「中学校社会 歴史/古墳時代」の版間の差分

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[[File:Inariyama sword.JPG|thumb|350px|right|中央の縦長の茶色が鉄剣「金錯銘鉄剣」(埼玉県立さきたま史跡の博物館蔵)]]
埼玉県の稲荷山古墳から見つかった鉄剣には、'''ワカタケル'''{{Ruby|大王|おおきみ}}の名の入った文が、刻まれている。この文から、この地方の支配者 (豪族) は、ワカタケル大王に使えていたと推定される。そして、熊本県の江田{{Ruby|船|ふな}}山古墳にも、おなじ名前の刻まれた{{Ruby|鉄刀|てっとう}}<ref>一般に刃が両方についている(諸刃)ものを「剣」、片方にのみついているものを「刀」と呼び区別している。は</ref>があることから、ワカタケル大王の支配領域が、関東地方から九州までの広い範囲に、及んでいたと強く推定されている。当時はまだ漢字以外の文字が存在しなかったので、稲荷山古墳の鉄剣には115字の漢字の文が刻まれており、その文に「獲加多支鹵<ref>中学生がこの漢字を覚える必要は無い。</ref>大王」(ワカタケル大王)という名がある。また、江田船山の鉄刀は、刻まれた文が読めなくなっていて、「□□□大王」(ワ???ル大王)いうふうに名前の一部が読めなくなっている。(□が破損部とする。)
 
後の日本の神話の書の『{{Ruby|古事記|こじき}}』や、後の歴史書の『{{Ruby|日本書紀|にほんしょき}}』などから「ワカタケル」という人物の存在が知られていることが、鉄剣などがワカタケルの存在を裏付ける証拠になったのだ。ワカタケル大王が{{Ruby|雄略|ゆうりゃく|天皇}}であるということが分かっている。また、中国の歴史書などでの'''倭の五王'''の'''倭王武'''に同じある
 
{{コラム|「ヤマト政権」について|
この章では「ヤマト政権」並びに「ヤマト王権」のみを挙げた (基本的にはこの2つが主流) が、この政治体の呼び方は多数ある。そればかりかまた、「ヤマト」を漢字で書く人もいる。前述のように、できるだけ担当教員の指示に従い、それが不可能ならば教科書に従ってほしい。
 
なお、この本を読んでいる学生の周りに、「ヤマト朝廷」という呼び方をする人はいないだろうか。かつてこのように呼ばれていたことがあるが、現在はこの呼び方は否定されている。保護者やインターネット上のウェブサイトなどでこのように教えられるもしくは表現されている場合があれば、十分に留意してほしい。
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豪族は、血縁をもとに、{{Ruby|氏|うじ}}という集団を作っていた。そして、豪族たちの名前に関する制度で、この氏と{{Ruby|姓|かばね}}による、後に{{Ruby|'''氏姓制度'''|しせいせいど}}と呼ばれる、作られた。
 
例えば、{{中付きルビ|2=蘇我|4= |6=大臣|8=馬子|3=そが|5=の|7=だいじん|9=うまこ}}であれば、「蘇我」が氏、「大臣」が姓、「馬子」が名となる。詳しくは以下のとおりである。
 
この'''氏'''とは、血のつながった者どうしの集団である。