「小学校社会/6学年/歴史編/歴史の流れをつかもう」の版間の差分

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: 平城京に都のあった時代を「'''奈良時代'''」と言います。
 
== [[小学校社会/6学年/歴史編/貴族の文化-平安時代|貴族の文化-平安時代]] ==
<!--平安京遷都から概ね平安時代--><!--(ウ) 貴族の生活や文化を手掛かりに,日本風の文化が生まれたことを理解すること。-->
★時代区分:平安時代</br>
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=== 武士の誕生 ===
: 全国の農地の多くが荘園となり、税収が減ったため朝廷による治安の取り締まりは十分ではなくなりました。荘園領主らは、自ら武装したり、武装した者をやとうなどして、自衛しました。これが、'''武士'''の始まりです。平安時代の中期頃から朝廷と対立し各地で反乱が起きたりします。この反乱をしずめるのも、やはり武士でした。
== [[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代|武家社会の始まり-鎌倉時代]] ==
<!--保元平治の乱あたりから元寇まで、鎌倉時代--><!--(エ) 源平の戦い,鎌倉幕府の始まり,元との戦いを手掛かりに,武士社会による政治が始まったことを理解すること。-->
★時代区分:鎌倉時代</br>
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=== 元寇 ===
: そのころ、モンゴルがはげしい勢いでユーラシア大陸全土にわたって勢力範囲を広げており、中国には「'''元'''」という国を打ち立てていました。元は朝鮮半島も領土とし、さらに日本に攻め入りました('''{{ruby|元寇|げんこう}}''')。執権'''北条時宗'''は、全国の御家人や武士を集め、これを撃退しました。しかし、幕府は得るものがなかったので恩賞を十分に与えることができず、各地の武士に不満が残りました。
== [[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代|室町文化の誕生-室町時代]] ==
<!--室町時代−主題は文化史--><!--(オ) 京都の室町に幕府が置かれた頃の代表的な建造物や絵画を手掛かりに,今日の生活文化につながる室町文化が生まれたことを理解する こと。-->
★時代区分:建武の新政、南北朝時代、室町時代(前期)</br>
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: 南北朝の争いは、第三代将軍'''足利義満'''のときに、南朝が降伏しおさまります。義満は、その他有力な守護大名を押さえるなどして、戦乱の世をおさめ安定した世の中を実現します。また、中国の「'''{{ruby|明|みん}}'''」に使いを送り、貿易を開始します('''勘合貿易''')。この貿易から、日本に大量の貨幣('''永楽通宝''')が流入し、商業が盛んとなるきっかけになりました<!--貨幣経済が発展した-->。
: 義満は、京都北山に別荘「'''金閣'''」を建てました、また、第八代将軍'''足利義政'''は東山に「'''銀閣'''」を建てました。これらのつくりには、ふすまや畳、違い棚と言った現在の和風建築に生かされているものを見ることができます。義満は、'''観阿弥'''・'''世阿弥'''といった'''能楽'''の始祖を保護し、能楽とそれからわかれ出た'''狂言'''は日本の演劇のみなもととなります。この時代は、京都だけではなく、守護大名の治める地方都市でも文化が花開くようになります。'''水墨画'''の'''雪舟'''はこの時期の代表的な芸術家ですが、守護大名大内氏のもと、現在の山口市などで活躍しました。
== [[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代|戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代]] ==
<!--戦国時代から織豊時代--><!--(カ) キリスト教の伝来,織田・豊臣の天下統一を手掛かりに,戦国の世が統一されたことを理解すること。-->
★時代区分:戦国時代(室町時代後期)、安土桃山時代</br>
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: 晩年、秀吉は、大陸進出を望んで、全国の大名に命じて朝鮮に兵を進めました('''朝鮮出兵''': 文禄・慶長の役)。しかし、朝鮮の強い抵抗と、明の援軍にあい、侵攻が進まないなか、秀吉が死去し朝鮮出兵は撤退しました。
: 秀吉死後、最も強力な大名'''徳川家康'''は、敵対する豊臣家家臣石田三成らと、東軍(家康側)と西軍(三成側)に分かれ関ヶ原で戦い('''関ヶ原の戦い''')、これに勝利します。政権は豊臣氏から徳川氏に移ります。
== [[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ|江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ]] ==
<!--徳川幕府の成立、江戸時代初期(概ね島原の乱あたりまで)--><!--(キ) 江戸幕府の始まり,参勤交代や鎖国などの幕府の政策,身分制を手掛かりに,武士による政治が安定したことを理解すること。-->
★時代区分:江戸時代初期</br>
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:秀吉の刀狩によって、武士の身分(士分)と民衆が明確に分けられましたが、江戸幕府はそれを引き継ぎ、「'''士農工商'''」という身分制を確立しました。<!--なお、以前は、身分がこの順にあったと言われていましたが、現在では「士分」とその他は身分差があるが、「農工商」には身分の差がなかったというのが定説となっています。-->また、人の移動は厳しく制限され、各地に関所がもうけられ、ここを通るのに通行手形が必要でした。
:キリスト教は秀吉の時代に禁じられましたが、江戸幕府においても禁じられました。一方で、ポルトガルなどとの貿易は港を限定しながらも続いており、そこで宣教師との行き来があったとされます。そんな中、九州の天草・島原で大規模なキリスト教徒による反乱('''島原の乱''')が起きました。これがきっかけとなって、幕府は、島原の乱の翌年に、貿易の相手を、キリスト教の布教には熱心でない'''オランダ'''だけに限って、さらに、長崎の'''出島'''だけでこれを認めることになりました。これを、'''{{ruby|鎖国|さこく}}'''と言います。
== [[小学校社会/6学年/歴史編/江戸時代の文化-江戸時代Ⅱ|江戸時代の文化-江戸時代Ⅱ]] ==
<!--江戸時代中期−主題は文化史(元禄文化、化政文化など)--><!--(ク) 歌舞伎や浮世絵,国学や蘭学を手掛かりに,町人の文化が栄え新しい学問がおこったことを理解すること。-->
★時代区分:江戸時代中期</br>
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:鎖国をしているので、ヨーロッパの文化には直接触れることはできなかったのですが、オランダ語の書物を出島をとおして、手に入れることができ、これを訳して読むことで、当時急速に進みつつあったヨーロッパの科学に触れることができました。このような学問を'''蘭学'''と言います。'''杉田玄白'''らはオランダ語の医学書を翻訳して『'''解体新書'''』をあらわしました。
:'''伊能忠敬'''は、天文学や測量術を学んだ他、独自に測量方法を工夫し、日本全国を訪れ、正確な日本地図を作りました。
== [[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代|明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代]] ==
<!--黒船来航から倒幕、明治政府成立までー幕末から明治時代初期 (ケ) 黒船の来航,廃藩置県や四民平等などの改革,文明開化などを手掛かりに,我が国が明治維新を機に欧米の文化を取り入れつつ近代化を進めたことを理解すること。-->
★時代区分:幕末、明治維新、明治時代前期</br>
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: 幕府が倒れた後、薩摩藩の'''西郷隆盛'''、'''大久保利通'''、長州藩の'''木戸孝允'''らの働きによって'''明治天皇'''を中心とした新政府がつくられました('''王政復古''')。明治天皇の名による'''五箇条の御誓文'''が発布され新政府の方針がしめされ、様々な改革に取り組みます。元号が「'''明治'''」に改められたことをうけて、この改革を「'''{{ruby|明治維新|めいじいしん}}'''」といいます。新政府は幕府だけでなく、藩も廃止し、政府が全国を直接治める形に変えました('''廃藩置県''')。また、'''四民平等'''をうたって、武士の特権を否定しました。新政府は、法律・裁判・軍隊・警察・税制・機械工業・鉄道・郵便・電信・学校・暦など数多い分野で、欧米を模範にした改革を行いました。
: これらの改革によって、たとえば、布地が安く手に入るようになったり、蒸気機関車で短時間で遠くまで移動できるようになるなど人々の生活は大きく便利に変わりました('''文明開化''')。また、身分制をなくしたので、生まれた家に関わらず、個人の努力によって政治をはじめとする社会のあらゆる分野にかかわることができるようになりました。このような社会にあった「自由」や「平等」など「権利」「人権」といった欧米の考え方が'''福沢諭吉'''などにより紹介されました。
== [[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代|国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代]] ==
<!--1889年前後から「国際的地位が向上」(1920年国際連盟成立 常任理事国入り)まで--><!--(コ) 大日本帝国憲法の発布,日清・日露の戦争,条約改正,科学の発展などを手掛かりに,我が国の国力が充実し国際的地位が向上したことを理解すること。-->
★時代区分:明治時代後期、大正時代</br>
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: 1914年にヨーロッパの国々を二分した'''第一次世界大戦'''が始まりました。日本は、イギリスやフランスの属する連合国に参加し、敵対する同盟国の一つであるドイツが租借する中国の{{ruby|青島|チンタオ}}や南太平洋の島々を占領しました。1919年戦争は連合国の勝利に終わり、翌年、平和を維持するための'''国際連盟'''が設立、日本は英仏などとともに常任理事国の一つとなりました。
: このころになると、日本の科学技術の水準も世界的なものになり、'''野口英世'''のように国際的な研究者がでてくるようになりました。
== [[小学校社会/6学年/歴史編/戦争への道と現代の民主国家日本の誕生-昭和から現在まで|戦争への道と現代の民主国家日本の誕生-昭和から現在まで]] ==
<!--(サ)日中戦争や我が国に関わる第二次世界大戦,日本国憲法の制定,オリンピック・パラリンピックの開催などを手掛かりに,戦後我が国は民主的な国家として出発し,国民生活が向上し,国際社会の中で重要な役割を果たしてきたことを理解すること。-->
★時代区分:昭和時代、平成時代、令和</br>