「ウィキペディアの書き方/困ったときは」の版間の差分

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*日頃から人付き合いを作っておく
*自分が「まともな」ウィキペディアンであることを内外に示す
 
=== ウィキペディアと正義 ===
''「[[w:Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか|Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか]]」、「[[w:Wikipedia:中立的な観点|Wikipedia:中立的な観点]]」も参照''
 
ウィキペディアは利用者の自由な参加を認めるオープンな百科事典ですが、「書き方のルール」に厳しいところです。正しい情報を書いたり、間違いを修正する場合でも書き方のルールを尊重する必要があります。逆に言えば、'''どれだけ正しい内容であってもルールに従っていない場合は取り消される場合がある'''ということです。
 
そのルールとはひと言で言えば、「'''人の言葉を使って、事実だけを書く'''」ということです。ウィキペディアは本などの資料から事実だけを抜き出し、それらを再構成して書くという極めて特殊な方法で編集されています。これは利用者が自由に参加してつくるオンライン百科事典が正確さを確保していくための、最低限のルールなのです。
 
驚く方もいるかもしれませんが、ウィキペディアの記事はある意味で無味乾燥とした「情報の集合体」です。そこには「意見」や「感想」は含まれていません。ウィキペディアには「文学」と呼ばれる記事も存在しますが、それらは筆者の文章力によってそう見せているものであり、筆者は「無味乾燥とした」ウィキペディアのルールをしっかりと守って記事を執筆しています。
 
この点でウィキペディアは自分の意見を自由に書き込めるブログや、自分たちで調査を行うジャーナリズムのようなメディアとは根本的に作りが異なるものであり、何らかの思想や主義を「主張する」ことはできない場所であるということはご理解いただきたく思います。
 
ただ、ウィキペディアも人が作るものである以上、偏る可能性は十分にあります。現に、ウィキペディアの記事内容が特定の視点や思想に偏っているということはたびたび指摘されていることです。
 
ウィキペディアがこの問題にどう取り組んできたかは「Wikipedia:中立的な観点」に記されています。ウィキペディアでは三つの方針の一つとして「中立性」を掲げており、信頼できる情報源から重要な観点を見つけ出して各観点の重要さに応じて公平に描写することで、なるべく偏りを防ぐよう利用者に求めているのです。
 
ただ、この世に唯一絶対の「中立」などというものは存在しないことはご存じのとおりです。世の中には多くの考え方があり、誰かにとっての左は誰かにとっての右なのです。このことを究極的に解決する方法はないと思われます(あればとっくに世界は平和になってますよね)
 
結局は多くの経験から得られた知恵をもとに、偏りをなくすように気を付けるというある意味で当たり前の解決策しかなく、ウィキペディアには記事内容の偏りを見つけたらウィキペディアのルールに沿った形で修正したり、より中立的な内容を求めて利用者間で粘り強く話し合いを行うといった地道な努力が求められています。そのためにも良識ある多くの利用者の参加が待たれるところです。
 
== いざという時の心構え ==
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==== 宣伝・中立性 ====
ウィキペディアでは宣伝が禁止されており、記事が「宣伝」と見なされると削除の対象になることがあります。特に人物や企業、商品に関する記事を書くときには気を付けましょう。中立的な表現を使い、できるだけ当事者(記事の題材となる企業など)以外によって作られた資料を出典として使うように心がけるとよいと思います。
 
=== ウィキペディアとニュース ===
[[Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは新聞ではありません|Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか]]、[[Wikipedia:独立記事作成の目安#NR|Wikipedia:独立記事作成の目安]]、[[Wikipedia:削除の方針#削除対象になるもの|Wikipedia:削除の方針]]、[[Wikipedia:削除の方針#ケース_B-2:プライバシー問題に関して|ケース B-2:プライバシー問題に関して]]、[[Wikipedia:ガイドブック 著作権に注意]]、[[Wikipedia:合意形成]]、[[Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない]]なども参照
 
ウィキペディアには多くの情報が載っており、事件について載ることも多いです。ただ、ウィキペディアはニュースや事件のようないわゆる「時事ネタ」を載せることに消極的なところがあります。
 
まず、ウィキペディアは「百科事典」です。図書館の書棚の上のほうに鎮座していたりする、アレです。ウィキペディアの目指しているのは新聞のような「早い」メディアでも週刊誌のような「面白い」メディアでもなく、評価の定まった物事をしっかりした資料をもとに描いていく「'''スローで堅実なメディア'''」なのです。
 
新しい情報は信憑性が分からないものや流動的なものも多いため、軽く見られる傾向があります。例えば災害の被害状況は刻々と変化していきます。ちょこちょこ書き足してもいいのですが、そういうのはあまり歓迎されません。
 
次に法的リスクの問題があります。ウィキペディアでは日々様々な「仕事」が行われていますが、これらはボランティア(ウィキペディアン)によって行われています。実は、ウィキペディアを運営しているのは企業ではありません。運営主体は「ウィキメディア財団」というアメリカの財団で、本部はサンフランシスコにあります。またウィキペディアは「国」ではなく「言語」ごとに分かれています。要するに日本語版ウィキペディアはアメリカの財団が運営するウェブサイトの一部で、日本語を使えるウィキペディアンが自主的に管理しているという関係です。
 
こういう関係なので、令和3年現在、日本国内にはウィキペディアを管理する法人はありません。これは何かあった時に「組織」としてウィキペディアンを守れないということでもあります。万が一にも報道に間違いがあって相手から訴えられた場合、いざとなったら利用者個人に莫大な法的リスクが降りかかる危険性があります。そのため法的リスクには慎重にならざるを得ないのです。なので具体的には'''名誉棄損、プライバシーの侵害、著作権侵害についてはウィキペディアンは非常に厳しい'''です。'''法的リスクが高いと判断された場合には、たとえ内容が事実であっても情報を消去する場合があります。'''
 
あとは情報のバランスの問題です。大量の情報を追加したり記事の構成を変えてしまうと「記述のバランスを乱した」と見なされて情報が消去される場合があります。たとえば、ある地域に関する記事で「概要、歴史、地理、人口、施設」などの中に「〇〇町で交通事故があった」的な記述が、それも大量に入ってくるとどうでしょうか。「概要、歴史、地理、人口、〇〇町で起きた交通事故(大変でした。場所は〇〇町のファミマ。事故の顛末は……(中略)……)、施設」となると、明らかにバランスが狂ってくるのが分かると思います。では適切なバランスとは何か、具体的にどう記述のバランスをとるか、という問いに決まった答えはありません。「ケースごとに話し合って決める」というのがウィキペディアのルールです。このあたりがウィキペディアのややこしい部分でもありますが、不特定多数が協力して作業を行う上で必要なルールとされています。
 
=== いわゆる「ウィキ直し」について ===
''[[Wikipedia:検証可能性#通常は信頼できないとされる情報源|Wikipedia:検証可能性]]、[[Wikipedia:存命人物の伝記#本人による編集の扱い|Wikipedia:存命人物の伝記]]、[[Wikipedia:信頼できる情報源#オンラインや自己公表された情報源の利用|Wikipedia:信頼できる情報源]]なども参照''
 
最近、芸能人やユーチューバーの方がウィキペディアを修正する企画(以下「ウィキ直し」)を行われることが増えています。ウィキペディアに情報を書き込んで下さることはいい事である反面、トラブルが多いのも現状です。
 
なぜ問題が起きるかというと、「'''動画や放送はウィキペディアの情報源として使えないから'''」です。現在のウィキペディアのルールでは、ウィキペディアの情報源は最低限「文字」である必要があります。たとえ本人の言葉であっても、動画をもとにしてウィキペディアの記事を編集することはできません。
 
ただファンの方はそんな編集方針をご存じない方も多いので、動画を基に書き込みを行います。一方、ウィキペディアンは事前に企画について知らないことが多いので、突然の無出典での書き込みに対して「荒らし対応」として出動することになります。書き込んだ情報は消去され、書き込みを行った方々は「荒らし」としてブロックされる可能性もあります。
 
こうしてウィキペディアには情報が書き込まれず、ウィキペディアンは業務が増え、ファンの方は荒らし扱いされてダメージを受けるという状況が発生します。なので、現状「ウィキ直し」を「ウィキペディアの風紀を乱すもの」と考えている利用者は多いです。また、芸能人の記事そのものをよく思っていない利用者も元々いることはご理解いただきたいと思います。芸能事務所やユーチューバーの皆さんにとっても、ファンの方が迷惑を被ることは本意でないはずです。
 
また、そもそもウィキペディアは不特定多数が更新していくものなので、書き込んだ情報が将来的に書き換えられたり、消える可能性があることはご理解いただきたく思います。特に、ウィキペディアのルールに反する投稿は削除されます。
 
それでも「ウィキ直し」を行われる場合、お手数ですが最低限「文字」の資料を巻き込んでいただきたいと思います。「この本で書いた」「~新聞で話した」と言及されてもいいですし、ブログやツイッターであっても文字資料にしていただけると一応情報源にすることができます。また、できれば情報源が必要なこと、著作権に厳しいこと、複数アカウントは禁止されていることなど、ウィキペディアのルールについて最低限でよいので告知していただけたらと思います。
 
=== ウィキペディアと正義 ===
''「[[w:Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか|Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか]]」、「[[w:Wikipedia:中立的な観点|Wikipedia:中立的な観点]]」も参照''
 
ウィキペディアは利用者の自由な参加を認めるオープンな百科事典ですが、「書き方のルール」に厳しいところです。正しい情報を書いたり、間違いを修正する場合でも書き方のルールを尊重する必要があります。逆に言えば、'''どれだけ正しい内容であってもルールに従っていない場合は取り消される場合がある'''ということです。
 
そのルールとはひと言で言えば、「'''人の言葉を使って、事実だけを書く'''」ということです。ウィキペディアは本などの資料から事実だけを抜き出し、それらを再構成して書くという極めて特殊な方法で編集されています。これは利用者が自由に参加してつくるオンライン百科事典が正確さを確保していくための、最低限のルールなのです。
 
驚く方もいるかもしれませんが、ウィキペディアの記事はある意味で無味乾燥とした「情報の集合体」です。そこには「意見」や「感想」は含まれていません。ウィキペディアには「文学」と呼ばれる記事も存在しますが、それらは筆者の文章力によってそう見せているものであり、筆者は「無味乾燥とした」ウィキペディアのルールをしっかりと守って記事を執筆しています。
 
この点でウィキペディアは自分の意見を自由に書き込めるブログや、自分たちで調査を行うジャーナリズムのようなメディアとは根本的に作りが異なるものであり、何らかの思想や主義を「主張する」ことはできない場所であるということはご理解いただきたく思います。
 
ただ、ウィキペディアも人が作るものである以上、偏る可能性は十分にあります。現に、ウィキペディアの記事内容が特定の視点や思想に偏っているということはたびたび指摘されていることです。
 
ウィキペディアがこの問題にどう取り組んできたかは「Wikipedia:中立的な観点」に記されています。ウィキペディアでは三つの方針の一つとして「中立性」を掲げており、信頼できる情報源から重要な観点を見つけ出して各観点の重要さに応じて公平に描写することで、なるべく偏りを防ぐよう利用者に求めているのです。
 
ただ、この世に唯一絶対の「中立」などというものは存在しないことはご存じのとおりです。世の中には多くの考え方があり、誰かにとっての左は誰かにとっての右なのです。このことを究極的に解決する方法はないと思われます(あればとっくに世界は平和になってますよね)
 
結局は多くの経験から得られた知恵をもとに、偏りをなくすように気を付けるというある意味で当たり前の解決策しかなく、ウィキペディアには記事内容の偏りを見つけたらウィキペディアのルールに沿った形で修正したり、より中立的な内容を求めて利用者間で粘り強く話し合いを行うといった地道な努力が求められています。そのためにも良識ある多くの利用者の参加が待たれるところです。
 
=== 関連文書 ===