「小学校社会/6学年/歴史編/貴族の文化-平安時代」の版間の差分

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==== 末法思想と浄土信仰 ====
:仏教に、釈迦の教えが絶えて、世の中が乱れると言う「{{ruby|末法思想|まっぽうしそう}}」の予言があり、それは、11世紀半ばに来るとされていました。当時、世の中が乱れ始めていたこともあって、貴族も庶民もこれをおそれました。このような中で、広まったのが、{{ruby|阿弥陀仏|あみだぶつ}}に救いをもとめる{{ruby|浄土信仰|じょうどしんこう}}です。先にあげた藤原頼通による[[#平等院|平等院]]の建設も浄土信仰によるものです。庶民においては、{{ruby|阿弥陀仏|あみだぶつ}}をたたえることば「{{ruby|南無阿弥陀仏|なむあみだぶつ}}」をとなえることで、阿弥陀仏の救いを得ようとする{{ruby|念仏|ねんぶつ}}が普及し始めました。
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== 武士の誕生 ==
:平安時代のなかば10世紀頃には、班田収授法ができなくなり、また[[#荘園|荘園]]が広がってきたことで、朝廷の税収が減り、全国特に地方の安全を守ることが難しくなっていました<ref>律令制では、もともと警察や裁判は「{{ruby|刑部省|ぎょうぶしょう}}」「{{ruby|弾正台|だんじょうだい}}」という役所の役割でしたが、平安時代初期(9世紀)に「{{ruby|検非違使|けびいし}}」という役所ができて、その役所の役割となっていました。</ref>。また、[[#不入|荘園には朝廷の役人が入れないところもあり]]、{{ruby|治安|ちあん}}に不安がありました。そこで、荘園領主などは武装したものをやとって、または、農民とともに自ら武装して、治安を守るようになりました。これが'''{{ruby|武士|ぶし}}'''の始まりと考えられています。