「小学校社会/6学年/歴史編」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
査読・内容削減26回目。査読完了。
M 箇条書きを見出しとして使用している部分の修正…と思ったが長く重いため諦めた
タグ: 2017年版ソースエディター
1 行
{{Pathnav|メインページ|小学校・中学校・高等学校の学習|小学校の学習|小学校社会|小学校社会/6学年|frame=1}}<!-- 当ページを編集される方は、学習指導要領解説社会編や検定教科書を参考に編集してください。また、小学生向けであることに留意してください。 -->
 
== 歴史を学ぶ前に ==
歴史を勉強していくと、いろいろな人物が出てきます。くわしく知りたいときは「[[小学校社会/6学年/歴史人物事典|歴史人物事典]]」を参考にしてください。
'''「全部覚えないといけない」と身構えず'''、興味のあるところを追い求めてください。そこから、あなたの知識や考えが広がります。
 
=== 時代の表し方 ===
* 時代
** 歴史学習で使う時代の表し方には、まず「時代」があります。これは、「{{ruby|奈良|なら}}時代」「{{ruby|江戸|えど}}時代」などと、大きなことがら(都や天皇が変わる)ごとに時代を変えていく表し方です。
* 西暦
** {{ruby|西暦|せいれき}}は、[[w:イエス・キリスト|イエス・キリスト]]が生まれたとされる年を西暦1年として年を表す表し方です。現在は{{CURRENTYEAR}}年です。
 
* 世紀
** {{ruby|世紀|せいき}}とは、100年ごとに区切って、年を数える単位です。西暦1年から西暦100年までが1世紀です。西暦101年から西暦200年までが2世紀です。西暦2001年から西暦2100年までを21世紀といいます。たとえば、105年は2世紀、1853年は19世紀です。
 
 
== 大昔のくらし ==
31 行
 
 
[[File:Yoshinogari-iseki tateanashiki-juukyo.JPG|thumb|250px|right|弥生時代の竪穴住居(復元、{{ruby|佐賀|さが}}県{{ruby|吉野ヶ里|よしのがり}}遺跡]]
縄文時代の人の家の建物は、{{ruby|竪穴住居|たてあな じゅうきょ}} といい地面に穴をほりさげたあとに、柱を立て、草ぶきの屋根をかけただけの住居にすんでいました。
 
41 行
なお、貝塚には、たとえば{{ruby|東京|とうきょう}}都の{{ruby|大森|おおもり}}貝塚や、{{ruby|福井|ふくい}}県の{{ruby|鳥浜|とりはま}}貝塚や、{{ruby|千葉|ちば}}県の{{ruby|加曽利|かそり}}貝塚などがあります。
 
:(※ なお、貝塚や石器などに限らず古い時代の物が見つかる場所のことを、 '''{{ruby|遺跡|いせき}}''' といいます。)
 
遺跡などから出土する物によって、その時代の{{ruby|暮|く}}らしもわかります。
49 行
なお、動物の骨は、とがらせて使うことが多く、とがらせたものを {{ruby|骨角器|こっかくき}} といいます。骨角器のようなとがった骨も出土することがあります。狩りなどで、槍の先の武器として使ったりすることが多かったものと思われます。
 
[[Image:JomonStatue.JPG|thumb|right|200px|土偶({{ruby|亀ヶ岡|かめがおか}}遺跡で出土)]]
縄文の{{ruby|遺跡|いせき}}から、'''{{ruby|土偶|どぐう}}''' という、土を焼き固めた、女性のような形の人形が見つかる場合があります。
土偶は、食料が増えることや女性の安産をいのったものだと考えられています。
62 行
 
また、多くの土器や石器のあとも見つかっています。
 
 
大型の、{{ruby|掘立|ほった}}て柱も、見つかっています。掘立て柱の{{ruby|用途|ようと}}はまだ分かっていません。
76 ⟶ 75行目:
'''~米づくりがはじまる~'''
 
[[Image:YayoiJar.JPG|right|250px|thumb|{{ruby|弥生|やよい}}土器]]
 
いまから2400年ぐらい前のころ、ユーラシア大陸や{{ruby|朝鮮|ちょうせん}}半島あたりの人々から、米による{{ruby|稲作|いなさく}}が、日本に伝わりました。
82 ⟶ 81行目:
米作りは、まず西日本につたわり、西日本から東日本へと、米作りが広がっていき、東北地方にまで広がりました。
 
この時代の農具の多くは、まだ木製です。ただし、米作りとともに鉄器の技術も日本に伝わっているので、一部では鉄を用いた農具も見つかっています。
 
{{ruby|穂|ほ}}から米をとるときに、 {{ruby|石包丁|いしぼうちょう}} が、使われました。
 
* {{ruby|弥生|やよい}}土器
 
** また、このころ、土器は、{{ruby|縄文|じょうもん}}土器よりも うすくて かたい '''{{ruby|弥生|やよい}}土器''' をつくるようになりました。「{{ruby|弥生|やよい}}」とは、学者が発見した場所が、{{ruby|東京|とうきょう}}の弥生町(現在の{{ruby|中野|なかの}}区)だったので、弥生の土器という意味で、「弥生土器」とよばれています。
*{{ruby|弥生|やよい}}土器
** 縄文土器と弥生土器の形のちがいについては、弥生時代のころには、土器をつくる技術が進歩したので、土器の形が かわったのだろう、と考えられています。
また、このころ、土器は、{{ruby|縄文|じょうもん}}土器よりも うすくて かたい '''{{ruby|弥生|やよい}}土器''' をつくるようになりました。「{{ruby|弥生|やよい}}」とは、学者が発見した場所が、{{ruby|東京|とうきょう}}の弥生町(現在の{{ruby|中野|なかの}}区)だったので、弥生の土器という意味で、「弥生土器」とよばれています。
 
縄文土器と弥生土器の形のちがいについては、弥生時代のころには、土器をつくる技術が進歩したので、土器の形が かわったのだろう、と考えられています。
 
* {{ruby|高床|たかゆか}}倉庫
** 米は、 '''{{ruby|高床|たかゆか}}倉庫''' で保管されていました。
 
高床倉庫が高いのは、ねずみ などの動物が入りづらくすることが主な理由だろう、と考えられています。風通しをよくするため、という理由も考えられます。ねずみの害をふせぐという理由の有力な{{ruby|根拠|こんきょ}}として、地面から床までの柱の、柱のてっぺんに、「かえし」がついていて、動物などが登れないように工夫した高床倉庫が見つかっています。
520 ⟶ 516行目:
道長は、次の歌をよみました。
 
:<big>'''「この世をば わが世とぞ思{{ruby|ふ|(う)}} {{ruby|望月|もちづき}}の 欠けたることも なしと思{{Ruby|へ|(え)}}ば」</big>'''
(この世は、望月(満月)のように何も欠けているものがなく、{{ruby|私|わたし}}(道長)のためにあるようなものだ。)