「小学校社会/6学年/歴史編/下巻」の版間の差分

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== {{Ruby|幕府|ばくふ}}による政治の安定 ==
;江戸時代初期の政治
{{ruby|江戸|えど}}時代のはじめごろ、{{Ruby|江戸幕府|えどばくふ}}は、日本全国に200人ほどいた{{Ruby|大名|だいみょう}}を、徳川家の親類である{{Ruby|親藩|しんぱん}}・古くから徳川家に{{Ruby|従|したが}}っていた{{Ruby|譜代|ふだい}}・関ヶ原の戦いのころから従った{{Ruby|外様|とざま}}の3つに、それぞれ都合のよい{{Ruby|地域|ちいき}}に配置しました。江戸時代に大名の支配する領地のことを '''{{Ruby|藩|はん}}''' といいます
 
<!-- ※「親藩」・「譜代」・「外様」は、小学校の範囲です。光村図東京教育出版の日本文教出版の教科書などに書いてあります。 -->
 
親藩や譜代は、重要な地域や江戸の近くなどに配置されました。一方で、外様は、江戸から遠いところなどに配置されました。
なお、江戸時代に大名の支配する領地のことを '''{{Ruby|藩|はん}}''' といいます。
 
江戸幕府での「大名」とは、領地の米の{{Ruby|石高収穫|しゅうかだか}}1{{ruby|万石|まんごく}}一定以上の武士のことです。
また、それぞれの大名を、幕府に都合のいい{{ruby|地域|ちいき}}に配置しました。そのため、戦国時代のころとは別の地域へと領地が変わることになった大名もいます。
 
また、江戸・大阪・長崎などの{{Ruby|地域|ちいき}}は、幕府が直接治めました。幕府の直接おさめた地域は、日本全国の4分の1ほどにわたります
親藩や譜代は、重要な地域や江戸の近くなどに配置されました。
 
いっぽう、外様は、江戸から遠いところなどに配置されました。
 
江戸幕府での「大名」とは、領地の{{Ruby|石高|こくだか}}が1{{ruby|万石|まんごく}}以上の武士のことです。
 
※なお、「石高」とは、その土地の米のかく量のことです。1石は約180Lです。
 
 
また、江戸・大阪・長崎などの{{Ruby|地域|ちいき}}は、幕府が直接治めました。
 
幕府の直接おさめた地域は、日本全国の4分の1ほどです。
 
日本で最も石高が多かった藩は、現在の{{Ruby|石川|いしかわ}}県南部にあたる{{Ruby|加賀|かが}}藩です。加賀藩の領地は、約103万石です。加賀の藩主である{{ruby|前田利家|まえだとしいえ}}は、外様です。
 
* {{Ruby|武家諸法度|ぶけしょはっと}}
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** 一. (武士は)学問や武芸の道に、ひたすら{{Ruby|専念|せんねん}}すること。
** 一. 新しく城を築くことは、かたく禁止する。修理する場合であっても、必ず幕府に申し出ること。
** 一. 大名は、毎年、きめられた月に江戸に{{Ruby|参勤|さんきん}}すること(参勤交代)。 (※3代将軍 {{Ruby|徳川家光|とくがわいえみつ}}が加えた)※)
** 一. 大きな船を作ってはならない。(※3代将軍 徳川家光が加えた)
** 一. 大名は、幕府の許可なしに勝手に{{Ruby|結婚|けっこん}}をしてはならない。
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(※)は3代将軍 徳川家光が加えたものです。
 
こうして、{{Ruby|幕府|ばくふ}}に逆らうことは{{Ruby|難|むずか}}しくなりました。
 
* {{Ruby|参勤交代|さんきんこうたい}}
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徳川家光は、「生まれながらの{{Ruby|将軍|しょうぐん}}」と言われており、つぎのような話が残っています。
 
:家光は、{{ruby|諸国|しょこく}}の大名を{{Ruby|江戸城|えどじょう}}にあつつぎのような{{ruby|宣言|せんげん}}をしました。
 
'''「わたしの祖父の{{Ruby|家康|いえやす}}や父の{{Ruby|秀忠|ひでただ}}は、もともとは、お前たちと同じ大名で、ともに戦った仲間だったから、お前たちへのえんりょがあった。だが、私は、生まれながらの将軍だ。だから、お前たちを家来として、あつかう。これに不満のある者は、領地に帰って戦いの準備をするがよい。戦いの相手をしてやろう。」'''
 
と{{ruby|宣言|せんげん}}をしました。
 
;キリスト教の禁止と貿易
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そのため、貿易船の多くは、東南アジアまで出かけることも、多くありました。
 
しかし、{{Ruby|幕府|ばくふ}}はキリスト教の信者が団結して幕府の命令を聞かなくなるに逆らうことをおそれて、幕府はキリスト教を信じることを禁止しました。
 
 
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}}
 
[[ファイル:Plattegrond van Deshima.jpg|thumb|300px|1824年ごろにえがかれた、出島の鳥かん図(空から見た図)。おうぎの形をしている。]]
そして{{Ruby|江戸幕府|えどばくふ}}は、貿易の相手を、キリスト教を広めるおそれのないオランダと中国だけにかぎり、長崎で貿易を行うことにしました。
 
長崎には、オランダとの貿易のために{{Ruby|出島|でじま}}という人工の島がつくられました。
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さらに1858年に、{{Ruby|幕府|ばくふ}}の{{Ruby|大老|たいろう}}であった {{Ruby|井伊直弼|いいなおすけ}} はアメリカと {{ruby|日米修好通商条約|にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく}} を結びました。しかし、この条約は{{Ruby|朝廷|ちょうてい}}}の許可をとらないまま結ばれた条約でした。また幕府は、イギリス・オランダ・ロシア・フランスとも、同様の条約を結びました。
 
また、開国に反対の主張をしていた武士たちを、幕府は{{Ruby|弾圧|だんあつ}}していきとらえて{{Ruby|処刑|しょけい}}などの{{Ruby|処罰|しょばつ}}をしていきました。この鎖国派への弾圧を「{{Ruby|安政|あんせい}}の{{Ruby|大獄|たいごく}}」といいます。
 
[[File:Sakuradamon01s3200.jpg|250px|thumb|桜田門。]]
のちの1860年、直弼は江戸城の{{ruby|桜田門|さくらだもん}}の近くを通っていたときに、安政の大獄による弾圧に反対をしていた者によって暗殺されてしまいました。この暗殺事件を「{{Ruby|桜田門外|さくらだもんがい}}の変」と言います。
 
 
* 不平等条約
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* 軍制の{{Ruby|改革|かいかく}}
政府は、{{Ruby|欧米|おうべい}}の軍制にならった{{Ruby|改革|かいかく}}として、1873年に '''{{Ruby|徴兵令|ちょうへいれい}}''' を出し、ほぼすべての満20才以上の男子に、身分に関係なく3年間{{Ruby|兵役|へいえき}}の義務を課しました。
 
* {{Ruby|地租|ちそ}}
江戸時代の税は米などの農産物などであり、農作物のできなどによって税の{{Ruby|収入|しゅうにゅう}}が増減するので、政府にとっては不安定な制度だったため、政府は税の制度をあらため、土地をもつことにかかる税金がかかるようにしました。豊作でも不作でも同じ金額を{{Ruby|納|おさ}}めるため、農民にとっては大変なものとなりました。
 
これを「{{ruby|地租|ちそ}}」といいます。
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さて、明治のはじめは就学率が低かったものの、明治の終わりごろには就学率は高くなり、ほぼ100%になりました。
 
{{コラム|{{Ruby|発展|はってん}}:明治の学校の教科|
学校の教科について、江戸時代には国語(読み書き)、算数(そろばん)しか教えていませんでしたが、明治時代になってから、理科も教えられるようになりました。
 
外国の地理や歴史についても教え始めました。
 
他に、体育や家庭科などの教科および教科書も作られました。
}}
 
 
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かれは『学問のすすめ』を書きました。その{{Ruby|冒頭|ぼうとう}}には
 
 
「天は 人の上に 人を造らず 人の下に 人を造らず と いへり」
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* 全国水平社
1922年に、明治時代に身分上は平等となってからも差別をされつづけてきた{{Ruby|地域|ちいき}}の人たちが、差別をなくす運動をするために'''{{ruby|全国水平社|ぜんこくすいへいしゃ}}'''を結成しました。
 
なお、{{Ruby|山田孝野次郎|やまだこのじろう}}が{{Ruby|京都|きょうと}}で全国水平社を結成したことが、はじまりです。
 
 
; 選挙権
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1925(大正14)年には、日本でラジオ放送が開始しました。
 
<!-- 東京書籍・教育出版の教科書で、ラジオ放送など習う -->
 
* {{Ruby|関東大震災|かんとうだいしんさい}}
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また、日本軍は補給にますます苦労するようになり、戦うまえに{{Ruby|亡|な}}くなった日本兵も、東南アジアの各地で出てきました。
 
日本の新聞やラジオなどでは、情報の{{Ruby|操作|そうさ}}が行われており、日本が負けていることは、かくされていました。ほとんどの日本人は、正しい戦争であると信じて戦争に協力しました。
 
;戦時中の{{Ruby|暮|く}}らし
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|}
 
1938年、国民全員を戦争に総動員させるために {{Ruby|国家総動員法|こっかそうどういんほう}} が出されました。また、{{Ruby|隣組|となりぐみ}}など、主に集団で行動するようになりました。
 
戦争への協力ができない人々もいましたが、「非国民」と{{Ruby|非難|ひなん}}されました。
 
戦争が長引き、日本では物資が不足したので、日本では米などの食料品や日用品などは 配給制 になりました。
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* 各国の第二次世界大戦での{{Ruby|犠牲者|ぎせいしゃ}}数
 
:* 中国 - 約1000万人
:* {{ruby|朝鮮|ちょうせん}} - 約20万人
:* ソビエト{{Ruby|連邦|れんぽう}} - 約2000万人
:* 日本 - 約310万人、そのうち軍人が約230万人、民間人が約80万人
 
第2次世界大戦の全体の死者は約6000万人にのぼると言われています。
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; 平和条約の主な内容
 
:* 日本は、{{Ruby|朝鮮|ちょうせん}}の独立を{{Ruby|認|みと}}める。
:* {{Ruby|台湾|たいわん}}、{{Ruby|千島|ちしま}}列島、{{Ruby|樺太|からふと}}の南半分を{{Ruby|放棄|ほうき}}する。
:* {{Ruby|沖縄|おきなわ}}、{{Ruby|奄美諸島|あまみしょとう}}、{{Ruby|小笠原諸島|おがさわらしょとう}}については、アメリカが治めることに同意する。 ※現在はアメリカの統治は{{Ruby|終了|しゅうりょう}}しています。
 
 
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しかし、当時はソ連などとは国交を結べませんでした。
 
また、サンフランシスコでの平和条約といっしょに、日本とアメリカとのあいだで、日本国内のアメリカ軍基地に、引き続きアメリカ軍がとどまるための条約である {{Ruby|日米安全保障条約|にちべいあんぜんほしょうじょうやく}} が結ばれました。なお、略して「{{Ruby|安保|あんぽ}}」などということもあります。
 
 
なお、{{ruby|朝鮮|ちょうせん}}戦争のころ、{{Ruby|経済|けいざい}}的には、日本はアメリカ軍から大量の物資の注文をうけたので、日本は好景気になり、日本の産業が復活するきっかけになった。
 
 
そして1952年には、日本は独立し、{{Ruby|主権|しゅけん}}を回復しました。
 
しかし{{Ruby|沖縄|おきなわ}}は, 1972年まで, ひきつづきアメリカの統治下におかれることになりました。
 
1956年にはソ連との国交を回復し、日本は国際連合に{{Ruby|加盟|かめい}}しました。
 
;戦後の{{Ruby|発展|はってん}}
第二次世界大戦のあと、日本の産業は、工業を中心に成長していき、「もはや戦後ではない」ともいわれました。
 
日本経済は復興していき、工業は戦前の水準にまでもどりました。
 
1950年代のなかごろから日本では、{{Ruby|鉄鋼|てっこう}}や自動車などの重化学工業が発達していきました。
 
また、主なエネルギー{{Ruby|源|げん}}が石炭から石油に変わりました。
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[[ファイル:BillyMills Crossing Finish Line 1964Olympics.jpg|thumb|250px|東京オリンピック。10,000m走で{{Ruby|優勝|ゆうしょう}}したアメリカの選手]]
* 東京オリンピック・パラリンピックと万国博覧会
1964年、東京でアジアで最初のオリンピックが、1964年に東京で開かれました。これは復興の{{Ruby|象徴|しょうちょう}}となったともいわれ、人々に希望をあたえました。また、同じ年に東京で、{{Ruby|障|しょう}}がい者のスポーツ大会である パラリンピック も開かれました。
 
この東京オリンピックのころ、{{Ruby|東海道|とうかいどう}}新幹線が開通しました。
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地方の農村で生まれ育った{{Ruby|若者|わかもの}}が、仕事などを求めて、都市部に移住するようになりました。
 
やがて、{{Ruby|東京|とうきょう}}や{{Ruby|阪|おおさか}}の都市は、人が多すぎて住む場所が足りなくなり、その周辺の地域へも、農村から来た人たちが移住するようになりました。
 
 
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また、各地で、自然{{Ruby|破壊|はかい}}も行われました。
 
このため、{{Ruby|環境|かんきょう}}の{{ruby|改善|かいぜん}}や自然保護などを求める運動が起こりました。
 
{{clear}}
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* ロシア(ソビエト{{Ruby|連邦|れんぽう}})
ロシアとは、1956年に国交を回復しました。しかし、ロシアは{{Ruby|択捉|えとろふ}}島, {{Ruby|国後|くなしり}}島, {{Ruby|色丹|しこたん}}島, {{ruby|歯舞|はぼまい}}群島からなる北方領土を不法に占拠しています。