「中学校社会 歴史/戦国時代と安土桃山時代」の版間の差分

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平成25年の高校教科書(山川出版社)では、「惣無事令」という用語は消えている
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そして秀吉は、各地の大名どうしに争いをやめるように停戦命令として惣無事令(そうぶじれい)を1585年に出す。停戦命令に従わなかった九州の島津(しまづ)氏は、1587年に征伐され屈服させられた。
 
:(※ 範囲外: )歴史学では20世紀のかつて、「惣無事令」というのは固有名詞かと思われていたが、しかし1585年以前の1583年や1584年からも、秀吉の命令とは無関係に各地の大名も「惣無事」という言葉をつかって各種の停戦協定を出していることが古文書などから明らかになった<ref>山本博文 著『【東大流】流れをつかかむ すごい!日本史講義』、PHP研究所(出版社名)、2020年5月5日 第1版 第1刷、213ページ</ref>。つまり、「惣無事令」とは固有名詞ではなく、「停戦命令」や「停戦協定」などを意味する一般名詞である可能性が、歴史学では考え始められている。このため、もしかしたら将来的に教科書の「惣無事令」という歴史用語が変わる可能性がある。
:高校では、すでに平成25年の高校教科書(山川出版社)では、「惣無事令」という用語は消えている(その3年前の平成22年まで「惣無事令」の用語は使われていた)<ref>山本博文 著『【東大流】流れをつかかむ すごい!日本史講義』、PHP研究所(出版社名)、2020年5月5日 第1版 第1刷、213ページ</ref>。
:史実としては、少なくとも秀吉が諸国の大名に停戦命令を出したのは事実だし、またその通達の文書などに「惣無事」という言葉が使われているのも事実である。
 
 
そして1590年には、秀吉に従わなかった北条(ほうじょう)氏の治める関東の小田原(おだわら)を攻め、北条氏政(ほうじょう うじまさ)を滅ぼします。同1590年、秀吉に従っていなかった東北の奥羽(おうう)の伊達(だて)氏など東北の大名は、秀吉にしたがい、これで'''秀吉が天下統一をなした。'''