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:大和政権は、東西に兵を出して、日本の「くに」を一つにまとめようとします
:5世紀後半に作られたと見られる埼玉県の{{ruby|稲荷山|いなりやま}}古墳から見つかった{{ruby|鉄剣|てっけん}}には、「ワカタケル大王」という名がきざまれた文が発見されました。この文から、この地方の王は、ワカタケル大王に使えていたことがわかります。また、熊本県の {{ruby|江田船山|えだふなやま}}古墳 にも、一部が読めなくなっていましたが、「ワ□□□ル大王」という同じ名の刻まれた鉄刀があり、ワカタケル大王の支配する領域が、関東地方から九州までの広い範囲におよんでいたことがわかります。このことから、大和政権は、5世紀後半から6世紀前半にかけて、日本を統一したのではないかと考えられています。
:<span id="南北">5世紀に入ると中国はやや安定し、南北に王朝ができ、より安定した南の王朝に日本が使者を何度も送ったことが記録されており</span>、これを送ったのは大和政権の{{ruby|大王|おおきみ}}(天皇)であろうとされています。
;「くにづくり」についての日本神話
:日本に、文字(漢字)が伝えられたのは、4世紀後半から5世紀前半にかけてであろうとされています。伝説では、朝鮮半島から渡ってきた{{ruby|王仁|わに}}が伝えたとされていますが、その前から、ある程度の読み書きはできていたと考えられますし、1人の伝えたもので、文字が伝わるものでもありません。おそらく、朝鮮半島から、漢字を読み書きできる集団が移住してきて大和朝廷につかえたことの、{{ruby|象徴|しょうちょう}}だと考えられます<ref>実際に、王仁の子孫とされる{{ruby|西文|かわちのふみ}}氏は、朝廷に{{ruby|史|ふひと}}という書記の役職で朝廷につかえます。</ref>。
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