「高等学校政治経済/権利と義務」の版間の差分
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※このページの記述を、2021/4頃から開始して少しずつ書き直す予定です。上から順番に、少しずつ、割と時間がかかる予定ですが、その途上では、ページ全体の内容、主張、記述に統合性がなく、矛盾も持った状態で公開されていることになりますので、読者は適宜読み方を工夫して、自分自身の妥当な読解、理解を手に入れてほしいと思います。トーク頁では頁タイトルの変更も提起していますし、そのことの結論が出て、ここの再編集が終わった時点でこの注釈自体も消去、妥当な前書き、あるいは前書きなしの状態に置かれる予定です。
==権利と義務、まず最初に。==
さて、権利と義務という事ですが、日本人なら、あるいは日本人でなくてもこの言葉は聞きなれていると思いますし、もう小学生以上の人であれば、日常語、一般語として何らかの自分なりの意味概念、意味理解を持っていると思います。
世の中には権利と義務について得々とおしゃべりしたがる人間は、絶望的に掃いて捨てるほどいますし、現代を生きる誰にとっても身近な言葉ですよね。
この項目の前編集では、国家と国民の間での権利と義務、個人間での権利と義務、この二つはちょっと違う話だという主張がなされていました。
ちなみに現編集者が参考用に保持している高校政治経済の参考書では、義務と権利について特別に食いついてとうとうと解説している、と、いう事はなされていないのですが、前編集者によると、清水書院の検定教科書ではこの周辺の話題について、かなり突っ込んだ議論がされているようです。
国家国民間での権利義務、個人間の権利義務、この二つは異なる話だという主張、それ自体は現編集者もそれほど違和感を感じる主張ではない。おそらくそうなのではないだろうか?とはいってもそれほど重要な視点、議論ではないとは思うけど…。
しかしその主張を肯定したうえで、現編集者はもう一つ、権利義務に関する考え方を提示したい。
それは、権利と義務感、権利義務観念に対して、3つの考え方、視点があるだろうという主張です。
その一つはまず、日常の社会通念としての権利義務感。もう一つは現実のその国の法令における権利義務の規定。もう一つは自然法に根拠を求める、普遍的でより本質的と考えられる権利義務。
現編集者のやや過激で偏向した主張としては、権利義務の関係についてとうとうと語りたがる人間は、結局他人の権利はほとんど認めることはなく、自分自身に利益を与える義務を他人に押し付けたがり、自分自身の所属する既成の多数派集団に不当な利益を永遠に与え続けたい奴ばかりだろう、なんて思っているのですが、そのことに関する評価はともかく、権利義務に関するページがWikibooks高校教科書として作られてしまった以上は、そのページの削除を図るよりは、書き直しを行った方が結局早いし楽なので、多少の文章を今後、この後にも記述していく予定です。
== 個人間の契約における権利と義務の関係 ==
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