「小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代」の版間の差分

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:また、班田収授法が実施できた地域でも問題がありました。
:人口が増えると、新たなををわりあてるために新たに土地を{{ruby|開墾|かいこん}}しなければならないのですが、開墾しても朝廷の土地(公地)となるのでは誰も開墾しないと言うことです。
:朝廷は723年に開墾した土地は三世代(自分-子-孫 又は 子-孫-曾孫)にわたって私有を認める{{ruby|三世一身法|さんいっしんのほう}}を出して開墾を勧めますが、それでも十分ではなく<ref>三世代目で、朝廷におさめることになるので、耕作をやめて荒地にもどすようになりました。ただし、墾田永年私財法までの20年で三世代目になった例は少なかったのではないかといわれ、墾田永年私財法を求めた勢力がひろめた話とも言われています。</ref>、<span id="墾田永年私財法"/>743年{{ruby|墾田永年私財法|こんでんえいねんしざいほう}}が出され、新たに開墾した土地は、税は納めますが自分の土地として売ったり相続したりできることとなりました。
:墾田永年私財法で、積極的に開墾を行なったのは、貴族や大きな寺で、これらが勢力を持って「天皇中心」がゆらいでいくことになります。
 
== 脚注 ==
以下は学習の参考ですので覚える必要はありません。