「中学校社会 歴史/鎌倉時代」の版間の差分

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<!-- 下記は高校範囲ですが、現wikibooksでは高校側に適した紹介ページが見つからない事情や、中学でまとめて説明したほうが理解が深まるし学習の手間が減るなどの理由により、中学側で紹介しようと思います。 -->
裏を返すと、鎌倉時代以前の古代の貨幣である和同開珎(わどうかいちん)や富本銭(ふほんせん)は、京都および京都の周辺など一部の地域でしか普及しなかった事<ref>相澤理『歴史が面白くなる 東大のディープな日本史【古代・中世編】』、株式会社KADOKAWA (中経文庫)、2016年7月15日 第1刷発行、P112</ref><ref>(※ 高校教科書)東京書籍『新選日本史B』、平成29年検定済み、平成30年2月10日発行、P32</ref>が、歴史学的には分かっている。貨幣の流通しなかった地方では、麻や布、稲などが貨幣の代わりとして役割をはたした<ref>実教出版、『日本史B』、平成25年3月26日 検定済み、平成26年1月25日 発行、48ページ</ref><ref>山川出版社『詳説日本史B』、2012年3月27日 文部科学省検定済み、2013年3月5日 発行、P.47</ref>。
 
平安時代のころ、地方でためしに和同開珎などが使われていた時期もあったが、しかし地方経済に混乱が見られたようで、そのせいもあってか中央政府(京都の朝廷)の命令により、和同開珎などを京都・奈良など畿内に回収する命令が地方に出されている<ref>相澤理『歴史が面白くなる 東大のディープな日本史【古代・中世編】』、株式会社KADOKAWA (中経文庫)、2016年7月15日 第1刷発行、P112</ref>。
高校教科書で習うが、708年ごろの和同開珎の鋳造のあとに、さらに '''蓄銭叙位令'''(ちくせん じょいれい)を出して貨幣の流通を目指した。しかし上述するように、蓄銭叙位令にかかわらず、最終的に古代(平安時代の終わりまでが「古代」)日本では貨幣は、京都・奈良といった畿内とその周辺でしか普及しなかった。
 
なお、日本で発行された通貨は、10世紀なかばまでに合計12~13種類の通過が発行されている。(けっして、和同開珎と富本銭だけが古代の通貨だったわけではない。和同開珎や富本銭は、初期に発行された貨幣だから中学教科書では紹介されているだけである。つまり、和同開珎のあとも、日本産の貨幣は数種類も発行されている<ref>山川出版社『詳説日本史B』、2012年3月27日 文部科学省検定済み、2013年3月5日 発行、P.47</ref>)。
 
平安時代には貨幣の鋳造が行われたが、しかし鎌倉時代になって、貨幣の鋳造が行われなくなった<ref>実教出版、『日本史B』、平成25年3月26日 検定済み、平成26年1月25日 発行、48ページ</ref>。
:※ 一説だが、貨幣を鋳造するには中央集権的な強い政府が必要であるが、しかし鎌倉時代になり武士の時代になったことにより、地方分権的な傾向が強くなり、そのため、貨幣の鋳造ができなかったのだろう・・・、のような学説もある<ref>相澤理『歴史が面白くなる 東大のディープな日本史【古代・中世編】』、株式会社KADOKAWA (中経文庫)、2016年7月15日 第1刷発行、P112あたり</ref>。
 
 
 
;鎌倉時代のその他の経済
さて、鎌倉時代、通貨が普及してきたので、地方でも、年貢も銭で納税されることが増えてきた(「代銭納」<ref>実教出版、『日本史B』、平成25年3月26日 検定済み、平成26年1月25日 発行、48ページ</ref>という)。地方の荘園などで、宋銭による年貢の代納が行われた事例<ref>実教出版、『日本史B』、平成25年3月26日 検定済み、平成26年1月25日 発行、48ページ</ref>のある事も分かっている。
 
また、鎌倉時代、定期市の他にも、都市に限定だが、常設の小売店である'''見世棚'''(みせだな)という商売も登場してきた。
 
さて、のちにモンゴル襲来などによって経済難になった武士が金融業者からカネを借りて借金苦になるわけだが、前提として金融業者が日本各地に普及しているわけであり、つまり、鎌倉時代には金融業者が登場しており、その鎌倉時代の金融業者は'''借上'''(かしあげ)といわれた。
:※ 現代語では「借」は「かし」とは読みませんが、歴史用語で「借上」を「かしあげ」と言います。
 
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