「高等学校歴史総合/日本の大陸進出」の版間の差分

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これとは別に、1937年、東京帝国大学教授の矢内原忠夫(やないはら ただお)が、政府の植民地政策を批判したとして、辞職させられ、著書も発禁となった('''矢内原事件''')。
 
これとは別に、1937年、日本無産等の鈴木茂三朗(すずき もさぶろう)ら400名以上がコミンテルンの人民戦線活動を行ったとして逮捕され、翌1938年には東京帝国大学の大内兵衛(おおうち ひょうえ)が関係者として逮捕された('''人民戦線事件''')。
 
== ニ・ニ六事件 ==