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*歴史学 >'''マカオの歴史'''('''マカオのれきし''')

この本では、[[w:マカオ|マカオ]]の歴史について述べる。
 
== 政治史 ==
 
マカオに[[w:ポルトガル|ポルトガル]]人が到来し、[[w:中国|中国]]の[[w:明|明]]王朝との交易に乗り出すのは[[w:16世紀|16世紀]]初めの[[w:1513年|1513年]]のことである。当初は[[w:東南アジア|東南アジア]]の[[w:植民地|植民地]]から中国近海に来航していたポルトガル人は、マカオに居留地を確保し、中国や[[w:日本|日本]]に対する貿易拠点とした。マカオはまた日本や中国に対する[[w:カトリック教会|カトリック教会]]の布教の拠点でもあり、日本の禁教後は[[w:マテオ・リッチ|マテオ・リッチ]]などの[[w:イエズス会|イエズス会]]宣教師を北京に送り込んでいた。
 
'''しばしば「1557年ポルトガル領マカオ植民地成立」と書かれるが、これは正確に言うと誤り、あるいは事実のミスリードである。'''実際には、ポルトガルはこの年に[[]]王朝から後期[[w:倭寇|倭寇]]の討伐で明に協力した代償として、マカオの永久居留権を認められたにすぎない。明および続く[[w:清|清]]の時代を通じてマカオは中国が領土[[w:主権|主権]]を有し、中国の海関が設置され、中国の官吏がマカオ内に自由に出入りしていた。
 
[[w:17世紀|17世紀]]の明清交代期には、清が[[w:台湾|台湾]]の[[w:鄭氏政権|鄭氏政権]]対策として[[w:遷界令|遷界令]]を発して貿易を禁じ、また日本も[[w:鎖国|鎖国]]をひいてポルトガル船を締め出したために、一時期マカオは没落した。その後、鄭氏が清に降伏すると貿易は再開される。
 
ポルトガルがマカオの行政権を中国人官吏から奪取し、ここを完全に植民地化したのは[[w:1849年|1849年]]のことで、[[w:アヘン戦争|アヘン戦争]]によってイギリスが[[w:香港|香港]]植民地を獲得したのに刺激されたものであった。その後、[[w:1862年|1862年]]になって初めて中国(清)もマカオにおけるポルトガル統治権を認め、[[w:1887年|1887年]]に友好通商条約を締結してマカオを第三国に譲渡しないことを条件に永久的に占有することを承認した。
 
[[w:第二次世界大戦|第二次世界大戦]]では、ポルトガルが中立を宣言したためにマカオは[[w:東アジア|東アジア]]における中立港となり、経済的には繁栄したものの中国人の難民が大量に流入した。戦後の[[w:1951年|1951年]]、ポルトガルはマカオを海外県とし、ポルトガル系住民支配のもとで植民地支配を続けようとしたが、[[w:1966年|1966年]]に中国系住民による反ポルトガル闘争([[w:マカオ暴動|マカオ暴動]])が巻き起こった。
 
マカオ暴動以降、中国側からの影響と返還の圧力が高まる中、[[w:1974年|1974年]]にポルトガル本国で[[w:カーネーション革命|カーネーション革命]]が起こって政権交代が実現、左派系の新政権は海外植民地の放棄を宣言した。[[w:1976年|1976年]]、ポルトガルはマカオを海外県から特別領に改め、立法会を設置するなど、行政における本国からの大幅な独立性を認めた。
 
[[w:1979年|1979年]]には[[w:中華人民共和国|中華人民共和国]]とポルトガルの国交が樹立されるにあたり、マカオの本来の主権が中国にあることが確認された。[[w:1986年|1986年]]より、中国が[[w:イギリス|イギリス]]との間で進める[[w:香港|香港]]返還交渉と平行してマカオ返還交渉が開始。翌[[w:1987年|1987年]]、両国は共同声明を発して[[w:1999年|1999年]]に行政権が中国に返還されることが決定した。
 
マカオには、[[w:マカオ基本法|マカオ基本法]]を実質上の憲法として運用する[[w:一国二制度|一国二制度]]の適用され、ポルトガルから受け継いだ現行の社会制度を返還後50年にわたって維持することとなった。返還は1999年[[w:12月20日|12月20日]]に実現、マカオは中国の特別行政区となった。
 
== 経済史 ==
 
16世紀のポルトガル人が到来した当初、マカオ貿易の中心は、[[w:インド|インド]]や[[w:東南アジア|東南アジア]]で買い付けた物産を中国に輸出し、中国から[[w:絹|絹]]や[[w:陶磁器|陶磁器]]などを東南アジアや欧州にまで輸出する南海貿易であったが、やがて日中貿易の仲介でも大きな利益を見出した。これは[[w:倭寇|倭寇]]に苦しんだ明王朝が日本との貿易を禁止していたため、日本船が中国に来航できず、ポルトガルがその代行者として参入したことによる。
 
[[w:1580年|1580年]]には本国ポルトガルがスペインとの[[w:同君連合|同君連合]]となり、スペインの植民地[[w:マニラ|マニラ]]との間にも貿易ルートが開かれた。この頃、日本では統一権力が形成に向かうとともに先進的な鉱山技術が導入されて[[w:金|金]]・[[w:銀|銀]]の生産量が飛躍的に増加し、経済発展著しい中国が通貨として用いる銀を欲していたことから日中中継貿易は莫大な利益をもたらした。しかし日本との貿易は[[w:江戸幕府|江戸幕府]]の[[鎖国]]政策によって終結し、明末清初の動乱ともあいまって17世紀のマカオの没落を招いた。
 
台湾の鄭氏政権が清朝に降伏して明末清初の動乱が終わると、マカオは東南アジア貿易に活路を見出し、[[w:ティモール島|ティモール島]]に植民するなど一応の回復を見せたが、清朝が[[w:広州|広州]]を開放して欧米諸国の貿易船を受入れ、いわゆる[[w:広東貿易|広東貿易]]が発展すると衰退の一途を辿った。広州で貿易に従事する欧米人はマカオを休養地として利用することが多く、[[w:カジノ|カジノ]]産業が発達して「東洋の[[w:モンテ・カルロ|モンテ・カルロ]]」と呼ばれるようになった。
 
== 年表 ==
 
* [[w:1517年|1517年]] - [[w:ポルトガル|ポルトガル]]人広東来航。
* [[w:1535年|1535年]] - [[w:明|明]]王朝、香山県濠鏡(マカオ)に市舶司を設置。
* [[w:1557年|1557年]] - ポルトガル、[[w:マカオ|マカオ]]に永久居留権を獲得。
* [[w:1580年|1580年]] - [[w:スペイン|スペイン]]国王[[w:フェリペ2世 (スペイン王)|フェリペ2世]]がポルトガル王位を兼任。
* [[w:1582年|1582年]] - マカオ、フェリペ2世への忠誠を宣言、以後マカオ - [[w:マニラ|マニラ]]貿易始まる。
* [[w:1583年|1583年]] - マカオ市政議会設置。
* [[w:1586年]] - ポルトガル国王、マカオの自治都市資格を承認。
* [[w:1603年]] - オランダ船、マカオから[[w:ゴア]]に向かうサンタ・カタリナ号を拿捕。
* [[w:1613年]] - 最初のマカオ総督任命。
* [[w:1622年]] - [[w:オランダ]]艦隊、マカオを攻撃し、[[w:澎湖諸島]]に転じる。
* [[w:1638年]] - 日本、ポルトガル船の来航を禁止。
* [[w:1640年]] - ポルトガル、スペイン支配から離脱。マニラ貿易停止。
* [[w:1647年]] - ポルトガル使節[[w:長崎]]に来航し貿易再開を願うが、拒絶される。
* [[w:1650年]] - 清軍[[w:広州]]入城。
* [[w:1662年]] - 清王朝、遷海令発布、マカオの貿易を禁じる(-64年)。
* [[w:1670年]] - ポルトガル使節、[[w:北京]]に朝貢([[w:康熙帝]])
* [[w:1685年]] - 清王朝、対外貿易を再開。
* [[w:1685年]] - ポルトガル船、日本人漂流民を長崎に返還するが、貿易再開は拒否される。
* [[w:1727年]] - ポルトガル使節、北京に朝貢([[w:雍正帝]])。
* [[w:1753年]] - ポルトガル使節、北京に朝貢([[w:乾隆帝]])。
* [[w:1808年]] - [[w:ナポレオン戦争]]中[[w:イギリス|英国]]艦隊マカオを保護下に置くため来航するが、清の武力を背景に拒絶。
* [[w:1849年]] - ポルトガル、マカオ「独立」を宣言、マカオ総督フェレイラ・アマラル暗殺。
* [[w:1851年]] - ポルトガル、タイパ島を占領。
* [[w:1862年]] - [[w:天津条約]]で中国、マカオがポルトガル植民地であることを承認。
* [[w:1864年]] - ポルトガル、コロアネ島を占領。
* [[w:1941年]] - [[w:大東亜戦争]]勃発、マカオ中立港として繁栄。
* [[w:1943年|1943年]] - [[w:日本軍]]、マカオを保護領化。
* [[w:1949年|1949年]] - [[w:中華人民共和国]]成立。
* [[w:1966年|1966年]] - マカオ暴動。
* [[w:1974年|1974年]] - ポルトガル本国で[[w:カーネーション革命]]、海外植民地放棄を宣言。
* [[w:1979年|1979年]] - 中葡外交関係樹立。
* [[w:1980年|1980年]] - マカオ総督北京訪問。
* [[w:1987年|1987年]] - マカオ問題に関する中国ポルトガル共同声明発表。
* [[w:1999年|1999年]] - マカオ返還、特別行政区成立。
 
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