「小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代」の版間の差分

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:こうした生活の変化は、仏教にも及びます。平安時代には、空海の真言宗は民衆への布教は熱心でしたが、他の宗派は貴族相手であったり、学問に専念するものばかりでした。そのような中、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、武士や庶民の生活が活発になってくると、その人々に受け入れられる仏教の宗派が、比叡山で学んだ僧からでてきました。
:;浄土教
::11世紀に[[小学校社会/6学年/歴史編/貴族の文化-平安時代#末法思想と浄土信仰|{{ruby|末法|まっぽう}}の世の中が来る(末法思想)のに対して{{ruby|阿弥陀仏|あみだぶつ}}に救いを求めるという{{ruby|浄土|じょうど}}信仰が起こりました]]。末法思想自体は下火になったのですが、{{ruby|法然|ほうねん}}は「{{ruby|南無阿弥陀仏|なむあみだぶつ}}」と'''{{ruby|念仏|ねんぶつ}}'''をとなえるだけで{{ruby|極楽|ごくらく}}浄土にいけると説き、これが、広く武士や庶民に受け入れられました。法然の弟子{{ruby|親鸞|しんらん}}は、さらにその考えをすすめ、修行や善行といったものではなく、念仏をとなえることだけが救済のみちとときました。{{ruby|一遍|いっぺん}}は、全国をめぐり、主に庶民を相手にわかりやすく教えました。一遍の念仏は「おどり念仏」と言われています<ref>盆踊りのルーツです。さらに、能や歌舞伎などの演劇につながっているとも言われています。</ref>。法然、親鸞、一遍らの教えは、それぞれ、'''{{ruby|浄土宗|じょうどしゅう}}'''、'''{{ruby|浄土真宗|じょうどしんしゅう}}'''<span id="浄土真宗"/>、'''{{ruby|時宗|じしゅう}}'''<span id="時宗"/>の宗派につがれました。
:;{{ruby|禅宗|ぜんしゅう}}<span id="禅宗"/>
::'''{{ruby|座禅|ざぜん}}'''を組んで無心になったり、常識にとらわれずに物事を深く考えたりして、{{ruby|雑念|ざつねん}}をのぞいて仏の道を追求するという{{ruby|禅宗|ぜんしゅう}}が宋から伝えられ、主に武士の支持をえました。{{ruby|栄西|えいさい}}は、鎌倉で活躍し、喫茶(お茶を飲む)習慣を伝え、'''{{ruby|臨済宗|りんざいしゅう}}'''を開きました。{{ruby|道元|どうげん}}は、ひたすら座禅を追求する'''{{ruby|曹洞宗|そうとうしゅう}}'''を開きました。