「小学校社会/6学年/歴史編/江戸時代の文化-江戸時代Ⅱ」の版間の差分

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:鎖国のため、ヨーロッパの文化には直接触れることはできなかったのですが、[[#吉宗|第8代将軍吉宗]]は、キリスト教関連以外の書物に限って、オランダ語の書物の輸入を認めました。それ以降、これを訳して読むことで、当時急速に進みつつあったヨーロッパの科学に触れることができました。このような学問を'''{{Ruby|蘭学|らんがく}}'''と言います。
:医者の '''[[小学校社会/6学年/歴史編/人物事典‎‎#杉田玄白|{{Ruby|杉田玄白|すぎたげんぱく}}]]''' ・'''{{Ruby|前野良沢|まえのりょうたく}}'''らはオランダ語の医学書『ターヘル・アナトミア』を見て、実際に死体の解剖を行い、それが非常に正確に記述されていることを知って感心し、これを4年かけて翻訳して、1774年『'''解体新書'''』をあらわしました。このころは、まだ、オランダ語の辞書はなく、大変苦労した話を『{{Ruby|蘭学事始|らんがくことはじめ}}』に記しました。
:杉田玄白らと同じ時代の、{{ruby|平賀源内|ひらがげんない}}は、オランダ語の本から、「エレキテル」と呼ばれる、静電気を発電し蓄電する機械(起電気)を製作しました。
:蘭学は、現代の日本の科学にも大きな影響を残しています。
:{{ruby|宇田川玄真|うだがわげんしん}}は、『解体新書』よりもさらに詳しい医学書を翻訳し、それまで日本語の名前のなかった臓器である「{{ruby|膵臓|すいぞう}}」や「{{ruby|腺|せん}}(体液を出す器官)」について、「膵」や「腺」という感じを新しく作ってなづけました。玄真の養子である{{ruby|宇田川榕菴|うだがわようあん}}は、「化学」を紹介し、翻訳で「水素」、「酸素」、「窒素」、「元素」、「酸化」、「細胞」、「圧力」、「温度」、「結晶」、「沸騰」など現在でも使われている言葉を数多く作りました。
:関学は、こうして、当時急速に進んだヨーロッパの科学技術を日本に伝え、幕末には、新しい知識を持った人たちを送り出すのですが、これを研究する人はまだ少数で、世の中を変えるまでの影響はありませんでした。また、18世紀から19世紀にかけての「{{ruby|産業革命|さんぎょうかくめい}}」にオランダは少し遅れてとりくんだため、蒸気機関などその成果はほとんど入りませんでした。
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Kaitai shinsyo01.jpg|right|thumb|『解体新書』。とびら絵は『ターヘル・アナトミア』のとびら絵とはまったく{{Ruby|異|こと}}なっている。
Ontleedkundige Tafelen replica.jpg|thumb|『ターヘル・アナトミア』(複製)。
Elekiter replica.jpg|thumb|right|平賀源内作のエレキテル(複製)
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;学問の実践
:'''[[小学校社会/6学年/歴史編/人物事典‎‎#伊能忠敬|{{ruby|伊能忠敬|いのうただたか}}]]'''は、天文学や測量術を学んだ他、独自に測量方法を工夫し、日本全国を訪れ、正確な日本地図『{{Ruby|大日本沿海輿地全図|だいにほんえんかいよちぜんず}}』を作りました。
:{{ruby|華岡青洲|はなおかせいしゅう}}は、独自に{{ruby|麻酔薬|ますいやく}}の研究をし、1804年世界で初めて、全身麻酔での外科手術を成功させました。
;教育
:[[File:Bungaku-Bandai_no-Takara-Terakoya-School-by-Issunshi-Hanasato.png|thumb|right|寺子屋のようす。]]
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== 脚注 ==
以下は学習の参考ですので覚える必要はありません。<small>