドゥイ族の無関心、(敵勢による)焼き打ちによるものであったが、
*usque eo ut complures dies frumento milites caruerint
**かなりの日々にわたって兵士たちは糧食を欠くまでになり、
**:(訳注:usque eo ut ~「~まで」)
*et pecore ex longinquioribus vicis adacto extremam famem sustentarent,
**かなり遠方の村々から家畜を駆り立てて、極限的な飢えに耐え通すまでになったのであるが、
*nulla tamen vox est ab iis<ref>vox est ab iis はα系写本の記述で、β系写本では ex iis vox est となっている。</ref> audita populi Romani maiestate et superioribus victoriis indigna.
**しかしながら、ローマ人民の威厳やかつての勝利にふさわしからぬ声は、彼らから何ら聞かれなかった。
*④ Quin etiam Caesar cum in opere singulas legiones appellaret,
**いやそればかりか、カエサルが作業中のおのおのの[[w:ローマ軍団|軍団]]に呼びかけたとき、
*et si acerbius inopiam ferrent, se dimissurum oppugnationem diceret,
**もし、とても過酷な欠乏に耐えているのならば、自分は攻略を放棄しよう、とカエサルが言ったときに、
*universi ab eo, ne id faceret, petebant:
**(各軍団の)一同は、彼(カエサル)に、それ(=攻略の放棄)をしないように求めた。
*⑤ sic se complures annos illo imperante meruisse,
**自分たちは(以下のように)幾年にもわたって彼(カエサル)の麾下で勤めて来た。
**:(訳注:sic ~ ut …「…のように~である」)
*ut nullam ignominiam acciperent, numquam infecta<ref>numquam infecta はβ系写本の記述で、α系写本では nusquam incepta となっている。</ref> re discederent:
**何ら不名誉を蒙ってないし、事(=戦役)が完遂されないまま(戦列を)離脱することは決してなかったのだ。
*⑥ hoc se ignominiae laturos loco<ref>laturos loco はα系写本の記述で、β系写本では loco laturos となっている。</ref>, si inceptam oppugnationem reliquissent;
**もし、取りかかった攻略を放棄するならば、これを自分たちは不名誉な状態と見なすだろう。
*⑦ praestare omnes perferre acerbitates,
**あらゆる過酷さに持ちこたえることは(以下のこと)よりましである。
*quam non civibus Romanis, qui Cenabi perfidia Gallorum interissent, parentarent.
**ケナブムでガリア人たちの不義により滅びたローマ市民たちの仇討ちをしないよりも。
**(訳注:3節①項を参照。仇討ちをしないのなら、苦しむ方がましである、の意)
*⑧ Haec eadem centurionibus tribunisque militum mandabant, ut per eos ad Caesarem deferrentur.
**これらと同じことを、<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオ</rt><rp>)</rp></ruby>たちや<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|軍団次官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>たちに、彼らを通じてカエサルに申し立てるように、依頼した。
 
===18節===
[[画像:AVARICUM Battaglia 52 aC.png|thumb|right|300px|アウァリクム攻略戦の布陣図(<small>イタリア語</small>)。中央がアウァリクム(AVARICUM)、右下の赤枠内がカエサルと8個軍団の陣営、赤い矢印の先端がローマ軍の土塁。左上の楕円形がウェルキンゲトリクスが移動させた陣営。]]
 
'''カエサルがウェルキンゲトリクス不在の敵陣へ迫る'''
*① Cum iam muro turres adpropinquassent,
**すでに(アウァリクムの)城壁に(ローマ勢の)[[w:攻城塔|攻城櫓]]が近づいていたときに、
*ex captivis Caesar cognovit
**カエサルは、捕虜たちから(以下のことを)知った。
*[[w:la:Vercingetorix|Vercingetorigem]] consumpto pabulo castra movisse propius [[w:la:Avaricum Biturigum|Avaricum]]
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]は[[w:糧秣|糧秣]]を消費し切って、陣営をアウァリクムのさらに近くに移動させた。
*atque ipsum cum equitatu expeditisque, qui inter equites proeliari consuessent,
**さらに彼自身は、[[w:騎兵|騎兵]]隊、および騎兵たちの間で争闘することに習熟していた[[w:軽装歩兵|軽装歩兵]]たちとともに、
*insidiarum<ref>insidiarum はα系写本の記述で、β系写本では insidiandi となっている。</ref> causa eo profectum, quo nostros postero die pabulatum venturos arbitraretur.
**我が方(=ローマ勢)が翌日に糧秣徴発にやって来るだろうと思われるところで待ち伏せするために出発した。
*② Quibus rebus cognitis
**(カエサルは)それらの事を知って、
*media nocte silentio profectus ad hostium castra mane pervenit.
**真夜中の静けさのうちに出発して、敵の陣営のそばへ朝方に到着した。
*③ Illi celeriter per exploratores adventu Caesaris cognito
**あの者たちは、速やかに偵察者たちを通じてカエサルの到来を知って、
*carros impedimentaque sua in artiores silvas abdiderunt,
**自分たちの四輪荷馬車と[[w:輜重|輜重]]をとても深い森の中に隠して、
*copias omnes in loco edito atque aperto instruxerunt.
**軍勢すべてを高くそびえて開けている場所に配置した。
*④ Qua re nuntiata
**その事を報告されて、
*Caesar celeriter sarcinas conferri, arma expediri iussit.
**カエサルは速やかに(兵士たちの)[[w:背嚢|背嚢]]が運び集められること、武器が(すぐ使えるように)整えられることを命じた。
 
===19節===
'''丘の上のガリア勢と沼沢を挟んで対峙する'''
*① Collis erat leviter<ref>leviter はβ系写本やχ・B・M・S写本などの記述で、L・N写本では breviter、最近の写本では leniter などとなっている。</ref> ab infimo acclivis.
**(ガリア勢がいる)丘は低地から緩やかに、上り坂になっていた。
*Hunc ex omnibus fere partibus palus difficilis atque impedita cingebat
**これを、ほぼすべての方角から不便で通りにくい沼地が取り巻いていて、
*non latior pedibus quinquaginta.
**50[[w:ペース (長さ)|ペース]](約15m)より幅広くなかった。
*② Hoc se colle interruptis pontibus Galli fiducia loci continebant
**この丘で、ガリア人たちは橋梁などを破却して、場の確実さによって留まって、
*generatimque distributi in civitates
**(軍勢を)諸部族の種族別に分けて配置させて、
*omnia vada ac saltus eius paludis certis custodiis<ref>certis custodiis 「一定の哨戒兵たちによって」はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> obtinebant,
**すべての浅瀬や、その沼地の隘路を一定の哨戒兵たちによって占領した。
*③ sic animo parati ut, si eam paludem Romani perrumpere conarentur, haesitantes premerent ex loco superiore;
**もしローマ人たちがその沼地を突破しようと試みたならば、ぐずぐずしているところをより高地から圧倒する心積もりであった。
*ut, qui propinquitatem loci videret,
**(ガリア勢がローマ勢に)位置で接近していることを見た者は、
*paratos prope aequo Marte ad dimicandum existimaret,
**(ガリア勢が)ほぼ対等の士気で闘うつもりでいると考えただろう。
*qui iniquitatem condicionis perspiceret,
**(ガリア勢の)条件の不利なことを見通した者は、
*inani simulatione sese ostentare cognosceret.
**(ガリア勢が)空虚な見せかけで自分たちを誇示していることを、理解しただろう。
*④ Indignantes milites Gaesar,
**カエサルは(ガリア勢の誇示に)憤慨している兵士たちを、
*quod conspectum suum hostes perferre<ref>perferre はα系写本の記述で、β系写本では ferre となっている。</ref> possent tantulo spatio interiecto,
**こんなわずかな距離しか介在していないのに、敵たちが自分たちを眺めて(平然と)持ちこたえていられるので、
*et signum proelii exposcentes edocet,
**戦闘の合図を切望している者たちに(以下のように)説いた。
*quanto detrimento et quot virorum fortium morte necesse sit constare victoriam;
**勝利を確実にするのに、どれほどの損害と、どれほど多くの勇敢な兵士たちの死を必要とするかを。
*⑤ quos cum sic animo paratos videat, ut nullum pro sua laude periculum recusent,
**彼ら(兵士たち)が自分たちの賞賛のためにいかなる危険をも辞さない心積もりであると見て取ったので、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:pro sua laude 「自らの賞賛のために」は、「カエサルの賞賛のために」と解することもできる。</span>
**:<span style="color:#009900;">しかし、共和制国家に忠誠を誓っているはずの兵士たちが、カエサル個人のために命を投げ出そうとする記述は、</span>
**:<span style="color:#009900;">野心家カエサルが軍隊を私兵化しようとしている野望をさらけ出すことになり、政敵たちを利することになる。)</span>
*summae se iniquitatis condemnari debere, nisi eorum vitam sua salute habeat cariorem.
**彼ら(兵士たち)の生命を自らの安全より貴重と思わない限り、自分は最高の不公正のため断罪されねばならない。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:すでにサビヌスら多くのローマ市民が戦死しており、ここでさらに多くのローマ市民を死なせることは、</span>
**:<span style="color:#009900;">カエサルから軍隊を取り上げることを主張していた政敵たちから厳しく糾弾されることになったであろう。)</span>
*⑥ Sic milites consolatus eodem die reducit in castra
**(カエサルは)このように兵士たちを鎮めて、同日に陣営の中に連れ戻して、
*reliquaque quae ad oppugnationem pertinebant oppidi<ref>pertinebant oppidi はχ・B・M・S写本の記述で、L・N・β系写本では oppidi pertinebant となっている。</ref> administrare instituit.
**城市(アウァリクム)の攻略に関わっているほかのことに従事することを決めた。
 
===20節===
[[画像:Vercingetorix_stater_n2_CdM_alternate.jpg|thumb|right|250px|[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]の横顔が刻まれたガリアの金貨(パリの[[w:ビブリオテーク・ナショナル|仏国立図書館]]貨幣部蔵)]]
'''ウェルキンゲトリクスが味方に弁明し、捕虜に問い質す'''
*① [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]], cum ad suos redisset, proditionis insimulatus,
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]は、味方のもとに戻ったときに、(以下のような)裏切り行為による罪を着せられた。
*quod castra propius Romanos movisset,
**陣営をローマ人たちのより近くに移動させたこと、
*quod cum omni equitatu discessisset,
**すべての[[w:騎兵|騎兵隊]]とともに(陣営を)離れたこと、
*quod sine imperio tantas copias reliquisset,
**(軍隊の)司令権(を持つ者)なしに、これほどの(多くの)軍勢を置き去りにしたこと、
*quod eius discessu Romani tanta opportunitate et celeritate venissent;
**彼の退去によってローマ人たちがこれほどの好機とこれほどの迅速さでやって来たこと、である。
*② non haec omnia fortuito aut sine consilio accidere potuisse;
**これらのすべてが偶然に、あるいは謀りごとなしに起こることはあり得なかったのだ。
*regnum illum Galliae malle Caesaris concessu quam ipsorum habere beneficio
**彼が(ガリア人たち)自身の厚遇よりもカエサルの許しによって[[w:ガリア|ガリア]]の王権を持つことをより好んだのだ。
**:<span style="color:#009900;"> (訳注:ウェルキンゲトリクスが王位を望むあまり、同盟部族の生命をカエサルに売り渡したということである。)</span>
*③ ─ tali modo accusatus ad haec respondit:
**このような風に非難されて、(ウェルキンゲトリクスは)これらへ答えた。
*Quod castra movisset, factum inopia pabuli etiam ipsis hortantibus;
**陣営を移動させたことは、[[w:糧秣|糧秣]]の欠乏によりなされたのであり、(ガリア人たち)自身が促しさえしたのだ。
*quod propius Romanos accessisset,
**ローマ人たちのより近くに近寄ったことは、
*persuasum loci opportunitate, qui se ipsum munitione defenderet;
**(移動した場所が)それ自体を(沼地という)防御により守るという地の利に納得させられたのだ。
*④ equitum vero operam neque in loco palustri desiderari debuisse
**騎兵の活動はまさに、沼沢の地において望まれるべきものではないし、
*et illic fuisse utilem, quo sint profecti.
**(騎兵が)発って行ったところにとっては有益であったのだ。
*⑤ Summam imperii se consulto nulli discedentem tradidisse,
**(軍隊の)最高司令権は、自らの意図により、立ち去るに当たって、誰にも委託しなかった。
*ne is multitudinis studio ad dimicandum impelleretur;
**その者が大勢の者たちの熱意によって(ローマ人と)闘うことに駆り立てられないように、である。
*cui rei propter animi mollitiem studere omnes videret,
**その事(=闘って決着を付けること)は、心の弱さのために、皆が求めたがっている。
*quod diutius laborem ferre non possent.
**というのは、(兵たちは)より長く(従軍という)労苦に耐えることができないからだ。
**:<span style="color:#009900;"> (訳注:[[w:孫子 (書物)|孫子]]に曰く「兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを<ruby><rb>睹</rb><rp>(</rp><rt>み</rt><rp>)</rp></ruby>ざるなり」<ref>「戦争というものは、拙劣に短期決戦を挑んだ事例は聞くが、巧妙に長期戦を続けた事例は聞かない」の意。長い戦争は人々を消耗させ、疲弊させてしまう。</ref>)</span>
*⑥ Romani si casu intervenerint, Fortunae,
**もしローマ人たちが偶然に現われたのならば、[[w:フォルトゥーナ|運命(の女神)]]に(感謝するべきであり)、
*si alicuius indicio vocati, huic habendam gratiam,
**もし(ローマ人たちが)何者かの申し立てに呼ばれて来たのならば、その者に感謝するべきだ。
*quod et paucitatem eorum ex loco superiore cognoscere et virtutem despicere potuerint,
**というのは、より高い位置から彼らの少なさを知ることも、(ローマ人の)武勇とやらを見下すこともできたのだから。
*qui dimicare non ausi turpiter se in castra receperint.
**彼ら(ローマ人)は闘うことをあえてせずに、見苦しくも陣営に退却したのだ。
*⑦ Imperium se ab<ref>ab はα系写本の記述で、β系写本では a となっている。</ref> Caesare per proditionem nullum desiderare
**自分は、カエサルから裏切りを通じて、どのような支配権も望んではいない。
*quod habere victoria posset,
**(ローマ人に対する)勝利によって得られるものであり、
*quae iam esset sibi atque omnibus Gallis explorata;
**(勝利は)もはや自分とすべてのガリア人にとって確実なものとされているのだ。
*quin etiam ipsis remitteret,
**いやそればかりか、(以下のようであれば、ガリア人たち)自身に(司令官職を)返還しているだろう。
*si sibi magis honorem tribuere, quam ab se salutem accipere videantur.
**もし(ガリア人たちが)自分から安全を受けているよりも、大きな顕職を自分に授けていると思うのならば。
*⑧ "Haec ut intellegatis," inquit, "a me sincere pronuntiari, audite Romanos milites."
**「これらは、諸君らが理解するように、私により誠実に示されたのだ。ローマ人兵士たちに聞いてみなさい」と言った。
*⑨ Producit servos, quos in pabulatione paucis ante diebus exceperat et fame vinculisque excruciaverat.
**数日前に糧秣徴発しているところを(彼が)ひっ捕らえて飢えと鎖で拷問していた奴隷たちを引き出した。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:carones「軍属奴隷」と呼ばれる輜重や陣営を管理する奴隷たちのことであろう。)</span>
*⑩ Hi iam ante edocti quae interrogati pronuntiarent, milites se esse legionarios dicunt;
**彼らは、すでに前もって、(敵から)訊問されたときに語ることを教え込まれており、自分たちは[[w:軍団兵|軍団兵]]であると言った。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:カエサルは奴隷たちが誰に教え込まれたのか明記していない。ウェルキンゲトリクスが教え込んだと</span>
**:<span style="color:#009900;">訳されることもあるが、それでは彼は糾弾されることを知る前から、味方を欺くために、わざわざ行軍中の数日を拷問に費やしたことになる。</span>
**:<span style="color:#009900;">むしろ、自軍が弱っていると敵に思わせる工作は、これまでにローマ軍がたびたび採っていた常套作戦である。</span>
**:<span style="color:#009900;">「すでに前もって」カエサルが、奴隷たちが捕虜になった場合に敵を欺く術を訓練していたとするのが自然であろう。)</span>
*fame et<ref>et はα系写本の記述で、β系写本では atque となっている。</ref> inopia adductos clam ex castris exisse, si quid frumenti aut pecoris in agris reperire possent;
**(奴隷たち曰く)飢えと欠乏に動かされて、何か穀物または家畜が野に見出せないかと、ひそかに陣営から抜け出した。
*simili omnem exercitum inopia premi,
**(ローマ人の)軍隊の皆が同じような欠乏に悩まされて、
*nec iam vires sufficere cuiusquam nec ferre operis laborem posse;
**もはや、どの兵士たちも十分な能力がなく、(城攻めの)作業の労苦に耐えることができない。
*itaque statuisse imperatorem, si nihil in oppugnatione oppidi profecissent<ref>profecissent はS・L・N写本の記述で、β系写本では profecisset、χ系およびB・M写本では proficissent となっている。</ref>, triduo exercitum deducere.
**こうして将軍(カエサル)は、もし城市の攻略において何ら得られないならば、3日間で軍隊を連れ帰ると決めた。
*⑫ "Haec," inquit, "a me," Vercingetorix,
**「これぞ」「私によって」とウェルキンゲトリクスは言った。
*"beneficia habetis, quem proditionis insimulatis;
**「裏切りだと諸君が糾弾している(私という)者のおかげで得ているのだ。
*cuius opera sine vestro sanguine
**その(私という)者の尽力により、諸君らの流血なしに、
*tantum exercitum victorem fame paene<ref>paene はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> consumptum videtis;
**これほどの軍隊の勝利者(ローマ人)を飢えにより、ほとんど滅ぼしたのを諸君は見ているのだ。
*quem turpiter se ex hac<ref>hac はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> fuga recipientem
**彼ら(ローマ人)が見苦しくもこのような逃亡から退却したところを、
*ne qua civitas suis finibus recipiat, a me provisum est."
**どの部族も自らの領土に受け入れないように、私により手配された。」
 
===21節===
'''ウェルキンゲトリクスの誠心とアウァリクムの重要性を確認'''
*① Conclamat omnis multitudo et suo more armis concrepat,
**大勢の者たちすべてが雄叫びを上げて、自分たちの慣習で武器を打ち鳴らした。
*quod facere in eo consuerunt cuius orationem approbant;
**(演説した)その者の雄弁に賛同したら、その者に対してそれをすることが常であったのだ。
*summum esse [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorigem]] ducem,
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]は最高の将帥であり、
*nec de eius fide dubitandum,
**彼の誠心については疑念を抱くべきではなく、
*nec maiore ratione bellum administrari posse.
**これ以上の作戦で戦争を指導することはできない、と(叫んだ)。
*② Statuunt ut X(decem) milia hominum delecta ex omnibus copiis in oppidum mittantur<ref>mittantur はα系写本の記述で、β系写本では submittuntur となっている。</ref>,
**(彼らは)すべての軍勢から選り抜かれた兵員1万を(アウァリクムの)[[w:オッピドゥム|城市]]の中に派遣すると決定した。
*nec solis Biturigibus communem salutem committendam censent,
**(ガリア)共通の安全を[[w:ビトゥリゲス族|ビトゥリゲス族]]だけに委ねるべきではないと考慮した。
*quod paene in eo<ref>paene in eo は中世より新しい写本(ς)の記述で、中世までの写本では penes eos となっている。</ref>, si id oppidum retinuissent,
**というのは、その城市を保持するか否か、ほぼそのことにおいて、
*summam victoriae constare intellegebant.
**勝利の全体を確実にすることを理解したからである。
 
===22節===
[[画像:Falx_bgiu.png|thumb|right|200px|破城鎌([[w:en:Falx|falx]])の想像画(再掲)]]
[[画像:Doura_Europos_tunnel.jpg|thumb|right|200px|ローマ支配下の城砦跡に残る[[w:坑道|坑道]]の例(シリアの[[w:ドゥラ・エウロポス|ドゥラ・エウロポス]]遺跡)。[[w:サーサーン朝|サーサーン朝]]軍が[[w:坑道戦|坑道戦]]のために掘削したと考えられている。]]
[[画像:University_of_Queensland_Pitch_drop_experiment-white_bg.jpg|thumb|right|200px|<ruby><rb>[[w:ピッチ (樹脂)|樹脂]]</rb><rp>(</rp><rt>ピッチ</rt><rp>)</rp></ruby>の滴下実験の様子(豪州[[w:クイーンズランド大学|クイーンズランド大学]])。[[w:木材|木材]]を密閉加熱すると[[w:木炭|木炭]]が得られるが、その残り物から[[w:乾留液#木タール|木タール]]を[[w:蒸留|蒸留]]させた残り<ruby><rb>滓</rb><rp>(</rp><rt>かす</rt><rp>)</rp></ruby>がピッチである。樹木から得られるピッチは、黒色で[[w:粘度|粘っこく]]、高温で燃焼する。中世ヨーロッパでは城砦の防衛に使用され、城壁に近づく敵の上から熱したピッチを注いで焼死させたりしたという([[w:fr:Poix (matière)|fr:poix]])。]]
 
'''アウァリクムの籠城ガリア勢が坑道戦で攻防に努める'''
*① Singulari militum nostrorum virtuti
**我が方(ローマ勢)の兵士の卓越した武勇に、
*consilia cuiusque modi Gallorum occurrebant,
**(敵は)ガリア人のあらゆる流儀の方策で抗戦した。
*ut est summae genus sollertiae
**確かに(ガリア人は)最高に巧みな種族であり、
*atque ad omnia imitanda et efficienda, quae ab quoque traduntur, aptissimum.
**誰によって教示されたものもすべてを模倣すること、創り出すことにとても適しているのだ。
*② Nam et laqueis falces avertebant, quas, cum destinaverant, tormentis introrsus reducebant,
**すなわち、綱で(ローマ勢の)破城鎌をそらし、それを固着させてから、巻揚げ機で(城の)内部に引き込んだのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:破城鎌([[w:en:Falx|falx]])については[[ガリア戦記 第5巻#42節|第5巻42節]]を参照)</span>
*et aggerem cuniculis subtrahebant,
**(ローマ勢の)<ruby><rb>[[w:アッゲル|土塁]]</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby> を[[w:坑道|坑道]]によって陥没させたりもした。
*eo scientius quod apud eos magnae sunt ferrariae atque omne genus cuniculorum notum atque usitatum est.
**彼らのもとには多くの[[w:鉄鉱石|鉄鉱]]山があり、坑道のあらゆる類いが知られていて慣れていただけに、習熟しているのだ。
*③ Totum autem murum ex omni parte turribus contabulaverant atque has coriis intexerant.
**他方、城壁の全体のすべての方向から、櫓を(何層にも)構築して、これらを皮革で覆った。
*④ Tum crebris diurnis nocturnisque eruptionibus
**それから、繰り返し昼間も夜間も出撃して、
*aut aggeri ignem inferebant aut milites occupatos in opere adoriebantur,
**あるいは土塁に火災を引き起こし、あるいは工事に従事している(ローマ人)兵士たちを襲撃したりした。
*et nostrarum turrium altitudinem, quantum has cotidianus agger expresserat,
**我が方(ローマ勢)の[[w:攻城塔|攻城櫓]]の高さを、毎日のようにこれらを土塁が押し出した分だけ、
*⑤ commissis suarum turrium malis adaequabant,
**自分たち(ガリア勢)の櫓を部材を組み立てて(ローマ側の櫓の高さと)等しくしようとした。
*et apertos cuniculos
**(ローマ勢が掘削した)坑道の露出したところを
*praeusta et praeacuta materia et pice fervefacta et maximi ponderis saxis morabantur
**先端を焼いて尖らせた木材や、熱した<ruby><rb>[[w:ピッチ (樹脂)|樹脂]]</rb><rp>(</rp><rt>ピッチ</rt><rp>)</rp></ruby>や、かなりの重さの岩石で、(ローマ勢の掘削を)滞らせたり、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:pix は<ruby><rb>[[w:歴青|瀝青]]</rb><rp>(</rp><rt>れきせい</rt><rp>)</rp></ruby>とも訳されるが、とくに[[w:ピッチ (樹脂)|ピッチ]]を指す<ref>[http://kotobank.jp/word/%E7%80%9D%E9%9D%92 『岩石学辞典』(朝倉書店)の記事]などを参照。[[w:歴青|瀝青]]は石油を精製したものや[[w:炭化水素|炭化水素]]化合物・混合物全般を指すことが多い。</ref>。)</span>
*moenibusque adpropinquare prohibebant.
**(ローマ勢が)周壁に接近することを妨げたりした。
 
===23節===
[[画像:Bibracte_murus_gallicus1.jpg|thumb|right|300px|ガリア式城壁の[[w:ジオラマ|ジオラマ]](仏[[w:ビブラクテ|ビブラクテ]]遺跡のケルト文明博物館)。この構造形式はカエサルの記述から「[[w:ムルス・ガリクス|ムルス・ガリクス]](ガリア壁)」と呼ばれるが、ガリアに限らず、[[w:鉄器時代|鉄器時代]]末期すなわちBC1世紀頃の後期[[w:ラ・テーヌ文化|ラ・テーヌ文化]]が及んだ各地に遺構として残る。木材どうしを緊結するために数百トンもの[[w:鉄|鉄]]の[[w:釘|釘]]を用いているのが大きな特徴で、[[w:鉄#製錬|製鉄]]・[[w:鋳造|鋳造]]技術の発達を示す。]]
[[画像:Keltenmauer.gif|thumb|right|300px|ガリア式城壁の構成図(上が側面、中が上面、下が前面)。木材を水平な井桁状に並べて[[w:釘|釘]]で緊結し、土砂で覆って何層にも重ね、前面には石をはめ込む。井桁状の骨組によって[[w:破城槌|破城槌]]など横からの力(水平荷重)に耐えられるように工夫されている。]]
 
'''ガリア式城壁の構造'''
*① Muri autem omnes Gallici hac fere forma sunt.
**ところで、ガリアの城壁のすべては、ほぼ以下のような形態である。
*Trabes derectae perpetuae in longitudinem paribus intervallis,
**(城壁の)長い間にわたって、木材(梁)を垂直に続けて、等間隔で、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:trabes は木材、とくに梁のような水平材を指していると思われる。)</span>
*distantes inter se binos pedes, in solo conlocantur.
**互いに2[[w:ペース (長さ)|ペース]](約60cm)隔たって、地面に配置される。
*② Hae revinciuntur introrsus et multo aggere vestiuntur;
**これら(木材)は、内側で緊結されて、多くの土砂で覆われる。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:明瞭な説明ではないが、水平材が井桁状に並べられて、釘で固定されたようである。)</span>
*ea autem, quae diximus, intervalla grandibus in fronte saxis effarciuntur.
**さらに、前述した(2ペースの)間隔には、前面に大きな石塊が詰め込まれる。
*③ His conlocatis et coagmentatis alius insuper ordo additur,
**これらが配置されて組み合わされると、上に別の層が付け加えられる。
*ut idem illud intervallum servetur, neque inter se contingant trabes,
**その同じ(2ペースの)間隔は保たれて、かつ木材(梁)が互いに接触しないように。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:上下の層の水平材どうしが接触しないように、互い違いに並べているようである。)</span>
*sed paribus intermissae spatiis singulae singulis saxis interiectis arte contineantur.
**けれども、等間隔で間をあけられたそれぞれ(の木材)は、それぞれ石塊を間に置かれて、緊密に連結される。
*④ Sic deinceps omne opus contexitur, dum iusta muri altitudo expleatur.
**このように、城壁の高さが十分に満たされるまで、続けて工作物すべてが埋められる。
*⑤ Hoc cum in speciem varietatemque opus deforme non est alternis trabibus ac saxis,
**これは、工作物が交互の木材と石塊によって、外観の多様さにおいて不格好ではなく、
*quae rectis lineis suos ordines servant,
**それら(木材と石塊)が真っ直ぐな列でその層を保っているのであるが、
*tum ad utilitatem et defensionem urbium summam habet opportunitatem,
**同様に、都市の防御の有益性のためにも、きわめて好都合となっている。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:cum ~ tum …「~と同様に…」の構文)</span>
*quod et ab incendio [[w:la:Lapis|lapis]] et ab ariete materia defendit,
**というのは、石が火災から、材木が[[w:破城槌|破城槌]]から、防護しており、
*quae perpetuis trabibus pedes quadragenos plerumque introrsus revincta
**それらは、たいてい40ペース(約12m)の続く木材(梁)によって内部で緊結されており、
*neque perrumpi neque distrahi potest.
**突破されることも、引きはがされることもできないのである。
 
===24節===
[[画像:Avaricum_westpoint_july_2006.jpg|thumb|right|300px|[[w:アウァリクム包囲戦|アウァリクム攻略戦]]の[[w:ジオラマ|ジオラマ]]([[w:陸軍士官学校 (アメリカ合衆国)|米国陸軍士官学校]]博物館)。ローマ軍の<ruby><rb>[[w:アッゲル|土塁]]</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>は、城壁(奥)の手前に材木と土砂を積み重ねた構築物が築き上げられ、左右の土手道をそれぞれ4層の[[w:攻城塔|攻城櫓]]が城壁に迫る。土塁の周辺には<ruby><rb>[[w:ウィネア|工作小屋]]</rb><rp>(</rp><rt>ウィネア</rt><rp>)</rp></ruby>(vinea)を多数つないだ通路(坑道)が延びている。手前には2台の<ruby><rb>投射機</rb><rp>(</rp><rt>スコルピオ</rt><rp>)</rp></ruby>が見える。]]
 
'''ローマ勢が徹夜の土塁工事、籠城ガリア勢の攻勢'''
*① His tot rebus impedita oppugnatione milites,
**これら多くの事情により攻略が妨げられて、兵士たちは、
*cum toto tempore luto<ref>luto はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> frigore et adsiduis imbribus tardarentur<ref>tardarentur はχ・β系写本の記述で、B・M・S写本では traderentur、L・N写本では terrerentur などとなっている。</ref>,
**常時、泥土、寒さと絶え間ない雨によって遅らせられていたが、
*tamen continenti labore omnia haec superaverunt
**しかしながら、持続する労役によってこれらすべてに打ち克って、
*et diebus XXV(quinque et viginti)
**25日間で、
*[[w:la:Agger|aggerem]] latum pedes CCCXXX(trecenti triginta), altum pedes LXXX(octoginta) exstruxerunt.
**幅330[[w:ペース (長さ)|ペース]](約98m)、高さ80ペース(約24m)の<ruby><rb>[[w:アッゲル|土塁]]</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>を築き上げた。
*② Cum is murum hostium paene contingeret,
**それが敵の城壁にほとんど接しようとしたとき、
*et Caesar ad opus consuetudine excubaret
**かつ、カエサルが習慣により作業のそばで寝ずにいて、
*militesque hortaretur, ne quod omnino tempus ab opere intermitteretur,
**いかなる時にも作業がまったく中断されないように、兵士たちを励ましていたときに、
*paulo ante tertiam vigiliam est animadversum fumare aggerem,
**第三夜警時の少し前に、土塁に煙が上がっていることが気付かれた。
*quem cuniculo hostes succenderant,
**(その煙は)[[w:坑道|坑道]]によって敵たちが焼き打ちしたものである。
*③ eodemque tempore toto muro clamore sublato
**同じ時に(アウァリクムの)城壁全体で雄叫びが上がって、
*duabus portis ab utroque latere turrium eruptio fiebat.
**二つの城門より、(ローマ勢の)[[w:攻城塔|攻城櫓]]の両方の側面から(ガリア勢による)突撃がなされた。
*④ Alii faces atque aridam materiem<ref>materiem はα系写本の記述で、β系写本では materiam となっている。</ref> de muro in aggerem eminus iaciebant,
**他の者たちは、<ruby><rb>[[w:たいまつ|松明]]</rb><rp>(</rp><rt>たいまつ</rt><rp>)</rp></ruby>および乾いた材木を、城壁から土塁に、遠くから投げ込んで、
*picem reliquasque res, quibus ignis excitari potest, fundebant,
**<ruby><rb>[[w:ピッチ (樹脂)|樹脂]]</rb><rp>(</rp><rt>ピッチ</rt><rp>)</rp></ruby>や、火を燃え立たせられるほかのもの(=可燃物)を注ぎ込んだ。
*ut, quo primum curreretur<ref>curreretur はα系写本の記述で、β系写本では occurreretur となっている。</ref> aut cui rei ferretur auxilium,
**それで、まずどこに駆け付けるのか、あるいはどの事態に支援がなされるのか、
*vix ratio iniri posset.
**(ローマ兵には)ほとんど分別され得なかった。
*⑤ Tamen, quod instituto Caesaris semper duae<ref>semper duae はα系写本の記述で、β系写本では duae semper となっている。</ref> legiones pro castris excubabant
**しかしながら、カエサルの定めにより常に2個[[w:ローマ軍団|軍団]]が陣営の前に寝ずの番をしていたので、
*pluresque partitis temporibus erant in opere,
**かつ、より多くの者たちが時間を割り当てられて作業していたので、
*celeriter factum est,
**(防戦は)速やかになされた。
*ut alii eruptionibus resisterent,
**ある者は(ガリア勢の)突撃に抵抗し、
*alii turres reducerent aggeremque interscinderent,
**ある者は[[w:攻城塔|攻城櫓]]を引き戻し、土塁を(城壁側から)切り離した。
*omnis vero ex castris multitudo ad restinguendum concurreret.
**さらに陣営から大勢の皆で消火するために急ぎ集まった。
 
===25節===
'''籠城ガリア勢が必死の防戦'''
*① Cum in omnibus locis consumpta iam reliqua parte noctis pugnaretur,
**すでに夜の残りの部分が費やされても、あらゆる場所において戦われていたとき、
*semperque hostibus spes victoriae redintegraretur,
**かつ、敵たちは常に勝利の希望を新たにして、
*eo magis, quod deustos pluteos turrium videbant nec facile adire apertos ad auxiliandum animadvertebant,
**[[w:攻城塔|攻城櫓]]の障壁が焼かれたのを見て、露出した者たちが救援のために容易に近づけないのに気付いたのでなおさらだったが、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:eo ~, quod …「…であればあるほど、ますます~」)</span>
*semperque ipsi recentes defessis succederent
**常に彼ら自身は新たな者たちが疲れ果てた者たちに交代しており、
*omnemque Galliae salutem in illo vestigio temporis positam arbitrarentur,
**ガリアのすべての安全が、その瞬間に置かれていると思われていたときに、
*accidit inspectantibus nobis, quod dignum memoria visum praetereundum non existimavimus.
**我が方(ローマ勢)の見ているところで起こった、記録に値すると思われることを顧みずにおくべきではないと考えた。
 
[[画像:048_Conrad_Cichorius,_Die_Reliefs_der_Traianssäule,_Tafel_XLVIII_(Ausschnitt 01).jpg|thumb|right|250px|<ruby><rb>[[w:スコルピオ|投射機]]</rb><rp>(</rp><rt>スコルピオ</rt><rp>)</rp></ruby>を操作する[[w:ダキア人|ダキア人]]の彫刻([[w:トラヤヌスの記念柱|トラヤヌス帝の記念柱]]に刻まれた[[w:レリーフ|レリーフ]])]]
[[画像:Balliste_fireing.jpg|thumb|right|250px|<ruby><rb>[[w:スコルピオ|投射機]]</rb><rp>(</rp><rt>スコルピオ</rt><rp>)</rp></ruby>([[w:en:Scorpio (dart-thrower)|Scorpio]])の現代における復元]]
 
*② Quidam ante portam oppidi Gallus, qui<ref>qui はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref>
**城市のその門の前に、(1人の)ガリア人が、
*per manus sebi ac picis traditas glebas in ignem e regione turris proiciebat,
**手づてに渡された獣脂や<ruby><rb>[[w:ピッチ (樹脂)|樹脂]]</rb><rp>(</rp><rt>ピッチ</rt><rp>)</rp></ruby>の塊を、攻城櫓に向けて、火炎の中に投げ込んだが、
*scorpione ab latere dextro traiectus exanimatusque concidit.
**<ruby><rb>[[w:スコルピオ|投射機]]</rb><rp>(</rp><rt>スコルピオ</rt><rp>)</rp></ruby>で右の横腹を射られて、息絶えて倒れた。
*③ Hunc ex proximis unus iacentem transgressus eodem illo munere fungebatur.
**彼が倒れているのを、すぐ近くの者たちのうちの1人が乗り越えて、その同じ任務を果たした。
*④ Eadem ratione ictu scorpionis exanimato alteri successit tertius et tertio quartus,
**同じやり方で投射機の射撃で息絶えさせられた第2の者に第3の者が交代し、第3の者に第4の者が代わった。
*nec prius ille est a propugnatoribus vacuus relictus locus
**その場は、防戦者たちによって空にしておかれなかった。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:nec prius ~ quam …「…までは~でない」)</span>
*quam restincto aggere atque omni ex parte submotis hostibus finis est pugnandi factus.
**<ruby><rb>[[w:アッゲル|土塁]]</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>が鎮火されて、そのすべての方面で敵たちが撃退されて、戦いに決着が付けられるまでは。
 
===26節===
'''アウァリクム脱出の企て、女たちの絶叫'''
*① Omnia experti Galli, quod res nulla successerat,
**ガリア人たちはあらゆることを企てたが、何ら事が成功しなかったので、
*postero die consilium ceperunt ex oppido profugere,
**(戦いの夜が明けて)翌日には、(アウァリクムの)城市から退避する計画を立てた。
*hortante et iubente [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorige]].
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]によって促され、命じられたものであった。
*② Id silentio noctis conati non magna iactura suorum sese effecturos sperabant,
**それを夜の静けさのうちに試みても、味方に大きな犠牲もなく、自分たちは成し遂げるだろうと期待した。
*propterea quod neque longe ab oppido castra Vercingetorigis aberant,
**それというのも、(アウァリクムの)城市からウェルキンゲトリクスの陣営はあまり離れていなかったし、
*et palus, quae perpetua<ref>, quae perpetua はα系写本の記述で、β系写本では perpetua, quae となっている。</ref> intercedebat, Romanos ad insequendum tardabat.
**沼地も絶え間なく介在していて、ローマ人たちの追跡を遅らせた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:neque ~ et …「~ではなく、…である」)</span>
*③ Iamque hoc<ref>hoc と校訂されているが、たいていの写本ωでは haec となっている。</ref> facere noctu apparabant,
**すでに、これを実行することを夜間に準備していた。
*cum matres familiae repente in publicum procurrerunt
**そのときに家庭の母親たちが不意に公の場に走り出て来て、
*flentesque proiectae ad pedes suorum omnibus precibus petierunt,
**泣きながら、身内のものたちの足元に(身を)投げ出して、あらゆる懇願でもって頼んだ。
*ne se et communes liberos hostibus ad supplicium dederent,
**自分たちと(身内に)共通の子供たちを敵に処刑されることのために引き渡さないで。
*quos<ref>quos はα系写本の記述で、β系写本では quas となっている。</ref> ad capiendam fugam naturae et virium infirmitas impediret.
**それらの者たちが逃げるためには、性質や体力の弱さが、妨げるのだ。
*④ Ubi eos in sententia perstare viderunt,
**彼ら(男たちが)意向に固執していると(女たちは)見て取ったときに、
*quod plerumque in summo periculo timor misericordiam non recipit,
**というのは、たいていは最高の危険においては、怖れが同情を受け入れないものであるが、
*conclamare et significare de fuga Romanis coeperunt.
**(女たちは)叫び声を上げて、ローマ人たちに(男たちの)逃亡について知らしめ始めた。
*⑤ Quo timore perterriti Galli,
**それによって、怖れに脅かされたガリア人たちは、
*ne ab equitatu Romanorum viae praeoccuparentur, consilio destiterunt.
**ローマ人の[[w:騎兵|騎兵隊]]によって道を先取されないように、計画を取り止めた。
 
===27節===
'''ローマ軍が大雨の中で城壁を占拠'''
*① Postero die Caesar promota turri perfectisque operibus, quae facere instituerat,
**翌日にカエサルは、(後退していた)[[w:攻城塔|攻城櫓]](の1基)が前進させられて、実施を定めていた作業が成し遂げられると、
*magno coorto imbre<ref>imbre はα系写本の記述だが、β系写本では imbri となっている。</ref> non inutilem hanc ad capiendum consilium tempestatem arbitratus est,<ref>arbitratus est, はα系写本の記述だが、β系写本では arbitratus, となっている。</ref>
**大雨が急に起こったが、作戦計画を立てるために、この天候は不利ではないと思われた。
*quod paulo incautius custodias in muro dispositas videbat,
**というのは、(アウァリクムの)城壁に配備された守備兵たちが少しより油断していると見ていたのだ。
*suosque<ref>suosque はα系写本の記述だが、β系写本では suos quoque となっている。</ref> languidius in opere versari iussit et quid fieri vellet ostendit.
**配下の者たちには緩慢に作業に従事することを命じて、何がなされることを欲しているかを示した。
 
[[画像:Avaricum_westpoint_july_2006.jpg|thumb|right|300px|[[w:アウァリクム包囲戦|アウァリクム攻略戦]]の[[w:ジオラマ|ジオラマ]](再掲;[[w:陸軍士官学校 (アメリカ合衆国)|米国陸軍士官学校]]博物館)。ローマ軍の<ruby><rb>[[w:アッゲル|土塁]]</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>の周辺には、<ruby><rb>[[w:ウィネア|工作小屋]]</rb><rp>(</rp><rt>ウィネア</rt><rp>)</rp></ruby>(vinea)の両端を開いて多数つないだ廊下状の通路(坑道)が延びている。]]
 
*② Legionibusque intra vineas in occulto expeditis,
**[[w:ローマ軍団|諸軍団]]が<ruby><rb>[[w:ウィネア|工作小屋]]</rb><rp>(</rp><rt>ウィネア</rt><rp>)</rp></ruby>の内側でひそかに戦備を整えており、
*cohortatus ut aliquando pro tantis laboribus fructum victoriae perciperent,
**やっと、これほどの労苦の見合う勝利の報酬を我がものとするように激励した。
*iis qui primi murum ascendissent, praemia proposuit militibusque signum dedit.
**一番乗りとして城壁に登った者たちには、恩賞を約束して、兵士たちに号令を発した。
*Illi subito ex omnibus partibus evolaverunt murumque celeriter compleverunt.
**彼ら(ローマ軍団兵)は不意にあらゆる方面から飛び出して、速やかに城壁を満たしたのだ。
 
===28節===
'''ローマ軍がアウァリクムの市民4万人を大虐殺'''
*① Hostes re nova perterriti, muro turribusque deiecti
**敵たち(籠城ガリア勢)は新たな事態に脅かされて、(ローマ兵によって)城壁や櫓から追いやられて、
*in foro ac locis patentioribus cuneatim constiterunt
**<ruby><rb>広場</rb><rp>(</rp><rt>フォルム</rt><rp>)</rp></ruby>や開けた場所に楔状に留まった。
*hoc animo, ut, si qua ex parte obviam contra veniretur, acie instructa depugnarent.
**もし、どの方向から相対して対抗して来られても、戦列を整えて決戦しようという心積もりでいたのだ。
*② Ubi neminem in aequum locum sese demittere, sed toto undique muro circumfundi viderunt,
**(ローマ兵が)誰も平らな所に降りて来ず、しかし城壁全体の至る所で取り囲まれたことを見たときに、
*veriti, ne omnino spes fugae tolleretur,
**(籠城ガリア勢は)逃亡のあらゆる希望を奪われないかと怖れて、
*abiectis armis ultimas oppidi partes continenti impetu petiverunt,
**武器を投げ捨てて、城市の(ローマ勢から)最も遠くの方面を絶え間ない殺到によって求めた。
*③ parsque ibi, cum angusto exitu portarum se ipsi premerent, a militibus,
**ある一部の者たちはそこで、城門の狭い出口で自分たちで押し合っていたので、(軍団の)兵士たちによって(殺され)、
*pars iam egressa portis ab equitibus est interfecta.
**別の一部の者たちはすでに城門を出ていたが、(ローマ側の)[[w:騎兵|騎兵]]たちによって虐殺された。
*④ Nec fuit quisquam, qui praedae studeret.
**(ローマ勢には)略奪品を熱心に求める何者もいなかった。
*Sic et Cenabi<ref>Cenabi は、α系写本では Genabi 、T・V写本では Cenabensi などとなっている。</ref> caede et labore operis incitati
**このように、ケナブムの(ローマ市民の)殺害にも、(攻城)作業の労苦にも煽られて
**:<span style="color:#009900;">(訳注:カルヌテス族によるローマ市民の殺害については[[#3節|3節]]を参照。)</span>
*non aetate confectis, non mulieribus, non infantibus pepercerunt.
**(ローマ勢は)年老いた者たちにも、妻女たちにも、幼児たちにも(虐殺することを)思いとどまらなかった。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ビトゥリゲス族はローマ市民の殺害には関与しておらず、報復される対象とするのは的外れである。</span>
**:<span style="color:#009900;">ましてや非戦闘員である老人・女性・子供たちまで殺戮するのは、戦争の狂気というしかない。)</span>
*⑤ Denique ex omni eo<ref>eo はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> numero, qui fuit circiter milium XL(quadraginta),
**ついには、約40000名もいたすべての人員のうち、
*vix DCCC(octingenti), qui primo clamore audito se ex oppido eiecerunt<ref>eiecerunt はα系写本の記述で、β系写本では eiecerant となっている。</ref>,
**やっと800名が、はじめにどよめきを聞いて、城市から急ぎ出ていたので、
*incolumes ad [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorigem]] pervenerunt.
**無傷のままで[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]のところへ到着した。
*⑥ Quos ille multa iam nocte silentio<ref>silentio はα系写本の記述で、β系写本にはない。</ref> sic<ref>sic はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> ex fuga excepit,
**その者たちを彼は、すでに夜も更けた静けさのうちに、逃亡から迎え入れた。
*veritus ne qua in castris ex eorum concursu et misericordia vulgi seditio oreretur<ref>oreretur は一部の写本の記述で、ほかの写本では oriretur となっている。</ref>,
**彼らの駆け込みや兵たちの同情から、陣営の中で何らかの騒動が生じないように怖れて、
*ut procul in via dispositis familiaribus suis principibusque civitatum
**(陣営の)遠くから途中で、自らの郎党たちや部族の領袖たちを配備して、
*disparandos deducendosque ad suos curaret,
**(敗走者たちを)味方のところへ分けて連れて行くようにさせた。
*quae cuique civitati pars castrorum ab initio obvenerat.
**陣営の各部分は、おのおのの部族にはじめから与えられていたのだ。
 
===29節===
[[画像:Vercingetorix stater CdM.jpg|thumb|right|250px|[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]の横顔が刻まれたガリアの金貨(パリの[[w:ビブリオテーク・ナショナル|仏国立図書館]]貨幣部蔵)]]
'''ウェルキンゲトリクスが演説で味方を鼓舞する'''
*① Postero die concilio convocato consolatus cohortatusque est,
**(ウェルキンゲトリクスは)翌日に会合を召集して、(味方の者たちを)慰めて激励した。
*ne se admodum animo demitterent,
**あまり気を落とさないように、
*ne<ref>ne はα系写本の記述で、β系写本では neve となっている。</ref> perturbarentur incommodo.
**敗北により取り乱さないように、と。
*② Non virtute neque in acie vicisse Romanos,
**ローマ人たちが勝ったのは、武勇においてでも、(野戦の)戦場においてでもなく、
*sed artificio quodam et scientia oppugnationis,
**ある種の技巧および攻城戦の知識によるものであって、
*cuius rei fuerint ipsi imperiti.
**その事柄に(ガリア勢)自身は通じていなかったのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[ガリア戦記 第5巻#42節|第5巻42節]]では、ネルウィイ族らガリア北部のベルガエ勢はローマ人の攻城術をまねていた。)</span>
*③ Errare, si qui in bello omnes secundos rerum proventus exspectent.
**戦争においては、誰であれ万事、順調な成功を期待するのならば、誤りである。
*④ Sibi numquam placuisse Avaricum defendi,
**自分にとっては、アウァリクムが防衛されることは決して気に入らなかった。
*cuius rei testes ipsos haberet;
**その事情の証人は(諸君ら)自身である。
*sed factum imprudentia Biturigum et nimia obsequentia reliquorum, uti hoc incommodum acciperetur.
**だが、[[w:ビトゥリゲス族|ビトゥリゲス族]]の軽率さとほかの者たちが過度に意のままに従ったことにより、この敗北を蒙るようになったのだ。
*⑤ Id tamen se celeriter maioribus commodis sanaturum.
**しかしながら、それを自分が速やかに大いなる勝利によって埋め合わせよう。
*⑥ Nam quae ab reliquis Gallis civitates dissentirent,
**一方、(ウェルキンゲトリクスら)ほかのガリア人たちとは意見を相異する諸部族、
*has sua diligentia adiuncturum atque unum consilium totius Galliae effecturum,
**彼らを自分の入念さにより加盟させるだろうし、全ガリアの計画を一つにするだろう。
*cuius consensui ne orbis quidem terrarum possit obsistere;
**その協定には、全世界でさえ邪魔することはできない。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ne ~ quidem「~さえない」;orbis terrarum「全世界」)</span>
*idque se prope iam effectum habere.
**それを自分は、ほとんどすでに成し遂げたと思う。
*⑦ Interea aequum esse ab iis communis salutis causa impetrari,
**その間に(ガリア)共通の安全のために、彼ら(ガリア人たち)により(以下のように)遂げられることが好都合である。
*ut castra munire instituerent,
**陣営を防御することを実施するように、
*quo facilius repentinos hostium impetus sustinerent<ref>sustinerent はα系写本の記述で、β系写本では sustinere possent となっている。</ref>.
**それにより、敵たち(ローマ人)の予期せぬ襲撃により容易に持ちこたえられるように。
 
===30節===
'''ガリア勢がウェルキンゲトリクスに心服し、希望を抱く'''
*① Fuit haec oratio non ingrata Gallis,
**この演説は、ガリア人たちには満更不快でもなかった。
*et maxime, quod ipse animo non defecerat tanto accepto incommodo
**というのは、とりわけ(ウェルキンゲトリクス)自身がこれほどの敗北を蒙っても気を落とさず、
*neque se<ref>se は写本にない記述だが、後の刊本で挿入された。</ref> in occultum abdiderat et conspectum multitudinis fugerat,
**秘密の場所に隠れたり、大勢の見ているところを逃れることがなかったからである。
*② plusque animo providere et praesentire existimabatur,
**(ウェルキンゲトリクスは)より多くのことを心に予見したり予感していると考えられた。
*quod re integra primo incendendum Avaricum, post deserendum censuerat.
**というのは、事態が定まらないのに、始めはアウァリクムを焼かれるべきと、後には放棄するべきと考慮していたからだ。
*③ Itaque ut reliquorum imperatorum res adversae auctoritatem minuunt,
**こうして、ほかの将軍なら逆境が(彼の)影響力を減ずるのに、
*sic huius ex contrario dignitas incommodo accepto in dies augebatur.
**反対に彼の威厳は、敗北を蒙っても、日々において増されたのだ。
*④ Simul in spem veniebant eius adfirmatione de reliquis adiungendis civitatibus;
**同時に、彼の断言によって(彼らは)ほかの諸部族を加盟させることについて希望を抱いた。
*primumque eo tempore Galli castra munire instituerunt,
**そのときに初めて、ガリア人たちは陣営を防御することを実施した。
*et sic sunt<ref>写本(ω)では sunt という記述だが、erant と修正する校訂版もある。</ref> animo consternati<ref>写本(ω)では consternati という記述だが、現代の校訂版では confirmati と修正されている。</ref>, homines insueti laboris,
**(陣営の防御という)努力に慣れていない人々が気持ちを駆り立てられた。
*ut omnia quae imperarentur sibi patienda et perferenda<ref>et perferenda はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> existimarent.
**自分たちにとって、命令されたことすべてを耐えるべきであり、成就するべきであると考えたほどであった。
 
===31節===
'''ウェルキンゲトリクスがほかの諸部族を勧誘し、兵力を補充する'''
*① Nec minus quam est pollicitus [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] animo laborabat, ut reliquas civitates adiungeret,
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]は、約束したことに劣らず、ほかの諸部族を加盟させるように心から努力した。
*atque earum principes donis pollicitationibusque<ref>earum principes donis pollicitationibusque はβ系写本の記述で、α系写本では eas donis pollicitationibus となっている。</ref> adliciebat.
**その領袖たちに贈物を約束して、誘い込もうとした。
*② Huic rei idoneos homines deligebat,
**この事に適切な人物たちを(ウェルキンゲトリクスは)選び出して、
*quorum quisque aut oratione subdola aut amicitia facillime capere<ref>capere はχ・L写本の記述で、β系写本では capi となっている。</ref> posset.
**その者たちのおのおのは、巧妙な演説により、あるいは友情により、かなり容易に(同盟者を)得ることができた。
*③ Qui [[w:la:Avaricum Biturigum|Avarico]] expugnato refugerant, armandos vestiendosque curat;
**(ウェルキンゲトリクスは)[[w:アウァリクム|アウァリクム]]が攻略されて逃げて来た者たちに、武装させ、服を着るようにさせた。
*④ simul, ut deminutae copiae redintegrarentur,
**同時に、減り衰えた軍勢が補完されるように、
*imperat certum numerum militum civitatibus, quem et quam ante diem in castra adduci velit,
**諸部族に、兵の一定の数をどれほど、かつ、どの日の前までに陣営に連れて来ることを欲するかを命令し、
*sagittariosque omnes, quorum erat permagnus numerus in Gallia<ref>numerus in Gallia はα系写本の記述で、β系写本では in Gallia numerus となっている。</ref>, conquiri et ad se mitti iubet.
**ガリアにかなり多数がいた弓兵のすべてを、徴集して自分のところへ派遣することを命じた。
*His rebus celeriter id, quod Avarici deperierat, expletur.
**これらの事により、速やかに、アウァリクムで壊滅していたそれ(らの軍勢)が補充された。
*⑤ Interim Teutomatus, Olloviconis filius, rex Nitiobrogum,
**その間に、オッロウィコの息子で、ニティオブロゲス族の王であるテウトマトゥスが、
*cuius pater ab senatu nostro amicus erat appellatus,
**その父(オッロウィコ)は、我が方(ローマ)の[[w:元老院 (ローマ)|元老院]]から友人と呼ばれていたのだが、
*cum magno equitum suorum numero et quos ex Aquitania conduxerat ad eum pervenit.
**自らの騎兵の多数および[[w:アクィタニア|アクィタニア]]から募っていた者たちとともに、彼(ウェルキンゲトリクス)のところへ到着した。
 
==ゲルゴウィア攻略戦、ハエドゥイ族の離反==
===32節===
'''ハエドゥイ族内紛の危機'''
*① Caesar [[w:la:Avaricum Biturigum|Avarici]] complures dies commoratus
**カエサルは、[[w:アウァリクム|アウァリクム]]に幾日も留まって、
*summamque ibi copiam frumenti et reliqui commeatus nactus
**そこでかなり多量の糧食やほかの必需品を手に入れて、
*exercitum ex labore atque inopia refecit.
**軍隊を労苦や欠乏から回復させた。
*② Iam prope hieme confecta,
**すでに、ほぼ冬は過ぎ去り、
*cum ipso anni tempore ad gerendum bellum vocaretur et ad hostem proficisci constituisset,
**(カエサルが)まさにその時季に戦争を遂行することに呼び寄せられて、敵の方へ発つことを決意していたときに、
*sive eum ex paludibus silvisque elicere sive obsidione premere posset,
**あるいは(敵を)沼地や森林から誘い出せるか、あるいは包囲により圧倒することができるか、というときに、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:sive ~ sive …「あるいは~、あるいは…」)</span>
*legati ad eum principes [[w:la:Haedui|Haeduorum]] veniunt oratum,
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]の領袖たちが使節として彼(カエサル)のところへ頼みにやって来た。
*ut maxime necessario tempore civitati subveniat;
**きわめて緊急の時に、部族を助けてくれるように、と。
*③ Summo esse in periculo rem,
**事態は最大の危機にある。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:以下は、ハエドゥイ族の救援要請(間接話法)である。)</span>
*quod, cum singuli magistratus antiquitus creari atque regiam potestatem annum<ref>annum はα系写本の記述で、β系写本では annuam となっている。</ref> obtinere consuessent,
**というのは、昔から一人ずつの統領が選出されて、一年ごとに支配権力に就くことが常であったのに、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[ガリア戦記 第1巻#16節|第1巻16節]]によれば、ウェルゴブレトゥス Vergobretus という最高官職が毎年選ばれて大権を司る。)</span>
*duo magistratum gerant et se uterque eorum legibus creatum esse<ref>creatum esse はα系写本の記述で、β系写本では creatum となっている。</ref> dicat.
**2名が統領を司り、彼らの双方ともに自分は法により(=合法的に)選出されたのであると言っているのだ。
*④ Horum esse alterum Convictolitavem, florentem et inlustrem adulescentem,
**彼らの一方は、[[w:コンウィクトリタウィス|コンウィクトリタウィス]]で、声望があり、秀でた青年である。
*alterum Cotum, antiquissima familia natum
**他方は、[[w:コトゥス|コトゥス]]で、とても古くからの家系に生まれて、
*atque ipsum hominem summae potentiae et magnae cognationis,
**自身も最大勢力と多くの縁戚関係をもつ人物であり、
*cuius frater Valetiacus proximo anno eundem magistratum gesserit.
**その兄弟[[w:ウァレティアクス|ウァレティアクス]]は前年に同じ統領を司っていたのである。
*Civitatem esse omnem in armis;
**部族は皆が武装している。
*divisum senatum, divisum populum, suas<ref>suas は中世までの写本(ω)で、近世の写本(ς)では in suas となっている。</ref> cuiusque eorum clientelas.
**評議会も分裂し、民衆も分裂し、彼ら(2名)の(それぞれの)庇護民となっている。
*Quodsi diutius alatur controversia, fore uti pars cum parte civitatis confligat;
**もしこれ以上、紛争が進められれば、部族の派閥と派閥が激突することになるであろう。
*Id ne accidat, positum in eius diligentia atque auctoritate.
**それが起こらないかは、彼(カエサル)の入念さと影響力にかかっている。
 
===33節===
'''カエサルがハエドゥイ族の権力をコンウィクトリタウィスに与える'''
*① Caesar, etsi a bello atque hoste discedere detrimentosum esse existimabat,
**カエサルは、戦争および敵から離れることが非常に不利であると考えていたのではあるが、
*tamen non ignorans, quanta ex dissensionibus incommoda oriri consuessent,
**しかしながら、不和からどれほどの災厄が生じることが常であるか、知らないではなかったし、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:etsi ~, tamen …「~ではあるが、しかしながら…」)</span>
*ne tanta et tam coniuncta populo Romano civitas,
**これほど大きく、これほどローマ人民と協同している(ハエドゥイの)部族が、
*quam ipse semper aluisset omnibusque rebus ornasset,
**彼らのことを(カエサル)自身は常に助成して、かつあらゆる事柄で敬意を表していたのだが、
*ad vim atque arma descenderet,
**(彼らが内紛という)暴力や戦乱に沈み込まないように、
*atque ea pars, quae minus sibi confideret, auxilia a [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorige]] arcesseret,
**かつ、自分たちが劣勢だと確信している(ハエドゥイの)一派が[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]の支援を招かないように、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ne ~ civitas, ~ descenderet, ~ arcesseret「~部族が、~沈まないように、~招かないように」)</span>
 
[[画像:FR-58-Decize29.JPG|thumb|right|250px|デケティア([[w:la:Decetia|Decetia]])すなわち現在のドスィーズ([[w:fr:Decize|Decize]])の景観。[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]の版図であった[[w:ニエーヴル県|ニエーヴル県]]の南部にあり、リゲル川(現[[w:ロワール川|ロワール川]])のほとりに位置している。]]
 
*huic rei praevertendum existimavit et,
**この事態を(戦争よりも)優先されるべきと考えた。
*② quod legibus [[w:la:Haedui|Haeduorum]] iis, qui summum magistratum obtinerent, excedere ex finibus non liceret,
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]の法により、最高の官職に就いている者は領土から出て行くことを許されないので、
*ne quid de iure aut de legibus eorum deminuisse videretur,
**(カエサルが)彼らの法令あるいは法制について何ら軽視したとは思われないように、
*ipse in Haeduos proficisci statuit
**自身がハエドゥイ族のところに出発することを決心した。
*senatumque omnem et quos inter controversia esset ad se [[w:la:Decetia|Decetiam]] evocavit.
**かつ、評議会の全員、および紛争が介在しているところの者たちをデケティアの自分のところへ呼び出した。
 
*③ Cum prope omnis civitas eo convenisset, docereturque
**部族のほぼすべての(主だった)者たちがそこに集まったときに、(以下のことが)報知された。
*paucis clam convocatis alio loco, alio tempore atque oportuerit, fratrem a fratre renuntiatum,
**わずかな者が密かに、あるべきはずとは別の場所、別の時に呼び集められて、兄により弟(の就位)が告げられたというのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:前年に統領であった兄ウァレティアクスによって弟コトゥスの統領への就位が告げられたということであろう。)</span>
*cum leges duo<ref>duo はχ・B・M・S・β系写本の記述で、L・N写本では duos となっている。</ref> ex una familia vivo utroque non solum magistratus creari vetarent, sed etiam in senatu esse prohiberent,
**法は、一つの家族から2名が双方とも存命中に、統領に選出されるのを禁じるだけでなく、評議会にいることも禁止しているのに。
*Cotum imperium deponere coegit,
**(カエサルは)[[w:コトゥス|コトゥス]]に支配権を放棄することを強要した。
*Convictolitavem, qui per sacerdotes more civitatis intermissis magistratibus esset creatus,
**[[w:コンウィクトリタウィス|コンウィクトリタウィス]]は、統領が空位になったときに、部族の規則により、祭司を通じて選出されたので、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ここでいう祭司 sacerdos が[[ガリア戦記 第6巻#13節|第6巻13節]]以下で説明された[[w:ドルイド|ドルイド]]と同じか否かは不詳である。)</span>
*potestatem obtinere iussit.
**(カエサルは彼に)権力の座に就くことを命じた。
 
===34節===
'''ハエドゥイ族を動員し、ローマ軍をカエサルとラビエヌスの二隊に分散'''
*① Hoc decreto interposito cohortatus [[w:la:Haedui|Haeduos]], ut
**この決定により仲裁して、(カエサルは)[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]に以下のように励ました。
*controversiarum ac dissensionis obliviscerentur
**(部族内部の)紛争や不和を忘れるように、
*atque omnibus omissis his rebus huic bello servirent
**かつ、これらすべての事情を度外視して、この(ウェルキンゲトリクスとの)戦争に尽くすように、
*eaque, quae meruissent, praemia ab se devicta Gallia exspectarent
**ガリアが征服されたときには(彼らが)受けるに値する自分(カエサル)からの恩賞を期待するように、
*equitatumque omnem et peditum milia X(decem) sibi celeriter mitterent,
**(ハエドゥイ族の)騎兵隊のすべてと歩兵1万名を自分(カエサル)に速やかに派遣するように、
*quae in praesidiis rei frumentariae causa disponeret,
**それらは糧食供給のために守備隊として分けて置くものである、と。
 
[[画像:Brioude pont.JPEG|thumb|right|250px|エラウェル川([[w:la:Elaver|Elaver]])こと現在の[[w:アリエ川|アリエ川]](Allier)。ハエドゥイ族領の境辺りでリゲル川([[w:la:Liger|Liger]])こと現[[w:ロワール川|ロワール川]]([[w:fr:Loire (fleuve)|Loire]])に合流する。]]
*② exercitum in duas partes divisit:
**(カエサルは)軍隊を二つの方面軍に分けた。
*quattuor legiones in Senones Parisiosque [[w:la:Titus Labienus|Labieno]] ducendas dedit,
**4個[[w:ローマ軍団|軍団]]をセノネス族やパリスィイ族のところに率いて行くべく[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエヌス]]に委ねた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ラビエヌスのこの遠征については[[#57節|57節]]~62節で述べられる。)</span>
*sex ipse in Arvernos ad oppidum [[w:la:Gergovia|Gergoviam]] secundum flumen [[w:la:Elaver|Elaver]] duxit;
**6個を(カエサル)自身がアルウェルニ族のところの城市[[w:ゲルゴウィア|ゲルゴウィア]]へエラウェル川に沿って率いて行った。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:エラウェル川 Elaver は現在の[[w:アリエ川|アリエ川]] Allier である。)</span>
*equitatus partem illi attribuit, partem sibi reliquit.
**騎兵隊の一部は彼(ラビエヌス)に割り当てて、(残りの)部分は自分のもとに残した。
*③ Qua re cognita [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] omnibus interruptis eius fluminis pontibus
**その事を知って、[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]はその川のすべての橋を破却しながら、
*ab altera fluminis parte iter facere coepit.
**川の別の側を行軍し始めた。
 
===35節===
'''カエサルが陽動によってエラウェル川に架橋、渡河する'''
*① Cum uterque utrimque exisset exercitus<ref>utrimque exisset exercitus はα系写本の記述で、β系写本では utrique esset exercitui となっている。</ref>, in conspectu, fereque e regione castris castra ponebant<ref>ponebant はα系写本の記述で、β系写本では poneret となっている。</ref>,
**(ガリア勢とローマ勢の)軍隊の双方が互いに視界にあって、ほぼ真向かいに互いの陣営を設置したときに、
*dispositis exploratoribus, necubi effecto ponte Romani copias traducerent,
**(ウェルキンゲトリクスは)ローマ人の軍勢がどこにも橋を造って渡河しないように、偵察者たちを分けて置き、
*erat in magnis Caesaris<ref>Caesaris はα系写本などの記述で、π系写本などでは Caesari となっている。</ref> difficultatibus res,
**カエサルにとって事態は大きな困難になっていた。
*ne maiorem aestatis partem flumine impediretur,
**夏の大部分(の対岸の敵との交戦)が川により妨げられるのではないか、
*quod non fere ante autumnum [[w:la:Elaver|Elaver]] vado transiri solet.
**というのは、[[w:アリエ川|エラウェル川]]は秋の前はほとんど浅瀬を渡らない習わしであったからだ。
*② Itaque, ne id accideret, silvestri loco castris positis
**こうして、それが生じないように、森林地帯に陣営を設置した。
*e regione unius eorum pontium, quos [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] rescindendos curaverat,
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]が切り裂かれるように手配していたところの橋の一つの真向かいに。
*postero die cum duabus legionibus in occulto restitit;
**翌日に、2個[[w:ローマ軍団|軍団]]とともに密かなところに留まった。
*③ reliquas copias cum omnibus impedimentis, ut consueverat, misit,
**残りの軍勢(=4個軍団)をすべての輜重とともに、通常のように、出発させた。
*captis<ref>写本(ω)では captis となっているが、Herald Fuchs の校訂版(1932年)では sic collocatis という記述が提案されている。etc.</ref> quibusdam cohortibus, uti numerus legionum constare videretur.
**軍団の数を保っていると(敵から)見られるように、いくつかの<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>を含ませていた。
*④ His quam longissime possent egredi<ref>egredi はα系写本の記述で、β系写本では progredi となっている。</ref> iussis,
**彼ら(4個軍団)には、できる限り遠くまで前進することを命じた。
*cum iam ex diei tempore coniecturam ceperat<ref>ceperat はα系写本の記述で、β系写本では caperet となっている。</ref> in castra perventum,
**すでに、日の時刻から(彼らが)宿営地に到達したと(カエサルが)推測をしたときに、
*isdem sublicis, quarum pars inferior integra remanebat, pontem reficere coepit.
**(前述の)同じ橋杭は、そのより下方の部分が損なわれないで残っていたので、橋を修復し始めた。
*⑤ Celeriter effecto opere
**速やかに工事が成し遂げられて、
*legionibusque traductis et loco castris idoneo delecto
**(2個)軍団が渡河させられて、陣営に適切な地点を選んで、
*reliquas copias revocavit.
**残りの軍勢(=4個軍団)を呼び戻した。
*⑥ Vercingetorix re cognita,
**ウェルキンゲトリクスは事態を知って、
*ne contra suam voluntatem dimicare cogeretur,
**自らの意向に反して(ローマ勢と)争闘することを強いられないように、
*magnis itineribus antecessit.
**強行軍で(ゲルゴウィアに向けて)先行した。
 
===36節===
[[画像:FR-63-Gergovie.JPG|thumb|right|300px|[[w:ゲルゴウィア|ゲルゴウィア]]([[w:la:Gergovia|Gergovia]])すなわち現在のジェルゴヴィ高地([[w:fr:Plateau de Gergovie|Plateau de Gergovie]])の[[w:ピュイ=ド=ドーム県|ピュイ=ド=ドーム県]]県道978号(D978)からの眺望。19世紀の[[w:ウジェーヌ・ストッフェル|ウジェーヌ・ストッフェル]]大佐(colonel Eugène Stoffel)の発掘調査によって、城砦やローマ軍の溝の遺構などが発見され、当地がゲルゴウィアの古戦場だと確認された。]]
[[画像:Siège_GergovieI_-52.png|thumb|right|300px|ゲルゴウィアにおける両軍の布陣図。山の頂にある城市に隣接してガリア諸部族の陣営(黄色部分)、右方にローマ軍の大きな陣営(赤色部分)と左下にローマ軍の小さな陣営(赤色部分)が見える。推定される位置関係は19世紀の[[w:ウジェーヌ・ストッフェル|ストッフェル]]大佐の発掘調査に依拠しており、小陣営があった地点は現在のラ・ロシュ=ブランシュ([[w:fr:La Roche-Blanche (Puy-de-Dôme)|La Roche-Blanche]])だと考えられている。]]
 
'''両軍がゲルゴウィアの要衝に陣営を築く'''
*① Caesar ex eo loco quintis castris [[w:la:Gergovia|Gergoviam]] pervenit
**カエサルは(渡河した)その地点から5回目の宿営で[[w:ゲルゴウィア|ゲルゴウィア]]に到着した。
*equestrique eo die proelio levi facto,
**(到着した)その日に(ガリア勢と)軽微な[[w:騎兵|騎兵]]戦を闘って、
*perspecto urbis situ, quae posita in altissimo monte omnes aditus difficiles habebat,
**山の非常に高いところに位置し、すべての接近路を困難なものとしている(ゲルゴウィアの)町の地勢を認識して、
*de expugnatione<ref>expugnatione はα系写本の記述で、β系写本では oppugnatione となっている。</ref> desperavit,
**(拙速に突撃するような)攻略については断念して、
*de obsessione non prius agendum constituit, quam rem frumentariam expedisset.
**糧食調達の整備をするより前には、攻囲について行なうべきでないと決心した。
*② At [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]], castris prope oppidum in monte<ref>in monte はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> positis,
**それに対して、[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]は、山中の城市の近くに陣営を設置して、
*mediocribus circum se intervallis separatim singularum civitatium<ref>civitatium はB・M・L・N写本の記述で、χ・S・β系写本では civitatum となっている。</ref> copias conlocaverat
**自陣の周りに、適切な間隔で個々の部族の軍勢を別々に駐屯させて、
*atque omnibus eius iugi collibus occupatis, qua despici poterat,
**その尾根のうち(山麓を)見下ろすことができたすべての丘陵を占有して、
*horribilem speciem praebebat;
**恐ろしげな姿を現わした。
*③ principesque earum civitatium<ref>civitatium はA・Q・B・M・L・N写本の記述で、Q・S・β系写本では civitatum となっている。</ref>, quos sibi ad consilium capiendum delegerat,
**(ウェルキンゲトリクス)自らが作戦を立てるために選び出していた諸部族の領袖たちに
*prima luce cotidie ad se convenire iubebat,
**毎日、夜明けに自分のところへ集まることを命じた。
*seu quid communicandum, seu quid administrandum videretur,
**何らかのことを伝達・協議するのか、あるいは何らかのことを指導するのだと思われる。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:seu ~ seu …「あるいは~、あるいは…」)</span>
*④ neque ullum fere diem intermittebat, quin equestri proelio interiectis sagittariis,
**騎兵戦に弓兵を介在させることを、ほとんどどの日も中断せずに、
*quid in quoque esset animi ac virtutis suorum, perspiceretur<ref>perspiceretur はα系写本の記述で、T写本では perspiceret、β系写本では periclitaretur となっている。</ref>.
**どのような心構えや武勇が、配下の者たちのおのおのにあるかを、吟味した。
*⑤ Erat e regione oppidi collis sub ipsis radicibus montis
**山のその麓の下方に、城市の真向かいに、丘陵があって、
*egregie munitus atque ex omni parte circumcisus;
**あらゆる方面から周囲が険しくて、(その地形により)すばらしく護られていた。
*quem si tenerent nostri, et aquae magna parte et pabulatione libera prohibituri hostes videbantur.
**もし、それを我が方(ローマ勢)が占めれば、水源の大半と自由な糧秣徴発から敵たちを妨げるであろうと思われた。
*⑥ Sed is locus praesidio ab his, non nimis firmo, tenebatur.
**だが、その地点は、彼ら(ガリア勢)により、大して強力ではない守備隊で占められていた。
*⑦ Tamen silentio noctis Caesar ex castris egressus,
**にもかかわらず(昼間ではなく)夜の静けさのうちに、カエサルは陣営から出撃して、
*priusquam subsidio ex oppido veniri posset,
**城市(のそばの陣営)から援兵に来られるより前に、
*deiecto praesidio potitus loco duas ibi legiones conlocavit
**守備隊を追い出して、地点を占拠して、そこに2個[[w:ローマ軍団|軍団]]を駐屯させた。
*fossamque duplicem duodenum pedum a maioribus castris ad minora perduxit,
**12[[w:ペース (長さ)|ペース]](=約3.6mの幅)の二重の堀を、より大きな陣営から(この丘陵の)より小さな陣営へ至らしめた。
*ut tuto ab repentino hostium incursu singuli commeare possent.
**敵たちの不意の襲撃から安全に、1人1人が往来することができるように。
 
===37節===
'''ハエドゥイ族のコンウィクトリタウィスがガリア同盟軍に内応する'''
*① Dum haec ad [[w:la:Gergovia|Gergoviam]] geruntur,
**これらが[[w:ゲルゴウィア|ゲルゴウィア]]のところでなされている間に、
*Convictolitavis [[w:la:Haedui|Haeduus]],
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]の[[w:コンウィクトリタウィス|コンウィクトリタウィス]]は、
*cui magistratum adiudicatum a Caesare demonstravimus,
**その者はカエサルによって統領として承認されたと([[#33節|33節]]で)既述したが、
*sollicitatus ab Arvernis pecunia cum quibusdam adulescentibus conloquitur,
**[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]により金銭でそそのかされて、ある若者たちと談判した。
*quorum erat princeps Litaviccus atque eius fratres,
**その者たちの領袖は[[w:リタウィックス|リタウィックス]]とその兄弟たちであり、
*amplissima familia nati adulescentes.
**とても強大な一族に生まれた若者たちだった。
*② Cum his praemium communicat
**彼らとともに(アルウェルニ族からの)報酬を共有して、
*hortaturque, ut se liberos et imperio natos meminerint.
**自分たちが自由民で支配層の生まれであるのを思い起こせ、と鼓舞した。
*③ Unam esse Haeduorum civitatem, quae certissimam Galliae victoriam distineat<ref>distineat はM・N・π・R写本などの記述で、Q・U写本などでは destineat 、A・B・S写本などでは dedistineat などとなっている。</ref>;
**ハエドゥイの部族国家は、ガリアの至極確実な勝利を阻んでいる唯一のものであり、
*eius auctoritate reliquas contineri;
**その声望により、ほかの(同盟部族の)ものたちが(ローマ側に)保持されているが、
*qua traducta locum consistendi Romanis in Gallia non fore.
**それが(ガリア勢に)引き入れられることによって、ガリアにおいてローマ人が留まり続ける場はないであろう。
*④ Esse nonnullo se Caesaris beneficio adfectum,
**自分はカエサルの少なからぬ恩義をかけられているが、
*sic tamen, ut iustissimam apud eum causam obtinuerit;
**しかし、彼(カエサル)のもとで至極合法的な理由を手に入れたまでであり、
*sed plus communi libertati tribuere.
**しかし、(ガリアの)共通の自由に従うことの方がより大きい。
*⑤ Cur enim potius Haedui de suo iure et de legibus ad Caesarem disceptatorem quam Romani ad Haeduos veniant?
**なぜ実際、ハエドゥイ族は自らの法令や法制について、ローマ人がハエドゥイ族へ来るよりむしろ、カエサルを仲裁者とするのか?
*⑥ Celeriter adulescentibus et oratione magistratus et praemio deductis,
**若者たちは速やかに、統領の演説と報酬によって導き入れられた。
*cum se vel principes eius consilii fore profiterentur,
**自分たちがその謀計の首謀者にすらなろうと申し出たときに、
*ratio perficiendi quaerebatur,
**(謀計を)成し遂げる方法が求められた。
*quod civitatem temere ad suscipiendum bellum adduci posse non confidebant.
**というのは、部族がむやみに(ローマ人との)戦争実行へ動かされることができるとは確信していなかったからだ。
*⑦ Placuit, ut Litaviccus decem illis milibus, quae Caesari ad bellum mitterentur, praeficeretur atque ea ducenda curaret,
**リタウィックスに、カエサルに戦争のために派遣されるあの(歩兵)1万名を指揮させ率いさせるのが良いとされた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:歩兵1万名については[[#34節|34節]]を参照。)</span>
*fratresque eius ad Caesarem praecurrerent.
**彼の兄弟たちは、カエサルのところへ先立って行った。
*Reliqua qua ratione agi placeat constituunt.
**残りのことが、どのようなやり方で行なわれるのが良いかが決められた。
 
===38節===
'''リタウィックスの鼓舞でハエドゥイ族の歩兵1万が挙兵する'''
*① Litaviccus accepto exercitu
**リタウィックスは(1万名の)歩兵隊を受け取って、
*cum milia passuum circiter XXX(triginta)<ref>XXX(triginta) はα系写本の記述で、β系写本では XL(quadraginta) となっている。</ref> ab<ref>ab は写本(ω)の記述であるが、モイゼル(Henricus Meusel)は a を提案している。</ref> [[w:la:Gergovia|Gergovia]] abesset,
**[[w:ゲルゴウィア|ゲルゴウィア]]から約30[[w:ローママイル|ローママイル]](=45km弱)離れたところに来たときに、
*convocatis subito militibus lacrimans,
**兵士たちを突然に呼び集めて、泣きながら、
*② "Quo proficiscimur," inquit, "milites?
**「兵士らよ、どこへ我々は進むのか?」と言った。
*Omnis noster equitatus, omnis nobilitas interiit;
**「我が方(ハエドゥイ族)のすべての[[w:騎兵|騎兵隊]]とすべての高貴な者たちは滅んだ。
*principes civitatis, [[w:la:Eporedorix|Eporedorix]] et Viridomarus,
**部族の領袖たち、エポレドリクスとウィリドマルスは、
*insimulati proditionis ab Romanis indicta causa interfecti sunt.
**裏切りの罪を着せられて、ローマ人たちによって、弁解の余地なく殺されてしまったのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:indicta causa「弁解の余地なく」)</span>
*③ Haec ab ipsis<ref>ipsis はα系写本の記述で、β系写本では his となっている。</ref> cognoscite, qui ex ipsa caede fugerunt;
**これは、その虐殺から逃げて来た当人たちから聞き知ってくれ。
*nam ego fratribus atque omnibus meis propinquis interfectis
**なぜなら、私は、兄弟たちやすべての我が親族たちが殺されて
*dolore prohibeor, quae gesta sunt, pronuntiare."
**悲嘆により、なされたことを物語ることを妨げられているからだ。」
*④ Producuntur hi<ref>hi はφ・β系写本の記述で、A写本では ii 、Q写本では hii となっている。</ref>, quos ille edocuerat quae dici vellet,
**彼(リタウィックス)が言って欲しいことを教え込んでいた者たちが連れ出されて来て、
*atque eadem, quae Litaviccus pronuntiaverat, multitudini exponunt:
**リタウィックスが物語ったのと同じことを群衆に説明した。
*⑤ multos<ref>multos はα系写本の記述で、β系写本では omnes となっている。</ref> equites [[w:la:Haedui|Haeduorum]] interfectos, quod conlocuti cum Arvernis dicerentur;
**ハエドゥイ族の多くの騎兵たちは、アルウェルニ族と談判したと言われたので、殺された、と。
*ipsos se inter multitudinem militum occultasse atque ex media caede fugisse.
**(彼ら)自身は、兵士ら多数の間に身を隠して、虐殺の最中から逃げて来たのだ、と。
*⑥ Conclamant Haedui et Litaviccum obsecrant, ut sibi consulat.
**ハエドゥイ族の者たちは叫び声を上げて、リタウィックスに、自分たちに(どうするべきか)助言するように懇願した。
*"Quasi vero" inquit ille "consilii sit res, ac non necesse sit
**彼は言った「実にあたかも、事態が協議するべきというかのようだ。(協議する)必要はないのだ。
*nobis Gergoviam contendere et cum Arvernis nosmet coniungere.
**我々にとって、ゲルゴウィアに急行して、アルウェルニ族と我々が合流することは。
*⑦ An dubitamus, quin nefario facinore admisso Romani iam ad nos interficiendos concurrant?
**非道の悪行を犯したローマ人がもはや我々を殺戮するために襲いかかって来ることを疑うのかね?
*⑧ Proinde, si quid in nobis animi est,
**それゆえに、もし我々に何らかの心構えがあるならば、
*persequamur eorum mortem, qui indignissime interierunt,
**とても不面目に滅びた者たちの死に仇討ちしようではないか。
*atque hos latrones interficiamus."
**かの略奪者たち(ローマ人)を誅殺しようではないか。」
*Ostendit cives Romanos, qui eius praesidii fiducia una erant<ref>erant は写本(ω)の記述であるが、モムゼン(Mommsen)らは ierant を提案している。</ref>:
**(リタウィックスは)彼の護衛を信頼して一緒にいたローマ市民たちを示した。
*⑨ Continuo<ref>Continuo はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> magnum numerum frumenti commeatusque diripit,
**ただちに、(ローマ市民たちの)糧食や必需品の多数を略奪して、
*ipsos crudeliter excruciatos interficit.
**当人たちを残酷に拷問して殺した。
*⑩ Nuntios tota civitate Haeduorum dimittit,
**ハエドゥイ族の伝令たちを、部族全体にわたって遣わして、
*in<ref>in はβ系写本の記述だが、α系写本にはない。</ref> eodem mendacio de caede equitum et principum permovet<ref>permovet はL・N写本の記述だが、B写本では permanet 、χ・M・S・β系写本などでは permonet となっている。</ref>;
**騎兵や領袖たちの虐殺について、同じ嘘によって扇動した。
*hortatur ut simili ratione atque ipse fecerit suas iniurias persequantur.
**(リタウィックス)自身がしたのと同様のやり方で、自分たちの(受けた)無法に仇討ちするようにと鼓舞した。
 
===39節===
'''エポレドリクスがハエドゥイ勢1万の寝返りをカエサルに知らせる'''
*① [[w:la:Eporedorix|Eporedorix]] [[w:la:Haedui|Haeduus]], summo loco natus adulescens et summae domi potentiae,
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]の[[w:エポレドリクス|エポレドリクス]]は、最高の身分に生まれた青年で、本国で最高の権勢にあった。
*et una Viridomarus, pari aetate et gratia, sed genere dispari,
**とともに、[[w:ウィリドマルス|ウィリドマルス]]も、同じ年輩で、同様に敬意を受けていたが、異なる階級であった。
*quem Caesar ab Diviciaco sibi traditum ex humili loco ad summam dignitatem perduxerat,
**カエサルは彼を[[w:ディウィキアクス|ディウィキアクス]]により託されて、低い身分から最高の地位へと引き立てていた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ディウィキアクスはかつてローマに援助を求めた有力者で、カエサルに殺されたドゥムノリクスの兄弟。)</span>
*in equitum numero convenerant nominatim ab eo evocati.
**(その2人は)彼(カエサル)から名指しで呼び出されて、[[w:騎兵|騎兵]]として(ローマの陣中に)一緒に来ていた。
*② His erat inter se de principatu contentio
**彼ら(2人)には、互いに指揮官の座についての競争があって、
*et in illa magistratuum controversia
**あの統領をめぐる紛争においても
**:<span style="color:#009900;">([[#32節|32節]]~33節を参照。)</span>
*alter pro Convictolitavi, alter pro Coto summis opibus pugnaverant<ref>pugnaverant はα系写本の記述で、β系写本では pugnaverat となっている。</ref>.
**一方は[[w:コンウィクトリタウィス|コンウィクトリタウィス]]のために、他方は[[w:コトゥス|コトゥス]]のために、最大限の助力で奮闘していた。
*③ Ex his Eporedorix cognito Litavicci consilio
**彼らのうちエポレドリクスが[[w:リタウィックス|リタウィックス]]の謀計を知って、
*media fere nocte rem ad Caesarem defert;
**ほぼ真夜中に、事情をカエサルのところへ報知した。
*orat ne patiatur civitatem pravis adulescentium consiliis ab amicitia populi Romani deficere;
**(ハエドゥイの)部族が青年たちのゆがんだ謀計によってローマ人民の友好から背くことを容認しないように懇願した。
*quod futurum provideat, si se tot hominum milia cum hostibus coniunxerint,
**もし、このように多くの幾千もの同胞が敵たちと協同するならば、(上記の)ことが生じると用心するように、と。
*quorum salutem neque propinqui neglegere,
**(寝返った1万の歩兵たちの)縁者たちは彼らの身の安全をなおざりにすることはないし、
*neque civitas levi momento aestimare posset.
**部族が(寝返った歩兵たちの)影響力を軽く評価できない、と。
 
===40節===
'''カエサルが4個軍団を率いてハエドゥイ勢1万を制止し、リタウィックスは逃亡'''
*① Magna adfectus sollicitudine hoc nuntio Caesar,
**この知らせにより、大きな不安を感じたカエサルは、
*quod semper [[w:la:Haedui|Haeduorum]] civitati praecipue indulserat,
**常に[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイの部族]]にとくに気遣っていたので、
*nulla interposita dubitatione legiones expeditas quattuor equitatumque omnem ex castris educit;
**何らためらいを差しはさまずに、戦備を整えた4個[[w:ローマ軍団|軍団]]と[[w:騎兵|騎兵隊]]すべてを陣営から進発させた。
*② nec fuit spatium tali tempore ad contrahenda castra,
**このような情勢で、陣営を縮小するための余地はなかった。
**:<span style="color:#009900;"> (訳注:[[#36節|36節]]で、カエサルはゲルゴウィアの大きな陣営および敵に近い小さな陣営を6個軍団で守っていた。)</span>
*quod res posita in celeritate videbatur;
**というのは、事態は迅速さにかかっていると思われたからだ。
*C.(Gaium) Fabium legatum cum legionibus duabus castris praesidio relinquit.
**総督副官[[w:ガイウス・ファビウス|ガイウス・ファビウス]]を2個軍団とともに陣営の守備に残しておいた。
*③ Fratres Litavicci cum comprehendi iussisset,
**(カエサルは)リタウィックスの兄弟たちを拘束することを命じていたのだが、
*paulo ante reperit ad hostes fugisse.
**少し前に(ゲルゴウィアの)敵たちのところへ去ったことを探り出した。
*④ Adhortatus milites ne necessario tempore itineris labore permoveantur,
**(カエサルは)緊急の時に、行軍の労苦により乱されないように、兵士たちを激励して、
*cupidissimis omnibus progressus milia passuum [[w:la:Viginti quinque|XXV]] agmen Haeduorum conspicatus<ref>conspicatus はα系写本の記述で、β系写本では conspicatur となっている。</ref>
**皆がとても熱中していたので、25[[w:|ローママイル]](約37km)進んで、ハエドゥイ族の隊列を視認した。
*immisso equitatu iter eorum moratur atque impedit
**騎兵隊を突進させて、彼ら(ハエドゥイ勢)の行軍を妨げて、停止させた。
*interdicitque omnibus ne quemquam interficiant.
**(ハエドゥイ勢を)誰一人殺さないように(ローマ勢の)皆に禁じた。
*⑤ [[w:la:Eporedorix|Eporedorigem]] et Viridomarum, quos illi interfectos existimabant,
**彼ら(ハエドゥイ勢)が、殺されたものと考えていた者たち、[[w:エポレドリクス|エポレドリクス]]と[[w:ウィリドマルス|ウィリドマルス]]に、
*inter equites versari suosque appellare iubet.
**(ハエドゥイ勢の)騎兵たちの間を歩き回って、味方に呼びかけることを命じた。
*⑥ His cognitis et Litavicci fraude perspecta Haedui manus tendere,
**彼ら(2人)に気付いて、リタウィックスのごまかしを見通して、ハエドゥイ族の者たちは手を差し出して、
*deditionem significare et proiectis armis mortem deprecari incipiunt.
**降伏の意を表して、武器を投げ出して、死を赦免されることを求め始めた。
*⑦ Litaviccus cum suis clientibus,
**[[w:リタウィックス|リタウィックス]]は、配下の子分たちとともに、
*quibus more Gallorum nefas est etiam in extrema fortuna deserere patronos,
**ガリア人の風習では、最悪の境遇にあってさえも(子分が自分の)親分を見捨てることは非道であったので、
*[[w:la:Gergovia|Gergoviam]] profugit.
**(親分・子分ともども)[[w:ゲルゴウィア|ゲルゴウィア]]に逃れた。
 
===41節===
'''副官ファビウスの報告:ゲルゴウィアの敵勢がローマ陣営に襲来'''
*① Caesar nuntiis ad civitatem [[w:la:Haedui|Haeduorum]] missis,
**カエサルは伝令たちを[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ]]の部族(当局)に遣わして、
*qui suo beneficio conservatos docerent quos iure belli interficere potuisset,
**彼ら(伝令)に、戦時の権限により殺せた者たち(歩兵1万)は(カエサル)自らの恩恵により許されたのだ、と説かせた。
*tribusque horis noctis exercitui ad quietem datis castra ad [[w:la:Gergovia|Gergoviam]] movit.
**(カエサルは)夜の3時間を軍隊に休息のために与えて、陣営を引き払ってゲルゴウィアの方へ向かった。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:古代ローマの不定時法では、夏季の夜の3時間は、現在の定時法の3時間よりかなり短い。)</span>
*② Medio fere itinere equites a Fabio missi,
**(ゲルゴウィアへの)道程のほぼ中間のところで、ファビウスから[[w:騎兵|騎兵]]たちが遣わされて来て、
*quanto res in periculo fuerit, exponunt.
**事態がどれほどの危機にあるか、を打ち明けた。
*Summis copiis castra oppugnata demonstrant,
**(ガリア勢の)最大級の軍勢により(ローマ勢の)陣営が攻撃された、と説明した。
*cum crebro integri defessis succederent
**そのときに(ガリア勢は)たびたび新たな者たちが疲労した者たちに交代していたが、
*nostrosque adsiduo labore defatigarent,
**我が方(ローマ勢)は絶え間ない労苦により疲れ果てていた。
*quibus propter magnitudinem castrorum perpetuo esset isdem in vallo permanendum.
**彼ら(ローマ勢)にとり、陣営の大きさのために、同じ者たちが防柵の中に留まらざるを得なかった。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:カエサルは[[#40節|40節]]②項で「陣営を縮小するための余地はなかった」とあらかじめ弁解している。)</span>
*③ Multitudine sagittarum atque omnis generis<ref>omnis generis はα系写本の記述で、β系写本では omni genere となっている。</ref> telorum multos vulneratos;
**(ガリア勢からの)矢の多数と飛び道具のあらゆる類いによって(ローマ勢の)多くのものが傷つけられた。
*ad haec sustinenda magno usui fuisse tormenta.
**これに持ちこたえるために、投石器が大いに役立った。
*④ Fabium discessu eorum duabus relictis portis obstruere ceteras
**ファビウスは、彼ら(ガリア勢)が退却すると、2つの門を残して、ほか(の門)を閉鎖した。
*pluteosque vallo addere et se in posterum diem similemque casum apparare<ref>similemque casum apparare はα系写本の記述で、β系写本では similem ad casum parare となっている。</ref>.
**胸壁を防柵を付け加えて、翌日における似たような状況に備えた。
*⑤ His rebus cognitis Caesar
**これらの事態を知って、カエサルは、
*summo studio militum ante ortum solis in castra pervenit.
**兵士たちの最大級の努力によって、日の出の前に(ゲルゴウィアの)陣営に到着した。
 
===42節===
'''ハエドゥイ族の者たちが反ローマ暴動を引き起こす'''
*① Dum haec ad [[w:la:Gergovia|Gergoviam]] geruntur,
**これらがゲルゴウィアの辺りでなされている間に、
*[[w:la:Haedui|Haedui]] primis nuntiis ab Litavicco acceptis
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]の者たちは、[[w:リタウィックス|リタウィックス]]からの最初の知らせを受け取ったが、
*nullum sibi ad cognoscendum spatium relinquunt.
**自分たちには(この知らせを)調べるための余地を何ら残さなかった。
*② Impellit alios avaritia, alios iracundia et temeritas
**ある者たちを貪欲さが、ある者たちを激しやすさや無分別が駆り立てた。
*─ quae maxime illi hominum generi est innata ─ ut levem auditionem habeant pro re comperta.
**あの種族の人々はとりわけ、軽率な風聞を確認された事として見なすように、生まれついているのだ。
*③ Bona civium Romanorum diripiunt, caedes faciunt, in servitutem abstrahunt.
**(ハエドゥイ族の者たちは)ローマ市民たちの財産を略奪し、殺戮を行なって、隷属状態に引きずり込んだ。
*④ Adiuvat rem proclinatam Convictolitavis
**(さらに)傾いた事態を[[w:コンウィクトリタウィス|コンウィクトリタウィス]]が助長して、
*plebemque ad furorem impellit, ut facinore admisso ad sanitatem reverti pudeat.
**民衆を狂暴さへと、悪行を犯して冷静さへ引き返すことを恥と思うように、駆り立てた。
*⑤ M.(Marcum) Aristium tribunum militum iter ad legionem facientem
**<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|軍団次官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>であるマルクス・アリスティウスが[[w:ローマ軍団|軍団]]のところへ旅しているところを
*fide data ex oppido [[w:la:Cabillonum|Cavillono]] educunt;
**(安全の)保証を与えて、城市カウィッロヌムから連れ出した。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:カウィッロヌム Cavillonum はカビッロヌム Cabillonum とも綴り、現在の[[w:シャロン=スュル=ソーヌ|シャロン=スュル=ソーヌ]])</span>
*idem facere cogunt eos, qui negotiandi causa ibi constiterant.
**そこに商売をするために定住していた(ローマ人の)者たちにも同じことをするように強要した。
*⑥ Hos continuo <in><ref>in は写本にないが、近世の活字本から挿入されている。</ref> itinere adorti omnibus impedimentis exuunt;
**直ちに彼らを途中で襲撃して、すべての手荷物を奪い取った。
*repugnantes diem noctemque obsident;
**抵抗する者たちを昼夜にわたって包囲した。
*multis utrimque interfectis
**(ハエドゥイ族とローマ人の)双方とも多くの者たちが殺されて、
*maiorem multitudinem armatorum<ref>armatorum はα系写本の記述で、β系写本では ad arma となっている。</ref> concitant.
**(ハエドゥイ族の)より多くの群衆を武装へと扇動した。
 
===43節===
'''ハエドゥイ族当局がカエサルに屈服。ガリア大動乱の予感'''
*① Interim nuntio adlato omnes eorum milites in potestate Caesaris teneri,
**その間に、彼ら(ハエドゥイ族)の兵士すべてがカエサルの権力下で支配されているという知らせがもたらされて、
*concurrunt ad Aristium,
**(ハエドゥイ族当局の者たちは)アリスティウスのところへ急ぎ集まって、
*nihil publico factum consilio demonstrant;
**(ローマ市民に対する襲撃は)何ら公けに企てがなされたものではないと説明した。
*② quaestionem de bonis direptis decernunt,
**(部族当局は、ローマ市民から)略奪された財産についての究明を決定して、
*Litavicci fratrumque bona publicant,
**リタウィックスと兄弟たちの財産を没収し、
*legatos ad Caesarem sui purgandi gratia mittunt.
**カエサルのところへ使節たちを、自分たちを赦免することのために遣わした。
*③ Haec faciunt reciperandorum<ref>reciperandorum はα系写本の記述で、β系写本では recuperandorum となっている。</ref> suorum causa;
**これらを、配下の者たち(=歩兵1万名)を取り戻すために行なったのだ。
*sed contaminati facinore et capti compendio ex direptis bonis,
**しかし(彼らは)悪行に汚染されていて、略奪した財産の利得にとらわれており、
*quod ea res ad multos pertinebat, timore<ref>timore はα系写本の記述で、β系写本では et timore となっている。</ref> poenae exterriti
**その事に多くの者たちが関与していたので、懲罰の恐れに脅かされて、
*consilia clam de bello inire incipiunt
**ひそかに戦争の謀計に取りかかり始めて、
*civitatesque reliquas legationibus sollicitant.
**ほかの諸部族を使節派遣によって、そそのかした。
*④ Quae tametsi Caesar intellegebat, tamen quam mitissime potest legatos appellat;
**カエサルはそのようなことを認識していたけれども、(ハエドゥイ族の)使節たちにできるだけ平静に話しかけた。
*nihil se propter inscientiam levitatemque vulgi gravius de civitate iudicare
**自分は(ハエドゥイ族の)民衆の無知や軽率さのために、部族を何ら厳重に裁断することはない、と。
*neque de sua in [[w:la:Haedui|Haeduos]] benevolentia deminuere.
**自分のハエドゥイ族に対する好意を減ずることはない、と。
*⑤ Ipse maiorem Galliae motum exspectans,
**(カエサル)自身は、ガリアのより大きな動乱を予期しており、
*ne ab omnibus civitatibus circumsisteretur,
**すべての部族によって包囲されることがないように、
*consilia inibat, quemadmodum ab<ref>ab はχ系写本の記述で、φ系写本では a となっており、β系写本にはない。</ref> [[w:la:Gergovia|Gergovia]] discederet ac rursus omnem exercitum contraheret,
**どのようにゲルゴウィアから撤退して再び軍隊全体を集結するか、策定に取りかかった。
*ne profectio nata ab<ref>ab はα系写本の記述で、β系写本では a となっている。</ref> timore defectionis similis<ref>similis はα系写本の記述で、β系写本では similisque となっている。</ref> fugae videretur.
**(諸部族の)背反の恐れから生じた出発が、逃亡同然と見られないように。
 
===44節===
'''ゲルゴウィアの急所の尾根'''
[[画像:Plateau_of_Gergovia.jpg|thumb|center|900px|ゲルゴウィア([[w:la:Gergovia|Gergovia]])すなわち現在のジェルゴヴィ高地([[w:fr:Plateau de Gergovie|Plateau de Gergovie]])の全景(南方のル・クレスト [[w:fr:Le Crest|Le Crest]] から撮影)。<br>画像中央の右下に、ローマ勢が占領して小さい方の陣営を築いていたと推定されているラ・ロシュ=ブランシュ([[w:fr:La Roche-Blanche (Puy-de-Dôme)|La Roche-Blanche]])の丘陵が見える。<br>本節①項で言及されているのは画像の左端に写る丘陵と思われ、尾根伝いにほぼ平坦なゲルゴウィアの山頂(画像中央)に続いている。<br>これらの位置関係の推定は、19世紀の[[w:ウジェーヌ・ストッフェル|ウジェーヌ・ストッフェル]]大佐(colonel Eugène Stoffel)の発掘調査に依拠したものである。]]
[[画像:La_Roche_Blanche.JPG|thumb|right|300px|ローマ勢が占領して小さい方の陣営を築いていたと推定されているラ・ロシュ=ブランシュ([[w:fr:La Roche-Blanche (Puy-de-Dôme)|La Roche-Blanche]])の丘陵]]
 
*① Haec cogitanti accidere visa est facultas bene rei gerendae<ref>rei gerendae はα系写本の記述で、β系写本では gerendae rei となっている。</ref>.
**(カエサルが)これらを考慮しているときに、事をうまく行なえる可能性が生じたと思われた。
*Nam cum in minora castra operis perspiciendi causa venisset,
**すなわち、(ローマ勢の)小さい方の陣営に、作業を視察するためにやって来たときに、
*animadvertit collem qui ab hostibus tenebatur nudatum hominibus,
**敵たちによって占められていた丘陵が、無人にされているのに気付いた。
*qui superioribus diebus vix prae multitudine cerni poterat.
**それは、前日には、(ガリア勢の)大勢の者たちのためにほとんど見分けが付けられないものだった。
*② Admiratus quaerit ex perfugis causam,
**(カエサルは)驚いて、(ゲルゴウィアからの)[[w:脱走兵|脱走兵]]たちに理由を尋ねた。
*quorum magnus ad eum cotidie numerus confluebat.
**その者たちの多数は、毎日、彼(カエサル)のところへ群がり集まっていたのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#14節|14節]]⑨項で既述のように、ガリア勢は[[w:兵役逃れ|兵役忌避]]の多さに悩まされていた。)</span>
*③ Constabat inter omnes
**(脱走兵たち)皆の間では同じ意見であった。
*─ quod iam ipse Caesar per exploratores cognoverat ─
**─ すでにカエサル自身が偵察者たちを通して知っていたことであったが ─
*dorsum esse eius iugi prope aequum, sed silvestre<ref>silvestre はβ系写本の記述で、α系写本では hunc silvestrem となっている。</ref> et angustum,
**その尾根の背面はほぼ平地で、しかし森林におおわれて狭く、
*qua esset aditus ad alteram partem oppidi<ref>partem oppidi はα系写本の記述で、β系写本では oppidi partem となっている。</ref>;
**それによって城市の別の方面への出入口となっている、と。
*④ vehementer huic illos loco<ref>vehementer huic illos loco はα系写本の記述で、β系写本では huic loco vehementer illos となっている。</ref> timere nec iam aliter sentire,
**この地帯を彼ら(ガリア勢)が極度に恐れ、すでに感じていたことには、
*uno colle ab Romanis occupato, si alterum amisissent,
**ローマ人によって一つの丘陵が占領されているので、もしもう一方をも失ったならば、
*quin paene circumvallati atque omni exitu et pabulatione interclusi viderentur;
**(ゲルゴウィアが)ほとんど包囲されて、あらゆる出口と糧秣徴発を阻まれると思われたのである。
*ad hunc muniendum locum<ref>locum はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> omnes a [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorige]] evocatos.
**この地帯の辺りを防御するために、[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]により総勢が召集されていたのだ、と。
 
===45節===
'''ローマ勢の陽動部隊が敵を引き付け、本隊が敵の本陣を目指す'''
*① Hac re cognita Caesar mittit complures equitum turmas eodem<ref>eodem はβ系写本の記述で、α系写本では eisdem などとなっており、またモイゼル(Meusel)は eo de と解釈している。</ref> media nocte;
**この事を知って、カエサルは多数の[[w:騎兵|騎兵]]<ruby><rb>小隊</rb><rp>(</rp><rt>トゥルマ</rt><rp>)</rp></ruby>を同じところに真夜中に派遣した。
**:<span style="color:#009900;"> (訳注:騎兵小隊 turma は、ローマの同盟部族などからなる騎兵の単位で、30騎ほどからなるとされている。)</span>
*imperat his<ref>his はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> ut paulo tumultuosius omnibus locis vagarentur<ref>vagarentur はα系写本の記述で、β系写本では pervagentur となっている。</ref>.
**彼らには、いくらか騒々しく、あらゆる場所を動き回るように命令した。
*② Prima luce magnum numerum impedimentorum ex castris mulorumque produci deque his stramenta detrahi
**夜明けに、陣営から多数の荷馬や[[w:ラバ|ラバ]]を連れ出して、これらから[[w:鞍|荷鞍]]を取り去って、
*mulionesque cum cassidibus equitum specie ac simulatione collibus circumvehi iubet.
**ラバ引きの者たちを鉄兜とともに、騎兵の外見と真似をさせて、丘々を乗り回すことを命じた。
*③ His paucos addit equites, qui latius ostentationis causa vagarentur<ref>vagarentur はα系写本の記述で、β系写本では vagentur となっている。</ref>.
**彼らに少数の騎兵を付き添わせて、より広く見せびらかすために動き回らせた。
*Longo circuitu easdem omnes iubet petere regiones.
**(ラバ引きと騎兵の)皆には、長く迂回して、同じ一帯を目指すことを命じた。
*④ Haec procul ex oppido videbantur, ut erat a Gergovia despectus in castra,
**これらは<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>から遠くに望見され、ゲルゴウィアから(ローマ勢の)陣営が眺められたほどであったが、
*neque tanto spatio certi quid esset explorari poterat.
**これほどの距離のために(ガリア勢からは)何ごとか確かなことは探り出されなかった。
*⑤ Legionem unam eodem iugo mittit
**(カエサルは)1個[[w:ローマ軍団|軍団]]を同じ尾根に派遣して、
*et paulum progressam inferiore constituit loco silvisque occultat.
**いくらか前進させて低い場所に駐留させ、森林に隠した。
*⑥ Augetur Gallis suspicio
**(これらを見た)ガリア人には疑念が増されて、
*atque omnes illo ad munitionem copiae traducuntur.
**軍勢のすべてがあそこ(=無人にしていた急所の丘陵)へ防御のために移動した。
*⑦ Vacua castra hostium Caesar conspicatus
**カエサルは敵たちの(ゲルゴウィア山頂の)陣営が空であると気付いて、
*tectis insignibus suorum occultatisque signis militaribus
**配下の者たちの標章を覆い隠し、軍旗を隠して、
*raros milites, ne ex oppido animadverterentur, ex maioribus castris in minora traducit
**兵士たちをまばらに、城市から気付かれないように、大きい方の陣営から小さい方に移動させた。
*legatisque, quos singulis legionibus praefecerat, quid fieri velit, ostendit;
**個々の軍団を指揮させていた<ruby><rb>[[w:レガトゥス|副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レガトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>たちに、何がなされることを欲しているかを示した。
*⑧ in primis monet ut contineant milites,
**第一に、兵士たちを抑え留めるように戒めた。
*ne studio pugnandi aut spe praedae longius progrediantur;
**(兵士たちが)戦うことの熱意、あるいは略奪の希望により、より遠くまで進み出ないように、と。
*⑨ quid iniquitas loci habeat incommodi proponit;
**地勢の不利がどれほど敗北を生じるかを示した。
*hoc una celeritate posse vitari<ref>vitari はβ系写本の記述で、α系写本では mutari となっている。</ref>;
**迅速さのみがこれを避けることができる。
*occasionis esse rem, non proelii.
**事の成否は、戦闘にではなく、好機にかかっている。
*⑩ His rebus expositis signum dat
**これらの事柄を説明して、(副官たちに進軍の)号令を出した。
*et ab dextra parte alio ascensu eodem tempore Haeduos mittit.
**右の方面からは、別の登り道を(ローマ軍本隊と)同時に[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]](の騎兵)を派遣した。
 
===46節===
'''ローマ軍の本隊が防壁を越えて、敵陣の一部を占拠'''
*① Oppidi murus ab<ref>ab はB・M・L・N写本の記述で、β系写本では a となっている。</ref> planitie atque initio ascensus recta regione,
**(ゲルゴウィアの)<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の城壁は、平地や登り道の始まりから真っ直ぐに(=直線距離で)、
*si nullus amfractus<ref>amfractus はα系写本の記述で、β系写本では anfractus となっている。</ref> intercederet, mille CC(mille ducenti)<ref>mille CC(=1200) はα系写本の記述で、β系写本では CC(=200)となっている。</ref> passus aberat;
**もし何らの湾曲が間になければ、1200[[w:パッスス|パッスス]](=約1.8km)離れていた。
*② quicquid huc circuitus ad molliendum clivum accesserat<ref>accesserat は写本(ω)の記述だが、オットー・ゼール [[w:de:Otto Seel|Otto Seel]] の校訂では accesserit としている。</ref>,
**ここに(山の斜面の)傾斜を緩和するために、何らかの回り道が付け加わっていて、
*id spatium itineris augebat.
**その道のりの距離を増していた。
*③ A medio fere colle in longitudinem, ut natura montis ferebat,
**丘陵のほぼ真ん中から、山の地形が作り出したかのように、長きにわたって、
*ex grandibus saxis sex pedum murum qui nostrum<ref>nostrum は中世の写本(ω)の記述だが、近世の版では nostrorum となっている。</ref> impetum tardaret,
**大きな石垣からなる6[[w:ペース (長さ)|ペース]](=約1.8m)もの、我が方(ローマ勢)の突進を遅らせる防壁を、
*praeduxerant Galli,
**ガリア人は引いて来ており、
*atque inferiore omni spatio vacuo relicto
**(その石垣の防壁)より下方のすべての空間は人気なく残されていて、
*superiorem partem collis usque ad murum oppidi densissimis castris compleverant.
**丘陵のより上方の部分を、城市の城壁の方へ続けざまに、とても密集した(各部族ごとの)陣営で満たしていた。
*④ Milites dato signo celeriter ad munitionem perveniunt
**(ローマ人の)兵士たちは号令を与えられて、速やかに(石垣の)防壁のところへ到達して、
*eamque transgressi trinis castris potiuntur;
**それを越えて行って、3つの(部族ごとの)陣営を占拠した。
*⑤ ac tanta fuit in castris capiendis<ref>castris capiendis はα系写本の記述で、β系写本では capiendis castris となっている。</ref> celeritas,
**(3つの)陣営を奪取することにおいて、これほどにも迅速さがあったので、
*ut Teutomatus, rex Nitiobrogum, subito in tabernaculo oppressus,
**その結果、[[w:ニティオブロゲス族|ニティオブロゲス族]]の王[[w:テウトマトゥス|テウトマトゥス]]は、[[w:テント|天幕]]において突然に襲われて、
*ut meridie conquieverat, superiore corporis parte nudata<ref>nudata はα系写本の記述で、β系写本では nuda となっている。</ref>
**昼寝をしていたが、上半身は裸のままで、
*vulnerato equo vix se ex manibus praedantium militum eriperet.
**傷付けられた馬によって、略奪している(ローマ人)兵士の手から、やっと自らを救い出した。
 
===47節===
'''血気にはやるローマ兵たちの猪突猛進、ガリア女たちの命乞い'''
*① Consecutus id quod animo proposuerat
**心に決めていたことを達成したので、
*Caesar receptui cani iussit
**カエサルは退却ラッパを吹くことを命じた。
*legionique decimae, quacum erat, contionatus signa constituit.
**彼とともにいた[[w:第10軍団エクェストリス|第10軍団]]に呼びかけて、軍旗を停止した。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:第10軍団はガリア戦争初期からの最古参の軍団。軍旗を停止するとは、進軍を止めること。)</span>
*② Ac<ref>ac はα系写本の記述で、β系写本では at となっている。</ref> reliquarum legionum milites non exaudito<ref>exaudito はα系写本の記述で、β系写本では audito となっている。</ref> sono tubae,
**ほかの[[w:ローマ軍団|軍団]]の兵士たちは、ラッパの響きを聞き取れなかった。
*quod satis magna valles intercedebat,
**というのは、十分に大きな峡谷が間にあったからである。
*tamen ab<ref>ab はα系写本の記述で、β系写本では a となっている。</ref> tribunis militum legatisque, ut erat a Caesare praeceptum, retinebantur;
**しかしながら、<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|軍団次官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>たちや<ruby><rb>[[w:レガトゥス|総督副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レガトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>たちにより、カエサルから指図されていたように、制止されていた。
*③ Sed elati spe celeris victoriae et hostium fuga et superiorum temporum secundis proeliis
**だが(兵士たちは)迅速な勝利の希望や、敵たちの逃亡や、それ以前のときの順調な戦闘により、高慢になっていて、
*nihil adeo arduum sibi esse existimaverunt<ref>esse existimaverunt はα系写本の記述で、β系写本では existimabant となっている。</ref>, quod non virtute consequi possent,
**自分たちにとって、武勇で達することができないほどの困難なものはまったく何もない、と考えており、
*neque finem prius sequendi fecerunt quam muro oppidi portisque adpropinquarunt.
**(ゲルゴウィアの)城市の城壁や城門に近付くまでは、追及を終結させなかった。
*④ Tum vero ex omnibus urbis partibus orto clamore,
**すると、まさに(ゲルゴウィアの)町のあらゆる方面から叫び声が発せられて、
*qui longius aberant, repentino tumultu perterriti,
**(城内の)遠い方に離れていた者たちは、予期せぬ騒ぎに脅えており、
*cum hostem intra portas esse existimarent,
**敵(=ローマ人)が城門の内側にいると考えたので、
*sese ex oppido eiecerunt.
**城市から急ぎ出た。
*⑤ Matres familiae de muro vestem argentumque iactabant
**家庭の母親たちは、城壁から衣類や貨幣をたびたび投げやった。
*et pectore nudo prominentes passis manibus obtestabantur Romanos,
**そして胸を裸にして(城壁の上に)進み出て、手を伸ばしてローマ人たちに哀願した。
*ut sibi parcerent
**自分たちを容赦するように、
*neu, sicut Avarici fecissent, ne a mulieribus quidem atque infantibus abstinerent;
**(ローマ人が)アウァリクムでしたように女たちや子供たちでさえも赦免しないことのないように、と。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ローマ人がアウァリクムでした行為については、[[#28節|28節]]④項を参照。)</span>
*⑥ nonnullae de muris<ref>muris はα系写本の記述で、β系写本では mure となっている。</ref> per manus demissae sese militibus tradebant.
**少なからぬ者たちは、城壁から手で降ろされて、(ローマ人)兵士たちに身を任せた。
 
[[画像:Gergovie_mur_pano2.jpg|thumb|center|700px|ゲルゴウィア([[w:la:Gergovia|Gergovia]])すなわち現在のジェルゴヴィ高地([[w:fr:Plateau de Gergovie|Plateau de Gergovie]])で発掘された城壁の遺構。]]
 
*⑦ L.(Lucius) Fabius centurio legionis VIII(octavae),
**[[w:第8軍団アウグスタ|第8軍団]]の<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオ</rt><rp>)</rp></ruby>であるルキウス・ファビウスは、
*quem inter suos eo die dixisse constabat
**配下の者たちの間で、その日、(以下のように)言ったことが知られていた。
*excitari se Avaricensibus praemiis neque commissurum, ut prius quisquam murum ascenderet,
**自分はアウァリクムの恩賞に奮い立たせられて、何者かが(自分)より早く城壁を登るようなことは生じさせない、と。
*tres suos nactus manipulares
**(ファビウスは)同じ隊の兵士である3人の配下と遭遇して、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:manipulares は「[[w:マニプルス|歩兵中隊]]の」とも解されるが、ここでは「同じ隊の兵士」という意味であろう。)</span>
*atque ab his sublevatus murum ascendit,
**彼らによって持ち上げられて城壁を登った。
*hos<ref>hos はα系写本の記述で、π系写本では eos 、ρ系写本では eo となっている。</ref> ipse rursus singulos exceptans in murum extulit.
**彼らは(ファビウス)自身が再び1人ずつ引き出して、城壁に導き上げた。
 
===48節===
'''ガリア勢が城市に引き返して、防戦に努める'''
*① Interim hi<ref>hi はα系・π系・R写本の記述で、U写本では ii となっている。</ref> qui ad alteram partem oppidi, ut supra demonstravimus, munitionis causa convenerant,
**その間に、前に述べたように、<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の別の方面へ、防御のために集結していた(ガリア勢の)者たちは、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#45節|45節]]⑥項で述べられている。)</span>
*primo exaudito clamore,
**初めに叫び声を聞き取り、
*inde etiam crebris nuntiis incitati oppidum ab Romanis teneri,
**さらに、城市がローマ人たちによって占領されたという頻繁な知らせにさえも駆り立てられて、
*praemissis equitibus magno concursu<ref>concursu はα系写本の記述で、β系写本では cursu となっている。</ref> eo contenderunt.
**[[w:騎兵|騎兵]]たちを先遣して、(歩兵たちも)駆けに駆けて、そこ(=城市)へ急いだ。
 
[[画像:Auvergne_Gaul_coin_CdM.jpg|thumb|right|300px|[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]の兵士が刻まれた貨幣([[w:ビブリオテーク・ナショナル|仏国立図書館]]貨幣部所蔵)]]
*② Eorum ut quisque primus venerat,
**彼らの(城市に)到着した者から順々に
**:<span style="color:#009900;">(訳注:quisque primus「最初の者ごとに;順々に」)</span>
*sub muro consistebat suorumque pugnantium numerum augebat.
**城壁の下に陣取って、味方の戦う者たちの数を増した。
*③ Quorum cum magna multitudo convenisset,
**その者たちの大群集が集結したときに、
*matres familiae quae paulo ante Romanis de muro manus tendebant,
**少し前にはローマ人たちに城壁から手を差し出していた家庭の母親たちが
*suos obtestari
**味方に哀願して、
*et more Gallico passum capillum ostentare liberosque in conspectum proferre coeperunt.
**ガリアの風習により、髪を広げて示し、子供たちを(男たちの)眼前に運び始めた。
*④ Erat Romanis nec loco nec numero aequa contentio;
**ローマ人たちにとっては、地の利でも(兵の)数でも、対等な闘いはなかった。
*simul et cursu et spatio pugnae defatigati
**と同時に、戦いの疾走や時間(の長さ)に疲弊させられていて、
*non facile recentes atque integros sustinebant.
**(ガリア勢の)新来かつ無傷の者たちに、容易に持ちこたえられなかった。
 
===49節===
'''カエサルが劣勢の自軍に副官セクスティウスを増援する'''
*① Caesar cum iniquo loco pugnari hostiumque augeri copias videret,
**カエサルは(戦闘が自軍に)不利な場所で戦われていること、かつ敵方の軍勢が増やされていることを見たので、
*praemetuens suis
**配下の者たちを気遣って、
*ad T.(Titum) Sextium legatum, quem minoribus castris praesidio reliquerat, misit,
**小さい方の陣営に守備として残しておいた<ruby><rb>[[w:レガトゥス|総督副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レガトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>ティトゥス・セクスティウスのところへ(伝令を)遣わして、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:セクスティウスについては、すでに副官として[[ガリア戦記 第6巻#1節|第6巻1節]]で言及されている。)</span>
*ut cohortes ex castris celeriter educeret
**陣営から(いくつかの)<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>を速やかに進発させるように、
*et sub infimo colle ab dextro latere hostium constitueret,
**かつ丘陵のふもとの下方で、敵方の右の側面に布陣するように、と。
*② ut, si nostros loco depulsos vidisset, quominus libere hostes insequerentur terreret.
**もし我が方が(戦闘の)場所から追いやられたのを見たら、敵方が自由に追撃することにならぬよう脅かすためである。
*③ Ipse paulum ex eo loco cum legione progressus, ubi constiterat,
**(カエサル)自身は、停止していた場所から、軍団とともに少し前進して、
**:<span style="color:#009900;">([[#47節|47節]]①項で既述のように、カエサルとともに停止していたのは[[w:第10軍団エクェストリス|第10軍団]]である。)</span>
*eventum pugnae exspectabat.
**戦いの決着を待っていた。
 
===50節===
'''激戦の末、敗勢に陥るローマ軍'''
*① Cum acerrime comminus pugnaretur, hostes loco et numero, nostri virtute confiderent,
**(両軍により)激烈に格闘して戦われていて、敵方は地の利と(兵の)数を、我が方(ローマ軍)が武勇を頼りとしていたときに、
*subito sunt Haedui visi ab latere nostris aperto,
**突如として、我が方にとって開けた側面(=右側)から、[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]の者たち(の姿)が見られた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:「開けた側面から」ab latere aperto とは、兵士の[[w:スクトゥム|長盾]]で覆われていない右側を指す。)</span>
*quos Caesar ab dextra parte alio ascensu manus distinendae causa miserat.
**カエサルがその者たちを右の方面から別の登り道により(敵の)部隊を分散しておくために派遣していたのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:この事は、[[#45節|45節]]⑩項で述べられている。)</span>
*② Hi similitudine armorum vehementer nostros perterruerunt,
**彼らの武具が(ガリア勢のものと)似ていることが、我が方(の兵士たち)を極度に怖れさせた。
*ac tametsi dextris humeris<ref>humeris が写本(ω)の記述であるが、umeris とするのも一般的となっている。</ref> exsertis animadvertebantur, quod insigne pactum<ref>pactum はHellerによる修正提案で、写本(ω)では pacatum となっており、研究者たちにより他の修正も提案されている。</ref> esse consuerat,
**(ハエドゥイ勢は)右の肩を脱いでいるのが視認され、その印は(味方として)定められているのが常であったが、
*tamen id ipsum sui fallendi causa milites ab hostibus factum existimabant.
**けれども(ローマ人の)兵士たちは、それ自体が自分たちを欺くために、敵方によりなされたと考えたのだ。
 
[[画像:Dorf_La_Roche_Blanche.JPG|thumb|right|300px|ゲルゴウィア([[w:la:Gergovia|Gergovia]])すなわち現在のジェルゴヴィ高地([[w:fr:Plateau_de_Gergovie|Plateau de Gergovie]])の遠景(南方のル・クレスト [[w:fr:Le_Crest|Le Crest]] から撮影)。画像中央がローマ軍が小さい方の陣営を設置していたと推定されているラ・ロシュ=ブランシュ([[w:fr:La_Roche-Blanche_(Puy-de-Dôme)|La Roche Blanche]])の丘陵で、山頂からこの丘陵の辺りが激戦地だったと思われる。現在は山麓にかけて住宅地が広がっている。]]
 
*③ Eodem tempore L.(Lucius) Fabius centurio quique una murum ascenderant,
**同じ時に、<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオ</rt><rp>)</rp></ruby>ルキウス・ファビウスおよび一緒に城壁を登っていた者たちは、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ファビウスらについては、[[#47節|47節]]⑦項で述べられている。)</span>
*circumventi atque interfecti de<ref>de はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> muro praecipitabantur.
**(ガリア勢に)取り囲まれ、殺害されて、城壁から突き落とされた。
*④ M.(Marcus) Petronius, eiusdem legionis centurio,
**同じ[[w:ローマ軍団|軍団]]の百人隊長マルクス・ペトロニウスは、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ファビウスと同じ軍団とは、[[#47節|47節]]⑦項で述べられているように[[w:第8軍団アウグスタ|第8軍団]]である。)</span>
*cum portas<ref>portas は写本(ω)の記述だが、portam と単数形にする修正も提案されている。</ref> excidere conatus esset,
**城門を突き破って出ることを試みていたときに、
*a multitudine oppressus ac sibi desperans multis iam vulneribus acceptis,
**(敵の)大勢によって圧倒されて、すでに多くの傷を受けて自分に絶望しており、
*manipularibus suis, qui illum secuti erant<ref>secuti erant はα系写本の記述で、β系写本では erant secuti となっている。</ref>,
**彼に付き従っていた同じ隊の配下の者たちに、
*"quoniam" inquit "me una vobiscum servare non possum,
**曰く「私と諸君を一緒に救うことはできないのだから、
*vestrae quidem certe vitae prospiciam, quos cupiditate gloriae adductus in periculum deduxi.
**せめて、栄誉の欲に引き寄せられて危険に引きずり込んでしまった諸君の生命にはきっと見通しを与えるであろう。
*⑤ Vos data facultate vobis consulite."
**諸君は(生き延びる)可能性が与えられているから、諸君(自身)を助けたまえ。」
*Simul in medios hostes inrupit duobusque interfectis reliquos a porta paulum submovit.
**と同時に、敵方の真ん中に押し入って、2名を殺害して、ほかの者たちを城門からいくらか退けた。
*⑥ Conantibus auxiliari suis
**(ペトロニウスは自分の)支援を試みる配下の者たちに、
*"frustra" inquit "meae vitae subvenire conamini, quem iam sanguis viresque deficiunt.
**曰く「もはや血も活力も尽き果てた私の生命を助けることを試みているのは無益だ。
*Proinde abite, dum est facultas, vosque ad legionem recipite."
**ゆえに(生き延びる)可能性がある間に立ち去れ。諸君は軍団のところへ退却せよ。」
*Ita pugnans post paulum<ref>paulum はα系・ρ系写本の記述で、π系写本では paululum となっており、paulo という修正提案もされている。</ref> concidit ac suis saluti fuit.
**こうして(ペトロニウスは)戦って少し後で斃れ、配下の者たちにとっては救いとなった。
 
===51節===
[[画像:Monument_gergovie_fr.jpg|thumb|right|290px|[[w:ゲルゴウィアの戦い|ゲルゴウィア戦勝]]記念碑。[[w:1903年|1903年]]に[[w:クレルモン=フェラン|クレルモン=フェラン市]]出身の建築家ジャン・テラール([[w:fr:Jean Teillard|Jean Teillard]])が、侵略者カエサルを撃退した郷土の英雄[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]に捧げるためにジェルゴヴィ高地([[w:fr:Plateau_de_Gergovie|Plateau de Gergovie]])に建立したものである。]]
[[画像:Plaque_Napoléon_III_Gergovie.jpg|thumb|right|300px|[[w:ゲルゴウィアの戦い|ゲルゴウィア]]の地に残る銘板。フランス語で「[[w:ナポレオン3世|ナポレオン3世]]は、1862年のゲルゴウィアの[[w:オッピドゥム|城市]](跡)訪問の結果、メルドーニュ(Merdogne)の住民たちの要求に対して、1865年1月11日の政令によって、彼らの村にジェルゴヴィ([[w:fr:Gergovie|Gergovie]])の名を与えることを決定した。」<!-- «A la suite de sa visite sur l'oppidum de Gergovia en 1862, Napoléon III, à la demande des habitants de Merdogne, décida d'attribuer à leur village le nom de Gergovie, par décret du 11 janvier 1865.»-->]]
'''カエサルが一敗地に塗れる'''
*① Nostri cum undique premerentur,
**我が方(ローマ軍)は、至る所で圧倒されたので、
*XLVI(sex et quadraginta)<ref>XLVI はα系写本の記述で、β系写本では sex et XL となっている(どちらも46)。</ref> centurionibus amissis deiecti sunt loco.
**46名の<ruby><rb>[[w:ケントゥリオ|百人隊長]]</rb><rp>(</rp><rt>ケントゥリオ</rt><rp>)</rp></ruby> を失い、(激戦の)場所から追いやられた。
*Sed intolerantius Gallos insequentes
**けれども、容赦なく追撃して来るガリア人たちを
*legio decima tardavit, quae pro subsidio paulo aequiore loco constiterat.
**予備部隊(もしくは要撃部隊)として、いくらか平らな所に陣取っていた[[w:第10軍団エクェストリス|第10軍団]]が妨げた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#47節|47節]]①項で既述のように、第10軍団はカエサルとともに待機していた。)</span>
*② Hanc rursus XIII(tertiae decimae) legionis cohortes exceperunt,
**これ(=第10軍団)をさらに、第13軍団の諸<ruby><rb>[[w:コホルス|大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>が支えた。
*quae ex castris minoribus eductae cum T.(Tito) Sextio legato ceperant locum<ref>ceperant locum はα系写本の記述で、β系写本では locum ceperant となっている。</ref> superiorem.
**それらは<ruby><rb>[[w:レガトゥス|総督副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レガトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>ティトゥス・セクスティウスとともに小さい方の陣営から進発してより高い所を占めていたのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#49節|49節]]を参照。)</span>
*③ Legiones ubi primum planitiem attigerunt,
**諸[[w:ローマ軍団|軍団]]は、平野に達するや否や、
*infestis contra hostes signis constiterunt.
**敵方に抗して戦備を整えて陣取った。
*④ [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] ab radicibus collis suos intra munitiones reduxit.
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]は、配下の者たちを丘陵の麓から(ゲルゴウィアの)防備の内側に連れ戻した。
*Eo die milites sunt paulo minus [[wikt:la:Septingenti|septingenti]] desiderati.
**その日、(ローマ軍は)700名よりいくらか少ない兵士を失った。
<br>
:<span style="color:#009900;">(訳注:カエサルとウェルキンゲトリクスは、たびたび交えた騎兵戦ではカエサルが勝っているが、</span>
:<span style="color:#009900;">両軍の主力部隊である歩兵どうしが激突したこの戦闘は、地の利もあって、ウェルキンゲトリクスが完勝した。</span>
:<span style="color:#009900;">カエサルは第8軍団など古参の部隊を投入しながら、歴戦の百人隊長と兵士たちを多く失った。)</span>
 
===52節===
'''敗軍の将カエサルが兵士たちを責める'''
*① Postero die Caesar contione advocata
**翌日にカエサルは(兵士たちの)集会を召集して、
*temeritatem cupiditatemque militum<ref>cupiditatemque militum はα系写本の記述で、β系写本では militum cupiditatemque となっている。</ref> reprehendit,
**兵士たちの無思慮や功名心をとがめた。
*quod sibi ipsi iudicavissent, quo procedendum aut quid agendum videretur,
**というのは、どこへ進み出るべきか、あるいは何がなされるべきと思われるのか、自分たちに対し自分たちで判断してしまったからだ。
*neque signo recipiendi dato constitissent
**退却することの合図を与えられても留まりもせず、
*neque ab<ref>ab はα系写本の記述で、β系写本では a となっている。</ref> tribunis militum legatisque retineri potuissent.
**<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|軍団次官]]たち</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>や<ruby><rb>[[w:レガトゥス|総督副官]]たち</rb><rp>(</rp><rt>レガトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>により制止されることもできなかったからだ。
*② Exposuit quid iniquitas loci posset, quod<ref>quod は写本(ω)では quid となっているが、近世以降の校訂者たちは quod と修正提案している。</ref> ipse ad [[w:la:Avaricum Biturigum|Avaricum]] sensisset,
**地の利のなさがどれほど影響するのか、(カエサル)自身がアウァリクムで判断したことを説明した。
*cum sine duce et sine equitatu deprehensis hostibus
**将帥もなく騎兵隊もない敵たちを探し当てたときに、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#18節|18節]]~[[#19節|19節]]を参照。そのときガリア勢は、ウェルキンゲトリクスが騎兵隊を連れて出て不在であった。)</span>
*exploratam victoriam dimisisset,
**確実であった勝利を諦めたのだ。
*ne parvum modo detrimentum in contentione propter iniquitatem loci accideret.
**地の利のなさのために、闘いにおいてほんのわずかな損害も生じないように(勝利を諦めたのだ)。
*③ Quanto opere<ref>Quanto opere はα系写本の記述で、β系写本では Quantopere となっている。</ref> eorum animi magnitudinem admiraretur,
**彼ら(兵士たち)の大胆さに(カエサルが)驚嘆すればするほど、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:quanto opere ~ tanto opere …/quantopere ~ tantopere …「~すればするほど、ますます…」)</span>
*quos non castrorum munitiones, non altitudo montis, non murus oppidi tardare potuisset,
**彼らのことを(ガリア勢の)陣営の防備も、山の高さも、[[w:オッピドゥム|城市]]の城壁も妨げることができなかったのではあるが、
*tanto opere<ref>tanto opere はα系・T・ρ系写本の記述で、V写本では tantopere となっている。</ref> licentiam arrogantiamque reprehendere,
**それだけにますます(兵士たちの)勝手気ままさや高慢さを(カエサルは)非難する(と言った)。
*quod plus se quam imperatorem de victoria atque exitu rerum sentire existimarent;
**というのは、自分たちが将軍(カエサル)よりも勝利と事の結末についてよく判断していると考えていたからだ。
*④ nec<ref>nec はα系写本の記述で、β系写本では non となっている。</ref> minus se ab<ref>ab はα系写本の記述で、β系写本では in となっている。</ref> milite modestiam et continentiam quam virtutem atque animi magnitudinem desiderare.
**自分(カエサル)は兵士たちに、武勇や大胆さよりも、慎重さや自制心を望んでいるのだ。
 
*:<span style="color:#009900;">(訳注:カエサルは兵士たちを上のように責めたが、兵士たちを統制できなかった責任は最高司令官にある。)</span>
 
===53節===
'''カエサルとローマ軍がゲルゴウィアから撤退'''
*① Hac habita contione et ad extremam orationem confirmatis militibus,
**(カエサルは)このような熱弁を振るって、演説の最後に、兵士たちを元気付けた。
*ne ob hanc causam animo permoverentur
**このような理由のために心をかき乱されないように、
*neu, quod iniquitas loci attulisset, id virtuti hostium tribuerent,
**かつ、地の利のなさが引き起こしたことを、敵方の武勇に転嫁しないように、と。
*eadem de profectione cogitans, quae ante senserat,
**(ゲルゴウィアからの)出発については、以前から判断していたのと同じことを考えていて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#43節|43節]]⑤項を参照。ゲルゴウィアからの撤退が敗走同然に見られないようにと、考えていたのであろう。)</span>
*legiones ex castris eduxit aciemque idoneo loco constituit.
**諸[[w:ローマ軍団|軍団]]を陣営から進発させて、適切な場所に戦列を整えた。
*② Cum [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] nihilo minus &lt; intra munitiones remaneret neque &gt; in aequum locum descenderet,
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]が、防備の内側に留まったばかりか、平らな場所に降りてこなかったので、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:&lt; intra munitiones remaneret neque &gt; は、写本になく、近代に挿入提案された修正案の一つ。)</span>
*levi facto equestri proelio, atque secundo, in castra exercitum reduxit.
**軽微な騎兵戦を行なって、順調のうちに軍隊を陣営に連れ戻した。
*③ Cum hoc idem postero die fecisset,
**翌日もこれと同じことを行なって、
*satis ad Gallicam ostentationem minuendam militumque animos confirmandos factum existimans
**ガリア人の誇示を弱めること、および(ローマ人)兵士の心を強固にすることが十分になされたと考えたので、
*in [[w:la:Haedui|Haeduos]] movit castra.
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]のところに陣営を移(すために出発)した。
*④ Ne tum quidem insecutis hostibus
**そのとき、敵方は決して追撃して来なかったので、
*tertio die ad flumen [[w:la:Elaver|Elaver]] pontes<ref>pontes はα系写本の記述で、β系写本では pontem となっている。</ref> reficit<ref>reficit はχ系・B・M・L・N写本の記述で、S写本では refecit となっている。</ref> eoque exercitum<ref>eoque exercitum はα系写本の記述で、β系写本では exercitumque となっている。</ref> traducit<ref>traducit はα系写本の記述で、β系写本では traduxit となっている。</ref>.
**3日目にはエラウェル川(=現在の[[w:アリエ川|アリエ川]])のところで橋を再建して、そこで軍隊を渡らせた。
 
===54節===
'''ハエドゥイ族のエポレドリクスとウィリドマルスらがカエサルのもとから立ち去る'''
*① Ibi a Viridomaro atque [[w:la:Eporedorix|Eporedorige]] [[w:la:Haedui|Haeduis]] appellatus discit
**そこで(カエサルが)[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]の[[w:ウィリドマルス|ウィリドマルス]]と[[w:エポレドリクス|エポレドリクス]]から話しかけられて知ったことには、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#39節|39節]]~[[#40節|40節]]を参照。ウィリドマルスとエポレドリクスはカエサルの軍勢に従軍していたと思われる。)</span>
*cum omni equitatu Litaviccum ad sollicitandos Haeduos profectum;
**[[w:リタウィックス|リタウィックス]]がすべての騎兵隊とともに、ハエドゥイ族の者たちをそそのかすために出発したという。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#40節|40節]]を参照。リタウィックスは謀計が破れたので、ゲルゴウィアに逃れていた。)</span>
*opus esse ipsos antecedere ad confirmandam civitatem.
**部族の支持を固めるために、(彼ら)自身が(リタウィックスより)先行することが必須であるというのだ。
*② Etsi multis iam rebus perfidiam Haeduorum<ref>perfidiam Haeduorum はα系写本の記述で、β系写本では Haeduorum perfidiam となっている。</ref> Caesar<ref>Caesar はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> perspectam habebat
**カエサルは、すでに多くの事により、ハエドゥイ族の背信行為を目にして来ており、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:Etsi ~, tamen …「~としても、しかしながら…」)</span>
*atque horum discessu admaturari defectionem civitatis existimabat,
**この者たちが(カエサルのもとから)立ち去ることで、(ハエドゥイ)部族の背反が一層促進されると考えていたのだが、
*tamen eos retinendos non censuit<ref>censuit はπ系写本の記述で、α系・ρ系写本では constituit となっている。</ref>,
**しかしながら、彼ら(2人)を束縛するべきではないと考慮した。
*ne aut inferre iniuriam videretur aut dare<ref>dare はα系写本の記述で、β系写本では daret となっている。</ref> timoris aliquam<ref>timoris aliquam はα系写本の記述で、β系写本では aliquam timoris となっている。</ref> suspicionem.
**(カエサルが)無法行為を起こすと思われないように、あるいは(彼らを)怖れているという何らかの疑念を与えないように。
*③ Discedentibus his breviter sua in Haeduos merita exposuit,
**(カエサルは)立ち去る彼らに、ハエドゥイ族における自分の功績を手短に説明した。
*quos et quam humiles accepisset, compulsos in oppida, multatos agris,
**彼らが、どれほど無力であったのを引き受けたことか、[[w:オッピドゥム|城市]]に押し込められ、耕地を台無しにされて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:et ~, et …「~でもあり、…でもある。」)</span>
*omnibus ereptis sociis<ref>sociis「同盟者たち」 はβ系写本の記述で、α系写本では copiis「軍勢」となっている。</ref>, imposito stipendio, obsidibus summa cum contumelia extortis,
**すべての同盟者たちを奪い取られ、貢物を課せられて、たいへんな侮辱とともに人質をもぎ取られていたことか。
*④ et quam in fortunam quamque in amplitudinem deduxisset,
**かつ、どれほどの境遇に、どれほどの高位に(カエサルが)引き上げもしたことか。
*ut non solum in pristinum statum redissent,
**その結果(ハエドゥイ族は)かつての地位に戻っただけでなく、
*sed omnium temporum dignitatem et gratiam antecessisse viderentur.
**(以前の)あらゆる時期の品格や信望をも越えていると思われる。
*His datis mandatis eos ab se dimisit.
**このような訓示を与えて、彼ら(2人)を自分のもとから送り出した。
 
===55節===
'''エポレドリクスとウィリドマルスらがローマの拠点ノウィオドゥヌムで寝返る'''
[[画像:Nevers_-_Vue_depuis_la_rive_sud_de_la_Loire.jpg|thumb|center|700px|ノウィオドゥヌム([[w:la:Nivernum|Noviodunum]])=現・[[w:ヌヴェール|ヌヴェール]]([[w:fr:Nevers|Nevers]])における、リゲル川([[w:la:Liger|Liger]])=現・[[w:ロワール川|ロワール川]]([[w:fr:Loire (fleuve)|Loire]])の岸辺の景観]]
 
*① [[w:la:Nivernum|Noviodunum]] erat oppidum [[w:la:Haedui|Haeduorum]] ad ripas [[w:la:Liger|Ligeris]] opportuno loco positum.
**[[w:ノウィオドゥヌム|ノウィオドゥヌム]]は、[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]の[[w:オッピドゥム|城市]]で、リゲル川(現[[w:ロワール川|ロワール川]])岸の好都合な所に位置していた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:『ガリア戦記』には同名の都市が計3か所載っているが、こちらは現在の[[w:ヌヴェール|ヌヴェール]] Nevers である。)</span>
*② Huc Caesar omnes obsides Galliae, frumentum, pecuniam publicam,
**ここに、カエサルは、ガリアのすべての人質たちや、糧食、公金、
*suorum atque exercitus impedimentorum magnam partem contulerat;
**および自分と軍隊の[[w:輜重|輜重]]の大部分を運び集めていた。
*③ huc magnum numerum equorum huius belli causa in [[w:la:Italia|Italia]] atque [[w:la:Hispania|Hispania]] coemptum miserat.
**ここに、この戦争のためにイタリアと[[w:ヒスパニア|ヒスパニア]]から買い集めた馬匹の多数を送っておいた。
*④ Eo cum [[w:la:Eporedorix|Eporedorix]] Viridomarusque venissent et de statu civitatis cognovissent,
**そこに、[[w:エポレドリクス|エポレドリクス]]と[[w:ウィリドマルス|ウィリドマルス]]がやって来て、(以下のような)部族の情勢について察知したときに、
 
[[画像:Bibracte333_crop.JPG|thumb|right|400px|[[w:ビブラクテ|ビブラクテ]]の[[w:オッピドゥム|城市]]跡に整備された城壁の遺構]]
 
*Litaviccum [[w:la:Bibracte|Bibracti]] ab Haeduis receptum,
**(すなわち)リタウィックスが、ハエドゥイ族の者たちによって[[w:ビブラクテ|ビブラクテ]]に迎え入れられ、
*─ quod est oppidum apud eos maximae auctoritatis ─,
**それ(ビブラクテ)は彼ら(ハエドゥイ族)のもとで最大の影響力を持つ城市であるが、
*Convictolitavem<ref>Convictolitavem はβ系・N写本の記述で、χ系・B・M・S・L写本では Convictolitabim となっている。</ref> magistratum magnamque partem senatus ad eum convenisse,
**統領[[w:コンウィクトリタウィス|コンウィクトリタウィス]]と評議会の大半の者たちが彼(リタウィックス)のもとへ参集し、
*legatos ad [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorigem]] de pace et<ref>et は α系・U写本の記述で、π系・R写本では et de となっている。</ref> amicitia concilianda publice missos,
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]のところへ和平と友好を仲介するべく公けに使節たちが遣わされた(ことを知った)ので、
*non praetermittendum instans<ref>instans はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> tantum commodum existimaverunt.
**(エポレドリクスとウィリドマルスは)眼前にあるこれほどの好機を放置するべきではないと考えたのだ。
*⑤ Itaque interfectis Novioduni custodibus quique eo negotiandi aut itineris<ref>aut itineris はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> causa convenerant,
**こうして(2人は)ノウィオドゥヌムの(ローマ側の)番兵たちや商用や旅行のために来訪していた者たちを殺害し、
*pecuniam atque equos inter se partiti sunt;
**金銭および馬匹を互いに分け合った。
*⑥ obsides civitatum Bibracte ad magistratum deducendos curaverunt;
**(ガリアの)部族の人質たちをビブラクテの統領のところへ連れて行くように手配した。
*⑦ oppidum, quod a<ref>a はα系写本の記述で、β系写本では ab となっている。</ref> se teneri non posse iudicabant,
**(ノウィオドゥヌムの)城市は、自分たちによって固守することはできないと判断したので、
*ne cui esset usui Romanis, incenderunt;
**ローマ人たちの有益になることがないように、焼き打ちした。
*⑧ frumenti quod subito potuerunt navibus avexerunt,
**糧食のうち、急いで(運ぶことが)できるものを船団で運び去って、
*reliquum flumine atque incendio corruperunt.
**残りのものを川(に流すこと)により、および焼き打ちにより、役立たないようにした。
*⑨ Ipsi ex finitimis regionibus copias cogere,
**(彼ら)自身は、近隣の地方から軍勢を徴集して、
*praesidia custodiasque ad ripas Ligeris disponere
**リゲルの川岸のたもとへ守備隊や番兵を分配して、
*equitatumque omnibus locis iniciendi timoris causa ostentare coeperunt,
**(ローマ人に)恐怖(の感情)を起こさせるために、[[w:騎兵|騎兵隊]]に誇示をさせ始めた。
*si ab re frumentaria Romanos excludere
**もし、ローマ人たちが糧食調達することを阻止するなら、
*† aut adductos inopia in provincia<ref>in provincia は、α系写本では ex provincia「属州から」、β系写本では provincia となっているが、コンスタン Constans やクロッツ A.Klotz らにより in provincia「属州に」と修正提案されている。</ref> expellere<ref>expellere「駆逐する」 はα系写本の記述で、β系写本では excludere「阻止する、妨げる」 となっている。</ref> † possent.
**あるいは(糧食などの)欠乏により、属州に駆逐することができるなら、と。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:† ~ † は、写本の文章が崩れて校訂者を迷わせていることを表す記号。修正提案されている。)</span>
*⑩ Quam ad spem multum eos adiuvabat,
**そのような希望へ、彼らを大いに励まし助けたのは、
*quod Liger ex nivibus creverat,
**リゲル川(の水位)が雪水により増したことで、
*ut omnino vado non posse transiri videretur.
**すべての浅瀬が渡らせられることができないと思われたのである。
 
===56節===
'''カエサルが属州へは戻らず、増水したリゲル川の渡河を敢行'''
*① Quibus rebus cognitis Caesar maturandum sibi censuit,
**それらの事態を知ると、カエサルは自らにとって(以下のことを)急ぐべきだと考慮した。
*si esset in perficiendis pontibus periclitandum,
**もし、橋を造り上げる最中に(敵勢と闘うという)危険を冒すのであれば、
*ut prius, quam essent maiores eo coactae copiae, dimicaret.
**そこに(敵方の)より多くの軍勢が集結するよりも早く闘うように(急ぐべきだと)。
*② Nam ut commutato consilio iter in provinciam converteret,
**なぜなら、作戦を変更して、属州([[w:ガリア・ナルボネンシス|ガリア・トランサルピナ]])に進路を方向転換するようにと、
*ne metu quidem<ref>ne metu quidem はα系写本の記述で、β系写本では nemo tunc quidem 、そのほか近代の校訂者によって修正提案が行なわれている。</ref> necessario faciendum<ref>faciendum はβ系写本の記述で、α系写本では faciundum となっている。</ref> existimabat;
**(ガリア勢への)怖れによって行なうことは決して必要ではない、と考えたのだ。
*cum infamia atque indignitas rei
**(属州に撤退するという)事の不名誉や恥辱が、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:cum ~ tum …「~であるのと同様に特に…である」)</span>
*et oppositus mons Cevenna<ref>Cevenna はχ系・U写本の記述で、π系・R写本の記述では Cebenna、φ系写本では Cevennae となっている。</ref> viarumque difficultas impediebat,
**およびケウェンナ山地が相対して道の(通行の)困難なことが、(属州への撤退を)妨げていたし、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ケウェンナ山地 mons Cevenna は現在のセヴェンヌ山地。[[#8節|8節]]を参照。)</span>
*tum maxime quod abiuncto [[w:la:Titus_Labienus|Labieno]] atque iis legionibus, quas una miserat, vehementer timebat.
**同様に、とりわけ[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエヌス]]と一緒に派遣していた諸[[w:ローマ軍団|軍団]]から遠ざけられて、非常に心配してもいたのだ。
*③ Itaque admodum magnis diurnis nocturnisque itineribus confectis
**こうして、昼間も夜間も非常な強行軍を成し遂げて、
*contra omnium opinionem ad [[w:la:Liger|Ligerem]]<ref>Ligerem はα系写本の記述で、β系写本では Ligerim となっている。</ref> venit
**皆の予想に反して、リゲル川(=現[[w:ロワール川|ロワール川]])の辺りにやって来た。
*④ vadoque per equites invento pro rei necessitate opportuno,
**事態の緊急性に見合う好都合な浅瀬を、[[w:騎兵|騎兵]]たちを通じて見出して、
*ut brachia modo atque humeri<ref>humeri はA・φ系・ρ系写本の記述で、Q写本では umeri となっている。</ref> ad sustinenda arma liberi ab aqua esse possent,
**やっと腕と肩を、武器を差し上げるために、水から自由になることができた。
*disposito equitatu, qui vim fluminis refringeret,
**川の流れの圧力を妨げるべく、騎兵隊を分けて置いて、
*atque hostibus primo aspectu perturbatis,
**敵方は(ローマ勢を)初めに一見するや狼狽していたので、
*⑤ incolumem exercitum traduxit
**(カエサルは)軍隊を無傷のまま渡河させた。
*frumentumque in agris et pecoris copiam nactus
**耕地の穀物、および大量の家畜を獲得して、
*repleto his rebus exercitu
**これらの物を軍隊に補充して、
*iter in Senones facere instituit.
**[[w:セノネス族|セノネス族]]のところに行軍することを決めた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:セノネス族の方面には、副官ラビエヌスと4個軍団を派遣していた。)</span>
 
==ラビエヌスのルテティア遠征==
===57節===
'''副官ラビエヌスがルテティア制圧に向かう'''
*① Dum haec apud Caesarem geruntur,
**これらがカエサルのもとで遂行されている間に、
*[[w:la:Titus Labienus|Labienus]] eo supplemento, quod nuper ex Italia venerat,
**[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエヌス]]は、最近イタリアから来ていた補充兵(予備兵)を
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#34節|34節]]で既述のようにラビエヌスはカエサルから4個軍団とともにガリア北部の制圧を委ねられていた。</span>
**:<span style="color:#009900;">また、[[#1節|1節]]で既述のようにカエサルはイタリア(属州[[w:ガリア・キサルピナ|ガリア・キサルピナ]])で部隊を徴兵していた。)</span>
*relicto [[w:la:Agedincum|Agedinci]], ut esset impedimentis praesidio,
**アゲディンクムに、[[w:輜重|輜重]]にとっての守備隊となるように、残留させて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#10節|10節]]で既述のように、カエサルはアゲディンクム(現在の[[w:サンス|サンス]])に全軍の輜重を残していた。)</span>
*cum quattuor legionibus Luteciam<ref>Luteciam はα系写本の記述で、π系写本では Luceciam 、ρ系写本では Lucetiam となっている。[[ガリア戦記 第6巻#3節|第6巻3節]]では Lutetia(m) とも綴られている。</ref> proficiscitur.
**4個軍団とともに[[w:ルテティア|ルテティア]]に出発した。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ルテティア Lutetia は写本ではルテキア Lutetia とも綴られる。[[ガリア戦記 第6巻#3節|第6巻3節]]を参照。)</span>
*Id est oppidum Parisiorum, quod positum est<ref>quod positum est はα系写本の記述で、β系写本では単に positum となっている。</ref> in insula fluminis [[w:la:Sequana|Sequanae]].
**それ(ルテティア)は[[w:パリシイ族|パリスィイ族]]の<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>で、セクアナ川(=現[[w:セーヌ川|セーヌ川]])の中洲に位置している。
*② Cuius adventu ab hostibus cognito
**彼(ラビエヌス)の到来が敵方により知られると、
*magnae ex finitimis civitatibus copiae convenerunt.
**近隣の諸部族から大軍勢が集結していた。
*③ Summa imperii traditur Camulogeno Aulerco,
**(北部ガリア勢の)最高司令権は、[[w:アウレルキ族|アウレルキ族]]の[[w:カムロゲヌス|カムロゲヌス]]に託された。
*qui prope confectus aetate
**その者はかなり年老いていたが、
*tamen propter singularem scientiam rei militaris ad eum est honorem evocatus.
**けれども、彼の卓越した軍事の知識のために、顕職に召集されたのだ。
*④ Is cum animadvertisset perpetuam esse paludem,
**彼(カムロゲヌス)は、沼地が絶え間なくあることに気付いていたので、
*quae influeret in Sequanam atque illum omnem locum magnopere impediret,
**それはセクアナ(川)に流れ込み、かの一帯すべてを大いに近付きにくくしていたので、
*hic consedit nostrosque transitu prohibere instituit.
**ここに陣取って、我が方(ローマ勢)が渡河するのを妨げることに決めた。
 
===58節===
'''ラビエヌスがメトロセドゥムを陥落させ、ルテティアのガリア勢と対峙'''
*① [[w:la:Titus Labienus|Labienus]] primo vineas agere, cratibus atque aggere paludem explere
**[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエヌス]]は初めに、<ruby><rb>[[w:ウィネア|工作小屋]]</rb><rp>(</rp><rt>ウィネア</rt><rp>)</rp></ruby>を駆ること、柴や土砂で沼地を埋め立てること、
*atque iter munire conabatur.
**および道を築くこと、を試みた。
*② Postquam id difficilius confieri<ref>confieri はχ系・β系写本の記述で、Q写本では confici となっている。</ref> animadvertit,
**それが成し遂げられることが困難だと気付いた後で、
*silentio e castris tertia vigilia egressus
**(敵に知られないように)静けさのうちに第三夜警時に陣営から進発して、
*eodem, quo venerat, itinere Metlosedum<ref>Metlosedum はコンスタン L.-A. Constans による修正で、π系・U写本では Metiosedum 、α系・ρ系写本では Mellodunum などとなっており、写本により表記がさまざまである。</ref> pervenit.
**やって来たのと同じ道程により、メトロセドゥムに到達した。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:メトロセドゥム Metlosedum は、写本によりメティオセドゥム Metiosedum とも綴られ、</span>
**:<span style="color:#009900;">後にはメロドゥヌム [[w:la:Melodunum|Melodunum]] として知られる。現在の[[w:ムラン|ムラン]] [[w:fr:Melun|Melun]] である。)</span>
*③ Id est oppidum [[w:la:Senones|Senonum]] in insula [[w:la:Sequana|Sequanae]] positum, ut paulo ante de [[w:la:Lutetia|Lutecia]] diximus.
**それは[[w:セノネス族|セノネス族]]の城市で、少し前に[[w:ルテティア|ルテティア]]について述べたように、セクアナ川の[[w:中州|中州]]に位置している。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ルテティアすなわち現在の[[w:パリ|パリ]]の中心部に[[w:シテ島|シテ島]]や[[w:サン=ルイ島|サン=ルイ島]]という[[w:セーヌ川|セーヌ川]]の中州があるように、</span>
**:<span style="color:#009900;">現在のムランの中心部にもサン=テティエンヌ島 [[w:fr:Île Saint-Étienne|Île Saint-Étienne]] というセーヌ川の中州がある。)</span>
*④ Deprensis<ref>deprensis という語形はα系写本の記述で、β系写本では deprehensis となっている。</ref> navibus circiter quinquaginta celeriterque coniunctis
**約50隻の船を探し出して、速やかに結び合わせて(舟橋として)、
*atque eo militibus iniectis
**そこに兵士たちを投入して、
*et rei novitate perterritis oppidanis,
**事の新奇さに<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の者たちは脅えて、
*quorum magna pars erat ad bellum evocata,
**彼ら(住民)の大部分は戦争へ徴集されていた(ため不在であった)ので、
*sine contentione oppido potitur.
**(ラビエヌスは)闘うことなしに(中州にあるメトロセドゥムの)城市を掌握した。
*⑤ Refecto ponte, quem superioribus diebus hostes resciderant, exercitum traducit
**それ以前の日々に敵方が破却していた橋を再建して、軍隊を(中州から対岸へ)渡らせて、
*et secundo flumine ad Luteciam iter facere coepit.
**川に沿ってルテティアの方へ行軍を始めた。
*⑥ Hostes re cognita ab iis, qui Metlosedo<ref>Metlosedo はコンスタン L.-A. Constans による修正で、β系・S写本では Metiosedo 、χ系写本では Melloduno 、B・M・L・N写本では Ametlodone(あるいは Ametclodone)などとなっている。</ref> fugerant,
**敵方は、メトロセドゥムから逃げて来た者たちから事態を知って、
*Luteciam incendi pontesque eius oppidi rescindi iubent;
**ルテティアを焼打ちすること、その城市の橋を破却すること、を命じた。
*ipsi profecti a palude ad ripas<ref>ad ripas はχ系・B・M・L・N写本の記述で、S・Vおよびρ系写本では in ripas 、T写本では in ripa となっている。</ref> Sequanae
**彼ら自身は、沼地からセクアナの川岸へ出発して、
*e regione Luteciae contra Labieni castra considunt.
**ルテティア(の対岸)に向かってラビエヌスの陣営に対抗して陣取った。
 
===59節===
'''ガリア諸部族が迫り、ラビエヌスが作戦変更を決断'''
*① Iam Caesar a [[w:la:Gergovia|Gergovia]] discessisse audiebatur,
**すでに、カエサルが[[w:ゲルゴウィア|ゲルゴウィア]]から撤退したことが聞かれていたし、
*iam de [[w:la:Haedui|Haeduorum]] defectione et secundo Galliae motu rumores adferebantur,
**もはや、[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]の背反や、ガリアの動乱の順調さについての噂がもたらされていた。
*Gallique in conloquiis
**(当地の)ガリア人たちは会話の中で、
*interclusum itinere et [[w:la:Liger|Ligeri]] Caesarem inopia frumenti coactum in provinciam contendisse confirmabant.
**カエサルが行軍やリゲル(渡河)を遮られて、糧食の欠乏により属州([[w:ガリア・ナルボネンシス|ガリア・トランサルピナ]])に急ぐことを強いられた、と確言した。
*② Bellovaci autem defectione Haeduorum cognita,
**一方で、ベッロウァキ族もハエドゥイ族の背反を知って、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ベッロウァキ族は、ハエドゥイ族の仲介によりカエサルに降伏していた。[[ガリア戦記 第2巻#14節|第2巻14節]]~15節を参照。)</span>
*qui iam<ref>qui iam は古典学者 ニコラエス・ハインシウス1世 [[w:en:Nikolaes_Heinsius_the_Elder|Nikolaes Heinsius the Elder]] による修正提案で、χ系・S・β系写本では qui 、B・M・L・N写本では quia となっている。</ref> ante erant per se infideles,
**彼ら自身もすでに以前から(カエサルやローマ人に)忠誠的でなかったが、
*manus cogere atque aperte bellum parare coeperunt.
**手勢を徴集して、公けに戦争を準備することを始めた。
*③ Tum [[w:la:Titus Labienus|Labienus]] tanta rerum commutatione
**そこで、[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエヌス]]はこれほどの事態の変動により、
*longe aliud sibi capiendum consilium, atque antea senserat, intellegebat,
**自分にとって、以前に判断していたのとはまったく別の作戦が立てられるべきだ、と考えた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:aliud ~ atque …「…とは別の~」)</span>
*④ neque iam, ut aliquid adquireret proelioque hostes lacesseret,
**もはや、何らかのものを獲得したり、敵方に戦闘を挑むようにではなく、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:neque ut ~, sed ut …「~ようにではなく、…ように」)</span>
*sed ut incolumem exercitum Agedincum reduceret, cogitabat.
**軍隊を無傷のままでアゲディンクム(=現[[w:サンス|サンス]])に連れ戻すように、と考えた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:アゲディンクムには輜重と守備隊が残されていた。[[#10節|10節]]・[[#57節|57節]]を参照。)</span>
*⑤ Namque altera ex parte Bellovaci,
**実際、一方の側からはベッロウァキ族が、
*quae civitas in Gallia maximam habet opinionem virtutis, instabant,
**ガリアにおいて武勇に最大の評判を持つその部族が、迫りつつあった。
*alteram Camulogenus parato atque instructo exercitu tenebat:
**他方からは、カムロゲヌスが軍隊を準備し、整列させて、進んでいた。
*tum legiones a praesidio atque impedimentis interclusas
**そのとき、(ラビエヌス麾下の)諸軍団は(アゲディンクムにいる)守備隊や輜重から遮られて、
*maximum flumen distinebat.
**とても大きな(セクアナ)川が阻んでいた。
*⑥ Tantis subito difficultatibus obiectis
**突然に、これほどの困難が投げ出されたので、
*ab animi virtute auxilium petendum videbat.
**武勇の心構えに救いを求めるべきだと(ラビエヌスは)思った。
 
===60節===
'''ラビエヌスが陽動戦術に努める'''
*① Itaque<ref>Itaque はS・β系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> sub vesperum consilio convocato
**こうして([[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエヌス]]は)夕方に会議を召集して、
*cohortatus, ut ea, quae imperasset, diligenter industrieque administrarent,
**(彼が)命令したことを入念かつ勤勉に従事するように鼓舞した。
*naves, quas [[w:la:Melodunum|Metlosedo]]<ref>Metlosedo はコンスタン L.-A. Constans による修正で、χ系・S・β系写本では Metiosedo 、B・M写本では ameclodone 、L・N写本では a mellodone 、<i>etc</i>. となっている。</ref> deduxerat, singulas equitibus Romanis attribuit,
**[[w:ムラン|メトロセドゥム]]から引いて来ていた船団を、ローマ人騎士たち1人ずつに配分して、
*et prima confecta vigilia IIII(quattuor) milia passuum secundo flumine silentio progredi
**第一夜警時が終わる頃に、4ローママイル(6km弱)下流に静けさのうちに進発すること、
*ibique se exspectari<ref>exspectari はα系・T・ρ系写本の記述で、S・V写本では exspectare などとなっている。</ref> iubet.
**かつ、そこで自分(ラビエヌス)を待つことを命じた。
*② Quinque cohortes, quas minime firmas ad dimicandum esse existimabat,
**(白兵戦を)闘うためにはあまり強くないと(ラビエヌスが)考えていた5個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>
*castris praesidio relinquit;
**陣営にとっての守備隊として残留させた。
*quinque eiusdem legionis reliquas
**同じ軍団の残りの5個(歩兵大隊)を
*de media nocte cum omnibus impedimentis adverso flumine magno tumultu proficisci imperat.
**真夜中から、すべての[[w:輜重|輜重]]とともに、上流の方に大きな喧騒でもって出発することを命令した。
*④ Conquirit etiam lintres;
**小舟さえも探し集めて、
*has magno sonitu remorum incitatas in eandem partem mittit.
**これらを大きな音とともに[[w:櫂|櫂]]を駆って、同じ方面に派遣した。
*Ipse post paulo silentio egressus cum tribus legionibus
**(ラビエヌス)自身は、少し後で静けさのうちに3個[[w:ローマ軍団|軍団]]とともに進発して、
*eum locum petit, quo naves appelli iusserat.
**船団が停められることを命じていた地点へ行った。
 
===61節===
'''ラビエヌスの陽動により、敵将カムロゲヌスが兵力を分散'''
*① Eo cum esset ventum,
**(ラビエヌスの軍勢が)そこにやって来たときに、
*exploratores hostium, ut omni fluminis parte erant dispositi,
**敵方の偵察者たちが(セクアナ)川の至る所に分けて置かれていたが、
*inopinantes, quod magna subito erat coorta tempestas,
**突然に大きな嵐が生じたので(ローマ勢の襲撃を)予期していなかった者たちは、
*ab<ref>ab はχ系・B・M・L・N写本の記述で、S・β系写本では a となっている。</ref> nostris opprimuntur;
**我が方(ローマ勢)によって不意を襲われたのだ。
*② exercitus equitatusque equitibus Romanis administrantibus, quos ei negotio praefecerat,
**歩兵隊と騎兵隊が、(ラビエヌスが)任務を指揮させていたローマ人騎士たちの指導により、
*celeriter transmittitur.
**速やかに(セクアナ川を)渡らせられた。
*③ Uno fere tempore sub lucem hostibus nuntiatur
**夜明け前のほぼ一時に(以下のことが)敵方に報知された。
*in castris Romanorum praeter consuetudinem tumultuari
**ローマ人の陣営において、通例に反して、騒がれていること、
*et magnum ire agmen adverso flumine
**大きな隊列が上流の方へ行軍していること、
*sonitumque remorum in eadem parte exaudiri
**(船を漕ぐ)櫂の音が同じ方面で聞き取られたこと、
*et paulo infra milites navibus transportari.
**少し下流で兵士たちが船で(セクアナ川を)渡されたこと、である。
*④ Quibus rebus auditis,
**それらの事態が聞かれて、
*quod existimabant tribus locis transire legiones atque omnes perturbatos defectione [[w:la:Haedui|Haeduorum]] fugam parare,
**(ローマ勢の)諸軍団が3か所で渡河したこと、[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]の背反により総勢が取り乱して逃亡を準備していること、を考えたので、
*suas quoque copias in tres partes distribuerunt.
**自分たちの軍勢をも3方面に分配した。
*⑤ Nam praesidio e regione castrorum relicto
**すなわち(一隊がローマ勢の)陣営の真向かいに守備隊として残され、
*et parva manu Metlosedum<ref>Metlosedum はQ写本の記述で、χ系・β系写本では Metiosedum 、などとなっている。</ref> versus missa,
**(別の)わずかな手勢が[[w:ムラン|メトロセドゥム]]の方面へ派遣され、
*quae tantum progrediatur<ref>progrediatur はα系写本の記述で、Q・S・β系写本では progrederetur となっている。</ref>, quantum naves processissent,
**(ローマ勢の)船団が進み出るだけ、(ガリア兵も)前進するようにした。
*reliquas copias contra Labienum duxerunt.
**残りを軍勢をラビエヌスに対して(カムロゲヌス自身が)率いて行った。
 
===62節===
'''ラビエヌスがカムロゲヌス麾下のガリア勢を各個撃破して、カエサルと合流'''
*① Prima luce et nostri omnes erant transportati
**夜明けに、我が方(ローマ勢)は総勢が(セクアナ川の左岸に)渡されていたし、
*et hostium acies cernebatur.
**敵方の戦列も見分けられた。
*② [[w:la:Titus Labienus|Labienus]] milites cohortatus,
**[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエヌス]]は兵士たちを(以下のように)鼓舞した。
*ut suae pristinae virtutis et tot<ref>tot はS・β系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> secundissimorum proeliorum retinerent memoriam<ref>retinerent memoriam はχ系・B・M・L・N写本の記述で、S・β系写本では memoriam retinerent となっている。</ref>
**自分たちのかつての武勇とこのようにとてもうまくいっている諸戦闘を記憶に留めるように、
*atque ipsum Caesarem, cuius ductu saepe numero hostes superassent, praesentem adesse existimarent,
**かつ、その指揮によって何度もしばしば敵方を打ち破って来たカエサル当人が目下居合わせていると考えるように、と。
*dat signum proelii.
**(それから)戦闘の号令を発した。
*③ Primo concursu ab dextro cornu, ubi septima legio constiterat,
**最初の激突は、[[w:第7軍団クラウディア・ピア・フィデリス|第7軍団]]が布陣していた(ローマ軍の)右翼からで、
*hostes pelluntur atque in fugam coniciuntur;
**敵方は撃退されて、逃亡に追いやられた。
*④ ab sinistro, quem locum duodecima legio tenebat,
**第12軍団が場所を占めていた左翼からは、
*cum primi ordines hostium transfixi pilis<ref>pilis はβ系写本の記述で、α系写本では telis となっている。</ref> concidissent,
**敵方の最前列(の兵たち)が投げ槍で突き通されて斃れたのだが、
*tamen acerrime reliqui resistebant
**けれども残りの者たちがとても激烈に抵抗していて、
*nec dabat suspicionem fugae quisquam.
**誰も逃亡の予兆を示さなかった。
*⑤ Ipse dux hostium Camulogenus suis aderat atque eos cohortabatur.
**敵方の将帥カムロゲヌス自身は、麾下の者たちに居合わせて、彼らを激励していた。
*⑥ At<ref>cohortabatur. At はχ系写本などの記述で、別の写本では記述が異なる。</ref> incerto nunc etiam<ref>nunc etiam はB・M・L・N写本の記述で、χ系・S・β系写本では etiamnunc となっている。</ref> exitu victoriae,
**勝敗の帰趨は今もなお不確実だったが、
*cum septimae legionis tribunis esset nuntiatum, quae in sinistro cornu gererentur,
**第7軍団の<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|軍団次官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>たちに、左翼で<ruby><rb>出来</rb><rp>(</rp><rt>しゅったい</rt><rp>)</rp></ruby>したことが報告されたときに、
*post tergum hostium legionem ostenderunt signaque intulerunt.
**敵方の背後に(第7)軍団を差し向けて、軍旗を進めた(=進撃した)。
*⑦ Ne eo quidem tempore quisquam loco cessit,
**その時でさえ、(ガリア勢の)誰も(戦闘の)場から退却しなかった
*sed circumventi omnes interfectique sunt.
**けれども、総勢が包囲されて(ローマ軍により)殺戮された。
*Eandem fortunam tulit Camulogenus.
**同じ不幸をカムロゲヌスも蒙った。
*⑧ At ii<ref>ii はχ系写本の記述で、他の写本では記述が異なる。</ref>, qui praesidio contra castra Labieni erant relicti,
**これに対して、ラビエヌスの陣営に対して守備隊として残されていた(ガリア勢の)者たちは、
*cum proelium commissum audissent, subsidio suis ierunt collemque ceperunt,
**(両軍が)戦闘を交えているのを聞き付けたので、味方の援兵として出て行って、丘陵を占めていたが、
*neque nostrorum militum victorum impetum sustinere potuerunt.
**勝勢の我が方(ローマ軍)の兵士たちの突撃を持ちこたえることができなかった。
*⑨ Sic cum suis fugientibus permixti,
**このようにして、敗走している味方と混じり合ったときに、
*quos non silvae montesque texerunt, ab equitatu sunt interfecti.
**森林や山岳が覆い隠すことのなかったその者たちは、(ローマ側の)騎兵隊によって殺戮された。
*⑩ Hoc negotio confecto Labienus revertitur Agedincum,
**この戦役が成し遂げられると、ラビエヌスは[[w:サンス|アゲディンクム]]に引き返した。
*ubi impedimenta totius exercitus relicta erant;
**そこには軍隊全体の[[w:輜重|輜重]]が残されていたのだ。
*inde die Ⅲ.<ref>inde die Ⅲ. は近代の校訂者による修正提案で、Q・M・S・N・β系写本では単に inde 、他の写本では別の記述になっている。</ref> cum omnibus copiis ad Caesarem pervenit.
**そこから3日目(=2日後)にすべての軍勢とともにカエサルのところへ到着した。
 
==ガリア戦乱の拡大==
===63節===
'''ハエドゥイ族がウェルキンゲトリクスに主導権争いを挑む'''
*① Defectione [[w:la:Haedui|Haeduorum]] cognita bellum augetur.
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]の背反が知られて、戦乱は拡大された。
*② Legationes in omnes partes circummittuntur;
**(ハエドゥイ族らにより)使節たちがあらゆる方面に遣わされまくり、
*quantum gratia, auctoritate, pecunia valent, ad sollicitandas civitates nituntur;
**信望、勢力や金銭によってできる限り、諸部族をそそのかすことに努めた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:quantum ~ valere「~によってできる限り」)</span>
*③ nacti obsides, quos Caesar apud eos deposuerat,
**カエサルが彼ら(ハエドゥイ族)のもとに預けて置いた人質たちを手に入れて、
*horum supplicio dubitantes territant.
**彼ら(人質たち)の処刑(を示唆すること)によって、決心がつかぬ者たちを恐れさせた。
*④ Petunt a [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorige]] Haedui, ut ad se veniat rationesque belli gerendi communicet;
**ハエドゥイ族は、[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]に、自分たちのところへ来て戦争遂行の戦略を協議するように要求した。
*re impetrata contendunt, ut ipsis summa imperii tradatur.
**その事が成し遂げられると、(ハエドゥイ族)自身に最高司令権が委ねられるように頑張った。
*Et re<ref>et re は近代の校訂者による修正提案で、β系写本では re 、α系写本では et rem となっている。</ref> in controversiam deducta totius Galliae concilium [[w:la:Bibracte|Bibracte]] indicitur.
**その事が論争の状態に置かれて、[[w:ビブラクテ|ビブラクテ]]でのガリア全体の会合が公示された。
*Eodem conveniunt<ref>Eodem conveniunt はα系写本の記述で、β系写本では単に conveniunt 、etc.となっている。</ref> undique frequentes.
**同じところに至る所からたくさんの者たちが集まって来た。
*⑥ Multitudinis suffragiis res permittitur;
**(最高司令権の)事は衆人の票決に任せられて、
*ad unum omnes Vercingetorigem probant imperatorem.
**衆議一決により、ウェルキンゲトリクスを将軍(最高司令官)として承認した。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ad unum omnes「最後の一人に至るまですべて」)</span>
*⑦ Ab hoc concilio Remi, Lingones, Treveri afuerunt,
**この会合へは、[[w:レミ族|レミ族]]、[[w:リンゴネス族|リンゴネス族]]、[[w:トレウェリ族|トレウェリ族]]が不在であった。
*illi quod amicitiam Romanorum sequebantur,
**前者(レミ族とリンゴネス族)は、ローマ人との友好を遵守したので(不在であった)。
*Treveri quod aberant longius et ab<ref>ab はα系写本の記述で、β系写本では a となっている。</ref> [[w:la:Germani|Germanis]] premebantur,
**トレウェリ族は、はるか遠くに離れており、[[w:ゲルマニア|ゲルマニア]]人により圧迫されていた。
*quae fuit causa quare toto abessent bello
**それが、何ゆえに(ウェルキンゲトリクスによる)戦争全体に関与しなかったかの理由であり、
*et neutris auxilia mitterent.
**(ウェルキンゲトリクスとカエサルの)どちら側にも援軍を派遣しなかった。
*⑧ Magno dolore Haedui ferunt se deiectos principatu,
**ハエドゥイ族は、自分たちが盟主の座から遠ざけられて、とても憤懣やるかたなかったし、
*queruntur fortunae commutationem
**境遇の変わりようを嘆いて、
*et Caesaris indulgentiam in se<ref>indulgentiam in se はα系写本の記述で、β系写本では in se indulgentiam となっている。</ref> requirunt
**カエサルの自分たちへの寛大さを惜しんだ。
*neque tamen suscepto bello suum consilium ab reliquis separare audent.
**けれども戦争を引き受けてしまったので、あえて自分たちの作戦計画をほか(の諸部族)と異にしなかった。
*⑨ Inviti summae spei adulescentes Eporedorix et Viridomarus Vercingetorigi parent.
**たいへんな野心を持つ青年たち[[w:エポレドリクス|エポレドリクス]]と[[w:ウィリドマルス|ウィリドマルス]]は、意に反してウェルキンゲトリクスに服従した。
 
===64節===
'''ウェルキンゲトリクスがガリア諸部族の誘降・服従を謀る'''
*① Ipse<ref>ipse はα系写本の記述で、β系写本では ille となっている。</ref> imperat reliquis civitatibus obsides denique ei rei constituit diem;
**(ウェルキンゲトリクス)自身は、ほかの諸部族に人質(の供出)を命令して、のみならずその事の期日を決めた。
*huc omnes equites, [[wikt:la:quindecim|XV(quindecim)]] milia numero, celeriter convenire iubet.
**そこに、1万5000名の数のすべての[[w:騎兵|騎兵]]に、速やかに集結することを命じた。
*② Peditatu quem antea habuerit se fore contentum dicit
**(歩兵については)自分は、以前から持っていた[[w:歩兵|歩兵隊]]で満足するであろうと言った。
*neque fortunam temptaturum aut in acie<ref>in acie はα系写本の記述で、β系写本では単に acie となっている。</ref> dimicaturum,
**(歩兵で)武運を試すことはしないであろうし、あるいは野戦で(白兵戦を)闘うこともないであろう、と。
*sed quoniam abundet equitatu,
**しかし、騎兵隊は豊富であるから、
*perfacile esse factu frumentationibus pabulationibusque Romanos prohibere;
**ローマ人たちの糧食・糧秣徴発を妨げることは、とても容易である、と。
*③ aequo modo animo sua ipsi frumenta corrumpant aedificiaque incendant,
**ただ平静な心で、自分たちの穀物を自身で傷めて、(穀物の)建屋を焼打ちするように。
*qua rei familiaris iactura perpetuum imperium libertatemque se consequi videant.
**資産の犠牲により、永久の領有権と自由を自分たちが獲得することを思え、と。
*④ His constitutis rebus
**これらの事が決定されると、
*[[w:la:Haedui|Haeduis]] Segusiavisque, qui sunt finitimi provinciae, decem milia peditum imperat;
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]および(ローマ人の)属州に隣接するセグスィアウィ族には1万の歩兵(の供出)を命令していたが、
*huc addit equites [[wikt:la:octingenti|octingentos]].
**この中に、800騎の騎兵たち(の供出)を付け加えた。
*⑤ His praeficit fratrem Eporedorigis bellumque inferri<ref>inferri はα系写本の記述で、β系写本では inferre となっている。</ref> Allobrogibus iubet.
**彼らをエポレドリクスの兄弟に指揮させて、アッロブロゲス族に戦争をしかけることを命じた。
*⑥ Altera ex parte Gabalos proximosque pagos Arvernorum in Helvios,
**別の方面から、ガバリ族および近隣のアルウェルニ族の諸郷に、ヘルウィイ族のところに(攻め入るように)、
*item Rutenos Cadurcosque ad fines Volcarum Arecomicorum depopulandos mittit.
**同様に、ルテニ族およびカドゥルキ族に、ウォルカエ・アレコミキ族の領土を荒らしまわるべく派遣した。
*⑦ Nihilo minus clandestinis nuntiis legationibusque Allobrogas<ref>Allobrogas はα系写本の記述で、β系写本では Allobroges となっている。</ref> sollicitat,
**それにもかかわらず、隠密に伝令たちや使節たちにより、アッロブロゲス族を(蜂起を)そそのかした。
*quorum mentes nondum ab<ref>ab はβ系写本の記述で、α系写本では ab となっている。</ref> superiore bello resedisse sperabat.
**彼ら(アッロブロゲス族)の心がかつての戦争からまだ静まっていないことを期待したのだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:アッロブロゲス族は、BC61年にローマに反旗を翻し、翌BC60年に鎮圧されていた。[[ガリア戦記 第1巻#6節|第1巻6節]]を参照。)</span>
*⑧ Horum principibus pecunias,
**彼らの領袖たちに金銭を(約束し)、
*civitati autem imperium totius provinciae pollicetur.
**さらに部族には(カエサル統治下の)属州全体の支配権をも約束したのだ。
 
===65節===
'''カエサルと同盟諸部族の防戦。ゲルマニア騎兵を呼び寄せる'''
*① Ad hos omnes casus provisa erant praesidia cohortium duarum et viginti,
**これらすべての出来事に対して、(カエサルは)22個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>からなる守備隊を用意していた。
*quae ex ipsa coacta<ref>coacta はχ系・β系写本の記述で、φ系写本にはない。</ref> provincia ab L.(Lucio) Caesare legato
**それらは、<ruby><rb>[[w:レガトゥス|総督副官]]</rb><rp>(</rp><rt>レガトゥス</rt><rp>)</rp></ruby>ルキウス・カエサルによって属州全体から徴集されたもので、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ここでいう属州とは、[[w:ガリア・ナルボネンシス|ガリア・トランサルピナ]]を指すと思われる。</span>
**:<span style="color:#009900;">ルキウス・ユリウス・カエサル4世 [[w:en:Lucius Julius Caesar IV|Lucius Julius Caesar IV]] は本書の著者カエサルと4代前の高祖父を共有する元執政官。[[w:en:Julii Caesares|Julii Caesares]] を参照。)</span>
*ad omnes partes opponebantur.
**あらゆる方面に対して配置された。
*② Helvii sua sponte cum finitimis proelio congressi pelluntur
**[[w:ヘルウィイ族|ヘルウィイ族]]は、自分たちの意思により、近隣(の諸部族)と戦闘で争って撃退され、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:この部族については[[#7節|7節]]~8節を参照。)</span>
*et C.(Gaio) Valerio Domnotauro<ref>Domnotauro はS・L・N写本の記述で、A・B・N写本では Donnotauro 、χ系・π系写本では Donotauro となっており、ρ系写本には記述がない。</ref>, Caburi filio, principe civitatis,
**カブルスの息子で、部族の領袖であるガイウス・ウァレリウス・ドムノタウルス
**:<span style="color:#009900;">(訳注:彼は、ローマとの友好により、ローマ人風の名前を与えられていたのであろう。)</span>
*compluribusque aliis interfectis intra oppida ac muros<ref>ac muros はα系写本の記述で、β系写本では murosque となっている。</ref> compelluntur.
**および他のかなりの者たちが殺戮されて、<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>と城壁の内側に追い込まれた。
*③ Allobroges crebris ad [[w:la:Rhodanus|Rhodanum]] dispositis praesidiis
**[[w:アッロブロゲス族|アッロブロゲス族]]は、ロダヌス(=現[[w:ローヌ川|ローヌ川]])のところへ密に守備隊を分け置いて、
*magna cum cura et diligentia suos fines tuentur.
**たいへんな注意と入念さにより、自分たちの領土を守った。
*④ Caesar quod hostes equitatu superiores esse intellegebat
**カエサルは、敵方が[[w:騎兵|騎兵隊]]で(自軍より)優っていると認識していたので、
*et interclusis omnibus itineribus nulla re ex provincia atque Italia sublevari poterat,
**かつ、すべての道が遮られて、属州やイタリアから何ら支援されることができなかったので、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:属州 provincia とはガリア・トランサルピナ、イタリア Italia とは[[w:ガリア・キサルピナ|ガリア・キサルピナ]]のことであろう。)</span>
*trans [[w:la:Rhenus|Rhenum]] in [[wikt:la:Germania|Germaniam]] mittit ad eas civitates, quas superioribus annis pacaverat,
**レヌス(=現[[w:ライン川|ライン川]])の向こう側の[[w:ゲルマニア|ゲルマニア]]に、先年に平定していた諸部族のところへ(使節を)遣わした。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ゲルマニア遠征や平定については、[[ガリア戦記 第4巻#16節|第4巻16節]]~19節、[[ガリア戦記 第6巻#9節|第6巻9節]]~10節を参照。)</span>
*equitesque ab his arcessit et levis armaturae pedites,
**彼らから、騎兵たち、および[[w:ウェリテス|軽い武装の歩兵]]たちを呼び寄せた。
*qui inter eos proeliari consuerant.
**その者ら(軽装歩兵)は、彼ら(騎兵)の間で戦闘することが常であったのだ。
*⑤ Eorum adventu, quod minus idoneis equis utebantur,
**彼ら(ゲルマニア騎兵)が到着すると、(戦闘に)あまり適していない馬を使役していたので、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ゲルマニア人の馬の使用については、[[ガリア戦記 第4巻#2節|第4巻2節]]を参照。)</span>
*a tribunis militum reliquisque equitibus Romanis atque evocatis equos sumit
**<ruby><rb>[[w:トリブヌス・ミリトゥム|軍団次官]]</rb><rp>(</rp><rt>トリブヌス・ミリトゥム</rt><rp>)</rp></ruby>たちやほかのローマ人騎士たちや<ruby><rb>再徴集兵</rb><rp>(</rp><rt>エウォカティ</rt><rp>)</rp></ruby>たちから、馬匹を取り上げて、
*[[w:la:Germani|Germanis]]que distribuit.
**ゲルマニア人たちに分配した。
 
===66節===
'''属州へと南下するカエサル、迎え撃とうとするウェルキンゲトリクス'''
*① Interea dum haec geruntur,
**その間に、これらが出来している間に、
*hostium copiae ex Arvernis
**敵方の(歩兵の)軍勢が(滞陣していたゲルゴウィアの)[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]のところから、
*equitesque qui toti Galliae erant imperati conveniunt.
**および全ガリアの命令されていた[[w:騎兵|騎兵]]たちが、(ウェルキンゲトリクスのところに)集結して来た。
*② Magno horum coacto numero,
**これらの(ガリア兵の)多数が徴集されて、
*cum Caesar in Sequanos per extremos Lingonum fines iter faceret,
**カエサルが、[[w:セクアニ族|セクアニ族]]のところに(向かって)[[w:リンゴネス族|リンゴネス族]]の領土の外縁を通って行軍していたときに、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:属州へは、リンゴネス族と後述のマンドゥビイ族の間を通ってセクアニ族領を通らねばならなかった。)</span>
*quo facilius subsidium provinciae ferri<ref>ferri はα系写本の記述で、β系写本では ferre となっている。</ref> posset,
**(それは)属州(ガリア・トランサルピナ)に援兵をより容易にもたらせるようにするためであったが、
*circiter milia passuum X(decem) ab Romanis trinis castris [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] consedit
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]は、ローマ人たちから約10ローママイル(15km)のところに、3つの陣営にて陣取った。
*③ convocatisque ad concilium praefectis equitum
**(ウェルキンゲトリクスは)騎兵の指揮官たちを会合へ召集して、
*venisse tempus victoriae demonstrat;
**勝利の時が来たと、明言した。
*fugere in provinciam Romanos Galliaque excedere.
**ローマ人たちは属州に逃亡して、ガリアから立ち退きつつある、と。
*④ Id sibi ad praesentem obtinendam libertatem satis esse;
**それは、自分たちにとって目下のところ、自由を維持するためには十分であるが、
*ad reliqui temporis pacem atque otium parum profici;
**将来の平和と平穏は不充分にしか得られない。
*maioribus enim coactis copiis reversuros
**なぜなら(ローマ人たちは)より大きな軍勢を徴集して(ガリアに)戻って来るであろうし、
*neque finem bellandi facturos.
**戦争することに結末をつけることはないであろう。
*Proinde agmine impeditos adorirentur<ref>adorirentur はA・β系写本の記述で、M・L・N写本では adoriantur 、S写本では adorantur 、Q・B・M写本ではadorientur となっている。</ref>.
**それゆえに、(ローマ勢の)行軍によって重荷となっている(輜重隊の)者たちを襲撃するのだ。
*⑤ Si pedites suis auxilium ferant atque in eo morentur, iter facere<ref>facere はα系写本の記述で、β系写本では confici となっている。</ref> non posse;
**もし(ローマ勢の)歩兵たちが味方を支援し、そのことで滞留するならば、(属州へ)行軍することはできない。
*si ─id quod magis futurum confidat─
**もし、─(我は)むしろそうなるであろうと期待することであるが─
*relictis impedimentis suae saluti consulant,
**(ローマ歩兵たちが)[[w:輜重|輜重]]を残して、自分たちの身の安全に意を用いるならば、
*et usu rerum necessariarum et dignitate spoliatum iri.
**必需品の使用や(ローマ人としての)品格をはぎ取られることになる。
*⑥ Nam de equitibus hostium,
**なぜなら、敵方の騎兵については
**<span style="color:#009900;">:(訳注:著者カエサルはここでは、間接話法でありながら、ローマ勢について hostium「敵方の」と表現している。)</span>
*quin nemo eorum progredi modo extra agmen audeat,
**彼ら(ローマ騎兵)のうち誰も、<ruby><rb>行軍縦隊</rb><rp>(</rp><rt>アグメン</rt><rp>)</rp></ruby>の外にすら、あえて進み出ようとしないこと、
*et ipsos quidem non<ref>et ipsos quidem non はα系写本の記述で、β系写本では ne ipsos quidem となっている。</ref> debere dubitare.
**(そのことを、諸君ら)自身は決して疑念を持つことなかれ。
*Id quo maiore faciant animo,
**それ(=輜重隊への襲撃)を、より大胆な心構えで実行してもらうために、
*copias se omnes pro castris habiturum et terrori hostibus futurum.
**自分(ウェルキンゲトリクス)が軍勢すべてを陣営の前に保持しておくであろうし、敵方の心胆を寒からしめるであろう。
*⑦ Conclamant equites
**(ガリア勢の)騎兵たちは(以下のように)叫んだ。
*sanctissimo iure iurando confirmari oportere,
**最も神聖な誓約によって確証されなければならぬ。
*ne tecto recipiatur, ne ad liberos, ne ad parentes, ad<ref>ne ad …, ne ad …, ad が写本(ω)の記述であるが、モイゼル Meusel は ne ad …, ad …, ad と修正提案をしている。</ref> uxorem aditum habeat,
**(以下の者は)家に迎え入れられたり、子供たちや親たちや妻女たちのところへ近づくことがないように。
*qui non bis per agmen hostium perequitasset<ref>perequitasset はα系写本の記述で、β系写本では perequitarit となっている。</ref>.
**敵方(ローマ勢)の隊列を越えて(往復の)2度、騎馬で駆け抜けることがなかった者は。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:敵中突破と生還を成し遂げなかった騎兵は、復員してはならない、と誓約したのである。)</span>
 
===67節===
'''カエサル麾下のゲルマニア騎兵がウェルキンゲトリクスを一蹴'''
*① Probata re atque omnibus iure iurando adactis
**これが賛同されて、(ガリア騎兵の)皆が誓約させられて、
*postero die in tres partes distributo equitatu
**翌日に、[[w:騎兵|騎兵隊]]を3つの分隊に分配した。
*duae se acies ab duobus lateribus ostendunt,
**2隊は(ローマ勢の左右)2つの側面から<ruby><rb>戦闘隊形</rb><rp>(</rp><rt>アキエス</rt><rp>)</rp></ruby>として現われた。
*una a<ref>a はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> primo agmine iter impedire coepit.
**1隊は(ローマ勢の)前衛から行軍を妨げ始めた。
*② Qua re nuntiata
**その事が報告されて、
*Caesar suum quoque equitatum tripertito divisum contra hostem ire iubet.
**カエサルは麾下の騎兵隊おのおのを3つに配分して、敵に対して向かって行くことを命じた。
*Pugnatur una omnibus in partibus.
**(騎兵戦が)同時にすべての方面で戦われた。
*③ Consistit agmen;
**(ローマ勢の)<ruby><rb>行軍縦隊</rb><rp>(</rp><rt>アグメン</rt><rp>)</rp></ruby>は一歩も引かなかった。
*impedimenta intra legiones recipiuntur.
**[[w:輜重|輜重]]は諸[[w:ローマ軍団|軍団]]の内側に後退した。
*④ Si qua in parte nostri laborare aut gravius premi videbantur,
**もし、我が方(ローマ勢)のある部隊が苦戦したり、またはひどく押されぎみだと思われたならば、
*eo signa inferri Caesar aciemque constitui<ref>constitui はα系写本の記述で、β系写本では converti 、T写本では conferri となっている。</ref> iubebat;
**カエサルはそこに進撃して戦列を組織することを命じた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:signa inferre「軍旗を進める、進撃する」)</span>
*quae res et hostes ad insequendum tardabat et nostros spe auxilii confirmabat.
**その事が、敵方が追撃して来るのを遅らせもしたし、我が方が支援の希望により元気付けられもした。
*⑤ Tandem Germani ab dextro latere summum iugum nacti hostes loco depellunt,
**ついに、ゲルマニア人(騎兵)たちが右の側面から尾根の頂きを掌握して、敵方をその場から追いやった。
*fugientes usque ad flumen,
**逃亡する(ガリア騎兵の)者たちを川の辺りまで(追って)、
*ubi [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] cum pedestribus copiis consederat,
**そこには[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]が[[w:歩兵|歩兵]]の軍勢とともに陣取っていたのだが、
*persecuntur<ref>persecuntur はα系写本の記述で、β系写本では persequuntur となっている。</ref> compluresque interficiunt.
**(ゲルマニア騎兵が敵を川辺まで)追撃して、かなりの者たちを殺戮した。
*⑥ Qua re animadversa
**その事が(敵方に)気付かれて、
*reliqui ne circumirentur<ref>circumirentur はA・φ系写本の記述で、Q・β系写本では circumvenirentur となっている。</ref> veriti se fugae mandant.
**(ガリア勢の)残りの者たちは、包囲されないようにと怖れて、逃亡に身を任せた。
*Omnibus locis fit caedes.
**(こうしてローマ方により)あらゆる場所で虐殺が行なわれた。
*⑦ Tres nobilissimi [[w:la:Haedui|Haedui]] capti ad Caesarem perducuntur:
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]の3人の高位の貴族が捕らえられて、カエサルのところへ連行されて来た。
*Cotus, praefectus equitum, qui controversiam cum Convictolitavi proximis comitiis habuerat,
**コトゥスは騎兵指揮官で、最近の会議でコンウィクトリタウィスと(統領の座をめぐって)係争した。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#32節|32節]]~33節を参照。)</span>
*et Cavarillus, qui post defectionem Litavicci pedestribus copiis praefuerat,
**カウァリッルスは、リタウィックスの背反の後に、歩兵の軍勢を指揮していた。
*et Eporedorix, quo duce ante adventum Caesaris Haedui cum Sequanis bello contenderant.
**エポレドリクスは、カエサルの到来以前にハエドゥイ族の将帥としてセクアニ族と戦争を闘っていた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:この人物は、ウィリドマルスとともにカエサルを裏切ったエポレドリクスとは同名異人である。)</span>
 
==アレスィア攻囲戦==
===68節===
[[画像:Alésia.jpg|thumb|right|300px|[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]]であるとほぼ確実視されている仏アリーズ=サント=レーヌ村([[w:fr:Alise-Sainte-Reine|Alise-Sainte-Reine]])近郊のオソワ山(Mont Auxois)という丘陵の西端にある[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]像(<small>[[w:fr:Vercingétorix_(statue d'Aimé Millet)|Statue de Vercingétorix]]</small>)。<small>[http://maps.google.co.jp/?ie=UTF8&ll=47.538579,4.490544&spn=0.001172,0.002401&t=h&z=19&brcurrent=3,0x0:0x0,1 Googleマップ]</small>の航空写真にもこの巨像が写っている。<br>当地はフランス東部[[w:ブルゴーニュ地域圏|ブルゴーニュ地方]][[w:コート=ドール県|コート=ドール県]](<small>[[w:fr:Côte-d'Or|Côte-d'Or]]</small>)のオソワ地域(<small>[[w:fr:Auxois (région)|L'Auxois]]</small>)にあり、県都[[w:ディジョン|ディジョン]]市街から西北西へ約4.5kmの地点に位置する。ディジョン方面から県道905号(D905)を北西に進んで行くと、ヴナレ=レ=ローム(<small>[[w:fr:Venarey-les-Laumes|Venarey-les-Laumes]]</small>)から東の郊外にかけて古戦場跡が広がる。<br>オソワ(Auxois)という地域名・山名は、ラテン語の Alesiensis pagus「アレスィア郷」が転訛し、アリーズ(Alise)の名もアレスィア(Alesia)に由来すると考えられている。サント=レーヌ([[w:fr:Sainte Reine|Sainte Reine]] 聖レグニア)とはこの地でAD252年に殉教したキリスト教徒ガリア人女性で、カトリック教会から聖人に列せられている。]]
 
'''ウェルキンゲトリクスがアレスィア入城、カエサルは攻囲を決断'''
*① Fugato omni equitatu
**すべての[[w:騎兵|騎兵隊]]が逃げてしまったので、
*[[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] copias suas<ref>suas はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref>, ut pro castris conlocaverat, reduxit
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]は、陣営の前に配置するようにしていた麾下の(歩兵の)軍勢を呼び戻して、
*protinusque [[w:la:Alesia|Alesiam]], quod est oppidum Mandubiorum, iter facere coepit
**すぐに、マンドゥビイ族の<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>である[[w:アレシア|アレスィア]]へ行軍し始めた。
*celeriterque impedimenta ex castris educi et se subsequi iussit.
**かつ、速やかに陣営から[[w:輜重|輜重]]を進発させること、および自分に追随すること、を命じた。
*② Caesar impedimentis in proximum collem deductis,
**カエサルは、輜重を近隣の丘陵に移させて、
*duabus legionibus praesidio relictis,
**2個[[w:ローマ軍団|軍団]]を(輜重の)守備隊として(その丘陵に)残留させた。
*secutus quantum diei tempus est passum,
**日中の時間が許される限り(ガリア勢を)追跡して、
*circiter tribus milibus hostium ex novissimo agmine interfectis
**敵方の後衛のうちから約3000人を殺戮して、
*altero die ad Alesiam castra fecit.
**翌日には、アレスィアの辺りに陣営を張った。
*③ Perspecto urbis situ
**(アレスィアの)都市の地勢を吟味して、
*perterritisque hostibus, quod equitatu, qua maxime parte exercitus confidebant, erant pulsi,
**敵方は、部隊の大部分において頼りにしていた騎兵隊が撃退されていたので、怖れおののいていたから、
*adhortatus ad laborem milites circumvallare instituit.
**(カエサルは)兵士たちを労役に駆り立てて、(敵陣を)[[w:堡塁|堡塁]]で囲むことを決断した。
 
===69節===
[[画像:Alise2.jpg|thumb|right|300px|[[w:アレシア|アレスィア]]にあったローマ時代の[[w:フォルム|フォルム]](広場)や[[w:バシリカ|バシリカ]](教会堂)などと思われる遺跡([http://maps.google.co.jp/?ie=UTF8&t=h&brcurrent=3,0x0:0x0,1&ll=47.539477,4.5008&spn=0.002343,0.004801&z=18 Googleマップ]の航空写真を参照)。現在、オソワ山(Mont Auxois)と呼ばれているこの丘陵は、頂きが平坦な台地状になっており、その中央のさらに高い所に[[w:オッピドゥム|オッピドゥム]](城市)があったと思われる。<br>上の画像からは、同等の高さの丘陵が周囲を取り巻いていることが見て取れる。<br>『ガリア戦記』に書かれたアレスィアの所在地については諸説があって永らく不明であったが、ゲルゴウィアと同様に19世紀のウジェーヌ・ストッフェル大佐(colonel Eugène Stoffel)の発掘調査によってローマ軍の遺構などが発見され、地勢もカエサルの記述にかなり合っていると見なされて、オソワ山とその中腹にあるアリーズ=サント=レーヌが有力視されることになった。]]
 
'''アレスィアの地勢、ローマ軍の攻囲線'''
*① Ipsum erat oppidum [[w:la:Alesia|Alesia]] in colle summo admodum edito loco,
**[[w:アレシア|アレスィア]]の<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>そのものは、丘陵の頂きにおいて、ひときわ高い地点にあって、
*ut nisi obsidione expugnari non posse videretur.
**攻囲(包囲)以外には攻略されることができないと思われた。
*② Cuius collis radices duo duabus ex partibus flumina subluebant.
**その丘陵のふもとを2つの方面から、2つの川が流れていた。
*③ Ante id<ref>id はα系写本の記述で、β系写本にはない。</ref> oppidum planities circiter milia passuum Ⅲ(tria) in longitudinem patebat;
**その城市の前に、約3ローママイル(4.5km)の間隔で、平地が広がっていた。
*④ reliquis ex omnibus partibus colles mediocri interiecto spatio
**ほかのすべての方面からは(いくつかの)丘陵が適度な空間を置いており、
*pari altitudinis fastigio oppidum cingebant.
**同等の高さの頂上で(アレスィアの)城市を取り巻いていた。
*⑤ Sub muro, quae pars collis ad orientem solem spectabat,
**(アレスィアの)丘陵の日が昇る方(=東方)へ面していた部分の城壁の下には、
*hunc omnem locum copiae Gallorum compleverant
**このすべての場所を、ガリア人たちの軍勢が満たしていて、
*fossamque et maceriam sex in altitudinem pedum praeduxerant.
**堀、および高さ6[[w:ペース (長さ)|ペース]](約1.8m)の防壁を前に引いていた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[wikt:en:maceria|maceria]] は、軍事用語としては、立てこもるための城壁<ref><i>muraille (pour se retrancher)</i>(ラルース社の羅仏辞典 <small>“Dictionnaire MaxiPoche Plus latin-français et français-latin”</small> を参照)</ref>を指す。)</span>
*⑥ Eius munitionis quae ab Romanis instituebatur circuitus XI<ref>XI はα系写本の記述で、β系写本では X となっている。</ref> milia passuum tenebat.
**ローマ人たちによって建てられようとしていた塁壁の周囲は、11ローママイル(約16km)を占めていた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:α系写本では 11マイル=約16km、β系写本では 10マイル=約15km となっている。)</span>
*⑦ Castra opportunis locis erant posita
**(ローマ勢の)陣営は(戦略上)都合良い地点に設置されていて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:歩兵・騎兵の陣営が計8か所に置かれていたようである。)</span>
*ibique<ref>ibique はα系写本の記述で、β系写本では itemque となっている。</ref> castella XXIII(viginti tria) facta,
**同じく23基の砦が造られた。
*quibus in castellis interdiu stationes ponebantur,
**それらの砦には、昼間は、歩哨たちが置かれて、
*ne qua subito eruptio fieret;
**不意に何らかの突撃がなされないようにした。
*haec eadem noctu excubitoribus ac firmis praesidiis tenebantur.
**この同じところが、夜間は、寝ずの番兵および強力な守備隊により固守された。
 
===70節===
'''カエサル麾下のゲルマニア騎兵が、再びガリア騎兵を虐殺'''
*① Opere instituto
**(ローマ人により)[[w:堡塁|堡塁]]が建てられだして、
*fit equestre proelium in ea planitie,
**かの平地において[[w:騎兵|騎兵]]戦がなされた。
*quam intermissam collibus tria milia passuum in longitudinem patere supra demonstravimus.
**それ(平地)は(周囲の)丘陵から3ローママイル(約4.5km)の間隔を空けて広がっていることを、[[#69節|前]]に述べた。
*Summa vi ab utrisque contenditur.
**(騎兵戦は)双方の主力によって闘われた。
*② Laborantibus nostris Caesar Germanos submittit
**苦戦している我が方(ローマ騎兵)に対して、カエサルは[[w:ゲルマニア|ゲルマニア]]人(騎兵)を援けに派遣した。
*legionesque pro castris constituit, ne qua subito inruptio ab hostium peditatu fiat.
**諸[[w:ローマ軍団|軍団]]を陣営の前に駐留させて、不意に何らかの突入が敵方の[[w:歩兵|歩兵隊]]によってなされないようにした。
*③ Praesidio legionum addito nostris animus augetur;
**軍団の守備が加わって、我が方(ローマ勢の)勇気が増された。
*hostes in fugam coniecti se ipsi multitudine impediunt
**敵方(の騎兵)は敗走に追いやられて、彼ら自身が自分たち(の敗走)を大勢であることにより妨げた。
*atque angustioribus portis relictis coacervantur<ref>coacervantur は近世の写本(ς)の記述で、α系写本では coacervati tum 、β系写本では coartantur となっている。</ref>.
**さらに(ガリア陣地の)諸門がとても狭いままにしておかれたので(騎兵たちが)積み重ねられた。
*④ Germani acrius usque ad munitiones sequuntur.
**ゲルマニア人(騎兵)たちは(ガリア騎兵たちを)苛烈に、防塁のところまで追撃した。
*⑤ Fit magna caedes.
**(こうして)大虐殺が起こった。
*Nonnulli relictis equis fossam transire et maceriam transcendere conantur.
**(ガリア騎兵の)幾人かは、馬を置き去りにして、堀を越えること、および防壁を登り越えることを試みた。
*Paulum legiones Caesar quas pro vallo constituerat promoveri iubet.
**カエサルは、防柵の前に駐留させていた諸軍団に、いくらか前進することを命じた。
*⑥ Non minus qui intra munitiones erant perturbantur Galli:
**防塁の内側にいたガリア人たちも(騎兵たちに)劣らず狼狽した。
*veniri ad se confestim existimantes ad arma conclamant;
**(ローマ勢により)自分たちのところへ直ちにやって来られると考えた者たちは、防具を取れと叫んだ。
*nonnulli perterriti in oppidum inrumpunt.
**(ガリア勢の)幾人かは、怖れおののいて(丘陵の頂きにある)城市の中に押し入った。
*⑦ [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] iubet portas claudi, ne castra nudentur.
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]は、陣営が無防備にされないように、(防塁の)諸門が閉じられることを命じた。
*Multis interfectis, compluribus equis captis Germani sese recipiunt.
**(ガリア騎兵の)多くが殺戮され、おびただしい馬が捕獲されて、ゲルマニア人(騎兵)たちは退却した。
 
===71節===
[[画像:Statue_Vercingetorix_st_germain_en_laye.JPG|thumb|right|250px|[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]の立像(<small>パリ郊外の[[w:サン=ジェルマン=アン=レー|サン=ジェルマン=アン=レー]] [[w:fr:Saint-Germain-en-Laye|Saint-Germain-en-Laye]]</small>)。[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]](<small>現在のアリーズ=サント=レーヌ</small>)にある巨大な銅像と同様に彫刻家エメ・ミレ([[w:fr:Aimé Millet|Aimé Millet]])によって建立された。]]
[[画像:Napoleon3.PNG|thumb|right|250px|ウジェーヌ・ストッフェル大佐(colonel Eugène Stoffel)をして[[w:アレシア|アレスィア]]およびゲルゴウィアの発掘調査をさせた立役者・皇帝[[w:ナポレオン3世|ナポレオン3世]]の肖像。[[w:ガリア起源説|ガリア起源説]]により、王政に反感を持つフランスの共和派や庶民は、旧[[w:ブルボン家|ブルボン王朝]]を[[w:クロヴィス1世|クロヴィス]]や[[w:ユーグ・カペー|カペー]]にさかのぼるゲルマン系の[[w:フランク人|フランク人]]と見なし、自分たちのルーツを[[w:ケルト人|ケルト系]]の古代[[w:ガリア人|ガリア人]]に求めた。ナポレオン3世はこのような国民の意識を利用して、[[w:ナショナリズム|ナショナリズム]]の高揚および帝政の基盤強化を図ったのである。]]
 
'''ウェルキンゲトリクスが援兵召集のため騎兵を放ち、籠城策を定める'''
*① [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]], priusquam munitiones ab Romanis perficiantur,
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]は、ローマ人たちによって塁壁が完成されるより前に、
*consilium capit omnem ab se equitatum noctu dimittere.
**自分のところから[[w:騎兵|騎兵隊]]のすべてを夜間に送り出すことを計画した。
*② Discedentibus mandat
**(アレスィアから)退去する(騎兵の)者たちに(以下のように)指図した。
*ut suam quisque eorum civitatem adeat
**彼ら(騎兵)のおのおのが自らの部族に行くように、
*omnesque qui per aetatem arma ferre possint ad bellum cogant.
**かつ、年齢により武器を手に取ることができる者たちの皆を戦争へ徴集するように、と。
*③ Sua in illos merita proponit obtestaturque
**(ウェルキンゲトリクスは)彼ら(ガリア人たち)における自分の功績に言及して(以下のように)懇願した。
*ut suae salutis rationem habeant
**自分の身の安全を顧慮してくれるように、
*neu se optime de communi libertate meritum in cruciatum hostibus<ref>in cruciatum hostibus はβ系写本の記述で、α系写本では hostibus in cruciatum となっている。</ref> dedant.
**かつ(ガリア)共通の自由について功績が最上である自分を、敵方の責め苦に渡すことがないように、と。
*Quod si indiligentiores fuerint,
**ところが、もし(騎兵たちがウェルキンゲトリクスたちの安全に)無関心であったならば、
*milia hominum delecta octoginta una secum interitura demonstrat.
**選りすぐりの兵員8万名が自分と一緒に滅びるであろう、と明言した。
*④ Ratione inita frumentum se exigue dierum XXX(triginta) habere<ref>frumentum ~ habere はβ系写本の記述で、χ系・φ系あるいはモイゼル H. Meusel の修正提案など、写本や校訂者により語順が異なっていたり、単語が欠けていたりする。</ref>,
**見積もったところ、自分たちはわずかに30日分の穀物を保有しているが、
*sed paulo etiam longius tolerari posse parcendo.
**しかし節約することにより、なおいくらか長く耐え忍ぶことができる、と。
*⑤ His datis mandatis,
**これらの指図を与えてから、
*qua erat nostrum opus<ref>erat nostrum opus はβ系写本の記述で、α系写本では単に opus erat となっている。</ref> intermissum, secunda vigilia silentio equitatum mittit<ref>mittit はχ系・B・M・S写本の記述で、β系写本では dimittit となっている。</ref>.
**我が方(ローマ勢)の構築物が中断しているところから、第二夜警時に静けさのうちに、騎兵隊を送り出した。
*⑥ Frumentum omne ad se referri iubet,
**穀物をすべて自分のところへ運んで来ることを命じて、
*capitis poenam iis qui non paruerint constituit;
**服従しなかった者たちを極刑に処すと決めた。
*⑦ pecus, cuius magna erat copia a Mandubiis<ref>a Mandubiis はβ系写本の記述で、α系写本では ab Manduviis となっている。</ref> compulsa, viritim distribuit;
**家畜は、マンドゥビイ族によって大量に集められていたが、個々に分配した。
*frumentum parce et paulatim metiri instituit;
**穀物を節約して少しずつ量り分けることを定めた。
*⑧ copias omnes quas pro oppido collocaverat in oppidum recepit.
**<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の前に駐留させていた(歩兵の)軍勢すべてを城市の中に退却させた。
*⑨ His rationibus auxilia Galliae exspectare et bellum parat administrare<ref>parat administrare はα系写本の記述で、β系写本では administrare parat となっている。</ref>.
**これらの手段により、ガリア(諸部族)の援軍を待つこと、および戦争を指導しようとしたのである。
 
===72節===
'''カエサルが、より大掛かりな攻囲陣地を構築する'''
*① Quibus rebus cognitis<ref>cognitis がこの位置にあるのはα系写本の記述で、β系写本では captivis の後となっている。</ref> ex perfugis et captivis
**それらの事情を脱走兵たちや捕虜たちから知って、
*Caesar haec genera munitionis instituit.
**カエサルは以下の類いの塁壁工事に取りかかった。
<br>
 
*'''前線の切り立った空堀'''
*Fossam pedum XX(viginti) derectis lateribus duxit,
**20[[w:ペース (長さ)|ペース]](約6m)の(幅の)垂直な側面の堀を引いた。
*ut eius fossae<ref>fossae がこの位置にあるのはβ系写本の記述で、α系写本では summa(e) の後になっている。</ref> solum tantundem pateret, quantum summa<ref>summa はβ系写本の記述で、α系写本では summae となっている。</ref> labra distarent<ref>distarent はα系写本の記述で、β系写本では distabant となっている。</ref>.
**その堀(の底)は、頂きの縁が離れているのとちょうど同じ分だけ広がるようにした。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:上辺と底の幅が等間隔になるような切り立った空堀にした。)</span>
*② Reliquas omnes munitiones ab ea fossa pedes<ref>pedes はα系写本の記述で、β系写本では pedibus となっている。</ref> CCCC(quadringentos) reduxit.
**ほかのすべての塁壁は、その堀から400ペース(約120m)後ろに引いた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:写本にあるこの数字は、19世紀のウジェーヌ・ストッフェル大佐(colonel Eugène Stoffel)の</span>
**:<span style="color:#009900;">発掘調査によって400[[w:パッスス|パッスス]](約600m)と修正された。この堀は、アレスィアの西方に引かれたと思われる。)</span>
*Id hoc consilio,
**それは、以下の考えによる。
*quoniam tantum spatium necessario esset<ref>spatium necessario esset はβ系写本の記述で、α系写本では esset necessario spatio となっている。</ref> complexus
**これほどの空間が包囲されなければならないのであるから、
*nec facile totum corpus<ref>corpus はα系写本の記述で、β系写本では opus となっており、ρ系写本にはない。</ref> corona militum cingeretur,
**すべての包囲作業が兵士たちの<ruby><rb>哨兵線</rb><rp>(</rp><rt>コロナ</rt><rp>)</rp></ruby>で取り囲まれるのは容易ではない。
*ne de improviso aut noctu ad munitiones hostium multitudo<ref>hostium multitudo はα系写本の記述で、β系写本では multitudo hostium となっている。</ref> advolaret
**不意に、あるいは夜間に、敵方の大勢が(ローマ側の)塁壁へ突進することがないように、
*aut interdiu tela in nostros operi destinatos conicere possent<ref>possent はα系写本の記述で、β系写本では posset となっている。</ref>.
**あるいは日中に、工事中の我が方(ローマ勢)に飛道具が投げ付けられることができないように。
<br>
 
[[画像:Fosse.Saint.Pierre.en.Chastres.png|thumb|right|300px|二重の堀およびその背後の堡塁(土塁と障壁・櫓)の模式図([[w:ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク|ヴィオレ=ル=デュク]]著『中世フランス建築体系辞典』[[s:fr:Dictionnaire raisonné de l’architecture française du XIe au XVIe siècle - Tome 5, Fossé|(s)]]より)。]]
[[画像:AlesiaFortifications.JPG|thumb|right|300px|[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]]跡に再現された、二重の堀およびその背後の堡塁(土塁と鹿柴、胸壁・鋸壁、櫓)。]]
 
*'''二重の堀'''
*③ Hoc intermisso spatio
**この空間をあけて、
*duas fossas XV(quindecim) pedes latas eadem altitudine perduxit;
**15ペース(約4.5m)の幅の2つの堀を、同じ深さ(15ペース)で張り巡らせた。
*quarum interiorem campestribus ac demissis locis
**それらの内側(の堀)の平地で低く下がった所には、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:内側の堀とは、アレスィアに近い東側の堀と考えられている。)</span>
*aqua ex flumine derivata complevit.
**川から導かれた水で満たした。
<br>
 
*'''土塁と防柵、胸壁と鋸壁、鹿柴、櫓'''
*④ Post eas aggerem ac vallum XII(duodecim) pedum exstruxit.
**それらの後ろには、12ペース(約3.6mの高さ)の<ruby><rb>[[w:土塁|土塁]]</rb><rp>(</rp><rt>アッゲル</rt><rp>)</rp></ruby>と<ruby><rb>防柵</rb><rp>(</rp><rt>ウァッルム</rt><rp>)</rp></ruby>を築き上げた。
*Huic loricam pinnasque adiecit
**これに<ruby><rb>胸壁</rb><rp>(</rp><rt>ロリカ</rt><rp>)</rp></ruby>と<ruby><rb>鋸壁</rb><rp>(</rp><rt>ピンナ</rt><rp>)</rp></ruby>を付け加えて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:胸壁と鋸壁とは、[[ガリア戦記 第5巻#40節|第5巻40節]]で既出のように、凹凸形に編み込まれた柴の壁)</span>
*grandibus cervis eminentibus ad commissuras pluteorum atque aggeris,
**障壁と土塁の接合部の辺りに大きな<ruby><rb>鹿柴</rb><rp>(</rp><rt>ケルウス</rt><rp>)</rp></ruby>を突き出させて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:<ruby><rb>鹿柴</rb><rp>(</rp><rt>ろくさい</rt><rp>)</rp></ruby>(鹿砦または<ruby><rb>逆茂木</rb><rp>(</rp><rt>さかもぎ</rt><rp>)</rp></ruby>)とは、鹿の角のように枝分かれした杭や枝を逆立てた杭囲い。</span>
**:<span style="color:#009900;">障壁とは、防柵の前に取り付けられた胸壁と鋸壁の総称であろう。)</span>
*qui ascensum hostium tardarent,
**敵方が登って来るのを妨げようとした。
*et turres toto opere circumdedit, quae pedes LXXX(octoginta) inter se distarent.
**構築物の全体を、互いに80ペース(約24m)離れて立つ櫓で取り巻いた。
 
===73節===
'''カエサルは、攻囲陣地をさらに障害物で補強する'''
*① Erat eodem tempore et materiari et frumentari et tantas munitiones fieri necesse
**材木収集と糧食徴発、およびこれほどの塁壁工事がなされることが、同時に必要であった。
*deminutis nostris copiis, quae longius ab<ref>ab はα系写本の記述で、β系写本では a となっている。</ref> castris progrediebantur.
**我が方の軍勢(ローマ勢)は減じており、陣営からはるか遠くに進み出ていた。
*Ac nonnumquam opera nostra Galli temptare
**いくたびか、我が方の構築物に、ガリア人が攻撃すること(を試み)、
*atque eruptionem ex oppido pluribus portis summa vi facere conabantur.
**かつ、<ruby><rb>[[w:オッピドゥム|城市]]</rb><rp>(</rp><rt>オッピドゥム</rt><rp>)</rp></ruby>の多くの門から、主力でもって出撃することを試みた。
*② Quare ad haec rursus opera addendum Caesar putavit,
**そのゆえに、この構築物へさらに(以下の障害物が)付け加えられるべきだとカエサルは考えた。
*quo minore numero militum munitiones defendi possent.
**それによって、より少ない数の兵士で塁壁が防衛されることができるように、と。
<br>
 
[[画像:Archeodrome_Beaune_8.jpg|thumb|right|300px|[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]]跡に再現された攻囲陣地(上の画像と同じ物)。堡塁(土塁と障壁と櫓)の前の平地に、樹枝が突き出た「尖り杭」(奥)と落とし穴を枝で覆った「百合」(手前)が見える。]]
[[画像:Trous.de.loup.png|thumb|right|300px|サイコロの五つ目状に並べられた落とし穴「百合」(lilium)の模式図([[w:ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク|ヴィオレ=ル=デュク]]著『中世フランス建築体系辞典』[[s:fr:Dictionnaire raisonné de l’architecture française du XIe au XVIe siècle - Tome 5, Fossé|(s)]]より)。図の上部が五つ目状の配列を、図の下部が落とし穴の断面図を示す。この断面図では、尖らされた樹幹の先端が、傾斜した穴の突き固められた底から4本指ほど突き出ていると解釈しているようである。カエサルの記述からは、地表から突き出ているとも解釈できる。]]
[[画像:Aiguillon.png|thumb|right|200px|鉄の鉤が固定された杭「刺」の模式図([[w:ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク|ヴィオレ=ル=デュク]]著『中世フランス建築体系辞典』[[s:fr:Dictionnaire raisonné de l’architecture française du XIe au XVIe siècle - Tome 5, Fossé|(s)]]より)。]]
[[画像:Archeodrome_Beaune_2.jpg|thumb|right|300px|[[w:アレシアの戦い|アレスィア古戦場]]跡に再現された攻囲陣地(上の画像と同じ物)。いちばん手前に「刺」が再現されている。]]
 
'''尖り杭'''
*Itaque truncis arborum aut admodum firmis ramis abscisis
**こうして、樹木の幹、あるいは非常に強固な枝が切り取られて、
*atque horum delibratis ac praeacutis cacuminibus
**これらの皮がむかれて、<ruby><rb>梢</rb><rp>(</rp><rt>こずえ</rt><rp>)</rp></ruby>が<ruby><rb>尖</rb><rp>(</rp><rt>とが</rt><rp>)</rp></ruby>らされて、
*perpetuae fossae quinos pedes altae ducebantur.
**5[[w:ペース (長さ)|ペース]](約1.5m)ずつの連続した堀が引かれた。
*③ Huc illi stipites demissi
**ここに、あの樹幹が沈められて、
*et ab infimo revincti, ne revelli possent, ab ramis eminebant.
**底から固くしばられて、はぎ取ることができないようにして、枝から(地上に)突き出るようにしていた。
*④ Quini erant ordines coniuncti inter se atque implicati;
**5列ずつが、互いにつなげられて、結び合わされた。
*quo qui intraverant se ipsi acutissimis vallis induebant.
**そこに踏み込んだ者は、自身が自らをきわめて鋭い杭に陥れた。
*Hos cippos appellabant.
**(将兵たちは)これらを<ruby><rb>尖り杭</rb><rp>(</rp><rt>キップス</rt><rp>)</rp></ruby>と呼んだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[wikt:en:cippus|cippus]]「尖り杭」は「墓標」とも訳されるが、後者は古典期以降のラテン語で長方形の墓碑を指す<ref><small>POSTCLASSIQUE</small> <i>[[w:fr:Cippe|cippe]] (colonne funéraire rectangulaire)</i>(ラルース社の羅仏辞典 <small>“Dictionnaire MaxiPoche Plus latin-français et français-latin”</small> を参照)</ref>。)</span>
<br>
 
'''百合'''
*⑤ Ante<ref>ante はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> quos<ref>quos はα系写本の記述で、β系写本では hos となっている。</ref> obliquis ordinibus in quincuncem dispositis
**それらの前に、(サイコロの)<ruby><rb>五つ目状</rb><rp>(</rp><rt>クィンクンクス</rt><rp>)</rp></ruby>に斜めの列に配置されて、
*scrobes tres in altitudinem pedes fodiebantur
**深さ3ペース(約90cm)の穴が掘られた。
*paulatim angustiore ad infimum fastigio.
**しだいに、より狭く、底の方へ傾斜を付けて。
*⑥ Huc teretes stipites [[w:la:Femur|feminis]] crassitudine
**ここに、太ももの厚さの丸みを帯びた樹幹が
*ab summo praeacuti et praeusti demittebantur,
**先端から尖らせられ、焦がされて(穴の底に)突き刺された。
*ita ut non amplius digitis quattuor ex terra<ref>ex terra はα系写本の記述で、V・ρ系写本では e terra 、T写本では contra となっている。</ref> eminerent;
**4本の指より長くないほど地中から突き出るように。
*⑦ simul confirmandi et stabiliendi causa
**同時に、強固にして固定するために、
*singuli ab infimo solo pedes terra exculcabantur;
**それぞれ底から1ペース(約30cm)だけ土で突き固められた。
*reliqua pars scrobis ad occultandas insidias viminibus ac virgultis integebatur.
**穴の残りの部分は、わなを隠すために、柳の細枝や若枝で覆われた。
*⑧ Huius generis octoni ordines ducti ternos inter se pedes distabant.
**この類いを、8列ずつ、3ペース(約90cm)ずつ互いに離して、作った。
*Id ex similitudine floris lilium appellabant.
**(将兵たちは)それを花との類似から、<ruby><rb>[[w:ユリ|百合]]</rb><rp>(</rp><rt>リリウム</rt><rp>)</rp></ruby>と呼んだ。
<br>
 
'''刺'''
*⑨ Ante haec taleae pedem longae ferreis hamis infixis totae in terram infodiebantur
**これらの前に、鉄製の鉤が打ち込まれた長さ1ペース(約30cm)の棒の全体が地中に埋め込まれた。
*mediocribusque intermissis spatiis omnibus locis disserebantur,
**適度な空間を間にあけて、至る所に配置された。
*quos stimulos nominabant.
**(将兵たちは)それらを刺と呼んだ。
 
===74節===
'''ガリア人の来援に備えて、外周にも同様の塁壁を張り巡らす'''
*① His rebus perfectis
**これらの物が造り上げられると、
*regiones secutus quam potuit aequissimas pro loci natura
**地勢に応じて、できるかぎり好都合な地帯を探し求めて、
*XIIII(quattuordecim) milia passuum complexus
**14ローママイル(約21km)を取り巻いて、
*pares eiusdem generis munitiones,
**(内周の塁壁と規模が)匹敵する同じ類いの塁壁を
*diversas ab his, contra exteriorem hostem perfecit,
**これら(内周)に対置させて、外側の敵に対抗して造り上げた。
*ut ne magna quidem multitudine, si ita accidat equitatus<ref>equitatus はシェーラー(Schoeller)による修正提案で、写本(ω)では eius であるが、近代の校訂者たちにより修正提案がなされている。</ref> discessu,
**もし[[w:騎兵|騎兵隊]]の退去によりこのようなこと(外敵との遭遇)が生じても、決して大軍により
*munitionum praesidia circumfundi possent;
**塁壁の守備隊が包囲されることができないように。
*② <ne> autem<ref>ne autem は近代の校訂者による修正提案で、α系・π系写本では aut、ρ系写本では ut となっている。</ref> cum periculo ex castris egredi cogatur,
**(ローマ勢が)危険を伴って陣営から進発することを強いられることもないように、
*dierum XXX(triginta) pabulum frumentumque habere omnes convectum iubet.
**30日分の[[w:糧秣|秣(まぐさ)や穀物]]を運び集めて保持することを皆に命じた。
 
===75節===
'''ガリア同盟が各部族に動員を要請する'''
*① Dum haec apud<ref>apud はα系写本の記述で、β系写本では ad となっている。</ref> [[w:la:Alesia|Alesiam]] geruntur,
**これらが[[w:アレシア|アレスィア]]のもとで遂行されている間に、
*Galli concilio principum indicto
**ガリア人たちは、領袖たちの会合を課して、
*non omnes hos<ref>omnes hos はα系写本の記述で、β系写本では単に omnes となっている。</ref> qui arma ferre possent, ut censuit [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]], convocandos statuunt,
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]が見積もったように武器を扱える者たち皆を召集するべき、ではないと判断した。
*sed certum numerum cuique ex civitate<ref>ex civitate はα系写本の記述で、β系写本では civitati となっている。</ref> imperandum,
**けれども、おのおのの部族から一定の兵数(の供出)を命令すること(を決めた)。
*ne tanta multitudine confusa nec moderari nec discernere suos nec frumentandi rationem<ref>frumentandi rationem はT・U・R写本などの記述で、V・U写本などでは frumenti rationem となっている。</ref> habere possent.
**これほどの大軍で混乱したり、味方を指揮できなかったり判別できなかったり、ということがないように。
*② Imperant [[w:la:Haedui|Haeduis]] atque eorum clientibus, Segusiavis, Ambivaretis, Aulercis Brannovicibus, Blannoviis, milia XXXV(triginta quinque);
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]とその庇護民であるセグスィアウィ族、アンビウァレティ族、アウレルキ・ブランノウィケス族、ブランノウィイ族に3万5千名を命令した。
*parem numerum Arvernis adiunctis Eleutetis, Cadurcis, Gabalis, Vellaviis,
**[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]に隣接しているエレウテティ族、カドゥルキ族、ガバリ族、ウェッラウィイ族に同等の兵数。
*qui sub imperio Arvernorum esse consuerunt;
**彼らはアルウェルニ族の支配下にいるのが常であった。
*③ Sequanis, Senonibus, Biturigibus, Santonis, Rutenis, Carnutibus duodena milia;
**セクアニ族、セノネス族、ビトゥリゲス族、サントネス族、ルテニ族、カルヌテス族には1万2千ずつ。
*Bellovacis X(decem); totidem Lemovicibus;
**ベッロウァキ族に1万。レモウィケス族に同じだけ多く(1万)。
*octona Pictonibus et Turonis et Parisiis et Helvetiis;
**ピクトネス族とトゥロニ族とパリスィイ族と[[w:ヘルウェティイ族|ヘルウェティイ族]]に8(千)ずつ。
*Senonibus<ref>Senonibus は写本(ω)にある記述だが、sen<a Suessi>onibus「6(千)ずつをスエッスィオニス族…に」などさまざまな修正提案がなされている。</ref>, Ambianis, Mediomatricis, Petrocoriis, Nerviis, Morinis, Nitiobrogibus quina milia;
**セノネス族、アンビアニ族、メディオマトリキ族、ペトロコリイ族、ネルウィイ族、モリニ族、ニティオブロゲス族に5千ずつ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:Senonibus「セノネス族」は既出のためスエッスィオネス族などに書き替える修正提案がなされ、以下は校訂版によっては兵数がずれる。</span>
**:<span style="color:#009900;">しかし、スエッスィオネス族 Suessiones は[[ガリア戦記 第2巻#12節|第2巻12節]]でレミ族を通じてカエサルに降伏しており、</span>
**:<span style="color:#009900;">第8巻6節でも「レミ族に委ねられていた」「同盟者」と記されているので、アレスィアには出兵していないであろう。)</span>
*Aulercis Cenomanis totidem; Atrebatibus IIII;
**アウレルキ・ケノマニ族に同じだけ多く(5千)。アトレバテス族に4(千)。
*Veliocassis, Lexoviis et Aulercis Eburovicibus terna;
**ウェリオカッセス族、レクソウィイ族とアウレルキ・エブロウィケス族に3(千)ずつ。
*Rauracis et Boiis<ref>Boiis はα系写本の記述で、β系写本では Bois となっている。</ref> bina;
**ラウラキ族とボイイ族に2(千)ずつ。
*XXX<ref>XXX はα系写本の記述で、さまざまな修正提案がなされている。</ref> milia universis civitatibus, quae Oceanum attingunt
**[[w:大西洋|大洋]]に接する諸部族全体に3万。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:この数は写本により異なっており、混乱している。)</span>
*quaeque eorum consuetudine Aremoricae appellantur,
**それらは、彼ら(ガリア人)の慣習でアレモリカエと呼ばれており、
*quo sunt in numero Coriosolites, Redones, Ambibarii, Caletes, Osismi, Veneti, Lemovices, Unelli.
**コリオソリテス族、レドネス族、アンビバリイ族、カレテス族、オスィスミ族、ウェネティ族、レモウィケス族、ウネッリ族がそれらに数えられる。
*⑤ Ex his Bellovaci suum numerum non compleverunt<ref>compleverunt はα系写本の記述で、β系写本では contulerunt となっている。</ref>,
**これらのうちで、ベッロウァキ族は、自分たちの(割り当てられた)数を満たさなかった。
*quod se suo nomine atque arbitrio cum Romanis bellum gesturos dicebant
**というのは、彼らは自らの名と裁量でもってローマ人と交戦するであろうと言ったのだ。
*neque cuiusquam imperio obtemperaturos;
**(自分たちは)何者の命令にも服従しないであろう、と。
*rogati tamen ab<ref>ab はα系写本の記述で、β系写本では a となっている。</ref> Commio pro eius hospitio duo milia una miserunt.
**けれども、[[w:コンミウス|コンミウス]]の懇願により、彼を賓客としているために、2千名を一緒に送り出した。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:ベッロウァキ族は要求された兵数の5分の1しか出さなかったが、第8巻22節ではこの出兵をも含めてカエサルから責められる。)</span>
 
===76節===
'''コンミウスもガリア同盟軍に内応、約25万の大軍が集結'''
*① Huius opera Commii, ut antea demonstravimus, fideli atque utili
**前に述べたように、この[[w:コンミウス|コンミウス]]の信頼すべき有益な働きを
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[ガリア戦記 第4巻#21節|第4巻21節]]・[[ガリア戦記 第4巻#27節|27節]]・[[ガリア戦記 第4巻#35節|35節]]、[[ガリア戦記 第5巻#22節|第5巻22節]]、[[ガリア戦記 第6巻#6節|第6巻6節]]を参照。)</span>
*superioribus annis erat usus in [[w:la:Britannia Maior|Britannia]] Caesar;
**カエサルは先年(BC55~54年)に[[w:ブリタンニア|ブリタンニア]]において役立てていた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:コンミウスは、[[w:ローマによるブリタンニア侵攻 (紀元前55年-紀元前54年)|カエサルのブリタンニア侵攻]]の先導役を務めていた。後にブリタンニアで王となる。)</span>
*quibus ille pro meritis civitatem eius immunem esse iusserat,
**彼(カエサル)はそれらの功績の見返りに、彼(コンミウス)の部族が免税となることを命じており、
*iura legesque reddiderat atque ipsi Morinos attribuerat.
**権能や法度を元に戻してやり、(コンミウス)自身にモリニ族(の統治)をも委ねていた。
*② Tamen tanta<ref>tamen tanta はα系写本の記述で、β系写本では tanta tamen となっている。</ref> universae Galliae consensio fuit libertatis vindicandae et pristinae belli laudis recuperandae,
**けれども、自主独立が求められるべきで、かつての戦争の誉れが取り戻されるべきだという、ガリア全体の合意があった。
*ut neque beneficiis neque amicitiae memoria moverentur
**その結果、(カエサルからの)厚遇にも友情の記憶にも揺り動かされず、
*omnesque et animo et opibus in id bellum incumberent.
**(ガリアの)皆が闘志によっても兵力によっても、その戦争に没頭していたのだ。
*③ Coactis equitum milibus VIII(octo) et peditum circiter CCL(ducenti quinquaginta)<ref>CCL はβ系写本の記述で、α系写本では CCXL または CCXXXX となっている。</ref>
**[[w:騎兵|騎兵]]8千騎と[[w:歩兵|歩兵]]およそ250(千)名が徴集されて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:歩兵の数は、β系写本では25万、α系写本では24万と異なっている。)</span>
*haec in Haeduorum finibus recensebantur, numerusque inibatur, praefecti constituebantur.
**これら(の軍勢)が[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]の領土で閲兵されて、数が見積もられて、指揮官たちが決められた。
*④ Commio Atrebati, Viridomaro et [[w:la:Eporedorix|Eporedorigi]] [[w:la:Haedui|Haeduis]],
**アトレバテス族の[[w:コンミウス|コンミウス]]、ハエドゥイ族のウィリドマルスとエポレドリクス、
*[[w:la:Vercassivellaunus|Vercassivellauno]] Arverno, consobrino [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorigis]], summa imperii traditur.
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]の従兄弟である[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]のウェルカッスィウェッラウヌスに、最高司令権が託された。
*His delecti ex civitatibus attribuuntur, quorum consilio bellum administraretur.
**彼らに、諸部族から選ばれた者たちが付与されて、その者たちの協議により戦争が指導された。
*⑤ Omnes alacres et fiduciae pleni ad [[w:la:Alesia|Alesiam]] proficiscuntur,
**皆が、活気があって自身に満ち、[[w:アレシア|アレスィア]]へ向けて出発した。
*⑥ neque erat omnium quisquam qui adspectum modo tantae multitudinis sustineri posse arbitraretur,
**これほどの大軍を一見しただけで持ちこたえられる者は、誰一人いないと思われた。
*praesertim ancipiti proelio,
**とりわけ(内周と外周の)両面の戦闘で、
*cum ex oppido eruptione pugnaretur, foris tantae copiae equitatus peditatusque cernerentur.
**城市からは出撃により戦われ、外からは騎兵と歩兵のこれほどの軍勢が視認されるのであるから。
 
===77節===
'''飢餓状態のアレスィアで、クリトグナトゥスが極論を唱える'''
*① At ii qui [[w:la:Alesia|Alesiae]] obsidebantur
**ところが、[[w:アレシア|アレスィア]]に包囲されていた者たちは、
*praeterita die qua auxilia suorum exspectaverant,
**味方の援軍を待ち望んでいた日も経過して、
*consumpto omni frumento,
**すべての糧食を消費し尽くして、
*inscii quid in [[w:la:Haedui|Haeduis]] gereretur,
**[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]のところにおいて何がなされているのかを知らず、
*concilio coacto de exitu suarum fortunarum consultabant.
**会合を召集して、自分たちの命運の結末について協議した。
*② Ac variis dictis sententiis
**そして、さまざまな意見が述べられた。
*quarum pars deditionem,
**それらの一部は降伏を、
*pars dum vires suppeterent eruptionem censebat,
**別の一部は、活動力が十分にある間に突撃することを考慮していた。
*non praetereunda oratio [[w:la:Critognatus|Critognati]] videtur propter eius singularem et nefariam crudelitatem.
**クリトグナトゥスの演説は、彼の特異で非道な残酷さのために、看過されるべきではないと思われる。
 
<br>
'''クリトグナトゥスの演説が始まる'''
*③ Hic summo in Arvernis ortus loco et magnae habitus auctoritatis,
**彼は、[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]において最高の身分に生まれ、大きな影響力を持つとみなされていた。
 
<br>
'''降伏論者は最低の輩だ'''
*"Nihil" inquit "de eorum sententia dicturus sum, qui turpissimam servitutem deditionis nomine appellant,
**「最も恥ずべき隷属を降伏という名で呼んでいる者たちの意見については、(私は)何も述べないであろう」と言った。
*neque hos habendos civium loco neque ad concilium adhibendos censeo.
**「この者たちは市民の身分を持つべきではないし、会合へ招き入れられるべきでもない、と(私は)考える。
 
<br>
'''突撃論者には辛抱が欠けている'''
*④ Cum his mihi res sit, qui eruptionem probant;
**突撃に賛同した者たちとともに、私の関わりはあるべきだ。
*quorum in consilio omnium vestrum consensu
**その者たちの考えには、君たち皆の同意があるだろうし、
*pristinae residere virtutis memoria videtur.
**かつての武勇の記憶が残っていることと思われる。
*⑤ Animi est ista mollitia, non virtus, paulisper inopiam ferre non posse.
**しばらくの間も(糧食の)欠乏に耐えることができない(君らの)ことは、気の弱さであって、武勇ではない。
*Qui se ultro morti offerant facilius reperiuntur quam qui dolorem patienter ferant.
**自発的に玉砕して逝った者たちは、苦痛に辛抱強く耐えた者たちよりも、より容易に見出されるのだ。
*⑥ Atque ego hanc sententiam probarem ─tantum apud me dignitas potest─,
**しかし私は(突撃という)この意見に賛同したであろう。それほど、私にとっても価値がある。
*si nullam praeterquam vitae nostrae iacturam fieri viderem;
**(ただし)もし、我々(ガリア勢)の生命が投げ出されること以外に(方策が)何もないと思ったならばだ。
*⑦ sed in consilio capiendo omnem Galliam respiciamus, quam ad nostrum auxilium concitavimus.
**けれども、作戦を立てるに当たっては、我々のために援軍を(我々が)呼び寄せた全ガリアを顧慮しよう。
*⑧ Quid hominum milibus LXXX(octoginta) uno loco interfectis
**(我々ガリア勢)8万の人間が(アレスィア)1か所で殺戮されたら、
*propinquis consanguineisque nostris animi fore existimatis,
**我々の親類縁者たちの士気はどうなると(君らは)判断しているのか。
*si paene in ipsis cadaveribus proelio decertare cogentur?
**もし、ほとんど(我々)自身の亡骸の中で(味方が)決戦することを強いられたら?
*⑨ Nolite hos vestro auxilio exspoliare qui vestrae salutis causa suum periculum neglexerunt,
**君らの身の安全のために、己の危険を顧みなかった者たちのことを、君らが援助すること(の機会)を奪わないでくれ。
*nec stultitia ac temeritate vestra aut animi imbecillitate omnem Galliam prosternere et perpetuae servituti subicere.
**君らの愚かさや無思慮、または心の弱さによって、全ガリアを滅ぼすことや永久の隷属に委ねることがないように。
 
<br>
'''ローマ人たちが恐れているのを見よ'''
*⑩ An quod ad diem non venerunt, de eorum fide constantiaque dubitatis?
**それとも(援軍が)期日までにやって来なかったので、彼らの誠実さや剛直さについて(君らは)疑っているのか?
*Quid ergo?
**それでは(あれは)何だ?
*Romanos in illis ulterioribus munitionibus animine causa cotidie exerceri putatis?
**ローマ人たちがあの向こう側の塁壁のところで、趣味のために毎日たえず働かされていると(君らは)思うのか?
*⑪ Si illorum nuntiis confirmari non potestis omni aditu praesaepto,
**もし、すべての出入口を(防柵で)遮られて、(援軍の到来を)彼らの伝令により(君らが)確証できないのならば、
*his utimini testibus adpropinquare eorum adventum,
**こちらの者たち(ローマ人)を、彼ら(援軍)の到来が近づいている証人として示せ。
*cuius rei timore exterriti diem noctemque in opere versantur.
**(援軍の到来という)その事態の恐れに戦慄して(ローマ人たちは)昼も夜も工事に従事しているのだ。
 
<br>
'''クリトグナトゥスの意見は?'''
*⑫ Quid ergo mei consilii est?
**それでは、私の考えは何であるか?
*Facere quod nostri maiores nequaquam pari bello Cimbrorum Teutonumque fecerunt:
**我々の先祖たちが(今回とは)決して比べものにならない[[w:キンブリ・テウトニ戦争|キンブリ族・テウトニ族との戦争]]でしたことをするのだ。
*qui in oppida compulsi ac simili inopia subacti
**彼ら(先祖たち)は、[[w:オッピドゥム|城市]]に押し込められて、(今回と)似たような欠乏により衰弱させられて、
*eorum corporibus, qui aetate ad bellum inutiles videbantur, vitam toleraverunt
**加齢により戦争に役立たないと思われた者たちの肉体(を食べること)によって、生命を持ちこたえて、
*neque se hostibus tradiderunt.
**敵方に降伏しなかったのだ。
*⑬ Cuius rei si exemplum non haberemus,
**もし、そういう事態の先例を我々が持たなかったとしても、
*tamen libertatis causa institui et posteris prodi pulcherrimum iudicarem.
**けれども、自由のために、最も栄誉なことが決断され、子孫たちに伝えられることと、私は思いたい。
*⑭ Nam quid illi simile bello fuit?
**実際、あの戦争に(今回と)似ている何があっただろうか?
*Depopulata Gallia Cimbri magnaque inlata calamitate
**キンブリ族はガリアを荒らしまわって、大きな災禍をもたらしたが、
*finibus quidem nostris aliquando excesserunt atque alias terras petierunt;
**あるとき我々の領土から立ち去って、他の土地を求めて行った。
*iura, leges, agros, libertatem nobis reliquerunt.
**権限、法度、耕地、自由を我々(ガリア人)に残して行ったのだ。
*⑮ Romani vero quid petunt aliud aut quid volunt
**しかし、ローマ人たちは(以下に挙げることの)他に何を求め、何を欲しているのだろうか。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:「しかし、ローマ人が求め、欲しているのは、以下のことである」の意。)</span>
*nisi invidia adducti quos fama nobiles potentesque bello cognoverunt,
**高貴で戦争に力強い(ガリアの)者たちを名声で知って羨望に駆られた以外には、
*horum in agris civitatibusque considere atque his aeternam iniungere servitutem?
**彼らの土地や部族共同体に居座って、彼らを永遠の隷属を課すること以外には。
*Neque enim ulla alia condicione bella gesserunt.
**実際、(ローマ人は)他のいかなる条件でも決して戦争を遂行したことがなかった。
*⑯ Quodsi ea quae in longinquis nationibus geruntur ignoratis,
**もし、遠方の種族のところでなされていることを(君らが)知らないのであれば、
*respicite finitimam Galliam,
**ガリアの隣人たちを見渡しなさい。
*quae in provinciam redacta,
**(彼らはローマの)[[w:属州|属州]]になることを余儀なくされ、
*iure et legibus commutatis,
**権限や法度を変えられて、
*securibus subiecta perpetua premitur servitute."
**(ローマの)権力に服属させられて、永久の隷属に苦しめられているのだ。
 
===78節===
'''マンドゥビイ族の投降をカエサルが拒む'''
*① Sententiis dictis
**(いくつかの)意見が述べられて、
*constituunt ut ii, qui valetudine aut aetate inutiles sunt<ref>sunt はα系写本の記述で、β系写本では sint となっている。</ref> bello, oppido excedant
**(ガリア人たちは)健康または年齢により戦争に役立たない者たちは[[w:オッピドゥム|城市]]を退去するように決めた。
*atque omnia prius experiantur quam ad Critognati sententiam descendant;
**さらに、クリトグナトゥスの意見に同意するよりも、まずあらゆることを試みるように(決めた)。
*② illo tamen potius utendum consilio,
**けれども(以下の場合には)むしろ彼(クリトグナトゥス)の意見を実行するべきだ。
*si res cogat atque auxilia morentur,
**もし、事態が強いて、援軍が遅滞させられるのならば、
*quam aut deditionis aut pacis subeundam condicionem.
**降伏あるいは講和条件を受諾することよりも(クリトグナトゥスの意見を実行するべきだ)、と。
*③ Mandubii qui eos oppido receperant,
**彼ら(ガリア勢)を城市に受け入れていたマンドゥビイ族は、
*cum liberis atque uxoribus exire coguntur.
**子供たちや妻女たちとともに(城市から)出て行くことを強いられた。
*④ Hi cum ad munitiones Romanorum accessissent,
**彼らは、ローマ人たちの塁壁のところへ近づいたときに、
*flentes omnibus precibus orabant, ut se in servitutem receptos cibo iuvarent.
**自分たちを奴隷として受け入れて食糧で助けてくれるように、泣きながらあらゆる懇願で頼んだ。
*⑤ At Caesar dispositis in vallo custodibus<ref>custodibus はα系写本の記述で、β系写本では custodiis となっている。</ref> recipi prohibebat.
**だが、カエサルは、防柵の中に番兵を分けて置き、(マンドゥビイ族を)受け入れることを禁じた。
 
===79節===
'''ガリア同盟軍の来援、アレスィアの歓呼'''
*① Interea Commius reliquique duces, quibus summa imperii permissa erat,
**その間に、最高司令権を任されていた[[w:コンミウス|コンミウス]]とほかの将帥たちが、
*cum omnibus copiis ad Alesiam perveniunt
**すべての軍勢とともに[[w:アレシア|アレスィア]]の辺りへ到着して、
*et colle exteriore occupato
**より外側の丘陵を占拠して、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:現在のミュスィ=ラ=フォス村 [[w:fr:Mussy-la-Fosse|Mussy-la-Fosse]]<ref>[http://maps.google.com/maps?q=47.521944,4.438611&hl=fr&ie=UTF8&ll=47.522012,4.438648&spn=0.01849,0.027423&t=h&z=15 Google map]を参照。</ref> のある丘陵であると思われる。)</span>
*non longius mille passibus ab nostris munitionibus considunt.
**我が方(ローマ勢)の塁壁から1ローママイル(約1.5km)ほども遠くないところに陣取った。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:現在のヴナレ=レ=ローム [[w:fr:Venarey-les-Laumes|Venarey-les-Laumes]] 市街<ref>[http://maps.google.com/maps?q=47.542778,4.445833&hl=fr&ie=UTF8&ll=47.543106,4.458475&spn=0.036965,0.054846&t=h&z=14 Google map]を参照。</ref>の周辺であると思われる。)</span>
*② Postero die equitatu ex castris educto
**翌日に、[[w:騎兵|騎兵隊]]が陣営から進発させられて、
*omnem eam planitiem quam in longitudinem milia passuum III(tria)<ref>milia passuum III はβ系写本の記述で、α系写本では quattuor milia passuum などとなっている。</ref> patere demonstravimus, complent
**3ローママイル(約4.5km)の長さにわたり広がっていることを既述した平地のすべてを、満たした。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[#69節|69節]]を参照。現在のローム平原に当たると思われる。)</span>
*pedestresque copias paulum ab eo loco abditas in locis superioribus constituunt.
**[[w:歩兵|歩兵]]の軍勢を、その地からいくらか遠ざけて、より高いところに駐留させた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:上記の丘陵のより高い所であると思われる。)</span>
*③ Erat ex oppido Alesia despectus in campum.
**アレスィアの[[w:オッピドゥム|城市]]からは(その)平地に眺望があった。
*Concurrunt<ref>concurrunt はα系写本の記述で、β系写本では concurritur となっている。</ref> his auxiliis visis;
**これらの援軍が現われると(アレスィアのガリア人たちは)群がり集まった。
*fit gratulatio inter eos
**彼らの間で祝賀がなされて、
*atque omnium animi ad laetitiam excitantur.
**皆の心が喜びへと鼓舞された。
*④ Itaque productis copiis ante oppidum considunt
**こうして(アレスィアの)軍勢が出撃させられて、城市の前に陣取って、
*et proximam fossam cratibus integunt atque aggere explent
**最も近い堀を、柴で蔽って、土砂を充満させて、
*seque ad eruptionem atque omnes casus comparant.
**突撃やあらゆる有事に戦備を整えた。
 
===80節===
'''ゲルマニア騎兵らローマ勢が来援ガリア騎兵をも打ち破る'''
*① Caesar omni exercitu ad utramque partem munitionum<ref>munitionum はα系写本の記述で、β系写本では munitionis となっている。</ref> disposito,
**カエサルは、すべての[[w:歩兵|歩兵隊]]を、塁壁の(内周と外周)両側に分けて置き、
*ut, si usus veniat, suum quisque locum teneat et noverit,
**もし、必要が生じたら、おのおのが自らの部署を知って固守するようにした。
*equitatum ex castris educi et proelium committi iubet.
**[[w:騎兵|騎兵隊]]を陣営から進発させて、交戦することを命じた。
*② Erat ex omnibus castris, quae summum undique iugum tenebant, despectus
**至る所で尾根の頂きを占めていた(ローマ勢の)すべての陣営から(騎兵戦の)眺望があった。
*atque omnes milites intenti<ref>intenti はα系写本の記述で、β系写本では intenti animi、Fuchs は intentis animis と修正提案している。</ref> pugnae proventum<ref>pugnae proventum はα系写本の記述で、β系写本では proventum pugnae となっている。</ref> exspectabant.
**すべての兵士たちは(観戦に)没頭して、戦いの結果を待っていた。
*③ Galli inter equites raros sagittarios expeditosque levis armaturae interiecerant,
**ガリア人たちは、弓兵たちと軽装歩兵たちをまばらに、騎兵たちの間に置いていて、
*qui suis cedentibus auxilio succurrerent
**その者たち(弓兵と軽装歩兵)は、味方が後退するのを支援するために馳せ寄って、
*et nostrorum equitum impetus sustinerent.
**我が方(ローマ勢)の騎兵の突撃に持ちこたえていた。
*Ab his complures de improviso vulnerati proelio excedebant.
**彼らによって(ローマ側騎兵の)かなりの者たちが、思いがけず負傷させられて、戦闘から退いた。
*④ Cum suos pugna superiores esse Galli confiderent
**ガリア人たちが、味方が戦いで優勢であることを確信したとき、
*et nostros multitudine premi viderent,
**かつ、我が方(ローマ勢)が多勢(のガリア騎兵)により圧倒されているのを見て取ったときに、
*ex omnibus partibus et ii qui munitionibus continebantur
**あらゆる方面から(ローマ勢の)塁壁によって囲まれていた者たちも、
*et hi<ref>hi はφ系・β系写本の記述で、χ系写本では ii となっている。</ref> qui ad auxilium convenerant
**(アレスィア)救援のために集結して来ていた者たちも、
*clamore et ululatu suorum animos confirmabant.
**大声やわめき声によって味方の闘志を強めた。
*⑤ Quod in conspectu omnium res gerebatur
**(両軍の)皆の環視の中で合戦が遂行されたので、
*neque recte ac<ref>ac はα系・π系写本の記述で、ρ系写本では aut となっている。</ref> turpiter factum celari poterat,
**立派な行為または見苦しい行為も隠されることができなかったので、
*utrosque et laudis cupiditas et timor ignominiae ad virtutem excitabant<ref>excitabant はB・M・L・N・R写本などの記述で、χ系・B・S・π系・U写本などでは excitabat となっている。</ref>.
**賞賛への功名心も、不名誉への恐れも、双方を武勇へと駆り立てた。
*⑥ Cum a meridie prope ad solis occasum dubia victoria pugnaretur,
**正午から、ほぼ日没の頃まで、勝利が不確実なまま戦われていたときに、
*Germani una in parte confertis turmis
**ゲルマニア人たちが、騎兵部隊を一か所に密集させて、
*in hostes impetum fecerunt eosque propulerunt;
**敵方に突撃を行ない、彼ら(ガリア騎兵)を駆逐した。
*⑦ quibus in fugam coniectis
**その者たち(ガリア騎兵)は逃亡に追いやられて、
*sagittarii circumventi interfectique sunt.
**弓兵たちは包囲されて殺戮された。
*⑧ Item ex reliquis partibus nostri cedentes usque ad castra insecuti
**我が方(ローマ勢)の残りの部隊も、撤退する(ガリア騎兵の)者たちを陣営のところまで追撃して、
*sui colligendi facultatem non dederunt.
**立ち直る機会を与えなかった。
*⑨ At ii qui ab [[w:la:Alesia|Alesia]] processerant,
**そして、[[w:アレシア|アレスィア]]から進み出ていた者たちは、
*maesti prope victoria desperata se in oppidum receperunt.
**ほとんど絶望的な勝利に悲嘆して、城市に退却した。
 
===81節===
'''ガリア来援軍と籠城軍がローマ陣地に夜襲をしかける'''
*① Uno die intermisso Galli
**ガリア人たちは一日を間に置いて、
*atque hoc spatio magno cratium, scalarum, harpagonum numero effecto
**この間に、多数の柴、[[w:梯子|梯子]]、鉤竿を調達して、
*media nocte silentio ex castris egressi
**真夜中に静けさのうちに陣営から進発して、
*ad campestres munitiones accedunt.
**平地の(ローマ勢の)塁壁の辺りへ近づいた。
*② Subito clamore sublato, qua significatione
**突然に雄叫びを上げて、それを合図として、
*qui in oppido obsidebantur de suo adventu cognoscere possent,
**[[w:オッピドゥム|城市]]の中に包囲されている者たちが、自分たちの到来について認識できるようにした。
*crates proicere, fundis, sagittis, lapidibus nostros de vallo proturbare
**柴を投げ込み、投石器で、矢で、石でもって我が方(ローマ勢)を防柵から追い出すこと、
*reliquaque quae ad oppugnationem pertinent parant administrare.
**(塁壁の)攻略のために役立つほかのことに従事すること、を目論んだ。
*③ Eodem tempore clamore exaudito
**同時に(来援軍の)雄叫びを聞き取って、
*dat tuba signum suis [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] atque ex oppido educit.
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]は、麾下の者たちにラッパで指図を与えて、城市から進発させた。
*④ Nostri, ut superioribus diebus, suus cuique<ref>suus cuique はβ系写本の記述で、χ系・B・M・S写本では ut cuique となっている。</ref> erat locus attributus, ad munitiones accedunt;
**我が方(ローマ勢)は、以前の日々に、おのおのの部署が割り当てられており、塁壁のところへ近寄った。
*fundis librilibus sudibusque, quas in opere disposuerant, ac glandibus Gallos proterrent.
**堡塁に分配されていたポンド投石器や杭、並びに玉によって、ガリア人たちを追い払った。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:librilis funda「ポンド投石器」;古代ローマの1ポンド [[w:la:Libra pondus|libra]] は約327グラム<ref>[[w:en:Ancient Roman units of measurement#Weight]]を参照。</ref>。)</span>
*⑤ Prospectu tenebris adempto multa utrimque vulnera accipiuntur.
**眺望が暗闇により奪われて、双方が多くの傷を蒙った。
*Complura tormentis tela coniciuntur.
**かなり多くの飛び道具が(巻上式)投石機によって投じられた。
*⑥ At [[w:la:Marcus Antonius|M.(Marcus) Antonius]] et [[w:la:Gaius Trebonius|C.(Gaius) Trebonius]] legati,
**[[w:マルクス・アントニウス|マルクス・アントニウス]]と[[w:ガイウス・トレボニウス|ガイウス・トレボニウス]] [[w:レガトゥス|両副官]]は、
*quibus hae partes ad defendendum obvenerant,
**この方面を防衛するために割り当てられていたが、
*qua ex parte nostros premi intellexerant,
**我が方(ローマ勢)が押されぎみであると見なした一帯のために、
*his auxilio ex ulterioribus castellis deductos submittebant.
**この者たちを支援するために、向こう側の砦から引き出した者たちを(援兵として)派遣した。
 
===82節===
'''アレスィア内外のガリア勢が障害物に阻まれて退く'''
*① Dum longius ab munitione aberant Galli,
**ガリア人たちは(ローマ勢の)塁壁から遠くに離れていた間は、
*plus multitudine telorum proficiebant;
**飛び道具の多さによって、前進していた。
*posteaquam propius successerunt,
**(塁壁の方へ)さらに近くに進入して来た後では、
*aut se ipsi<ref>ipsi はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> stimulis inopinantes induebant
**あるいは、思いがけず自ら「刺」に陥り、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:stimulus「刺」については、[[#73節|73節]]⑨項を参照。)</span>
*aut in scrobes delati transfodiebantur
**あるいは、穴に陥落して(「百合」で)突き刺されたり、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:「穴」と「百合」については、[[#73節|73節]]⑤~⑧項を参照。)</span>
*aut ex vallo ac turribus traiecti pilis muralibus interibant.
**あるいは、防柵や櫓から[[w:ピルム・ムーリアリス|防壁槍]]で射抜かれて逝った。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:防壁槍については、[[ガリア戦記 第5巻#40節|第5巻40節]]を参照。)</span>
*② Multis undique vulneribus acceptis
**(ガリア勢は)至る所で多くの傷を負ったが、
*nulla munitione perrupta,
**どの(ローマ側の)塁壁も突破されなかった。
*cum lux appeteret,
**<ruby><rb>暁光</rb><rp>(</rp><rt>ぎょうこう</rt><rp>)</rp></ruby>が(空を)染めたとき、
*veriti ne ab latere aperto ex superioribus castris eruptione circumvenirentur,
**開けた側面から、(ローマ勢の)高所の陣営からの突撃によって包囲されないようにと怖れて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:開けた側面とは、盾で守られていない右側のこと。)</span>
*se ad suos receperunt.
**味方のところへ退却した。
*③ At interiores
**それに対して、(アレスィア攻囲の)内側の者たちは、
*dum ea quae a [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorige]] ad eruptionem praeparata erant<ref>praeparata erant は、写本(ω)ではpraeparaverant だが、このように修正提案されている。あるいは、a Vercingetorige が削除提案されている。</ref> proferunt,
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]により、突撃のために準備していたものを運び出して
*priores fossas explent,
**一番前の堀を埋めている間に、
*diutius in his rebus administrandis morati
**これらの事に従事することに、より長く妨げられて、
*prius suos discessisse cognoverunt quam munitionibus adpropinquarent.
**塁壁に近づくよりも前に味方(=来援軍)が退去したことを知ったのだ。
*Ita re infecta in oppidum reverterunt.
**こうして、事は達成されていないものの、[[w:オッピドゥム|城市]]に引き返した。
 
===83節===
'''ウェルカッスィウェッラウヌスが兵6万を率いて急所の丘へ向かう'''
*① Bis magno cum detrimento repulsi Galli
**大きな損害とともに二度も撃退されたガリア人たちは、
*quid agant consulunt;
**何をなすべきかを協議した。
*locorum peritos adhibent;
**(その)土地に熟知した者たちを招いた。
*ex his superiorum castrorum situs munitionesque cognoscunt.
**この者たちから、(ローマ勢の)高いところの陣営の位置や塁壁を調べ上げた。
*② Erat a septentrionibus collis,
**(アレスィアの)北方に丘陵があって、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:これは現在のレア山 le Mont R&eacute;a であると思われ、山頂にはメネルー=ル=ピトワ村<ref>[[w:fr:Ménétreux-le-Pitois]]や[http://maps.google.fr/maps?f=q&hl=fr&geocode=&q=m%C3%A9n%C3%A9treux+le+pitois&sll=42.423457,8.789063&sspn=23.611541,40.957031&ie=UTF8&t=h&hq=&hnear=M%C3%A9n%C3%A9treux-le-Pitois,+C%C3%B4te-d'Or,+Bourgogne&ll=47.55475,4.460106&spn=0.018507,0.010042&z=15 Google map]などを参照。</ref>がある。)</span>
*quem propter magnitudinem circuitus
**その周囲の大きさのために、
*opere circumplecti non potuerant nostri,
**我が方(ローマ勢)は、堡塁により囲い込むことができずにいた。
*necessarioque<ref>-que はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> paene iniquo loco et leniter<ref>leniter はπ系写本の記述で、α系・ρ系写本では leviter となっている。</ref> declivi castra fecerunt<ref>fecerunt はα系写本の記述で、β系写本では fecerant となっている。</ref>.
**やむをえず、ほとんど不利でゆるやかに傾斜した地点に陣営を造った。
*③ Haec C.(Gaius) Antistius Reginus et C.(Gaius) Caninius Rebilus legati
**これを、ガイウス・アンティスティウス・レギヌスとガイウス・カニニウス・レビルス [[w:レガトゥス|両副官]]が
*cum duabus legionibus obtinebant.
**2個軍団とともに占めていた。
*④ Cognitis per exploratores regionibus duces hostium
**敵方の将帥たちは、偵察者たちを通じて一帯を調べ上げて、
*LX(sexaginta) milia ex omni numero deligunt
**総員のうちから6万名を選抜した。
*earum civitatum quae maximam virtutis opinionem habebant;
**武勇において大きな評判を得ている部族のうち(から選抜した)。
*⑤ quid quoque pacto agi placeat, occulte inter se constituunt;
**何が、どんな方法で行なわれるのがよいか、互いに密かに取り決めた。
*adeundi tempus definiunt, cum meridie<ref>meridie は中世の写本(ω)の記述であるが、近世の写本(ς)では meridies となっている。</ref> esse videatur.
**正午であると思われる頃を突撃する時と定めた。
*⑥ His copiis [[w:la:Vercassivellaunus|Vercassivellaunum]] Arvernum,
**この軍勢を、[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]のウェルカッスィウェッラウヌス、
*unum ex quattuor ducibus, propinquum [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorigis]], praeficiunt.
**(すなわち)4人の将帥たちの1人で、[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]の親族である者に、指揮させた。
*⑦ Ille ex castris prima vigilia egressus
**彼(ウェルカッスィウェッラウヌス)は、陣営から第一夜警時に進発して、
*prope confecto sub lucem itinere
**夜明け前にほぼ行軍が成し遂げられて、
*post montem se occultavit
**山の後ろに身を隠して、
*militesque ex nocturno labore sese reficere iussit.
**兵士たちに夜間の疲労を回復しておくことを命じた。
*⑧ Cum iam meridies adpropinquare videretur,
**すでに正午に近付いていると思われたときに、
*ad ea castra, quae supra demonstravimus, contendit;
**前に述べた陣営のところへ急いだ。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:本節②項を参照。)</span>
*eodemque tempore equitatus ad campestres munitiones accedere
**同時に(ガリア来援軍の)[[w:騎兵隊|騎兵隊]]が平地の(ローマ勢の)塁壁のところへ近付き、
*et reliquae copiae pro castris sese ostendere coeperunt.
**残りの軍勢が陣営の前に姿を現わし始めた。
 
===84節===
'''ウェルキンゲトリクスらアレスィア籠城軍も善戦する'''
*① [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] ex arce [[w:la:Alesia|Alesiae]] suos conspicatus ex oppido egreditur;
**[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]は、[[w:アレシア|アレスィア]]の高台から味方を望見して、[[w:オッピドゥム|城市]]から進発した。
*a castris<ref>a castris はβ系写本の記述で、α系写本では単に castris となっている。</ref>, longurios, musculos, falces
**陣営から、長い竿、小屋、破城鎌や、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:falx「破城鎌」については、[[ガリア戦記 第5巻#42節|第5巻42節]]を参照。)</span>
*reliquaque quae eruptionis causa paraverat profert.
**(塁壁を)突破するために準備していたほかのものを運び出した。
*② Pugnatur uno tempore omnibus locis atque omnia temptantur;
**一時にあらゆる場所で戦われて、あらゆることが試みられた。
*quae minime visa pars firma est, huc concurritur.
**あまり堅固ではないと思われる部分、ここへ襲いかかった。
*③ Romanorum manus tantis munitionibus distinetur
**ローマ人の手勢は、これほどの(長大な)塁壁により離して置かれていて、
*nec facile pluribus locis occurrit.
**より多くの場所には容易に駆け付けられなかった。
*④ Multum ad terrendos nostros valet clamor qui post tergum pugnantibus exstitit,
**戦っている者たちの背後で生じた雄叫びは、我が方(ローマ勢)を怖れさせるために大いに力があった。
*quod suum periculum in aliena vident virtute<ref>virtute「武勇」 はβ系写本の記述で、α系写本では salute「安全」 となっている。</ref> constare;
**というのは、自分たち(ローマ勢)の危険が他人(ガリア勢)の武勇に依拠していると思ったから。
*omnia enim plerumque, quae absunt, vehementius hominum mentes perturbant.
**なぜなら(そこに)不在であるものすべてはたいてい、人間の心を激しく混乱させるものであったからである。
 
===85節===
'''ウェルカッスィウェッラウヌスが急所の丘を攻める'''
*① Caesar idoneum locum nactus
**カエサルは適当な場所を得て,
*quid quaque in<ref>quaque in はβ系写本の記述で、α系写本では qua ex となっている。</ref> parte geratur cognoscit;
*何が各方面でなされているのかを認識した。
*laborantibus submittit.
**苦戦している者たちに(援兵を)派遣した。
*② Utrisque ad animum occurrit unum esse illud tempus, quo maxime contendi conveniat:
**双方にとって、最も雌雄を決するべきはこの時のみであるということが、心に生じた。
*③ Galli, nisi perfregerint munitiones, de omni salute desperant;
**ガリア人たちは、(ローマ人の)塁壁を突破しない限り、あらゆる身の安全に絶望することになる。
*Romani, si rem obtinuerint, finem laborum omnium exspectant.
**ローマ人は、もし事を成就したら、すべての労苦の終わるということを期待した。
*④ Maxime ad superiores munitiones laboratur, quo [[w:la:Vercassivellaunus|Vercassivellaunum]] missum demonstravimus.
**ウェルカッスィウェッラウヌスが派遣されたと既述した、より高い塁壁の辺りで(ローマ勢は)とりわけ苦戦した。
*Iniquum loci ad declivitatem fastigium magnum habet momentum.
**けわしい地形の不利な傾斜が(ローマ勢にとって)大きな影響力を持った。
*⑤ Alii tela coniciunt, alii testudine facta subeunt;
**(ガリア勢の)ある者は飛び道具を投げやって、ある者は[[w:テストゥド|亀甲陣形]]を形成して突き進んだ。
*defatigatis invicem integri succedunt.
**疲労させられた者たちに対しては、新手の者たちが交代した。
*⑥ Agger ab universis in munitionem coniectus
**土が総勢により(ローマ人の)塁壁に投じられて、
*et ascensum dat Gallis
**ガリア人たちに登り道を与えもしたし、
*et ea, quae in terra occultaverant Romani, contegit;
**ローマ人たちが地中に隠しておいたもの(障害物)を埋め込んでしまった。
*nec iam arma nostris nec vires suppetunt.
**我が方(ローマ勢)には、もはや武器も活力も十分になかった。
 
===86節===
'''危急存亡の秋、両軍の苦闘'''
*① His rebus cognitis
**これらの事態を知って、
*Caesar [[w:la:Titus Labienus|Labienum]] cum cohortibus sex subsidio laborantibus mittit;
**カエサルは、[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ラビエヌス]]を6個<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>とともに援兵として苦戦している者たちへ派遣した。
*② imperat, si sustinere non possit<ref>possit はχ系・B・M・S・β系写本の記述で、L・N写本では posset となっている。</ref>, deductis cohortibus eruptione pugnaret<ref>pugnaret はα系写本の記述で、β系写本では pugnet となっている。</ref>;
**もし(塁壁の防衛が)持ちこたえられなかったならば、諸大隊を引率して突撃によって戦うように、と命令していた。
*id nisi necessario ne faciat.
**それは、やむをえないのでなければ行なわないように(と命じていた)。
*③ Ipse adit reliquos, cohortatur ne labori succumbant;
**(カエサル)自身は、ほかの者たちを訪れて、労苦に屈服しないようにと鼓舞した。
*omnium superiorum dimicationum fructum in eo die atque hora docet consistere.
**これまでのあらゆる奮闘の結実がこの日、この時にかかっていることを説いた。
*④ Interiores desperatis campestribus locis propter magnitudinem munitionum
**(アレスィアに包囲されている)内側の者たちは、塁壁の大規模さのために、平坦な地点(での突破)を断念して、
*loca praerupta ex ascensu temptant;
**けわしい場所を登り坂から攻撃してみた。
*huc ea quae paraverant conferunt.
**ここに、準備していたものを運び集めた。
*⑤ Multitudine telorum ex turribus propugnantes deturbant,
**たくさんの飛び道具によって、防戦している者たちを櫓から駆逐した。
*aggere et cratibus fossas explent,
**土砂や柴で堀を埋めて、
*falcibus vallum ac loricam rescindunt.
**破城鎌によって防柵や胸壁を切り裂いた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:falx「破城鎌」については、[[ガリア戦記 第5巻#42節|第5巻42節]]を参照。)</span>
 
===87節===
'''カエサルの救援、ラビエヌスの作戦'''
*① Mittit primo<ref>primo はφ系・ρ系写本の記述で、χ系・π系写本では primum となっている。</ref> [[w:la:Decimus Iunius Brutus Albinus|Brutum adulescentem]] cum cohortibus Caesar,
**カエサルは、初めに[[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|青年ブルトゥス]]を諸<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>とともに派遣して、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:デキムス・ブルトゥスには[[ガリア戦記 第3巻#14節|第3巻14節]]で艦隊を、本巻[[#9節|9節]]②項では騎兵隊を指揮させている。)</span>
*post cum aliis C.(Gaium) Fabium legatum;
**後に副官のガイウス・ファビウスをほかの隊とともに(派遣した)。
*postremo ipse, cum vehementius pugnaretur,
**最後には(カエサル)自身が、激しく戦われていたので、
*integros subsidio adducit.
**新手の者たちを援兵として率いて行った。
*② Restituto proelio ac repulsis hostibus
**戦況が回復され、敵方が撃退されると、
*eo quo Labienum miserat contendit;
**ラビエヌスを派遣していたところに急いだ。
*cohortes IIII(quattuor) ex proximo castello deducit,
**近隣の砦から4個歩兵大隊を引き出して、
*equitum partem se<ref>se はβ系写本の記述で、α系写本にはない。</ref> sequi,
**[[w:騎兵|騎兵]]のある一部には、自らに随行することを、
*partem circumire exteriores munitiones et ab<ref>ab はα系写本の記述で、β系写本では a となっている。</ref> tergo hostes adoriri iubet.
**別の一部には、外側の塁壁を取り囲んで、敵方を背後から襲撃することを命じた。
*③ Labienus, postquam neque aggeres neque fossae vim hostium sustinere poterant,
**ラビエヌスは、土塁も堀も敵方の武力に持ちこたえることができなかった後で、
*coactis una XL(quadraginta) cohortibus, quas ex proximis praesidiis deductas fors obtulit,
**近隣の宿営地から、はからずも引き出しておいた40個歩兵大隊を集結させて、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:この数は、写本によって異なり、モイゼルらは undecim「11個」と提案している。)</span>
*Caesarem per nuntios facit certiorem, quid faciendum existimet.
**何がなされるべきと考えたのかを、カエサルに伝令を通じて報告した。
*Accelerat Caesar, ut proelio intersit.
**カエサルは、戦闘(の場)に居合わせるように急いで行った。
 
===88節===
'''雌雄決し、ガリア来援軍が敗走'''
*① Eius adventu ex colore vestitus cognito, quo insigni in proeliis uti consuerat,
**彼(カエサル)の到来が、(彼が)戦闘において目印として用いるのが常であった衣服の色から認識され、
**:<span style="color:#009900;">(訳注:カエサルは、真紅の外套を着用していたようである。)</span>
*turmisque equitum et cohortibus visis quas se sequi iusserat,
**(カエサルが)自らに随行することを命じていた諸<ruby><rb>[[w:騎兵|騎兵]]小隊</rb><rp>(</rp><rt>トゥルマ</rt><rp>)</rp></ruby>や諸<ruby><rb>[[w:コホルス|歩兵大隊]]</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>が望見されて、
*ut de locis superioribus haec declivia et devexa cernebantur,
**(ウェルカッスィウェッラウヌスらが派遣された)高地から、これらの斜面や急坂が見分けられたので、
*hostes proelium committunt.
**敵方(ガリア勢)は戦端を開いた。
*② Utrimque clamore sublato
**(ガリア来援軍とアレスィア籠城軍の)双方から雄叫びが上げられて、
*excipit rursus ex vallo atque omnibus munitionibus clamor.
**さらに、防柵やすべての塁壁から(ローマ勢の)雄叫びが続いた。
*Nostri omissis pilis gladiis rem gerunt.
**我が方(ローマ勢)は<ruby><rb>[[w:ピルム|投槍]]</rb><rp>(</rp><rt>ピルム</rt><rp>)</rp></ruby>を放棄して、<ruby><rb>[[w:グラディウス (武器)|長剣]]</rb><rp>(</rp><rt>グラディウス</rt><rp>)</rp></ruby>で合戦した。
*③ Repente post tergum equitatus cernitur;
**不意に(ガリア勢の)背後に(ローマ勢の)騎兵隊が見分けられた。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:87節②項で、カエサルは騎兵隊に外壁を迂回して敵を背後から襲撃するように命じていた。)</span>
*cohortes aliae adpropinquant.
**別の諸<ruby><rb>歩兵大隊</rb><rp>(</rp><rt>コホルス</rt><rp>)</rp></ruby>も接近して来た。
*Hostes terga vertunt;
**敵方(ガリア勢)は、(ローマ勢に)背を向けた。
*fugientibus equites occurrunt.
**逃げる者たち(ガリア勢)を(ローマ勢の)騎兵たちが追撃した。
*Fit magna caedes.
**大虐殺が起こった。
*④ Sedullus, dux et princeps Lemovicum, occiditur;
**レモウィケス族の将帥で領袖であるセドゥッルスが斃された。
*[[w:la:Vercassivellaunus|Vercassivellaunus]] Arvernus vivus in fuga comprehenditur;
**[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]のウェルカッスィウェッラウヌスは逃亡中に生きたまま捕らえられた。
*signa militaria LXXIIII(septuaginta quattuor) ad Caesarem referuntur;
**(ガリア勢の)74本の軍旗がカエサルのところへ運んで来られた。
*pauci ex tanto numero se incolumes<ref>se incolumes はα系写本の記述で、β系写本では incolumes se となっている。</ref> in castra recipiunt.
**これほどの兵数のうち、わずかな者たち(だけ)が無傷のまま陣営に退却した。
*⑤ Conspicati ex oppido caedem et fugam suorum
**(アレスィアの)[[w:オッピドゥム|城市]]から味方の虐殺や逃亡を視認した者たちは、
*desperata salute copias a munitionibus reducunt.
**身の安全に絶望して、軍勢を塁壁から(城市に)呼び戻した。
*⑥ Fit protinus hac re audita ex castris Gallorum fuga.
**この事態が聞かれるとただちに、(来援に来ていた)ガリア人たちの陣営から逃亡が生じた。
*Quodnisi crebris subsidiis ac totius diei labore milites essent defessi,
**もし、たびたびの(味方への)支援や一日中の働きにより兵士たちが疲れ果てていなかったならば、
*omnes hostium copiae deleri potuissent.
**敵方(ガリア来援軍)の全軍勢が壊滅させられることが可能であっただろう。
*⑦ De media nocte missus equitatus novissimum agmen consequitur;
**真夜中の頃に、派遣されていた(ローマ勢の)騎兵隊が(ガリア勢の)後衛に追いついて、
*magnus numerus capitur atque interficitur;
**(ガリア勢の)大多数が捕らえられ、かつ殺戮された。
*reliqui ex fuga in civitates discedunt.
**(ガリア来援軍の)残りの者たちは、逃亡して諸部族のところに逃げのびた。
 
==ガリア同盟軍主力の降伏==
===89節===
[[画像:Die_Gartenlaube_(1892)_b_397.jpg|thumb|right|330px|「カエサルの陣営に投降するウェルキンゲトリクス」<br>“Vercingétorix se rendant au camp de César”、<br>アンリ=ポール・モット([[w:fr:Henri-Paul_Motte|Henri-Paul Motte]])画、1886年。<br>[[w:ル・ピュイ=アン=ヴレ|ル・ピュイ=アン=ヴレ]]のクロザティエ美術館([[w:fr:Musée Crozatier au Puy-en-Velay|Musée Crozatier]] au [[w:fr:Le Puy-en-Velay|Puy-en-Velay]])蔵。(作品そのものはカラー)]]
[[画像:Siege-alesia-vercingetorix-jules-cesar.jpg|thumb|right|330px|「ウェルキンゲトリクスが彼の武器をユリウス・カエサルの足元に投げ捨てる」“Vercingétorix jette ses armes aux pieds de Jules César”、リオネル=ノエル・ロワイエ([[w:fr:Lionel Royer|Lionel-Noël Royer]])
画、1899年。[[w:ル・ピュイ=アン=ヴレ|ル・ピュイ=アン=ヴレ]]のクロザティエ美術館([[w:fr:Musée Crozatier au Puy-en-Velay|Musée Crozatier]] au [[w:fr:Le Puy-en-Velay|Puy-en-Velay]])蔵。]]
[[画像:Coin_Vercingetorix.jpg|thumb|right|300px|ローマがBC48年に発行した[[w:デナリウス|デナリウス銀貨]]。ウェルキンゲトリクスの横顔が刻まれているとも言われ、[[w:マメルティヌスの牢獄|トゥッリアヌム牢獄]]に虜囚となっているかつてのガリアの盟主を見せしめにしたものとも考えられる。彼はBC46年に処刑されたが、カエサルもBC44年に暗殺された。]]
'''ウェルキンゲトリクスとアレスィア籠城軍の降伏'''
*① Postero die [[w:la:Vercingetorix|Vercingetorix]] concilio convocato
**(来援軍が敗走した)翌日に、[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]は会合を召集して、
*id bellum se suscepisse<ref>se suscepisse はα系写本の記述で、β系写本では suscepisse se となっている。</ref>
**この戦争を引き受けたことは
*non suarum necessitatum<ref>necessitatum はχ系・S・L・N・β系写本の記述で、B・M写本では necessitatium となっている。</ref>, sed communis libertatis causa demonstrat,
**自らの(野心の)必要性からではなく、(ガリア)共通の自由のためだ、と明言した。
*② et quoniam sit fortunae cedendum,
**運命には従うべきものなのであるから、
*ad utramque rem se illis offerre,
**(敗軍の将として、以下の)どちらの事にも、自ら(の処遇)を彼ら(ガリア人たち)に委ねよう。
*seu morte sua Romanis satisfacere
**あるいは(ウェルキンゲトリクス)自らの死によってローマ人たちに償うこと(を欲する)にせよ、
*seu vivum tradere velint.
**あるいは生きたまま(ローマ人たちに)引き渡すことを欲するにせよ、と。
*③ Mittuntur de his rebus ad Caesarem legati.
**これらの事柄について、カエサルのところへ使節たちが遣わされた。
*Iubet arma tradi, principes produci.
**(カエサルは)武器が引き渡されること、領袖たちが連行されて来ることを命じた。
*④ Ipse in munitione pro castris consedit;
**(カエサル)自身は、陣営の前の塁壁のところに腰掛けた。
*eo duces producuntur.
**そこに(アレスィアに籠城していた)将帥たちが連行されて来た。
*Vercingetorix deditur, arma proiciuntur.
**ウェルキンゲトリクスが引き渡されて、武器が投げ捨てられた。
*⑤ Reservatis [[w:la:Haedui|Haeduis]] atque Arvernis,
**(カエサルは)[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]と[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]](の将兵たち)を保持しておいた。
*si per eos civitates reciperare<ref>reciperare はχ系・B<sup>1</sup>・S・U写本の記述で、B<sup>c</sup>・M・L・N・π系・R写本では recuperare となっている。</ref> posset,
**彼らによって両部族国家を(同盟国として)回復できないだろうかと(考えたのだ)。
*ex reliquis captivis toto exercitui capita singula praedae nomine distribuit.
**残りの(諸部族の)捕虜たちから、全軍(のローマ人)に一名ずつを戦利品という名目で分配した。
 
===90節===
[[画像:Autun_porte_Saint-André.JPG|thumb|right|300px|[[w:オータン|オータン市]]に遺されたローマ時代からの聖アンドレ門。[[w:ビブラクテ|ビブラクテ]]を首邑としていた[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]は、ローマ帝政初期に東方の平地に移り、「[[w:アウグストゥス|アウグストゥス]]の砦」を意味するアウグストドゥヌム([[w:la:Augustodunum|Augustodunum]])を建設して首邑とした。これが現在のオータン(Autun)となっている。]]
[[画像:Clermont_vu_de_Montjuzet.JPG|thumb|right|300px|[[w:クレルモン=フェラン|クレルモン=フェラン市]]の街並み。ローマに降伏した[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]は、後に首邑のゲルゴウィアを廃城とされ、北方の平野にあるネメトゥム(Nemetum)に移住させられた。帝政初期に[[w:アウグストゥス|アウグストゥス]]に由来するアウグストネメトゥム([[w:la:Augustonemetum|Augustonemetum]])に改称して、[[w:クレルモン教会会議|クレルモン教会会議]]が開かれるなど宗教的中心地として栄え、現在のクレルモン=フェランに至る。]]
'''ハエドゥイ族とアルウェルニ族の降伏、諸軍団の冬営'''
*① His rebus confectis in [[w:la:Haedui|Haeduos]] proficiscitur;
**これらの事が成し遂げられて、(カエサルは)[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]のところに出発した。
*civitatem recipit.
**同部族を(同盟国として)回復した。
*② Eo legati ab Arvernis missi:
**そこに、[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]から使節たちが遣わされて来て、
*quae imperaret, se facturos pollicentur.
**自分たちは(カエサルが)命令したことを行なうであろう、と約束した。
*Imperat magnum numerum obsidum.
**(カエサルは)多数の人質(の供出)を命令した。
*③ Legiones in hiberna mittit.
**(カエサルは)諸[[w:ローマ軍団|軍団]]を冬営地に派遣した。
*Captivorum circiter XX(viginti) milia Haeduis Arvernisque reddit.
**捕虜たち約2万人をハエドゥイ族とアルウェルニ族に返還した。
*④ [[w:la:Titus Labienus|T.<small>(Titum)</small> Labienum]] duabus cum<ref>duabus cum はχ系・B・M・S写本の記述で、L・N・β系写本では cum duabus となっている。</ref> legionibus et equitatu in Sequanos proficisci iubet;
**[[w:ティトゥス・ラビエヌス|ティトゥス・ラビエヌス]]を2個軍団および[[w:騎兵|騎兵隊]]とともにセクアニ族のところに出発することを命じた。
*huic M.<small>(Marcum)</small> Sempronium Rutilum attribuit.
**彼には、マルクス・[[w:センプロニウス氏族|センプロニウス]]・ルティルスを付属させた。
*⑤ C.<small>(Gaium)</small> Fabium legatum et L.<small>(Lucium)</small> Minucium Basilum cum legionibus duabus in Remis conlocat,
**副官 ガイウス・ファビウスとルキウス・ミヌキウス・バスィルスを2個軍団とともにレミ族のところに配置した。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:バスィルスは[[ガリア戦記 第6巻#29節|第6巻29節]]で騎兵隊を指揮した。)</span>
*ne quam ab<ref>ab はφ系写本の記述で、χ系・β系写本では a となっている。</ref> finitimis Bellovacis calamitatem accipiant.
**(レミ族が)近隣のベッロウァキ族から何らかの災禍を蒙らないようにしたのである。
*⑥ C.<small>(Gaium)</small> Antistium Reginum in Ambivaretos,
**ガイウス・アンティスティウス・レギヌスをアンビウァレティ族のところに、
*T.<small>(Titum)</small> Sextium in Bituriges,
**ティトゥス・セクスティウスをビトゥリゲス族のところに、
*C.<small>(Gaium)</small> Caninium Rebilum in Rutenos cum singulis legionibus mittit.
**ガイウス・カニニウス・レビルスをルテニ族のところに、それぞれ1個軍団とともに派遣した。
*⑦ [[w:la:Quintus Tullius Cicero|Q.<small>(Quintum)</small> Tullium Ciceronem]] et P.<small>(Publium)</small> Sulpicium
**[[w:クィントゥス・トゥッリウス・キケロ|クィントゥス・トゥッリウス・キケロ]]とプブリウス・スルピキウス(・ルフス)を
*[[w:la:Cabillonum|Cavilloni]]<ref>Cavilloni はβ系写本の記述で、α系写本などでは Cabilloni となっている。</ref> et [[w:la:Matisco|Matiscone]] in Haeduis ad Ararim rei frumentariae causa conlocat.
**ハエドゥイ族のところのアラル川沿いのカウィッロヌムとマティスコに、糧秣調達のために配置した。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:カウィッロヌムは現在の[[w:シャロン=スュル=ソーヌ|シャロン=スュル=ソーヌ]]、マティスコは現在の[[w:マコン|マコン]]。)</span>
*Ipse [[w:la:Bibracte|Bibracte]] hiemare constituit.
**(カエサル)自身は、[[w:ビブラクテ|ビブラクテ]]で冬営することを決めた。
*⑧ His litteris<ref>his litteris「これらが書簡により(知られると)」はα系写本の記述で、β系写本では huius anni rebus「この年の事績が(知られると)」と異なっており、huius anni rebus <ex Caesaris> litteris「この年の事績が<カエサルの>書簡により(知られると)」 などと修正提案されている。」</ref> cognitis Romae dierum viginti supplicatio redditur.
**これらが(カエサルの)書簡により知られると、ローマで20日間の感謝祭が許された。
**:<span style="color:#009900;">(訳注:[[ガリア戦記 第2巻#35節|第2巻35節]]では、かつてない15日間の感謝祭が決議されたが、今回はそれを超えるものであった。)</span>
 
==脚注==
<references />
 
==参考リンク==
'''ウィキペディア英語版など'''
*'''[[w:en:Category:Tribes of ancient Gaul|Category:Tribes of ancient Gaul]]'''('''[[w:Category:ガリアの部族|Category:ガリアの部族]]''')- [[w:fr:Catégorie:Personnalité gauloise|fr:Catégorie:Personnalité gauloise]]
**[[w:en:Allobroges|Allobroges]](アッロブロゲス族)
**'''[[w:en:Arverni|Arverni]]'''('''[[w:アルウェルニ族|アルウェルニ族]]''')
**:'''[[w:en:Vercingetorix|Vercingetorix]]'''('''[[w:ウェルキンゲトリクス|ウェルキンゲトリクス]]''')- '''<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Vercingetorix|la:Vercingetorix]]</span>'''
**:[[w:fr:Celtillos|fr:Celtillos]](ケルティッルス);ウェルキンゲトリクスの父
**:[[w:fr:Gobannitio|fr:Gobannitio]](ゴバンニティオ);ウェルキンゲトリクスのおじ
**:[[w:en:Vercassivellaunos|Vercassivellaunos]](ウェルカッスィウェッラウヌス) - <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Vercassivellaunus|la:Vercassivellaunus]]</span>
**:Critognatus(クリトグナトゥス)- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Critognatus|la:Critognatus]]</span>
**[[w:en:Atrebates|Atrebates]](アトレバテス族)
**:[[w:en:Commius|Commius]]([[w:コンミウス|コンミウス]]):ガリアとブリタンニアにおけるアトレバテス族の王
**[[w:en:Aedui|Aedui]]([[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]])- '''<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Haedui|la:Haedui]]</span>''';ガリア中部の有力部族 - [[w:fr:Éduens|fr:Éduens]] <[[w:fr:Catégorie:Éduens|fr:Catégorie:Éduens]]
**:[[w:en:Convictolitavis|Convictolitavis]](コンウィクトリタウィス)- [[w:fr:Convictolitavis|fr:Convictolitavis]]
**:[[w:fr:Cotos|fr:Cotos]](コトゥス)
**:[[w:fr:Litaviccos|fr:Litaviccos]](リタウィックス)
**:エポレドリクス - <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Eporedorix|la:Eporedorix]]</span>
**:ウィリドマルス
**[[w:en:Andes (Andecavi)|Andes (Andecavi)]](アンデス族);現在の[[w:アンジェ|アンジェ]](Angers)周辺の部族
**[[w:en:Aulerci|Aulerci]](アウレルキ族);現在のフランス北西部に居住していた部族連合
**[[w:en:Bellovaci|Bellovaci]](ベッロウァキ族)
**[[w:en:Bituriges|Bituriges]](ビトゥリゲス族);現在の[[w:ブールジュ|ブールジュ]](Bourges)周辺の部族。[[#5節|5節]]でガリア同盟軍に寝返る。
**[[w:en:Boii|Boii]](ボイイ族)- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Boii|la:Boii]]</span>;[[w:ボヘミア|ボヘミア]]([[w:la:Bohemia|la:Bohemia]])から移住してきた部族
**Cadurci(カドゥルキ族);現在の[[w:カオール|カオール]](Cahors)周辺の部族 - [[w:fr:Cadurques|fr:Cadurques]]
**:[[w:en:Lucterius|Lucterius]](ルクテリウス);カドゥルキ族の指導者、[[#5節|5節]]を参照。
**[[w:en:Carnutes|Carnutes]](カルヌテス族);現在の[[w:シャルトル|シャルトル]](Chartres)周辺の部族
**[[w:en:Gabali|Gabali]](ガバリ族)
**Haedui ⇒ Aedui
**[[w:en:Helvii|Helvii]](ヘルウィイ族);ガリア南部にいたローマの同盟部族
**[[w:en:Lemovices|Lemovices]](レモウィケス族);現在の[[w:リモージュ|リモージュ]](Limoges)周辺の部族
**:[[w:en:Sedullos|Sedullos]](セドゥッルス Sedullus);レモウィケス族の将帥・領袖
**[[w:en:Lingones|Lingones]](リンゴネス族)- [[w:fr:Lingons|fr:Lingons]];現在のラングル([[w:en:Langres|Langres]])周辺の部族
**[[w:en:Mandubii|Mandubii]](マンドゥビイ族);[[w:アレシア|アレスィア]]周辺にいた部族
**Nitiobroges(ニティオブロゲス族)- [[w:fr:Nitiobroges|fr:Nitiobroges]]
**:[[w:fr:Ollovico|fr:Ollovico]](オッロウィコ);ローマ元老院から友人と呼ばれた王
**:[[w:fr:Teutomatos|fr:Teutomatos]](テウトマトゥス);王で、オッロウィコの子
**[[w:en:Parisii (Gaul)|Parisii (Gaul)]]([[w:パリシイ族|パリスィイ族]]);現在の[[w:パリ|パリ]]周辺の部族
**[[w:en:Pictones|Pictones]](ピクトネス族);現在の[[w:ポワチエ|ポワティエ]](Poitiers)周辺の部族
**[[w:en:Remi|Remi]](レミ族)
**[[w:en:Ruteni|Ruteni]](ルテニ族)
**[[w:en:Segusiavi|Segusiavi]](セグスィアウィ族)
**[[w:en:Senones|Senones]](セノネス族)- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Senones|la:Senones]]</span>;現在の[[w:サン (ヨンヌ県)|サン]](Sens)周辺の部族
***[[w:en:Acco|Acco]](アッコ)
**[[w:en:Sequani|Sequani]](セクアニ族)
**[[w:en:Treveri|Treveri]](トレウェリ族)
**[[w:en:Turones|Turones]](トゥロニ族/トゥロネス族);現在の[[w:トゥール (アンドル=エ=ロワール県)|トゥール]](Tours)周辺の部族
**[[w:en:Volcae|Volcae]](ウォルカエ族)
*<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Germani|la:Germani]]</span>(ゲルマニア人)
 
 
*'''ガリアの地名''' - '''[[w:la:Categoria:Urbes Franciae|la:Categoria:Urbes Franciae]]'''(フランスの都市)
**<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Agedincum|la:Agedincum]]</span>(アゲディンクム);現在の[[w:サンス|サンス]]([[w:en:Sens|Sens]])
**[[w:en:Alesia_(city)|Alesia (city)]]([[w:アレシア|アレスィア]])- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Alesia|la:Alesia]]</span>:現在のアリーズ=サント=レーヌ([[w:fr:Alise-Sainte-Reine|fr:Alise-Sainte-Reine]])
**:'''[[w:en:Battle_of_Alesia|Battle of Alesia]]'''('''[[w:アレシアの戦い|アレスィアの戦い]]''')- '''<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Alesiae_pugna|la:Alesiae pugna]]</span>'''
**[[w:en:Avaricum|Avaricum]] ⇒ [[w:en:Bourges|Bourges]](アウァリクム - 現在の[[w:ブールジュ|ブールジュ]])- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Avaricum_Biturigum|la:Avaricum Biturigum]]</span>
**[[w:en:Bibracte|Bibracte]]([[w:ビブラクテ|ビブラクテ]]) - <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Bibracte|la:Bibracte]]</span>:[[w:ハエドゥイ族|ハエドゥイ族]]の首邑。現在のボーヴレ山([[w:fr:Mont_Beuvray|fr:Mont Beuvray]])の山頂に位置していた。
**<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Cabillonum|la:Cabillonum]]</span>(カビッロヌム/カウィッロヌム)- 現在の[[w:シャロン=スュル=ソーヌ|シャロン=スュル=ソーヌ]]([[w:fr:Chalon-sur-Saône|fr:Chalon-sur-Saône]])
**[[w:en:Cenabum|Cenabum]](ケナブム)- 現在の[[w:オルレアン|オルレアン]] - [[w:fr:Cenabum|fr:Cenabum]]
**<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Decetia|la:Decetia]]</span>(デケティア)- [[w:en:Decize|en:Decize]] - 現在のドスィーズ(ドシーズ)([[w:fr:Decize|fr:Decize]])
**[[w:en:Gergovie|Gergovie]](ゲルゴウィア)- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Gergovia|la:Gergovia]]</span>
**:'''[[w:en:Battle of Gergovia|Battle of Gergovia]]'''('''[[w:ゲルゴウィアの戦い|ゲルゴウィアの戦い]]''')- '''<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Obsidio Gergoviensis|la:Obsidio Gergoviensis]]</span>'''
**[[w:en:Gorgobina|Gorgobina]](ゴルゴビナ);ボイイ族が定住した城市。現在のサン=パリズ=ル=シャテル([[w:en:Saint-Parize-le-Châtel|Saint-Parize-le-Châtel]])またはラ・ゲルシュ([[w:en:La Guerche|La Guerche]])
**'''[[w:en:Lutetia|Lutetia]]'''('''[[w:ルテティア|ルテティア]]'''/ルテキア);[[w:パリシイ族|パリスィイ族]]の首邑、現在の[[w:パリ|パリ市]] - <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Lutetia|la:Lutetia]]</span>
**<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Matisco|la:Matisco]]</span>(マティスコ);現在の[[w:マコン|マコン]](Mâcon)
**Metlosenum(メトロセドゥム/メティオセドゥム/メロドゥヌム);現在の[[w:ムラン|ムラン]] - <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Melodunum|la:Melodunum]]</span>
**[[w:en:Narbonne|Narbonne]]([[w:ナルボンヌ|ナルボンヌ]];ラテン名ナルボ)- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Narbo|la:Narbo]]</span>;ガリア南部・地中海岸のローマの拠点
**[[w:en:Noviodunum|Noviodunum]](ノウィオドゥヌム)- 現在のヌン=スュル=ブーヴロン([[w:en:Neung-sur-Beuvron|Neung-sur-Beuvron]])と推定されている。従来はローヌ川沿いの[[w:サンセール|サンセール]]([[w:en:Sancerre|Sancerre]])が有力だった
**[[w:en:Vellaunodunum|Vellaunodunum]](ウェッラウノドゥヌム)- [[w:fr:Vellaunodunum|fr:Vellaunodunum]];現在のモンタルジ([[w:en:Montargis|Montargis]])やボーヌ=ラ=ロランド([[w:en:Beaune-la-Rolande|Beaune-la-Rolande]])、シャトー=ランドン([[w:en:Château-Landon|Château-Landon]])などと推定されている
**[[w:en:Vienne, Isère|Vienne, Isère]](ヴィエンヌ;ラテン名ウィエンナ)- [[w:la:Vienna|la:Vienna]]
*'''ガリアの地形'''
**Cevenna(ケウェンナ山地):現在のセヴェンヌ山地([[w:fr:Cévennes|fr:Cévennes]]・[[w:en:Cévennes|Cévennes]])
**<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Elaver|la:Elaver]]</span>(エラウェル川):現在の[[w:アリエ川|アリエ川]]([[w:fr:Allier (rivière)|fr:Allier (rivière)]])
**<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Liger|la:Liger]]</span>(リゲル川):現在の[[w:ロワール川|ロワール川]]([[w:fr:Loire (fleuve)|fr:Loire (fleuve)]])
**<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Rhenus|la:Rhenus]]</span>(レヌス川):現在の[[w:ライン川|ライン川]]([[w:fr:Rhin|fr:Rhin]])
**<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Rhodanus|la:Rhodanus]]</span>(ロダヌス川):現在の[[w:ローヌ川|ローヌ川]]([[w:fr:Rhône|fr:Rhône]])
**<span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Sequana|la:Sequana]]</span>(セクアナ川):現在の[[w:セーヌ川|セーヌ川]]([[w:fr:Seine|fr:Seine]])
 
*ローマ勢
**[[w:en:Mark_Antony|Mark Antony]]([[w:マルクス・アントニウス|マルクス・'''アントニウス''']])- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Marcus_Antonius|la:Marcus Antonius]]</span>
**[[w:en:Decimus_Junius_Brutus_Albinus|Decimus Junius '''Brutus''' Albinus]]([[w:デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス|デキムス・ユニウス・'''ブルトゥス'''・アルビヌス]])- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Decimus_Iunius_Brutus_Albinus|Decimus Iunius Brutus Albinus]]</span>([[#9節|9節]])
**[[w:en:Quintus Tullius Cicero|Quintus Tullius '''Cicero''']]([[w:クィントゥス・トゥッリウス・キケロ|クィントゥス・トゥッリウス・'''キケロ''']])- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Quintus Tullius Cicero|la:Quintus Tullius Cicero]]</span>:カエサルの副官
**Gaius '''Fabius'''(ガイウス・'''ファビウス'''):カエサルの副官
**[[w:en:Titus Labienus|Titus '''Labienus''']]([[w:ティトゥス・ラビエヌス|ティトゥス・'''ラビエヌス''']])- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Titus Labienus|la:Titus Labienus]]</span>:カエサルの副官
**[[w:en:Trebonius|'''Trebonius''']]([[w:ガイウス・トレボニウス|ガイウス・'''トレボニウス''']])- <span style="background-color:#ffff00;">[[w:la:Gaius_Trebonius|la:Gaius Trebonius]]</span>:カエサルの副官
**[[w:en:Lucius Julius Caesar IV|Lucius Julius '''Caesar''' IV]](ルキウス・ユリウス・'''カエサル'''4世):総督カエサルの副官で、4代前の高祖父を共有する。BC64年に執政官を務めた。
 
*イタリア方面
**[[w:en:Cisalpine_Gaul|Cisalpine Gaul]]([[w:ガリア・キサルピナ|ガリア・キサルピナ]]) - [[w:la:Gallia Cisalpina|la:Gallia Cisalpina]]
**[[w:en:Populares|Populares]]([[w:ポプラレス|ポプラレス]];民衆派)- [[w:la:Populares|la:Populares]]
**:[[w:en:Publius_Clodius_Pulcher|Publius Clodius Pulcher]]([[w:プブリウス・クロディウス・プルケル|プブリウス・クロディウス・プルケル]]) - [[w:la:Publius_Clodius_Pulcher|la:Publius Clodius Pulcher]]
**[[w:en:Optimates|Optimates]]([[w:オプティマテス|オプティマテス]];元老院派)
**:[[w:en:Cicero|Cicero]]([[w:マルクス・トゥッリウス・キケロ|マルクス・トゥッリウス・キケロ]])- [[w:la:Marcus_Tullius_Cicero|la:Marcus Tullius Cicero]]
**:[[w:en:Titus_Annius_Milo|Titus Annius Milo]](ティトゥス・アンニウス・ミロ)- [[w:la:Titus_Annius_Milo|la:Titus Annius Milo]]
**:[[w:en:Pompey|Pompey]]([[w:グナエウス・ポンペイウス|グナエウス・ポンペイウス]])- [[w:la:Gnaeus_Pompeius_Magnus|la:Gnaeus Pompeius Magnus]]
 
 
 
 
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*「ガリア戦記 第7巻」了。「[[ガリア戦記 第8巻]]」へ続く。