「高等学校歴史総合/日本の大陸進出」の版間の差分

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皇道派は、思想家の'''北一輝'''(きた いっき)の影響を受けていた。北一輝は『日本改造法案大綱』などの著作を出していた。
 
:※ 北一輝の思想は、その著作や日記などから、資本主義批判や、革命による社会主義を目指したものである事が分かっている<ref>田原総一郎『ホントはこうだった日本近現代史1』、ポプラ社、2013年3月5日、46ページ、</ref>。
:つまり、けっして日本による朝鮮・台湾などの植民地資本主義の強化とか、北の思想はそういうのを目指した思想ではない(※ 世間では『ブロック経済』とかと混同して、ここら辺の思想の経緯をよく勘違いしている人も多い)。
 
 
1936年2月26日、皇道派の一部青年軍人がクーデタを起こし、約1400名をひきいて首相官邸や警視庁を襲撃し、内大臣 斎藤実・ 蔵相 高橋是清・ 教育総監 渡辺錠太郎 などを殺害した。