「学習方法/小学校全般」の版間の差分

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Honooo (トーク | 投稿記録)
こうしてみました…
3 行
 
以下の記述は、一例に過ぎません。'''また、「このページの勉強法以外はすべてまちがっている」とするページではありません。'''
==学校の授業で習ったことは、ぜんぶの勉強における教科バランスよく復習しよう エティ==
小学校の授業で習ったことは、ぜんぶの教科をバランスよく復習しよう
 
けっして教科の学習は得意なバランスよく、特定の教目ばかりしか勉強に偏らないには、しながいいでくださいしょうね
 
しかし、人生って勉強だけが重要じゃあないよね? 勉強に費やす時間を全くそれ以外に費やして生きたとしても、得るものはいっぱいあるし、充実した意義のある人生なんていっぱいあると思う。そういう意味では偏った勉強も全くOKですよ。
それをやると、中学校に入って、ほぼ確実に、その教科も出来なくなります。
 
ただ世の中には安易に他人をいい加減な物差しで評価したがる人が多くて…学校のテストの点数ってのも、結局それだよね。そういう意味では偏った教科の勉強では、いい点数は取れなくなるかもしれないし、学年が上がるにつれて、成績は下がっていくかもしれない。ただこの主張も本当に正しい主張かどうかは定かではないですね。仮に日々の家庭学習の時間が同じだとして、学校では事実上バランスよく授業を受けて、学習しているわけだし、家庭の勉強が得意教科に偏ったとしても,学校の点数、成績、学歴だけが重要だと思って生きていなければ、大した問題のない行為だと思う。そもそも小学校のうちから、受験試験にいい点数を取って学歴つけて、いい感じに威張って生きることを意識して生活するなんて、馬鹿馬鹿しい話だ。
たとえば、「国語が大切だ」と、よく世間では言われますが、だからといって、国語しか勉強しないのは、ヤメテください。
 
一時期話題になって、確かに筆者も聞いたことがあるのですが、数学・算数の問題を解くときに、問題の意味を理解できていないから解答できないことがある。これはもう数学・算数の問題ではなくて国語の問題だ。だから国語の勉強をまずすることが大事だ。こういう主張がありましたね。ただどうですかね。算数の問題の文章は、やはり算数に特化した文章で、この文章に関する議論はやはり算数で行うべきだと思う。生徒の教科理解の広がりを問うより、教師の教科理解の広がりがないことのほうが問題かもしれないよ。
少なくとも小学校の授業で習ったていどの算数や社会科や理科ができないと、中学で、国語も苦手になります。なぜなら、国語で習う「説明文」には、社会について語ってる説明文もあれば、理科について語ってる説明文だってあります。説明文で、説明のために計算をする場合だって、あります。もし国語だけしか勉強せず、社会や理科を勉強しないと、中学どころか、ひょっとしたら、もう小学校高学年でも、国語が苦手になるかもしれません。
 
この項目の以前の編集は、小学校で国語ばかり勉強して算数理科社会ができていないと、中学では全教科苦手になる、なんて主張が書かれていたけど…、もちろんそうなることもあるだろうけど、結局は視野の狭い決めつけだと思う。
「算数が思考力をみがくので、国語の次に大切」という意見も世間には、ありますが、だからといって、国語と算数しか勉強しないのも、よしてください。
 
中学の国語では社会や理科に関する文章もあるから、それについてよく知らないとテストで点数取れないだろう、なんて以前の編集で書かれていたけど、そもそも勉強する、物事を知るってことは、テストでいい点を取ることではないよ。
では、4教科をどうやってバランスよく勉強すればいいのかというと、とりあえずは、学校の授業をきちんと聞いて、きちんとノートにとって、学校のテストで習うような問題を解けるようになることです。
 
ともかく世の中の人間は出来る出来ないにこだわりすぎだよ。お前自身が一番何も出来ていない人間だということにいつ気づくのかね?
4教科(国語・算数・理科・社会)をバランスよく勉強するのはもちろん、できれば、図画工作、保健体育、音楽も、バランスよく練習してください。
 
小学生だろうが、それ以外のどんな人間だろうが、淡々と生活をつづけながらその中で少しずついろいろな事を知って、人生を発展させていくしかないんじゃあないの?
とはいえ、音楽を練習しようにも、普通の家ではたいした練習も出来ないでしょうし、とりあえずは学校の音楽の授業のあいだ、きちんと練習しましょう。同様に、図画工作も、体育も、きちんと授業中に練習しましょう。
 
小学校の音楽は、単に音楽の能力をみがくだけでなく、指先の器用さもみがいたりすることで図工の練習にもなりますし、歌詞などを覚えることにより国語の知識もみがかれます。
 
同様に体育も、体力が身につくのはもちろん、じっさいに体を動かすたり球技でボールなどを動かすことで、理科などの知識も、みがかれます。
 
中学の理科の「運動の法則」などを勉強する前に、まずは、あなたじしんが、きちんと体育で運動してください。
 
なお、中学受験を考えるなら、どのみち4教科をバランスよく勉強する必要があります。
 
 
なお、実技教科については、よく教育学者が「図画工作で絵を書くときは、自分の思いどおりに書けばいい。目に見えたものをうつす『写生』(しゃせい)は、しなくていい。」とか言って、自分のすきな特定の手法の作品ばかりを作るようにすすめますが、このような、かたよった事(こと)ばかりをすすめる図工教育の意見は、まちがっています。
 
もちろん、そういう「思いどおりに」書くだけの作品をつくる場合もあってもいいですが、そういう作品ばかりを作るのも、どうなのかという意見もあります。
 
やはり、思いどおりに書くだけでなく、ときどき、写生画(しゃせいが)も書いてみるとかして、いろんな作品をバランスよく作ってみるのが、良いでしょう。
 
だいたい、絵画の他には、図工の授業では、なにかにソックリな作品をつくるということは、ほとんど、ありません。
 
 
このように、教育学者が、まちがった意見を言う場合もあるので、けっして、なにも考えずに、そのまま信じてはいけません。教育学者は、過去にも、いろんな間違いをしています。たとえば、1990年代は、「ゆとり教育」という政策(せいさく)を教育学者はすすめてきましたが、失敗(しっぱい)して、教育現場(きょういく げんば)が混乱(こんらん)しました。
 
「教育」を研究する学問は必要ですが、しかし、日本の教育学者や、または、文部科学省の人たちのなかには、ぜんぜん「教育」を研究できていない人もいます。教育学者や文部科学省の人のなかには、「国語」や「算数」などの教科の知識(ちしき)が、ふつうの企業などでどういうふうに使われてるのかを、ぜんぜん理解できていないという、こまった人もいます。教育学者や文部科学省のなかには、そういう、こまった人なのに、その時代の一部の政治家や企業などにウケのいい教育政策を提案するだけの人もいます。「ゆとり教育」が、まさに、そういう政策だったのです。
 
 
なので、教育学者や文部科学省の人たちの言ってることが、本当にあってるかどうかを、しっかりと自分の頭で考えて、それから、教育学者の意見を、参考(さんこう)にしましょう。
 
図工を例に説明しましたが、体育や家庭科や音楽などでも、学者や評論家(ひょうろんか)のなかには、「◯◯だけをすればいい! □□は、しなくていい!!」というような、かたよった意見を言う学者や評論家(ひょうろんか)は、います。
 
そのような、かたよった意見の、学者や評論家の意見は、信じないほうがよいでしょう。とりあえず、体育や家庭科や音楽などの勉強でも、学校で習うようなことは、バランスよく勉強しましょう。
 
 
むずかしそうに聞こえますが、ようするに、バランスよく、すべての教科を勉強すれば、いいのです。
 
いい加減自分がなんでもできる優秀な人間だという幻想から覚めろよ。
 
== 小学生の家庭での自習は一点集中 ==