「高等学校世界史B/大航海時代」の版間の差分

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価格革命がただのインフレという見方かよ(失笑)。価格革命は他の要因(加筆したことね)とかもあって近代国家成立の基になっていくから重要なんだが。ま、勉強中の高校生が言うなら生暖かい目で見てもいいけどさ。
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そして、さらに'''ヴァスコ=ダ=ガマ'''の艦隊がアフリカ東岸を北上していき、さらにインド洋を渡り、1498年にはヴァスコ=ダ=ガマのの艦隊はインド西岸の'''カリカット'''に到達し、こうしてインド航路が開かれた。
 
そして、このインド航路を経由すれば、香辛料を安値で買える事が分かり、なのでガマの艦隊は、大量の香辛料・香料などをポルトガルに持ち帰ったとされる。それから、ポルトガルは、インド航路による香辛料などの取引をつづけた利益により、ポルトガルは莫大な利益を手に入れ、また、ポルトガルの首都'''リスボン'''は貿易港として発展した。
 
 
== スペインとアメリカ大陸 ==
スペインも、インド航路を探そうとしていた。そのとき、イタリア出身の航海者'''コロンブス'''が、天文学者トスカネリの主張する地球球体説にもとづいて、大西洋を横断すればインドに到達できるだろうと主張していた。スペインは、コロンブスを支持し、コロンブスに大西洋を横断させた。そして、1492年にコロンブスはカリブ海のサン・サルバドル島に到達し、ヨーロッパから北アメリカ大陸への航路を発見した。
 
そして、のちにコロンブスは、北アメリカ大陸にも上陸した。
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また、あらたに伝染病がアメリカ大陸にもちこまれたり、アメリカ先住民が酷使されたりしたため、アメリカの先住民の人口が激減した。
 
== 経済と社会構造の変化 ==
 
スペイン人の入植後、アメリカ大陸ではポトシ銀山などの銀行脈が発見され、アメリカで銀が大量に採掘され、その銀が貿易を通してヨーロッパ経済に入っていったので、ヨーロッパ経済でインフレが起き、ヨーロッパで穀物などの物価が2〜3倍に上昇した。
 
:※ なお、この、大航海時代の銀の流入によるヨーロッパなどでのインフレのことを「'''価格革命'''」(Price Revolution)という。(※ 単なこうして、ヨーロッパでは、銀の流入と人口増加によインフレ現象物価の上昇すぎないだろ・・・と思うがより教科書地代収入を得ている領主(封建貴族)太字に大き経済的打撃を受けて没落していた。そし、ヨーロッパ封建社会が終焉をむかえる一方で、高校生は暗記せざ加法の普及によを得軍事革命どの要因が重なり合って、自由経済の進展とその担手たる市民層の形成、国民意識の形成、主権国家体制の成立を進めていくことになる
 
:※ そもそも、大航海時代における新航路やアメリカ大陸の発見などにより、貿易を中心として世界経済に大きな変更があった事を「'''商業革命'''」(commerrcial Revolution)という。
 
また、ポルトガルがインド航路を開拓したことによってヨーロッパの商人たちの商業圏がアジアにもに拡大していった。こうした、大航海時代における新航路やアメリカ大陸の発見に加えて、ヨーロッパの経済の中心が大西洋沿岸地域に移っていったこと、従来の高利貸し的な金融業者が没落して現代の銀行システムの基となる新たな金融制度が生まれていったことを「'''商業革命'''」(commerrcial Revolution)という。
さて、ヨーロッパでは、銀の流入による物価の上昇により、固定地代で収入を得ている領主は、大きな経済的打撃を受けた。
 
また、おもに西ヨーロッパでインフレが起きた一方、東ヨーロッパではインフレの影響小さかった。加えて、西ヨーロッパでは急激な人口増加が起きて穀物の価格に拍車をかけた。このため、東ヨーロッパからは大量に穀物が輸出された。このため、東ヨーロッパでは大農場経営が行われ、農場領主制が広まった。
 
なお、ほぼ同時代に、中国でも、アメリカなどで採掘された銀が大量に中国に流入した。このころ、中国(※ 王朝は「明」(ミン))の納税制度が銀による納税制度(※ 一条鞭法(いちじょうべんぽう))に変わったのだが、その理由もおそらく、中国国外からの銀の流入により中国で銀が普及したことが、その理由のひとつだろう・・・と歴史学では考えられている。