「学習方法/中学校国語」の版間の差分
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スポーツでいうところの、トレーニングマシンのようなものですね。
==文章の読解==
この項目の前編集で、「国語の勉強法は、読解問題の勉強の場合ですら、正当な解釈を暗記し、テストでは、その解釈の仕方を思い出して問題を解きます。」、って書かれていたんだけど…
…んな訳ねえだろっっ(><#)!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
あのさー、文章を読むっていう事は、その時々の自分自身で言葉を受け入れて、自分の心で、精神で、自分自身の言語世界の中で、その文章と発話者の意図を考えて、解釈を見出すことなんじゃあないの?
そしてそれを繰り返して自分自身の言語世界を作っていくことが、国語の読解だし、勉強なんじゃあないの?
言語道断だよ。この項目の前編集は、断固許せんね。すじ肉先輩は、小学校の国語からやり直し!!!(><)
近代文学とか古典文学とか、いきなり初見で短時間で意味を見出して読解することは、実際問題としては若い初学者達には困難な事だろうね。そしてそういうものは、事実、国文学の研究者や、それ以外の様々な読者たちが、様々な読解を繰り返して、意見を擦り合わせて、ある程度の正当な解釈というのは確立されているだろう。
しかしそれを暗記して、テストで書けなんて勧めるのはおかしいんじゃあないの?
ただ、参考書とかで、そういう正当と言われる解釈を、勉強として読むことはまったく悪い事じゃあないよ。むしろ推奨する。学校の授業でも、教師がそうやって読解して、解説してくれるだろう。教科書自体には、本文はあっても、詳細な解説は普通書かれていないよね。
本文と解説、一度でも何度でも、読むことはまったく悪い事じゃあないし、むしろそれが勉強ですよね。
しかしやはり文章というのはその時々に読むものだし、テストだって、もちろん正当と呼ばれる解釈が頭の片隅にあってもいいけど、基本的にはその時の自分の言語世界、言語精神、世界理解の中で、その文章の正体を明らかにしなければいけないだろう。
仮にその結果、テストで×だらけで零点だったとしても、案外採点者の解釈の方が間違っているかもしれないよ?
== 中学校の国語の定期テストは暗記科目である。 ==
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