「高等学校世界史B/大航海時代」の版間の差分

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さて、この時代、羅針盤(らしんばん)などの発明により、航海術が発達していた。
 
そこでポルトガルやスペインでは、オスマン帝国の領土を経由せずに東アジアを目指そうとする、新しい航路や沿岸を探検する時代が始まった。当時、香辛料がヨーロッパでは高値で売れたので、もしオスマン帝国を通らずに東アジアの香辛料の原産地にたどりつけば、イスラーム商人などを経由せずに利益を独占できるかもしれないので、莫大な利益が見込めるかもしれないと考えたのであろう。
 
まず、ポルトガルなどにより、アフリカ大陸の西岸にそって南下していったら、どこに到達するのかが調べられた。ポルトガルの王族の子'''エンリケ'''は、みずからは船出しないもの、このアフリカ探検の目的のためにアフリカ西岸に艦隊・船団を派遣し、アフリカ西岸にそって南下させて調べさせた。このようにエンリケが航路の開明に熱心だったため、エンリケは「'''航海王子'''」と呼ばれている。
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そして、さらに'''ヴァスコ=ダ=ガマ'''の艦隊がアフリカ東岸を北上していき、さらにインド洋を渡り、1498年にはヴァスコ=ダ=ガマのの艦隊はインド西岸の'''カリカット'''に到達し、こうしてインド航路が開かれた。
 
そして、このインド航路を経由すれば、香辛料を安値で買える事が分かり、ガマの艦隊は、大量の香辛料・香料などをポルトガルに持ち帰ったとされる。それから、ポルトガルは、インド航路による香辛料などの取引をつづけた利益によりることでポルトガルは莫大な利益を手に入れ、また、ポルトガルの首都'''リスボン'''は貿易港として発展した。
 
 
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[[ファイル:Magellan-Map-En.png|right|thumb|400px|マゼラン艦隊の航路]]
さらにスペインは、ポルトガル出身のマゼランに南アメリカ大陸の航路を調べさせ、まず南アメリカ大陸の南端にあるマゼラン海峡に辿りつき、つづけてマゼランの船団は、マゼラン海峡から太平洋を西西北西に横断し、1521年にフィリピンに到達した。
 
マゼランはフィリピンで原住民のラプラプに殺されたが、部下がアフリカ経由の航路で1522年にスペインに到達し、史上初の世界周航が達成され、また、地球球体説が実証された。
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スペインは、アメリカ大陸を侵略した。(※ 検定教科書では、「侵略」などの表現は用いてないが、実質的に、スペインによる侵略であろう。)
 
アメリカ大陸をヨーロッパ人が発見したころの当時、アメリカ大陸では既に原住民による文明が各地にった。しかし、スペインはアメリカ大陸に軍隊を送り込み、スペインはアメリカ大陸の各地を征服した。(※ 検定教科書では、「侵略」ではなく「征服」などの表現が用いられている。)
 
まず1521年に'''コルテス'''がメキシコの'''アステカ王国'''を征服した。つづけて1533年、'''ピサロ'''が'''インカ帝国'''を滅ぼした。
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なお、ほぼ同時代に、中国でも、アメリカなどで採掘された銀が大量に中国に流入した。このころ、中国(※ 王朝は「明」(ミン))の納税制度が銀による納税制度(※ 一条鞭法(いちじょうべんぽう))に変わったのだが、その理由もおそらく、中国国外からの銀の流入により中国で銀が普及したことが、その理由のひとつだろう・・・と歴史学では考えられている。
 
また、サトウキビがアメリカ外からアメリカに持ち込まれ、アメリカでサトウキビのプランテーションが開かれた。