「民法第95条」の版間の差分

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== 解説 ==
 
== 制度趣旨 ==
端的に「表意者の保護」であると説明する書籍もあるが、正しくない。「'''約束は守られるべきだ'''」というのが一般道徳の要求する大原則であり、民法もそれに拠っているからである。もっとも、なぜ約束が守られるべきかというと、そうしないと約束が当然守られるだろうという相手方の期待が損なわれ<ref>したがって完全に契約の締結に到っていなくても、契約は有効なものとして履行されるであろうという合理的期待が形成されるに到っているときには保護される場合さえある([[w:契約締結上の過失|契約締結上の過失]])</ref>、そのような事態が横行するようになると社会における取引の安全そのものが揺らぐからであるが<ref>何も近代市民社会に限ったことではない。[[w:徳政令|徳政令]]の乱発が武家幕府の根幹を揺るがした例を想起せよ。もっとも、歴史的には――借金の返済にも証文が必要であったように――単なる意思のみでは足りず、'''国家の強制力による契約の実現'''には一定の形式的要件が必要であった。その意味で自ら約束をした意思のみに契約の拘束力を求める'''意思主義'''は近代自由社会におけるテーゼであると言われている。</ref>、そのように言うためには契約の当事者双方が常識の範囲内で誠実かつまともに合意を形成しているということが前提となる。しかし、それが'''客観的・外形的に見て'''(当事者の合理的意思解釈として)「まとも」な合意とは言えないであろうという'''限定的・例外的'''な状況においては、そのような当事者を契約の拘束から解放することも認められてしかるべきであろうという価値判断が働くであろう。しかしこれはあくまでも「約束は守られるべきである」という'''原則に対する例外'''であるので要件として''法律行為の要素''における''錯誤''に該当しかつ''表意者に重大な過失が''無いものに限定されているのだと解することができる。
 
以上の観点からは、'''表意者保護'''と'''取引の安全'''の'''調和'''こそが本条の趣旨であると理解されなければならない。[[w:意思主義|意思主義]](本文)と[[w:表示主義|表示主義]](但書)の調和·調整と言い換えることもできよう。後に述べるような要素の錯誤とは何か、ではなく、'''保護されるべき表意者とはどのようなものか'''という問題こそが――たとえ判例学説のいずれに立つにせよ――95条をいかに解釈・運用すべきかという問題の本質なのであり<ref>判例の実質的な判断記述は何かを巡っては様々な議論がなされている。参考文献内田民法Ⅰ「もう一歩前へー錯誤の要件をめぐる新たな視点」の項参照</ref>、取引の経緯や社会的関係、当該取引社会における慣行、さら政策的判断なども判断材料に加えつつ、当該表意者がどのような状況に置かれていたかという詳細な認定を基に絞りをかけていかなければならないのである。法理論はそのための説明方法に過ぎない。
 
== 「表意者」とは ==