「高等学校歴史総合/日本の大陸進出」の版間の差分

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皇道派は、思想家の'''北一輝'''(きた いっき)の影響を受けていた。北一輝は『日本改造法案大綱』などの著作を出していた。
 
:※ 北一輝の思想は、その著作や日記などから、資本主義批判や、革命による社会主義・共産主義<ref>倉山満『真実の日米開戦 隠蔽された近衛文麿の戦争責任』、宝島社、2017年12月18日 第1刷発行、91ページ</ref>を目指したものである事が分かっている<ref>田原総一郎『ホントはこうだった日本近現代史1』、ポプラ社、2013年3月5日、46ページ、</ref><ref>倉山満『真実の日米開戦 隠蔽された近衛文麿の戦争責任』、宝島社、2017年12月18日 第1刷発行、91ページ</ref>。北の著作で、私有財産制の廃止などが唱えられている<ref>倉山満『真実の日米開戦 隠蔽された近衛文麿の戦争責任』、宝島社、2017年12月18日 第1刷発行、91ページ</ref>。
:つまり、けっして日本による朝鮮・台湾などの植民地資本主義の強化とか、北の思想はそういうのを目指した思想ではない(※ 世間では『ブロック経済』とかと混同して、ここら辺の思想の経緯をよく勘違いしている人も多い)。
:※ 元老の西園寺公望は、後述する「ニ・ニ六事件」よりも前から、独自の情報網により、ちまたの右翼集団の中に共産主義者がまぎれこんでいる事をつきとめている<ref>倉山満『真実の日米開戦 隠蔽された近衛文麿の戦争責任』、宝島社、2017年12月18日 第1刷発行、91ページ</ref>。当時の右翼団体の宣伝ビラのなかに、皇室を誹謗中傷するものが増えてきており、西園寺とその情報網の者たちは、右翼団体の真相に気づいたらしい。