「高等学校政治経済/政治/保守と革新、右翼と左翼」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Honooo (トーク | 投稿記録)
Honooo (トーク | 投稿記録)
18 行
なお、現在の「社会民主党」は、その日本社会党の系統の政党である。また、2009年に政権与党にもなった民主党(2016年に「民進党」と改名)には、それ以前に社会党から民主党に移った議員も多かった。
 
== 「左「右==
日本語では、自国や自民族が持っている元来の文化、伝統、風習、思想等を重視した政治思想とその支持者のことを'''右翼'''(うよく)とよぶ。一方、現在の政治・経済のあり方に批判的で、特に国王・貴族・特権層による専制政治や資本主義のあり方に対して変革を求める政治思想とその支持者を'''左翼'''(さよく)とよぶ。
 
語源は、一般的な説では、フランス革命のときの国民議会の用語らしく、議会の陣営についての用語である。フランス革命のときの議会で、王党派・貴族派といった伝統勢力の議席が、議長から見た方向で議事堂の右側に多く、いっぽう、革新派の議席が議事堂の左側に多かったのが、由来である。(※ 高校「政治経済」は世界史の教科ではないので、高校生はまだ「右翼」「左翼」の由来に深入りしなくて良い)
 
なお、英語でも、右翼思想のことを「right」(ライト)または right wing という。みぎ方向をあらわす英単語 right と同じスペルである。左翼思想のことは「left」(レフト)または left wing という。ひだり方向をあらわす英単語 left と同じスペルである。
 
右より、左より、左右の立場、などの言い方もされ、多くの人が何だかんだで政治について語るときになじみの深い言葉だろう。
政治学や政策の議論で「右寄り」(みぎより)・「左寄り」(ひだりより)とか言ったら、それぞれ、「右寄り」なら右翼寄りの思想のことであり、「左寄り」なら左翼寄りの思想のことである。
あるい政治学などで「左右」(さゆう)とか言ったら、右翼と左翼の両方をまとめて言及してるのである。
 
=== 大まかな右翼・左翼の理念・政策の違い ===
{| class="wikitable" style="text-align:center;"
|-
35 ⟶ 34行目:
!左翼 !! 理念・政策 !! 右翼
|-
|民族と日本民族は平等 || 民族 || 日本民族(和人)を優先
|-
|否定的 || 軍事力の強化 || 肯定的
53 ⟶ 52行目:
|検討 || 古来からの封建的な伝統に対して || なるべく保持
|-
|植民地争奪の[[w:帝国主義|帝国主義]]戦争 || 太平洋戦争について(日本) || 防衛戦争またはアジアの解放戦争
|-
|第9条の戦力不保持を維持(護憲、穏健)<br />天皇制の廃止などのために改憲(急進) || 日本国憲法の改憲に対して(日本) || 第9条を改憲して戦力保持を明記
59 ⟶ 58行目:
|}
 
結局政治的、思想的な右左というのは、かなり直感的な、その時代時代の言及でしょう。保守対革新という、倫理的、思想的なスタンスを示すものですね。
以上の表では、おもに現代の日本における、右翼と左翼の違いをあらわした。このように、「右翼」「左翼」の分類には色々な要素が絡むので、組み合わせのパターンは複雑である。
 
:・ 第二次世界大戦前の過去の時代においては、右翼が政府の欧米調路線に反対して、右翼が中華民国や東南アジアの革命家などとの連帯を唱えて主張、ともに欧米と戦おうという「アジア主義」を唱えていた時代すらもあります。これは、現代の中国韓国にたいする接し方は違いますね。明治維新前後対応と時代状況、富国強兵を唱える政治家違う、それ以前の江戸時代の伝統を、不合理で近代化にとって益のないものだと見なして批判して廃棄する動きもありました
また、戦前(第二次世界大戦前)の過去の時代においては、この右翼と左翼の分類が当てはまらない場合も多い。上記の表は、あくまでも、戦後の20世紀広範から21世紀初頭のころの政治の左右の考え方の分類である。
 
 
:※ しかし、学問的には正確ではないだろうが、明治時代〜大正の政治についての世間一般評論での「右翼」「左翼」は、たいていの場合、征韓論争の結果湧き上がった自由民権運動で有名な板垣退助の政党(※現在の自由民主党の前身)やその流れを組む門派・頭山満などを「中道」とみなし<ref>1881年10月4日板垣退助の演説会の前日、「閣下(板垣)を江藤、西郷の徒と同一視」していた旧高田藩士族が板垣を訪ね、その立憲政体論を聞いて「全く尊王愛国の忠実に出ることを知り」感銘を受けた。(『高知新聞』1881年10月22日号より)</ref>、それに対立したとされる政党(伊藤博文などの政党)を右翼的であると見なす場合が多い。
:・ 第二次世界大戦前の過去の時代においては、右翼が政府の欧米強調と路線に反対して、右翼が中華民国や東南アジアの革命家などとの連帯を唱えて、ともに欧米と戦おうという「アジア主義」を唱えていた時代すらもある。これは、現代の中国韓国との対応とは状況が違う。
:伝統に関しては、明治維新の前後の時代には、富国強兵を唱える政治家たちこそが、江戸時代の伝統を、近代化には邪魔な不合理なものだとして、江戸時代の伝統を廃止しようとしていた時代すらもある。
 
:冷戦中のソビエト連邦では、軍事力の強化こそが、世界の社会主義革命に必要だとされていた。(ソ連は共産党の一党独裁なので、ソ連内でソビエト共産党が左右のどちらなのかは、考えないとする。)一方、冷戦当の日本では、軍事力をあまり保持しない事こそが平和主義であり左翼思想であるとされ、そのような平和主義は、平等を唱える社会主義との組み合わせが良いとされた。
平成日本の今でこそ、軍事力の強化と伝統の保存は、ともに右翼的であるとされているが、明治時代の日本では違ったのである。
 
:また、日本の戦後(第二次大戦後)の右翼はアメリカと協調的であるが、しかしアメリカ文化を日本に取り入れることで、そのぶん、日本の旧来の文化や伝統を、日本人が目にする機会も少なくなっただろう。また、第二次大戦中を思い起こせば、アメリカは「鬼畜米英」などと言われ、当事の日本で右翼とされる政治運動から見れば、アメリカが敵だった時代もある。
このように、同じ国であっても時代ごとに「右翼」の政策と「左翼」の政策とは違う。そのため、政策にもとづいては、あまり、きれいに「右翼」「左翼」と分けられないことも珍しくない。
 
:※ しかし、学問的には正確ではないだろうが、明治時代〜大正の政治についての世間一般の評論での「右翼」「左翼」は、たいていの場合、征韓論争の結果湧き上がった自由民権運動で有名な板垣退助の政党(※現在の自由民主党の前身)やその流れを組む門派・頭山満などを「中道」とみなし<ref>1881年10月4日板垣退助の演説会の前日、「閣下(板垣)を江藤、西郷の徒と同一視」していた旧高田藩士族が板垣を訪ね、その立憲政体論を聞いて「全く尊王愛国の忠実に出ることを知り」感銘を受けた。(『高知新聞』1881年10月22日号より)</ref>、それに対立したとされる政党(伊藤博文などの政党)を右翼的であると見なす場合が多い。
 
また、外国も含めると、各国ごとに「右翼」の政策と「左翼」の政策が日本とは違う場合もある。
 
:冷戦中のソビエト連邦では、軍事力の強化こそが、世界の社会主義革命に必要だとされていた。(ソ連は共産党の一党独裁なので、ソ連内でソビエト共産党が左右のどちらなのかは、考えないとする。)一方、冷戦当事の日本では、軍事力をあまり保持しない事こそが平和主義であり左翼思想であるとされ、そのような平和主義は、平等を唱える社会主義との組み合わせが良いとされた。
 
:また、日本の戦後(第二次大戦後)の右翼はアメリカと協調的であるが、しかしアメリカ文化を日本に取り入れることで、そのぶん、日本の旧来の文化や伝統を、日本人が目にする機会も少なくなっただろう。また、第二次大戦中を思い起こせば、アメリカは「鬼畜米英」などと言われ、当事の日本で右翼とされる政治運動から見れば、アメリカが敵だった時代もある。
 
その他、日本の戦時中の政治体制は治安維持法による言論の抑圧などから、ふつう軍国主義(「右翼」)とされる。しかし、経済政策はソ連の五か年計画の影響を強く受けていた(参考:[[w:革新官僚]])。
 
その他、近年のヨーロッパの環境政策では、例えば、ドイツの[[w:同盟90/緑の党|緑の党]]は、結成時には右翼的な環境保護グループが中心となっていたが、のちに学生運動出身の左派グループが合流して成立した(ただし、後に右翼的なグループは党を離脱する)。
 
=== 軍事力に対する考え方 関して===
このように、右翼と左翼が必ずしも対立するわけではなく、場合によってはお互いに協力することさえある。特に右翼と左翼とで考え方が対立することが多いのは、軍事力や民族についてである。
==== 右翼 ====
右翼の場合、21世紀の現代の政治では(日本だけではなく多くの外国でも)、もし(外国からの侵略などに対抗する防衛戦争などで)軍事力が必要とあらば軍事力の行使も躊躇(ちゅうちょ)しない、というような思想を持つことが多い。もしくは、自国に軍事力があることで自国への侵略戦争を回避できるので、自国の軍事を肯定的に扱おう、という立場である。「右翼」は、他の思想よりも、自国の戦争への参加を想定している。
 
==== 左翼 ====
=== 軍事力に対する考え方 ===
左翼は、21世紀の現代の日本の政治や国際政治では、なるべく平和的に話し合うことで解決しよう、という立場である。そして、軍事力を最小限とする(または撤廃する)ことでこちらから攻め込まないことをアピールする一方、軍事力以外の力や手段で交渉を有利に進めようとする。そして、「軍事力に頼らない安全保障政策こそが、戦争を回避するのだ」という立場である。
==== 右翼 ====
右翼の場合、21世紀の現代の政治では(日本だけではなく多くの外国でも)、もし(外国からの侵略などに対抗する防衛戦争などで)軍事力が必要とあらば軍事力の行使も躊躇(ちゅうちょ)しない、というような思想を持つことが多い。もしくは、自国に軍事力があることで、自国への侵略戦争を回避できるので、自国の軍事力を肯定的に扱おう、という立場である。
 
どちらにせよつまり右翼左翼は、安全保障に関して思想よりも政策が自国反対戦争への参加を想定し立場になっている。
 
==== 左翼 ====
左翼は、21世紀の現代の日本の政治や国際政治では、なるべく平和的に話し合うことで解決しよう、という立場である。そして、軍事力を最小限とする(または撤廃する)ことでこちらから攻め込まないことをアピールする一方、軍事力以外の力や手段で交渉を有利に進めようとする。そして、「軍事力に頼らない安全保障政策こそが、戦争を回避するのだ」という立場である。
 
つまり、右翼と左翼は、安全保障に関しての政策が、反対どうしの立場である。
 
ただし、以上の説明は、あくまで21世紀の現在の日本での「左翼」の傾向である。
 
20世紀以前では、左翼の外交方針は、必ずしも戦争回避ではない。フランス革命などを考えれば、革命派である左翼こそが、周辺の王権主義の国家との戦争を躊躇(ちゅうちょ)しなかった、そうい時代もあるだろう
 
また、冷戦中は、社会主義が左翼とされたが、しかし外国のいくつかの国で、社会主義を実現するためには武力的な革命すらも躊躇しない(キューバなどの社会主義国の革命)という考えや運動もあった。
 
また、その社会主義国のソ連は、同じく社会主義国の中華人民共和国と国境紛争などの戦争をしていた時代もある(1969年の中ソ国境紛争)。
 
===民族観===
 
=== 民族観 =右翼====
==== 右翼 ====
「右翼」の場合、自国の民族の伝統や歴史を重視し、それらを守っていこうというのが、現代の立場である。そして、個人は民族的な文化と伝統によって育まれ、価値観や人生観も民族の独自のものが作られていることを重視する考え方をもつ。そのため、一人一人の個性よりも、民族や国民が持つ大まかな特徴を重視する。
 
こうした民族観は民族自決・植民地からの独立運動をうながしていった一方、自民族が他民族に対して<ruby>優越<rt>ゆうえつ</rt></ruby>すると考える極端な思想も作り出した。
 
==== 左翼 ====
「左翼」の場合、現代では、ナショナリズムが戦争につながっていったことに対する反省から、自国の民族を中心に考えるよりも互いに尊重しようという立場をとることが、多い。また、民族もまた変化するものであり、個人ごとの差があることを重視するため、「Aという民族はBである」というような[[w:ステレオタイプ|ステレオタイプ]]な民族観には自民族のものも含めて否定的である。
 
===ちょっとした冗談===
ところでこの事を考えてる時に現編集者が思いついた、戯れ、冗談なんですが、あくまでもお遊びの戯言に過ぎないので、あまり本気にして怒ったりして欲しくないのですが、結局、保守対革新って、ヒトラー対スターリンなんじゃあないの?なんて思ったことはあるね^^;。
 
== 「保守」と「革新」 ==