「小学校社会/6学年/歴史編」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
126.133.239.217 (トーク) による版 157243 を取り消し 荒らしまたはテスト投稿 タグ: 取り消し |
→日中戦争の開戦: cl / どうでもいいが、重くて編集しにくい。 |
||
2,811 行
1937年7月7日と8日に、ペキン(北京)の近くで、訓練中の日本軍に、何者からか、数発の銃弾(じゅうだん)が日本軍へと打ち込まれた事件があった。
▲:じつは現地では、ひとまず7月11日に日中の現地軍どうしで、ひとまず停戦(ていせん)の約束が結ばれた。
▲:だが、25日にも、中国軍が日本軍を攻撃する事件が起こり、26日にも中国軍が日本軍を攻撃する事件起きたので、日本政府は中国が停戦協定をやぶったと考え、ついに7月28日に日本軍による攻撃が始まり、本格的な戦争になっていく。
▲:この7月28日ごろを日中戦争の開始時期と考える学説もある。
このようにして、<big>日中戦争</big>(にっちゅうせんそう)が始まった。
※ なぜ北京の近くに日本軍がいたかというと、「義和団の乱」という事後の処理について1901年に世界各国と中国が結んだ議定書(ぎていしょ)にもとづいて、日本軍などの外国軍が中国に駐留(ちゅうりゅう)していたからである。(べつに、「日本軍が侵略したから北京にいた」
▲※ なぜ北京の近くに日本軍がいたかというと、「義和団の乱」という事後の処理について1901年に世界各国と中国が結んだ議定書(ぎていしょ)にもとづいて、日本軍などの外国軍が中国に駐留(ちゅうりゅう)していたからである。(べつに、「日本軍が侵略したから北京にいた」ってワケではない。)
=== 広がる戦場 ===
1939年にヨーロッパで、ドイツがポーランドに攻めこんで、第二次世界大戦が始まりました。
ポーランドの西半分は占領されてしまいましたが、イギリスとフランスが、ドイツを相手に戦いました。(このころソビエト連邦は、ポーランドの東半分を占領した。なお1941年からソ連はドイツを相手に戦います。)
この
その後、ドイツ軍がフランスに攻めこみ、フランス軍は
フランスがドイツに{{Ruby|降伏
日本にとっても、中国を支援してる(と思われる)フランスの拠点を占領でき
しかし、日本がベトナムを占領すると、アメリカは、日本に対して、(アメリカからの)石油や鉄の輸出を禁止しました。▼
▲しかし、日本がベトナムを占領すると、アメリカは、日本に対して、(アメリカからの)石油や鉄の輸出を禁止しました。イギリスも、アメリカの動きと同じように、日本との貿易を制限しました。
これによって、日本とアメリカとの対立は、ますます深まりました。
2,851 ⟶ 2,842行目:
[[ファイル:Second world war asia 1937-1942 map en6.png|thumb|300px|日本による占領地域の拡大(1937年から1942年)<br>※ 英語で読みづらいので、読者はイメージをつかんだけにしてください。]]
[[ファイル:USS West Virginia;014824.jpg|300px|thumb|真珠湾攻撃で燃え上がるアメリカ軍の軍艦([[w:ウェストバージニア (戦艦)|ウェストバージニア]])。]]
その直後のころ、日本は、アメリカとの戦争をおそれ、アメリカとの戦争にならないように交渉しますが、アメリカから厳しい(きびしい)条件を出され、満州事変よりも前の状態に日本の海外領土をもどすようにと、日本は要求されました。▼
▲その直後のころ、日本は、アメリカとの戦争をおそれ、アメリカとの戦争にならないように交渉しますが、アメリカから{{Ruby|厳
日本は、アメリカの要求を飲まなかったので、日米の交渉はまとまりませんでした。
そして、石油が無いと、
▲そして、石油が無いと、軍艦も兵器も動かせませんので、日本が危機におちいることを恐れた日本政府は、1941年12月にハワイの真珠湾(しんじゅわん)にあるアメリカ軍基地を攻撃し、同じ時期に日本軍は東南アジアのイギリス領マレー半島も攻撃して、日本とアメリカ・イギリスとの戦争が始まりました。
こうして戦場は、中国だけでなく、東南アジアや太平洋にも広がっていきました。
なお、これらの周辺地域での戦争のことを、{{Ruby|太平洋戦争
:※ 最近では「アジア・太平洋戦争」と呼ぶ提案もされているし、そういう検定教科書(日本文教出版)もある。しかし、「太平洋戦争」という表記も、ひきつづき光村図書などの検定教科書で使われている。
日本軍は、太平洋戦争のはじめごろは、東南アジア各地をどんどんと占領して、勢力を広げていきました。
2,882 ⟶ 2,869行目:
初めのうちは勝利していた日本軍も、アメリカが体勢をたてなおして反撃に出てくると、日本軍は各地で負けはじめました。
そして、多数の日本兵が死にました。また、日本軍は補給
日本の新聞やラジオなどでは、日本が負けていることは、
=== 戦時中の暮らし ===
3,024 ⟶ 3,011行目:
* 満州国の消滅
満洲は、いったんソ連軍の占領下に入り、そのあと中華民国に渡されました。そして、国家としての「満州国」は、消滅しました。満州の地に取り残された日本人は、戦争がおわっても、日本にもどれなかった人もいました。(中国残留(ちゅうごく ざんりゅう) )
中国大陸で、なんらかの事情で肉親と分かれることになってしまった子供は、中国人の大人に引き取られて育てられました。(中国残留孤児(ちゅうごく ざんりゅう こじ))
* シベリア抑留(よくりゅう)問題
ソ連の占領地では、シベリアに連れていかれた日本人もいました。
{{clear}}
* 各国の第2次世界大戦での犠牲者(ぎせいしゃ)
|