「小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代」の版間の差分

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:*'''{{Ruby|太閤検地|たいこうけんち}}'''
:*:秀吉は、[[#検地|信長同様、新たに領地となった農地に対して検地を行いました]]。信長の時と違っているのは、信長の時は、土地の持ち主に申告させましたが、秀吉の場合、実際に役人を派遣して測量させました。この際、[[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#班田収授|班田収授以来使用し全国で乱れていた長さ・広さ・体積の単位]]を統一させました。これを、「{{Ruby|太閤検地|たいこうけんち}}」と呼びます。
:*:太閤検地により、土地の収穫高がわかるため、これを大名の財力の基準としました('''{{ruby|石高|こくだか}}制'''<span id="石高制"/>)。
:*:また、その土地を耕し、年貢を納める人が明確になったので、荘園は名実ともになくなりました<ref>公家は、荘園からの収入がなくなり、武家同様、知行からの収入のみとなりました。</ref>。
:*'''{{Ruby|刀狩|かたながり}}'''<span id="刀狩"/>
:*:秀吉は、信長の「[[#兵農分離|兵士の専門化]]」をさらに進め、1588年に、天下統一が進み、世の中が平和になったということで、{{Ruby|京都|きょうと}}の{{Ruby|方広寺|ほうこうじ}}に大仏を作るので材料の鉄が必要であるという理由で、武士ではない、農民から刀や{{Ruby|鉄砲|てっぽう}}などの武器を{{Ruby|没収|ぼっしゅう}}する命令'''{{Ruby|刀狩令|かたながりれい}}'''を出しました。逆に刀などを持ち続ける場合には、武士であって、農地を手放すということです。この刀狩で、武士とそうでない民衆は明確に区別されました。
<div style="margin:0 2em 0 4em">
{| class="wikitable" style="width:100%"
|'''{{Ruby|刀狩令|かたながりれい}}'''
:{{Ruby|百姓|ひゃくしょう}}が刀・やり・鉄砲などの武器をもつことを禁止する。ねんぐを出ししぶり、一揆をおこすものは、{{Ruby|厳|きび}}しく{{Ruby|罰|ばっ}}する。
:とりあげた刀は、大仏をつくるためのくぎなどにするから、百姓は仏のめぐみで、この世だけでなく、あの世でも救われるだろう。
|}</div>
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:*: 秀吉が、天下を統一したころには、キリスト教の信者('''キリシタン''')はかなり増えており、大名の中にも信者がいました(キリシタン大名)。しかし、各地で寺社との対立があったり、スペイン<ref name="スペイン"/>などの侵略のうわさなどもあり、宣教師(バテレン)を国外に追放し、キリスト教の布教を禁止しました。ただし、南蛮貿易は、そのまま継続しました。
{{-}}
 
== 脚注 ==
以下は学習の参考ですので覚える必要はありません。