「高等学校保健体育保健/精神の健康」の版間の差分

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:※ なお、殺人・放火など重大な刑法犯の精神疾患については、「医療監察法」(いりょう かんさつほう)という、専門の法律で対処される(一般のカタギの精神病患者の入院とは法的にも区別される)。統計では、すでに犯罪を犯した精神疾患の刑法犯の多く(約3分の2)は、診察の結果、統合失調症であると診察されている<ref>『標準精神医学』、医学書院、第7版、237ページ</ref>。
 
{{コラム| 医学書の無視している事 |
そもそもの疑問として、凶悪犯罪者のいう「幻覚が見えた。幻聴が聞こえた。」などの主張を信用していいのか?という疑問も読者にはわくかもしれないが、しかし精神医学書では、そういう発言者の信頼性の話題は無視しているのが通常。
 
とはいえ、精神医学以外の社会評論だと、たびたび、そういう批判を刑法犯の精神鑑定に投げかける評論家もいる。
 
残念ながら日本の司法制度では、犯罪の刑罰を軽くしようとして詐病(さびょう)による精神疾患を自称することが悪用される懸念があり、そして懸念がなんの解決もしていない。「詐病」(さびょう)とは、病気でないのに病気のフリをする事。
 
近年で代表的な事例としては、1990年代にテロの地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教の教祖が、刑務所で詐病をしていて狂人のフリをしていると言われたが、しかし死刑が確定したので家族などと遺言のための面会をすることになり、狂人のフリのままでは遺言などを残せないので、そして詐病である事がメディアにバレたとされる事例がある(と、ジャーナリズムなどに教祖や司法制度が批判されている)。
 
このような殺人テロほどではなくても、日本では詐欺師などが障害年金ほしさに精神疾患を自称していたとしも、残念ながら有効な対策はあまり議論されていない。
 
残念ながら医学部で使うような精神医学書は、上述のような法律問題や社会問題をまったく無視しているので、なので犯罪者の精神疾患についての説明が支離滅裂であり、たとえば」
:「統合失調症だからといって犯罪を起こすわけではなく、ほとんどの患者は犯罪を起こさない」というような主張のもと統計を説明する一方で、
それとは矛盾するような
:「刑法版の凶悪事件の犯罪者の多くは、精神鑑定をされた場合、統合失調症として診断される」のような矛盾する説明を一冊の医学書のなかでしており、
ほぼ矛盾しており支離滅裂である。(いちおう、論理的には矛盾とはかぎらず、仮説として「一部の体質の患者にだけ、統合失調症は犯罪を誘起する傾向がある」のような仮説を考えれば矛盾は無いが、しかし精神医学書にはそんな学説はまったく記載されていない。実態は、単に矛盾があるのに、各国の医学者たちが自分の仕事に不都合なので矛盾を無視しているだけである。)
 
詐病に関する法律問題とか犯罪心理学などの問題は、医師の国家試験には全く出題されないので、そういう社会科学のような話題は医学書では無視されているのが実情である。なので、けっして医学書だからといって、鵜吞み(うのみ)にしすぎてはいけない。
 
 
もっとも、司法なども、そういう精神医学者の限界を把握しているのか、実際にはオウム事件のような凶悪犯に限っては、被告人が精神疾患を主張していても、死刑などになる。実際、オウムの教祖は死刑をされ、2020年までに、すでにオウム教祖は処刑されている。
 
 
日本の刑事訴訟法では、被告人が「心神喪失」にあるとされる状態のときには、死刑を停止しなければならない。そのためか、凶悪犯およびその弁護士はたびたび、被告人の心神喪失を主張する。
 
だが、現実としてオウム教祖は死刑になった。
 
 
結局、「自衛隊は軍隊ではない」とか「パチンコは賭博ではない」とかのような、法律が実態とズレているのと同様であり、現実を無視した法律があっても単に最終的には形骸化をして、骨抜きにされるだけである。
 
なので私たち現実世界に生きる人間は、見るべきは、けっして法律の形式ではなく、ものごとの実態を見る必要がある。
 
 
一般的に、もし法律が形骸化している場合、自衛隊のように公務員が実質的に従わないで「軍隊ではなく自衛隊です」みたいな形式的な言い換えをするか、でなければ、民間人が用心棒にヤクザのような非合法の暴力集団を雇ってヤクザが暗躍するかである。
 
 
アメリカの禁酒法のマフィア暗躍を持ち出すまでもなく、日本でも台二次大戦後でも、かつて日本で少年法が改正される前で少年犯罪が比較的に野放し的だった時代(いちおう、少年院などの制度はあるが)、度を越えているが逮捕されるほどではないので市中に野放しになっている少年犯罪に対しては、言い伝えでは、一般市民が地元のヤクザに金を払って、その少年への嫌がらせを依頼していた・・・なんて言い伝えも、よく言われている。(マンガになるが、『闇金ウシジマ君』という作品にも、そういう犯グレ集団の少年時代のヤクザからの嫌がらせ体験のエピソードがある。)
 
 
一般市民が法律を守ってくれる場合とは、「最終的にその法律を守ることで自身の安全につながる」と信用してくれている場合である。なので、もし法律が安全を守らない、となれば、誰もその法律を守らない。法が市民の安全を守ってくれないなら、一般市民はヤクザにカネを払うか、でなければアメリカの銃社会のように自身が武装集団と化すだろう。
 
 
実際、日本の道路交通法では、自転車は歩道ではなく車道を通行する事になっているが(アメリカがそうなので、日本も合わせている)、しかし日本の道路事情では、自転車の歩道通行は危険になる場合が多く、誰も自転車の車道通行を守ってないし、ヘタしたら取り締まりをする警察官自体が、自転車で歩道を通行している場合すらもある。
 
実社会とはこのようなもんなので、医学者が机上の空論で何を主張しようが、それは一般市民の社会には相手をされず、どこかで骨抜きをされる。自分でカネを出すことすらしないで、税金を財源にしている医者ならば、よほどのノーベル賞クラスの高度な先端科学知識でもなかぎり、学者が机上の空論を言ったところで市民から尊重されるわけない。臨床現場などでコツコツと働いている医者の所感こそが、市民から尊重されるわけである。
 
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よく、啓蒙として「精神病への偏見は良くない」と言うが(医学書にもそう書かれている)、しかし精神病の強制入院患者は上述のように犯罪者であり、残念ながら犯罪を犯さない一般人と同程度の世間からの信用を強制入院患者にまで要求しようとするのは無理筋だろう。世間知らずの医者の理想論でしかない。