「高等学校世界史B/大航海時代」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
価格革命がただのインフレという見方かよ(失笑)。価格革命は他の要因(加筆したことね)とかもあって近代国家成立の基になっていくから重要なんだが。ま、勉強中の高校生が言うなら生暖かい目で見てもいいけどさ。
49 行
 
== 経済と社会構造の変化 ==
スペイン人の入植後、アメリカ大陸ではポトシ銀山などの銀脈が発見され、アメリカで銀が大量に採掘され、その銀が貿易を通してヨーロッパ経済に入っていったので、ヨーロッパ経済でインフレが起き、ヨーロッパで穀物などの物価が2〜3倍に上昇した。
 
大航海時代の銀の流入によるヨーロッパでのインフレのことを「'''価格革命'''」(Price Revolution)という。こうして、ヨーロッパでは、銀の流入と人口増加による物価の上昇により、固定地代で収入を得ている領主(封建貴族)は大きな経済的打撃を受けて没落していった。そして、ヨーロッパの封建社会が終焉をむかえる一方で、加法火砲の普及による軍事革命などの要因が重なり合って、自由経済の進展とその担い手たる市民層の形成、国民意識の形成、主権国家体制の成立を進めていくことになる。
 
また、ポルトガルがインド航路を開拓したことによってヨーロッパの商人たちの商業圏がアジアにもに拡大していった。こうした、大航海時代における新航路やアメリカ大陸の発見に加えて、ヨーロッパの経済の中心が大西洋沿岸地域に移っていったこと、従来の高利貸し的な金融業者が没落して現代の銀行システムの基となる新たな金融制度が生まれていったことを「'''商業革命'''」(commerrcial Revolution)という。
 
また、おもに西ヨーロッパではインフレの影響起き多大だった一方、ドイツやポーランドなどの東ヨーロッパではインフレの影響は小さかった。加えて、西ヨーロッパでは急激な人口増加が起きて穀物の価格上昇に拍車をかけた。このため、東ヨーロッパからは大量に穀物が輸出された。この穀物生産を進めるため、東ヨーロッパでは大農場経営が行われ、農場領主制が広まった。
 
なお、ほぼ同時代に、中国でも、アメリカなどで採掘された銀が大量に中国に流入した。このころ、中国(※ 王朝は「明」(ミン))の納税制度が銀による納税制度(※ 一条鞭法(いちじょうべんぽう))に変わったのだが、その理由もおそらく、中国国外からの銀の流入により中国で銀が普及したことが、その理由のひとつだろう・・・と歴史学では考えられている。