「高等学校歴史総合/日本の大陸進出」の版間の差分

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日本政府は満州を「王道楽土」(おうどう らくど)「五族協和」(ごぞく きょうわ)などと宣伝した。また、満州を開拓するための満蒙開拓団などを募集したので日本から多くの移住者が満州に移り住んだ。そのほか、朝鮮や中国など周辺の地域からも多くの者が満州に移住した。
 
:※ なお、当時の満州の正確な人口統計が無いので詳細は不明だが、割と朝鮮出身の開拓移民が多かったらしく、一説には開拓移民の8割は朝鮮出身者だという説もある<ref>倉山満『真実の日米開戦 隠蔽された近衛文麿の戦争責任』、宝島社、2017年12月18日 第1刷発行、75ページ</ref>。
:第二次大戦後の昭和後半の時代の平和教育でよく「戦前、満州に行った日本の移民が、現地の中国人から農地などの土地をうばって迷惑をかけた」的な教育が行われていたが、しかし実際の開拓移民の内訳では朝鮮出身者が多いらしい事を考えると、従来のこの平和教育の仕方には見直しが必要になるだろう。