「高等学校日本史B/第二次世界大戦と日本」の版間の差分

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トラウトマン工作の時点で、すでにヒトラーがドイツの首相である<ref>田原総一郎『ホントはこうだった日本近現代史1』、ポプラ社、2013年3月5日、73ページ、</ref>。
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ドイツ国はドイツ中華大使トラウトマンを通して日中両国に和平を斡旋(あっせん)したが(トラウトマン工作)、和平交渉は失敗し、近衛内閣は1938年1月「国民政府を相手とせず」と声明を発表した(第1次'''近衛声明''')。
:※ ドイツを「ファシズムの国だから戦争賛成のハズだ」とか安易に決め付けると、(失敗に終わったが)トラウトマン工作の意義が分からなくなる。トラウトマンはドイツ大使であるし、つまりドイツが和平工作を仲介しようとしたという事である。このように、実際の国際政治はけっして単純な善悪二元論ではない。トラウトマン工作の時点で、すでにヒトラーがドイツの首相である<ref>田原総一郎『ホントはこうだった日本近現代史1』、ポプラ社、2013年3月5日、73ページ、</ref>。
 
 
同1938年11月には、東亜新秩序の声明を出し、日本・中華・満州の3国の協力による国際政治を中国に呼びかけた(実質的には国民党に、共産党との提携をやめて日本側に協力してほしいと呼びかけた宣言)、国民党が応じず、失敗した。(※ 参考文献: 明成社の検定教科書)