「小学校社会/6学年/歴史編/貴族の文化-平安時代」の版間の差分

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:さて、このように公領や荘園は{{ruby|名田|みょうでん}}という仕組みになったのですが、10世紀頃から、姓名とは別に、みずからの所領「{{ruby|名|みょう}}」に通称「{{ruby|字|あざな}}」をならべてよびかけることが広まっていきました。 例えば、武士の{{ruby|平良文|たいらのよしふみ}}という人は、{{ruby|相模|さがみ}}(現在の神奈川県)の{{ruby|村岡|むらおか}}というところの{{ruby|名主|みょうしゅ}}で、兄弟で5番目だったことから「{{ruby|村岡五郎|むらおかのごろう}}」と自称しました。このように、おさめた土地から、つけられた名前を「'''{{ruby|名字|みょうじ}}'''(苗字)」といい、「{{ruby|姓|せい}}」とともに「{{ruby|名|みょう}}」が一族の集まりを意味するようになります。これが、今の「'''みょうじ'''」の元になっています。今は「姓」と「みょうじ」は同じものですが、昔は別のものでした。
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:<span id="なのり"/>ここで、昔の人(平安時代末期から江戸時代まで)の名前が、どのようなものであったかをみてみましょう。以下は、次の章に登場する{{ruby|源頼朝|みなもとのよりとも}}の妻の父の名前です。
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| style="text-align:left" | 「名田」などに由来する「家」の名前です。
| style="text-align:left" | よく変わります。後の時代には官、役が入を持つなどす、通称で呼ぶのは失礼にたるため、しばしば官職で呼ぶようになります。
| style="text-align:left" | 奈良時代以前からの[[#貴族|貴族]]の一族の呼び名です。<br>「たいら'''の'''」や「ふじわら'''の'''」のように「の」が入ります。
| style="text-align:left" | 「本姓」ごとに定められた{{ruby|位|くらい}}です。