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★取り扱う年代:1467年(応仁の乱の開始)から1603年(江戸幕府の成立)まで
=== 戦国時代 ===
: 義政のころになると、守護大名は独立性幕府にたよらず領地を強力におさるようになり幕府統制が弱まりました。ま、各地では大名同士や国人同士での勢力争いも数多く見られるようになりました。特に、義政の後継者争いをきっかけにした'''応仁の乱'''以後は、幕府は各地の争いを止める力を失って大名間で競って領土を争うようになります。この時代を「'''戦国時代'''」と言います。
: 戦国時代にあっては、世襲の守護大名に対して、実力のある家臣などが大名の地位を乗っ取ることがしばしば見られました('''下克上''')。このように実力で大名となり、周囲の大名と争った大名を'''戦国大名'''と言います。また、長槍・投石など単純な兵器を軽装で扱う兵士('''足軽''')を大量に用いて集団でたたかうようになりました。特に、'''鉄砲伝来'''が、この戦い方に影響を与えました。
: 15世紀から、西ヨーロッパの国々、特に'''ポルトガル'''と'''スペイン'''は世界中に船を出して貿易を始めたり、新たな土地を発見したりしていました('''大航海時代''')。その中で、1543年種子島にポルトガル人が漂着し、鉄砲が伝えられました。日本への航路を発見したポルトガルとスペインは、日本では'''南蛮人'''と呼ばれ、各地の戦国大名などと貿易を行います('''南蛮貿易''')。また、'''フランシスコ・ザビエル'''が来日し、'''キリスト教'''を伝えました。
 
=== 安土桃山時代 ===
: 実力のある戦国大名が、周囲の戦国大名などを討ち取って、各地での統一が進んでいましたが、戦乱の世の中を治め日本全体を統一に向かわせたのは'''織田信長'''です。信長は、領地の商業を盛んにし財力を拡大し<!--検地の実施(生産力の把握)、楽市楽座、貨幣経済への指向(永楽銭の旗印)-->、身分に関わりのない人材の登用、鉄砲など新たな武器の使用などで、領国の現在の愛知県から京都周辺の近畿地方一帯を統一し、将軍を追放し室町幕府を滅ぼしました。しかし、家臣の明智光秀により殺され、光秀を討った'''豊臣秀吉'''が信長の天下統一を引き継ぎます。信長は滋賀県の安土に城をきずき政治を行い、それをついだ秀吉は京都の桃山城(現在の京都市伏見区)で政治を行なったので、この時代を「'''安土桃山時代'''」と言います。政治の中心は桃山(伏見)でしたが、秀吉は、豊臣家の城として'''大坂城'''(大阪城)をきずき、城下に大名屋敷や堺などの周辺の町々の町人を集めて、'''大坂'''(大阪)の町を築いて政治・経済の中心都市としました。