「小学校社会/6学年/歴史編/貴族の文化-平安時代」の版間の差分

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[[ファイル:最澄像 一乗寺蔵 平安時代.jpg|thumb|180px|最澄像(国宝)]]
;最澄
:最澄も、平安京遷都の前から近江(滋賀県)の{{ruby|比叡山|ひえいざん}}で修行し、有名な僧でしたが、さらに研究しようと、空海と同じ遣唐使で唐にむかい、多くの今日お経などを持ち帰りました。その後、'''{{ruby|比叡山|ひえいざん}}'''に'''{{ruby|延暦寺|えんりゃくじ}}'''を建てます。最澄は空海ほど仏教の布教に熱心ではありませんでしたが、延暦寺には多くのお経などが伝えられ、僧にとって大学のような寺となり、後世、ここから多くの仏教指導者が生まれます。また、平安京に近いこともあり比叡山延暦寺は、その後大きな力を持つようになります。最澄の開いた宗派を{{ruby|天台宗|てんだいしゅう}}といい、やはり密教の宗派になります。
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==== 末法思想と浄土信仰 ====
:仏教に、釈迦の教えが絶えて、世の中が乱れると言う「{{ruby|末法思想|まっぽうしそう}}」の予言があり、それは、11世紀半ばに来るとされていました。当時、世の中が乱れ始めていたこともあって、貴族も庶民もこれをおそれました。このような中で、広まったのが、{{ruby|阿弥陀仏|あみだぶつ}}に救いをもとめる{{ruby|浄土信仰|じょうどしんこう}}です。先にあげた藤原頼通による[[#平等院|平等院]]の建設も浄土信仰によるものです。庶民においては、{{ruby|阿弥陀仏|あみだぶつ}}をたたえることば「{{ruby|南無阿弥陀仏|なむあみだぶつ}}」をとなえることで、阿弥陀仏の救いを得ようとする{{ruby|念仏|ねんぶつ}}が普及し始めました。