「学習方法/中学校国語」の版間の差分
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何度も書くけど学生時代、試験や成績にあまり拘らないで生きたほうがいいと思うけど…、しかしどうしても成績は上げたいという事であれば、国語科の現代文読解の成績を上げるには、問題演習をするのが一番いいでしょうね。現代文学の読書は、もちろん意味のある行為ですが、試験や学校の成績に即物的には直結しませんよね。
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前編集ではまず、一冊の参考書を10回も読み返すな、1、2回でよいなんて書いてるけど…、うーん…まず常識的に参考書をじっくり詳細に読むなら、 1回だけでかなりの時間がかかるし、それだけでかなりの得るものがあるだろう…。その後の回数について議論する意味さえ良く分からんね…。そもそも1回詳細に読んだって、理解はかなり進むけど、記憶に関してはあやふやでいい加減だよね。だから当然何度も何度も辞書のように読むこともあるだろうし、それをわざわざ禁止する意味も全く理解できないね。
とにかく前編集者は 10回も参考書の解説を読むことを禁止したうえで、それをやらないで、問題集や別の参考書の読み比べをやれなんて書いてるけど…、まあもちろんそれも意味あるしそれはそれで得ることも多いけど、しかし一方で、何度も何度も同じ参考書を読むことに意義を見出した人のやり方や行動を否定する意味はないんじゃあないの?効率からいったら問題集や読み比べがいいんだって主張だろうけど、そもそも人間の精神や知性には様々な特性と個性があるから、一概に自分にとって効率よい方法が、全ての人間にとって効率が良いわけではないだろう。
あと参考書の読み比べという前編集者の主張だけど…、常識的に中学生に同じ教科の参考書を何冊も買い与える親なんてそうそういないだろう。まあ図書館とか塾の図書室とか、そういう場所で無料で読めることはあるかもね。それならば、参考書の読み比べ、全然 OKじゃあないですか?
あと前編集者はやたら暗記暗記って書くんだけど…、そもそもこの暗記って言葉の意味自体、前編集者はかなり普通と違ったとらえ方をしているように思う。正直今時点では、前編集者がどういう意味で暗記という言葉をとらえているか、今一つ明確に見えなくて、再編集側もちょっと手をこまねいているんですが、一般的な意味で語るなら、現編集者は暗記の必要性をあまり感じていない。
するとしても、常識的な範囲で、最小限でいいんじゃあないだろうか?
そもそも暗記ってどういう意味だろうか? 前編集者は書き取り練習や問題練習をすることによって暗記せよ、なんて書いてるけど、この二つをやったからって明確に物事覚える保証はないよ。暗記って言葉は、結果を求めている言葉で、かなり長期間記憶に定着していないと、暗記をしたと見なされない。
現編集者は、体術や慣れ、ある程度の訓練を否定するものではないけど、暗記と理解に学習を 2分して、理解だけではだめ、暗記せよ、とひたすら主張する前編集者の姿勢と物の見方にはほんとにうんざりでね。
理解の中にも暗記の要素はあるし、暗記の中にも理解の要素はあるんじゃあない?
国語の学習は読解と 漢字・言葉の2つの分野があるだろうか。漢字・言葉に関してはある程度トレーニングが必要だろう。時に年少の時期は…おそらくだけど…。
そして国語科のトレーニングとして、書くことと発声することがあるだろうね。短い文章は発声に適しているようだ。文法の「かろ・かっく・いいけれ」(口語形容詞活用)とか、「く・から・く・かり・し・き・かる・けれ・かれ」(文語形容詞ク活用)とか、音読して覚えるのもいいだろう。
書くことに関しては、あらゆる分野で、トレーニングとしても、そしてそれ以外の知的理解、刺激としても、非常に有効だと思う。
== 近代文学の読書を後回しにするべき ==
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