「高等学校保健体育保健/精神の健康」の版間の差分

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躁(そう)が、気分のあかるい状態のこと。
 
うつ(鬱(ウツ))とは、気分のくらい状態のこと。躁鬱(そううつ)病とも言う。「憂鬱」(ゆううつ)のウツと同じ漢字。患者が「うつ」の状態のことを「抑うつ」(よくうつ)ともいう
 
 
「気分が明るいだけなら問題ないのでは?」と思われるかもしれないが、もし患者の注意力が散漫になったりする場合、躁(そう)の状態でも問題視される。
 
 
患者が「うつ」の状態のことを「抑うつ」(よくうつ)ともいう。
* 躁(そう)病
たとえば、自動車の運転中に注意力が散漫で、しかも無謀にも高速を出していたりなどの運転をしていれば、交通事故を引きおこす可能性もあるので<ref>『標準精神医学』、医学書院、第7版、355ページ</ref>、そういう場合があれば問題視される。というか、実際に重大事故をひきおこした患者が、周囲のすすめて強く精神科の受診を要求されて診断を受けた結果、「躁」(そう)病だと診断される場合がある。
 
:※ 死亡事故で交通違反で他者をひき殺すと、さすがに逮捕されて交通刑務所に入る羽目になるだろうが、しかし死亡でない事故だと、ほとんど民事訴訟的な賠償だけで済んでしまう場合もある。
:しかし、実社会としては、そういう重大事故を引きおこしそうな注意管理を怠っている人間を野放しにするワケにはいかない。なので、そういう注意管理を怠っている人間が、周囲の圧力により「精神疾患」の患者として追い込まれる。
:本人が精神科の診断を断ろうとしても、勤務先などの会社が診断しないことを許さず、診断を強く会社がすすめることもある<ref>『標準精神医学』、医学書院、第7版、355ページ</ref>。
 
「躁」自体、このような危険性もあるので(というか、そういう危険を冒しそうな要注意人物が「躁」だと精神科で診断されるのだろう)。
 
なので、よく世間では「躁鬱」などとセットで言われる場合もあるが、しかし「うつ」症状が無くとも、「躁」病だけでも疾患として扱われる<ref>『標準精神医学』、医学書院、第7版、355ページ</ref>。
 
:※ 読者には疑問として、「もしかして、多くの『躁』病とされるトラブルは、倫理観(注意管理に手間やコストを払いたくない等のワガママ)の問題では?」という疑問もわくかもしれないが、しかし現実として治療では、とりあえず脳の分泌以上などに起因するとして、鎮静的な薬物が投与されたりする。
 
{{コラム| 「禁治産者にすべきでは?」という疑問 |
「精神病患者への偏見は良くない」などとよくシタリ顔でリベラル気取りの知識人が言うが、現実には、重大な事件などを起こさない限り、例外として「うつ」病以外の精神疾患を強く周囲から疑われて通院を薦められる事態は比較的に少ない。注意深くて温厚な人が、統合失調症や躁うつ病などの「精神疾患」だと診断される事例は少ない。(なぜなら、そもそも強制入院の要件で、傷害事件などの刑法犯罪の可能性が要件になっている。) 軽々しく「精神病への偏見はよくない」等といって、明らかに乱暴な人物と、仕事に復帰しようとしている「うつ」病などの患者を混同する事こそ、本来なら「精神疾患」の用語の濫用であり「うつ病」への偏見であろう。
 
乱暴なだけの人物と、本当に脳の分泌異常などの生理的な疾患のあるために注意散漫な人との区別の方法なんて、残念ながら医学書には書いていない(少なくとも、医学部の学部レベルのぶあつい教科書(500ページを超える教科書でも)、書いてない)。
 
精神医学は残念ながら、この程度のレベルの低さであり、それが現在の人類の精神医学における「躁病」の学説の限界である。
 
 
かつて、民法などには「禁治産者」(きん さんしゃ)という制度があり、あまりに注意散漫だったり、あるいは知能があまりに低い場合には、権利を制限する制度があった。
 
しかし近年では、この「禁治産者」は人権思想に反するとして、第2次大戦後戦、禁治産者の減らされていた権利をなるべく増やす改革の方向に向かい、そしてついには、「禁治産者」の制度自体が無くなった。「青年被後見人」という近い制度があるが、しかしこれは権利をなるべく減らさない方向である。
 
 
禁治産や青年被後見人だと、大幅に権利を制限され、大ゴトになるので、そこまでのことではないが、しかし権利を制限せざるを得ない場合に、法の抜け穴のように、「躁」病が診断されている実情がある。
 
 
本来なら理想論では、生物的・分泌的な異常が不明ならば青年被後見人の制度のほうを拡充すべきかと思われそうだが(たろえば改革案として、段階的に軽度の権利制限を容認する段階的 被後見制度などを設けたり等の法改正など)、しかし、現行の青年被後見人制度はそうなっておらず(段階化はされていない)、重度の認知症患者や、重度の知能障害などの成人(成年)だけを対象としている。(おそらく、憲法の自由権などとの関係から、重度の知能障害の無い限り、権利を制限する事は難しいので、そのような後見制度の段階化は無いのだろう。しかし社会の実態として、精神医療を通じて、間接的に権利の制限は行われているという、いわば『法の抜け穴』のような状態である。)
 
「自衛隊は軍隊ではない」とか「パチンコは賭博ではない」と同様の、日本の法律の形骸化の具体例のひとつである。
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