「小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ」の版間の差分

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==== 江戸時代の北海道と沖縄 ====
:現在の北海道と沖縄県は戦国時代まで、朝廷の支配に服することもなく、今まで学習してきた日本の歴史と違う歴史を歩んできました。戦国時代後期になって、日本本土でもこの2つの地域との関係がもたれるようになります。江戸時代になると、北海道には、 {{Ruby|松前藩|まつまえはん}}がおかれ、沖縄は、{{ruby|薩摩|さつま}}藩を通じて本土と深く関係するようになりました。
; {{Ruby|北海道|ほっかいどう}}<span id="北海道"/>
:北海道は、日本人(和人)には、古くからそこにあることは知られていましたが、稲作かできる北の限界より北にあって、税をはじめとした、日本の生活をおくるのはむずかしい土地でした。そこには、今はアイヌ民族と呼んでいる人々が住んでいました。日本本土ではこの人々を、「'''えみし'''<ref>平安時代ころまでは東北地方で、朝廷に反抗する人々の意味で、アイヌ民族だけをさしたものではありませんでした。この当時、この人々を征服するために作られた役職が「[[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#将軍|征夷大将軍]]」です。</ref>」または「'''えぞ'''」(漢字はどちらも「蝦夷」という字を当てます)と呼んで、北海道のことは「{{ruby|蝦夷地|えぞち}}」と呼んでいました。
:平安時代の末期から、北海道の最南端に和人が住みはじめました。この人たちは主にアイヌの人たちと物々交換(交易)をしていました。アイヌからは、乾燥したサケ・ニシン・クマやキツネの皮・矢羽の原料とする鷹の羽・海草・木材を、和人はそれに替えて鉄製品・漆器・米・木綿などと交換していました。
:この、居住和人を取りまとめていた豪族の中から、{{ruby|蠣崎|かきざき}}氏が有力なものとなり、秀吉に領主としての地位を認められ、1599年居城の{{ruby|松前|まつまえ}}城から{{ruby|松前|まつまえ}}氏とあらため、家康によってアイヌとの交易は松前氏が独占することが認められました。松前氏はのちに大名としてあつかわれますが、大名で唯一、米の収穫高(石高)ではなく商品の取引量で大名の格が決まる藩でした。
:17世紀に入ると中国の北部から{{ruby|樺太|からふと}}島などをとおって中国の物品が入ってきて、アイヌの人々が和人に伝えましたが、交易の条件などで対立することもあり、17世紀の中ごろの'''シャクシャイン'''の反乱のように和人とアイヌの人々の間で争いが生ずることもありました。
;沖縄 - {{Ruby|琉球|りゅうきゅう}}王国<span id="琉球王国"/>
:現在の沖縄県にあたる地域は、歴史上ずっと日本民族が居住していたところですが、朝廷や幕府などの支配にはならない地域でした。
:14世紀頃から沖縄本島に小さな国が分立し明に朝貢していましたが、15世紀に統一され、{{Ruby|琉球|りゅうきゅう}}王国が誕生しました。