「学習方法/中学校国語」の版間の差分
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国語とは我々の国の言葉の世界を知る教科ですし、基本的に日本人が最初に出会う言葉についての教科ですから、総合的で、世界そのもの人間そのものに触れていく教科でもあります。
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また、中学で習う漢字のなかには、
たとえば「約款」(やっかん)という漢字を、中学3年で習うかもしれません。
あるいは、科学評論などで「不可逆」(ふかぎゃく)という言葉を習うかもしれません。この「不可逆」の意味
▲あるいは、科学評論などで「不可逆」(ふかぎゃく)という言葉を習うかもしれません。この「不可逆」の意味は、じつは、大学の理科で習う用語がもとになっています。高校の理科では、「不可逆」の意味を習いません。
▲(wikibookでは、『[[高等学校物理/物理II/熱力学]]』で「不可逆」について発展的事項として説明。)
法律に関する言葉として、「嫡子」(ちゃくし)、「戸籍謄本」(こせきとうほん)、「戸籍抄本」(こせきしょうほん)、など
▲その他、「心筋梗塞」(しんきんこうそく)という病状は、中学高校の保健体育ですら習いません。
中学校国語の教科書上の古文や漢文にかんする記述は、かなり専門的で深い内容を述べた文章が多いようです。
基本的に文章を読むという事、他人の話を聞く事は、その他者が考えていることすべてがその時々の言葉につづられるわけですから、いつ、どこで、どの学校で習う内容や言葉について語られるか、そんなことが明確に定まっているはずがありませんよね。
解ること分からないこと、理解できること理解できないこと、全てひっくるめて、その場その場で我々は他者の書いた文章を読み、他者の話を聞いているわけですよね。
世の中にはいろいろな学校があり、いろいろな教師がいて、それぞれが教えること、語ることは、ある程度秩序だって、定められていますが、実際にこの世界にある人類が積み重ねてきた知識や、知恵、技術などは、本質的には秩序を超えた混とんとしたもので、世間で言われる、いい大学、いい企業、いい国家、が提供するものだけが至上の価値を持つものではありません。
▲「戸籍謄本」(こせきとうほん)、「戸籍抄本」(こせきしょうほん)なども、中学どころか高校でも習わず、大学の法律学で習うでしょう。
ちょっと雑談的に脱線するうえ、ネガティブな話題になるのですが、この国に著名人として、[[w:鴻上尚史]]という演劇人、あるいはタレントがいて、現編集者は若いころこの人物の深夜ラジオを好んで聞いていたのですが、彼は昔早稲田大学の学生だったけど、大学1年か2年のころに東京大学を受験しなおしたいと希望していたようです。
▲「婚姻」(こんいん)と「姻戚」(いんせき)、「姻族」(いんぞく)の関係も、大学レベルです。
それでラジオ上で時々高校時代の学習、勉強の話をするのですが、それで世の中には、高校生の同級生とかの中で、何か物凄いことを知っている奴がいると。なんでお前そんなことを知ってるの?なんて思う、同級生が時々、よくいる、なんて話していました。
ただ彼はその話のオチとして、でも、結局そういう奴って大したいい大学に合格しないんだよな(笑)、なんて大笑いして終わらせていましたが…。
まあ現編集者の個人的な意見としては、この人物の学歴至上主義的な発想が垣間見えて、ちょっとうんざり、って感想なんですが、しかしこの話は結構含蓄のある話ですよね。
つまり、学問とか知識とか知恵ってそういう側面があるんですよね。
つまり正当な学校、正当な教育以外が扱う知識や知恵の中にも、何か物凄いインパクトのある、価値のある内容が沢山あるのだろう、と。
ですから、中学校や高校の国語の教科書に載っている文章、それが扱う内容は、基本は様々な著者、様々な語り手が、割と自由奔放にノンジャンルの発話、話題として文章を書きますから、多様な野性的な知識や知恵、発想や情報が含まれているのだろう、と。
ですから学生たちがこの教科書を読んでいると、様々な事柄に興味を持って、調べたり考えたりすることになるだろうけど、結局正当な教育、学歴で扱う内容は、それぞれそれなりに限定されて定められているだろうし、そこから外れたことに深入りして、そういう事ばっかりやっていると、いわゆる、いい高校、いい大学、いい学歴を手にすることはできなくなるだろう。
この項目の前編集ではそれが指摘され、警告されていました。
まあ現編集者の個人的な感想としては、それが何?学歴なんか糞だろ、ぐらいの感想ですが、でも実は、現編集者はそれなりそこそこのいい学歴を持っている人物ではあります。
お前はそこそこの学歴を持ってるから、学歴なんか関係ないなんて言えるんだろ?なんて言われれば、その通りかもしれません。
== 作文の課題は、マジメに書いて提出すれば良い ==
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