「中学校社会 歴史/戦国時代と安土桃山時代」の版間の差分

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== 戦国時代の到来 ==
=== 下剋上と戦国大名 ===
室町時代の後半は、応仁の乱がきっかけで各地に領土獲得のための争いが広がった。この室町時代後期の日本各地で戦乱があった時代を {{中付きルビ|2|戦国|せんごく|時代|じだい}}と言い、戦乱が続いた。応仁の乱で、守護大名が京都に出向いて兵を指揮していたころ、国もとに残っていた家臣らが実権をにぎるというということが起きた。他にも、各地で、身分が下の者が、守護大名に取って代わろうとして争い、大名になった者たちが現れ始めた。このように身分の下のものが身分が上の大名を倒して、新しく大名になることを{{Ruby|'''下克上'''|げこくじょう}}という。
 
そして、戦国時代の大名を'''戦国大名'''という。戦国大名の多くは、下克上によって、大名に成り上がった。
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逆に日本からの輸出では、銀や刀や茶などが輸出され、catana(「カタナ」、刀のこと)などのポルトガル語の由来になった。屏風がbiomboに、坊主がbonzoに、伝わった。
 
* 芸能
浄瑠璃(じょうるり)と歌舞伎(かぶき)
[[画像:Shitahaku_kejo.jpg|thumb|150px|三線(さんしん)]]
:* 三味線(しゃみせん)と浄瑠璃(じょうるり)
琉球から 三味線(しゃみせん)のもとになる三線(さんしん)が日本に伝わった。日本で 三味線(しゃみせん)として発展した。民衆のあいだでは、三味線の音色に合わせて、人が物語をかたるのを見て楽しむ浄瑠璃(じょうるり)が流行る。この浄瑠璃は、さらに発展し、人の代わりに人形を使う人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)へと発展した。
 
[[File:Izumo no Okuni.jpg|thumb|left|出雲(いづも)の阿国(おくに)。歌舞伎踊り。(かぶき おどり)で、念仏踊りをしている。 『国女歌舞伎絵詞』(くにじょ かぶきえ ことば)]]
:* 歌舞伎(かぶき)
:「出雲(いづも)の阿国(おくに)」という女が始めた歌舞伎踊り(かぶき おどり)が人気(にんき)になる。出雲とは、今でいう島根県。当時は異様な服装や行いをすることを「かぶく」(傾く)と言っていた。
 
のちの江戸時代には歌舞伎は演劇となっていき男だけが歌舞伎を行うことになるが、この安土桃山時代には女が歌舞伎踊りをしていた。
衣服では、小袖(こそ
 
衣服では、小袖(こそで)が普及していった。木綿(もめん)の衣服が、麻にかわって一般的になった。民家の屋根には瓦屋根(かわら やね)の様式が京都などでは増えていった。
 
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