「小学校社会/6学年/歴史編/江戸時代の文化-江戸時代Ⅱ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
108 行
:幕府が公認していた学問は'''儒学'''のうち'''{{ruby|朱子学|しゅしがく}}'''と言われるものでした。家康は、朱子学の学者である{{ruby|林羅山|はやしらざん}}を重く用い、幕臣に朱子学を学ばせました。[[#綱吉|第5代将軍綱吉]]は、世の中が平和になったので、それまで武士は、何かと武力で解決しようとしていた(武断政治)のを、何が正しいかを議論することや法令によって解決できるよう(文治政治)、武士に儒学を学ぶよう命じました。林羅山の子孫は、代々幕府で学問の責任者となります。羅山のころは、私的な塾で教えられていたのですが、その塾をもとに、後に幕府は{{ruby|昌平坂|しょうへいざか}}{{ruby|学問所|がくもんじょ}}をつくります。
:朱子学は、各藩でも{{ruby|藩校|はんこう}}がつくられ、そこで教えられました。
;国学<span id="国学">
:[[File:本居宣長02.jpg|thumb|180px|本居宣長]]
:この時代、日本の古典についても研究が進み、'''{{ruby|国学|こくがく}}'''が成立しました。国学の成立に大きく貢献したのが'''[[小学校社会/6学年/歴史編/人物事典‎‎#本居宣長|{{Ruby|本居宣長|もとおりのりなが}}]]'''です。国学は、のちの「'''{{ruby|尊王攘夷|そんのうじょうい}}'''」の考えなどに影響します。
{{-}}
;蘭学<span id="蘭学">
:鎖国のため、ヨーロッパの文化には直接触れることはできなかったのですが、[[#吉宗|第8代将軍吉宗]]は、キリスト教関連以外の書物に限って、オランダ語の書物の輸入を認めました。それ以降、これを訳して読むことで、当時急速に進みつつあったヨーロッパの科学に触れることができました。このような学問を'''{{Ruby|蘭学|らんがく}}'''と言います。
:医者の '''[[小学校社会/6学年/歴史編/人物事典‎‎#杉田玄白|{{Ruby|杉田玄白|すぎたげんぱく}}]]''' ・'''{{Ruby|前野良沢|まえのりょうたく}}'''らはオランダ語の医学書『ターヘル・アナトミア』を見て、実際に死体の解剖を行い、それが非常に正確に記述されていることを知って感心し、これを4年かけて翻訳して、1774年『'''解体新書'''』をあらわしました。このころは、まだ、オランダ語の辞書はなく、大変苦労した話を『{{Ruby|蘭学事始|らんがくことはじめ}}』に記しました。
:杉田玄白らと同じ時代の、{{ruby|平賀源内|ひらがげんない}}<span id="平賀源内">は、オランダ語の本から、「エレキテル」と呼ばれる、静電気を発電し蓄電する機械(起電気)を製作しました。
:蘭学は、現代の日本の科学にも大きな影響を残しています。
:{{ruby|宇田川玄真|うだがわげんしん}}は、『解体新書』よりもさらに詳しい医学書を翻訳し、それまで日本語の名前のなかった臓器である「{{ruby|膵臓|すいぞう}}」や「{{ruby|腺|せん}}(体液を出す器官)」について、「膵」や「腺」という感じ漢字を新しく作ってなづけました。玄真の養子である{{ruby|宇田川榕菴|うだがわようあん}}は、「化学」を紹介し、翻訳で「水素」、「酸素」、「窒素」、「元素」、「酸化」、「細胞」、「圧力」、「温度」、「結晶」、「沸騰」など現在でも使われている言葉を数多く作りました。
:関学は、こうして、当時急速に進んだヨーロッパの科学技術を日本に伝え、幕末には、新しい知識を持った人たちを送り出すのですが、これを研究する人はまだ少数で、世の中を変えるまでの影響はありませんでした。また、18世紀から19世紀にかけての「{{ruby|産業革命|さんぎょうかくめい}}」にオランダは少し遅れてとりくんだため、蒸気機関などその成果はほとんど入りませんでした。
<div style="margin:0 4em 0 8em">