「小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代」の版間の差分

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==== {{ruby|倭寇|わこう}}と{{ruby|勘合貿易|かんごうぼうえき}} ====
[[File:Eiraku-Tsuho.jpg|thumb|150px|{{ruby|永楽通宝|えいらくつうほう}}]]
:中国では、14世紀に入ると、元の朝廷内が乱れ、国内各地で反乱が起きました。その反乱の中から{{ruby|朱元璋|しゅげんしょう}}が、元をモンゴルに退けて、1368年新しい王朝'''{{ruby|明|みん}}'''<span id="明"/>を建国しました。
:そのころ、中国や朝鮮半島の海岸部では、日本の船がしばしば貿易におとずれていましたが、この船は武装しており、時には沿岸部の村などをおそう{{ruby|海賊|かいぞく}}となっていました。これを、'''{{ruby|倭寇|わこう}}'''といいます。
:明は、王朝をひらくと、将軍に対して、[[小学校社会/6学年/歴史編/歴史の始まり#朝貢|{{ruby|朝貢|ちょうこう}}(みつぎものを皇帝に贈ること)]]と倭寇の取り締まりを求めてきました。義満は、これを了承し明との間に公式の貿易を行います<ref>[[小学校社会/6学年/歴史編/歴史の始まり#朝貢|前に書いたとおり]]中国の皇帝は、みつぎものを受け取るかわりにそのお返しに数倍の価値の品物を与えるという、贈る側にとって得な貿易です。このような貿易を{{ruby|朝貢貿易|ちょうこうぼうえき}}といいます。</ref>。明へ派遣した船が、幕府の船でわかるよう、日本と明でおたがい{{ruby|勘合符|かんごうふ}}と言われる{{ruby|割符|わりふ}}<ref>文字が書かれ印が押された、紙や板などを二つに分けたものをお互い持って、会ったときに、その二つがぴったり合うかどうかで、正当な相手であるかどうかの証拠とするもの。</ref>をもって航海したため'''{{ruby|勘合貿易|かんごうぼうえき}}'''と言われます。