「小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代」の版間の差分

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:*:このころになると、日本でも、漢字を使える人たちが相当に増え、そういう人の中から、漢字一文字の音を日本語の音に当てるという工夫が生まれ一般的になってきました。この工夫から、日本語の{{Ruby|詩歌|しいか}}である{{Ruby|和歌|わか}}が文字で記録できるようになりました。こうして記録した和歌をまとめた{{Ruby|万葉集|まんようしゅう}}が759年ごろに{{Ruby|編纂|へんさん}}されました。貴族だけでなく、農民など様々な身分の者が作ったと思われる和歌も{{Ruby|収録|しゅうろく}}されており、合計で4500首の歌が収録されています。このため、当時の庶民の生活の様子がよくわかったりします。
:*:また、このような、漢字で日本語の音を表す工夫を{{Ruby|万葉仮名|まんようがな}}<span id="万葉仮名"/>といい、後世の{{Ruby|仮名|かな}}(ひらがな、カタカナ)の源流となります。
:*'''{{ruby|和同開珎|わどうかいちん}}の{{ruby|鋳造|ちゅうぞう}}'''<span id="和同開珎"/>[[File:Wadōkaichin found at Sūfuku-ji Temple Site TNM front.jpg|thumb|150px|和同開珎(東京国立博物館所蔵)]]
:*:平城京完成前の708年、日本で初めて<ref>それ以前に「'''{{ruby|富本銭|ふほんせん}}'''」という貨幣があったという説がありますが、反対意見も強く決着していません。</ref>の{{ruby|貨幣|かへい}}(お金)「'''{{ruby|和同開珎|わどうかいちん}}'''<ref>{{ruby|珎|ちん}}を「{{ruby|寶|ほう}}(「宝」の旧字体)」の略字とみて「わどうかいほう」と読む説もあります</ref>」が{{ruby|鋳造|ちゅうぞう}}<ref>金属をとかして、型に流しこんで、製品を作ること。</ref>されました。
:*:貨幣(お金)ができるまでは、[[小学校社会/6学年/歴史編/歴史の始まり#市|{{ruby|市|いち}}]]などで、欲しいものがあって、それを手に入れるには、米などを代わりに渡さなければなりませんでした('''{{ruby|物々交換|ぶつぶつこうかん}}''')。物々交換は、相手が欲しいものを持っていないと成立しません。また、野菜や果物、魚などは大量に手に入れても傷んだり腐ったりするので、長期間保管できませんし、工芸品はそれを保管する場所が必要になるところ、貨幣(お金)の場合、農作物などを大量に手に入れた時に売って貨幣(お金)で残しておけば、別の機会に、物を買うのに使えますから無駄がありません。
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[[File:Daibutsu of Todaiji 3.jpg|thumb|left|250px|東大寺の大仏]]
 
=== 仏教の興盛 ===
[[File:Emperor Shomu Face.svg|thumb|180px|聖武天皇]]