「ゲームプログラミング」の版間の差分

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曲や絵がよければ、面と向かって「クソゲー」とは言われないかもしれませんが、しかし内心、「システムやバランスがクソゲー」と思われています。曲や絵がいいのにプレイヤーから「このゲームの○○が面白い!」と具体的に言われないのは、つまり婉曲的に曲・絵の以外の部分がクソゲー扱いされてるということです。反応が無いのは決して容認ではなく、「駄作なので『反応の価値なし』」と思われているのであり、いわゆる「サイレント・クレーム」(← ビジネス用語)です。
 
大衆や消費者は素人なので、ゲーム性がイマイチでも、絵や音楽が良ければ、'''そこそこ'''売れるかもしれません。それはそれで商売テクニックですが、しかし、あくまで「そこそこ」が売れ行きの限度です。もし大ヒット作みたいなのを目指したいなら、やはり肝心のゲーム性そのものを磨かなくてはなりません。
絵がよければゲーム公開サイトなどの紹介画面などで目立つので、とりあえず消費者・サイト訪問者に興味をもってダウンロードまたは購入までなら、多くの人に、してもらえます(広告写真と同様です。イラストには広告の役割もありますし、そもそもポスターの芸術史での歴史がそうです。いっぽう、音楽が良くても、なかなかダウンロードや購入に結びつかない)。
 
 
プロのゲームプログラマーなどでも、イラストに関しては素人ですので、もし、ゲーム制作の最初のプロトタイプ段階から、すごい高品質な特注イラストなどがついていたりすると、目がくらんて、本来ならクソゲーなシステムを「面白い」と過大に評価してしまうかもしれません。
 
そういった評価・判定のズレを未然に防ぐため、プロトタイプの段階では、あえてイラストや音楽などは発注せず、既存のコンテンツを再利用したりして低コストの画像、音楽などにしておきます。
 
 
同人ゲームやフリーゲームでは、絵がよければゲーム公開サイトなどの紹介画面などで目立つので、とりあえず消費者・サイト訪問者に興味をもってダウンロードまたは購入までなら、多くの人に、してもらえます(広告写真と同様です。イラストには広告の役割もありますし、そもそもポスターの芸術史での歴史がそうです。いっぽう、音楽が良くても、なかなかダウンロードや購入に結びつかない)。
 
まだしも2001年ごろの日本での同人ゲーム黎明期やフリーゲーム黎明期などの時代なら、実験的な時代なので異分野交流も兼ねてイラストレーターや作曲家もゲーム制作するならともかく、2010年も過ぎた現代日本で、小説やイラストを書きたい人が、無理してゲームを作る必要はないのです。
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なお、ゲーム会社でアニメータといったも3D-CGの制作者のことだったりします。アニメ会社でいう「アニメータ」とは意味が違いますので、混同しないように。
 
 
=== もはやゲーム業界は「産業のエンジン役」ではない ===