「学習方法/中学校国語」の版間の差分

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国語とは我々の国の言葉の世界を知る教科ですし、基本的に日本人が最初に出会う言葉についての教科ですから、総合的で、世界そのもの人間そのものに触れていく教科でもあります。
 
== 中学国語の教科書のなか、大学レベルは様々な分野豊富な知識、言葉書かれてい ==
先ほどの節で「参考書を買おう」などといいましたが、もちろん、できれば検定教科書を読むことも必要です。なぜなら、中学の国語の教科書では、テストには出様々いけど、重要多様な知識、情報、言葉が書かれあります。
 
また、中学で習う漢字のなかには、じつは高校や大学の社会科や理科や、大学の国文学などで、くわしい意味をならう漢字もあります。
 
たとえば「約款」(やっかん)という漢字を、中学3年で習うかもしれません。
 
じつ多くの生徒普通高校に進学することが多いかもしれませんが、職業高校である商業高校などは、、この「約款」の、くわしい意味を習います。(※ なお、wikibooksでは『[[高等学校商業 経済活動と法/契約と意思表示]]』に約款の意味の解説がある。) 普通科高校では、なんんどの場合、「約款」の意味を習いません。
 
あるいは、科学評論などで「不可逆」(ふかぎゃく)という言葉を習うかもしれません。この「不可逆」の意味は、じつは、大学の理科で習う用語がもとになっています。高校の理科では、「不可逆」の意味を習いません。
 
(wikibook(wikibooksでは、『[[高等学校物理/物理II/熱力学]]』で「不可逆」について発展的事項として説明。)
あるいは、科学評論などで「不可逆」(ふかぎゃく)という言葉を習うかもしれません。この「不可逆」の意味は、じつは、大学の理科で習う用語がもとになっています。高校の理科では、「不可逆」の意味を習いません。
 
その他、「心筋梗塞」(しんきんこうそく)という病状は、中学高校の保健体育ですらも学しなませんようですね
(wikibookでは、『[[高等学校物理/物理II/熱力学]]』で「不可逆」について発展的事項として説明。)
 
法律に関する言葉として、「嫡子」(ちゃくし)、「戸籍謄本」(こせきとうほん)、「戸籍抄本」(こせきしょうほん)など中学どころか高校でも習わずあるいは多くは学の法律学ですることになるでしょう。
 
「婚姻」(こんいん)と「姻戚」(いんせき)、「姻族」(いんぞく)の関係なんて言葉も、レベル国語教科書出てきまが、詳しい議論はより上位の学校ですることになるでしょうね
その他、「心筋梗塞」(しんきんこうそく)という病状は、中学高校の保健体育ですら習いません。
 
中学校国語の教科書上の古文や漢文にかんする記述は、かなり専門的で深い内容を述べた文章が多いようです。
 
基本的に文章を読むという事、他人の話を聞く事は、その他者が考えていることすべてがその時々の言葉につづられるわけですから、いつ、どこで、どの学校で習う内容や言葉について語られるか、そんなことが明確に定まっているはずがありませんよね。
 
解ること分からないこと、理解できること理解できないこと、全てひっくるめて、その場その場で我々は他者の書いた文章を読み、他者の話を聞いているわけですよね。
「嫡子」(ちゃくし)なんて用語、中学の社会科では習わずに、もしかしたら高校か、ひょっとしたら大学の法律学などで習います。
 
世の中にはいろいろな学校があり、いろいろな教師がいて、それぞれが教えること、語ることは、ある程度秩序だって、定められていますが、実際にこの世界にある人類が積み重ねてきた知識や、知恵、技術などは、本質的には秩序を超えた混とんとしたもので、世間で言われる、いい大学、いい企業、いい国家、が提供するものだけが至上の価値を持つものではありません。
「戸籍謄本」(こせきとうほん)、「戸籍抄本」(こせきしょうほん)なども、中学どころか高校でも習わず、大学の法律学で習うでしょう。
 
ちょっと雑談的に脱線するうえ、ネガティブな話題になるのですが、この国に著名人として、[[w:鴻上尚史]]という演劇人、あるいはタレントがいて、現編集者は若いころこの人物の深夜ラジオを好んで聞いていたのですが、彼は昔早稲田大学の学生だったけど、大学1年か2年のころに東京大学を受験しなおしたいと希望していたようです。
「婚姻」(こんいん)と「姻戚」(いんせき)、「姻族」(いんぞく)の関係も、大学レベルです。
 
それでラジオ上で時々高校時代の学習、勉強の話をするのですが、それで世の中には、高校生の同級生とかの中で、何か物凄いことを知っている奴がいると。なんでお前そんなことを知ってるの?なんて思う、同級生が時々、よくいる、なんて話していました。
 
ただ彼はその話のオチとして、でも、結局そういう奴って大したいい大学に合格しないんだよな(笑)、なんて大笑いして終わらせていましたが…。
また、古文や漢文でも、大学の国文学でも通用するような高度な説明が、中学生むけにアレンジされて、さらっと書かれていたりします。
 
まあ現編集者の個人的な意見としては、この人物の学歴至上主義的な発想が垣間見えて、ちょっとうんざり、って感想なんですが、しかしこの話は結構含蓄のある話ですよね。
中学国語の教科書では、古文や漢文の作品紹介の前に、解説が書いてありますが、実は、その解説のレベルは、なんと大学レベルです。普通の高校生は、このような解説を書けません。
 
つまり、学問とか知識とか知恵ってそういう側面があるんですよね。
 
つまり正当な学校、正当な教育以外が扱う知識や知恵の中にも、何か物凄いインパクトのある、価値のある内容が沢山あるのだろう、と。
 
ですから、中学校や高校の国語の教科書に載っている文章、それが扱う内容は、基本は様々な著者、様々な語り手が、割と自由奔放にノンジャンルの発話、話題として文章を書きますから、多様な野性的な知識や知恵、発想や情報が含まれているのだろう、と。
実は、中学の教科書には、大学で習うような知識が元になっている用語が、たくさん書いてあるのです。
 
ですから学生たちがこの教科書を読んでいると、様々な事柄に興味を持って、調べたり考えたりすることになるだろうけど、結局正当な教育、学歴で扱う内容は、それぞれそれなりに限定されて定められているだろうし、そこから外れたことに深入りして、そういう事ばっかりやっていると、いわゆる、いい高校、いい大学、いい学歴を手にすることはできなくなるだろう。
 
この項目の前編集ではそれが指摘され、警告されていました。
中学生の時点では、これら大学レベルの知識・単語には、深入りしないほうが良いでしょう。なぜなら、高校入試には出ないからです。
 
まあ現編集者の個人的な感想としては、それが何?学歴なんか糞だろ、ぐらいの感想ですが、でも実は、現編集者はそれなりそこそこのいい学歴を持っている人物ではあります。
高校入試には当然、大学レベルの知識は出ません。
 
それどころか、大学入試ですら、(中学国語教科書に書かれた)大学レベルの知識が出ません。
 
 
中学生には、どの知識が大学レベルなのかが分かりづらいので、なので、参考書や教科書ガイドなどで、高校入試に出題されそうな中学レベルの知識を確認する必要があるのです。
 
 
中学3年になったら、授業以外で、中学国語の教科書に深入りするのは、高校入試に合格したあとに、読むのが良いでしょう。
 
それほどまでに、高レベルな内容が、中学教科書の中には、まぎれています。
 
「教科書ばかりでなく参考書も読め」というような事を、ウィキブックスが、おすすめしている理由は、けっして教科書が低レベルだからではありません。
 
逆だからです。
 
中学の国語教科書は、中学卒業をしてスグに就職をした人でも、詐欺師(さぎし)などにダマサレないように、高校レベルや大学レベル、しまいには、企業などに就職(しゅうしょく)した後のレベルまでの、高度な話題をまぜて、中学国語では教育しているからです。
 
 
なお、高校レベルの古文漢文や社会科や理科や知識も、中学国語の教科書に、ところどころ書いてあったりします。なので、高校入試に合格後に、中学国語の教科書を読んでおけば、高校入学後、ラクを出来るかもしれません。特に、中学3年の教科書で、この傾向が強いです。
 
しかし、裏(うら)をかえせば、普通の高校の入試では、そのような高校レベルの内容は入試に出題されません。なので、教科書だけで勉強をしていると、高校入試に出ない事をたくさん勉強してしまうハメになりかねません。
 
 
そして、そもそも中学「国語」の教育の最終的な目的とは、大人たちの書く文章を、読めるようにする目的の科目でしょう。「国語」は、大人になったら必要になるレベルの日本語について勉強するのですから。
 
しかし、この最終目的は、レベルが高すぎて、高校入試には出せません。(大学入試ですら、出しづらい!!)
 
なので、参考書などで、高校入試に出やすい知識を確認して、書きとり練習などをする必要があるのです。
 
お前はそこそこの学歴を持ってるから、学歴なんか関係ないなんて言えるんだろ?なんて言われれば、その通りかもしれません。
 
== 作文の課題は、マジメに書いて提出すれば良い ==