「中学校社会 歴史/戦国時代と安土桃山時代」の版間の差分

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検地帳によって耕作者が、はっきりしたので、農民は田畑を持つ権利を認められたが、同時に年貢(ねんぐ)をおさめる義務をおうことになり、土地を勝手に離れる(はなれる)ことができなくなった。
また、これで、かつての荘園のように土地の権利がはっきりしない土地がなくなった。そして公家や寺社などの荘園領主としの権利は完全に否定され、公家などの勢力は衰えた。
 
:(※ 範囲外: ) もうひとつ、教科書には記述は無いが、太閤検地には重要な意味があって、秀吉以前の当時の納税の仕方には、農産物による「石高」(こくだか)のほかにも、銅貨などを収める貫高(かんだか)という方法もあったが([[w:貫高制]])、太閤検地にともなう石高制への移行により、農民は通貨による納税をしなくてよくなったという意味もある。このため、農民は農産物を貨幣に換金する手間が省けるので、商人などに暴利をむさぼられる心配もなくなる。また、納税される領主や秀吉たちからすれば、中間搾取が減るので、いいこと尽くめである。なお、貫高から石高への納税システムの変更は、秀吉の発明ではなく、信長の時代から幾つかの地域の戦国大名の領地で行われていたようである。
 
 
* '''刀狩'''(かたながり)